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大河ドラマ『豊臣兄弟!』秀長の九州攻めを見る前に。

山田宗昌は、竹中半兵衛以上の軍師だったのか


島津家久勢を退けた「伊東の軍神」

豊臣秀長の大軍が九州へ入る直前、島津軍の北上を食い止めていた武将がいる。

豊後・栂牟礼城主、佐伯惟定である。

当時、数え年で十八歳前後。まだ若い城主だった。

この佐伯惟定を補佐したのが、日向伊東家の旧臣、山田宗昌。のちに匡得と号した武将である。

信長の野望などのゲームで名前を見た記憶はある。

しかし、私の印象では能力値は六十前後。特別に強い武将として使った覚えはない。凡将である。

ところが、調べてみると、とんでもない。

伊東家が没落しても、島津と戦い続けた

山田宗昌は、若いころから武勇に優れ、初陣で敵将を討ち取ったとも伝わる。

さらに、大江匡房(大江流)の兵法を学び、その名から「匡得」と号したとされる。

武勇だけの猛将ではない。

戦場全体を読み、兵を動かすことのできる、文武両道の武将だった。

伊東家が島津氏に敗れて日向を追われた後、伊東義祐や祐兵らは豊後へ逃れ、やがて伊予へ渡った。

山田宗昌は豊後に残り、佐伯惟定のもとへ身を寄せる。

そして1586年、島津家久が豊後へ侵攻してくる。

堅田合戦。島津家久勢を撃退する

島津方の軍勢が栂牟礼城へ迫ったとき、山田宗昌は若い佐伯惟定を補佐し、佐伯軍の指揮を執った。

これが堅田合戦である。

兵数には諸説ある。

しかし、佐伯軍が兵力で優勢だったとは考えにくい。

周辺の大友方諸将が次々と島津に降るなか、山田宗昌と佐伯勢は地形と兵の配置を生かし、島津家久が差し向けた軍勢を撃退した。

あの島津家久勢を、である。

山田宗昌がいなければ、若い佐伯惟定だけで栂牟礼城を守り切れたのだろうか。

佐伯で島津軍を止められなければ、豊臣秀長が九州へ入るまでに、豊後の状況はさらに悪化していたかもしれない。

中央ではまだ豊臣軍が動こうとしているころ、九州の一角では、名も知られていない軍師が島津軍の進撃を止めていたのである。

生涯不敗と伝わる武将

山田宗昌がすごいのは、堅田合戦で島津軍を一度撃退したことだけではない。

生涯不敗の武将として名前が挙がる人物である。

竹中半兵衛、黒田官兵衛、本多忠勝、立花宗茂、吉川元春、朝倉宗滴。

戦国時代を代表する、そうそうたる武将たちである。

山田宗昌も、その列に加えられることがある。

若いころには一騎打ちで敵を討ち取り、大江流の兵法を学び、戦場では兵を指揮する。

自ら戦えるだけではない。

戦の全体を読み、劣勢の軍勢を勝利へ導くことができた。

キングダムでいえば昌平君。

三国志でいえば姜維。

武勇と軍略の両方を備えた、文武両道の武将だった。

しかも、相手は島津家久勢である。

家久は、沖田畷の戦いで龍造寺隆信の大軍を破り、戸次川の戦いでは長宗我部信親、十河存保ら豊臣方の軍勢を崩壊させた、島津家屈指の名将である。

その島津軍を、山田宗昌は佐伯惟定を補佐して撃退した。

生涯不敗と伝わる武将が、生涯でも屈指の戦上手を退けた。

これほどの実績がありながら、山田宗昌の名前は、竹中半兵衛や黒田官兵衛ほど知られていない。

なぜ、これほど知られていないのか

竹中半兵衛、黒田官兵衛、立花宗茂、島津家久。

戦国時代には、有名な軍師や名将がいくらでもいる。

山田宗昌が竹中半兵衛以上だったのか。

それを単純に比べることはできない。

仕えた大名も、戦った場所も、担った役割も違うからである。

ただ、実績に比べて、あまりにも知られていないとは思う。

もし山田宗昌が、織田家や豊臣家の家臣だったなら。

もし中央政権の大きな合戦で、同じ働きをしていたなら。

もっと有名になっていたはずである。

山田宗昌が仕えたのは、一度は国を追われた伊東家だった。

だからこそ、その戦功も九州の地方史のなかへ埋もれてしまったのではないか。

主家が復興すると、伊東家へ戻った

豊臣秀吉の九州平定後、伊東祐兵は旧領日向へ復帰し、飫肥城を与えられた。

山田宗昌も佐伯家を離れ、伊東家へ帰参する。

大友宗麟から甲冑を贈られたとも伝わる。

その甲冑は現在、宮崎県日南市の飫肥城歴史資料館に展示されている。

地元では「伊東の軍神」と呼ばれているという。

武勇に優れ、兵法を学び、主家が没落しても戦い続け、復興すると再び帰参した。

なるほど、軍神と呼びたくなる。

こんな武将がいたことに、今まで気づかなかった。

わしは歴史オタ失格じゃ。

いや、歴史はまだまだ、知らない武将を隠しているということなのかもしれんなあ。

宮崎県へ行く機会があれば、飫肥城歴史資料館で山田匡得の甲冑を見てみたい。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』に山田宗昌が登場するかどうかは分からない。

しかし、秀長の九州攻めを見るなら、その直前に島津軍を食い止めていた、佐伯惟定と山田宗昌のことも覚えておきたい。

中央の大軍が到着する前に、地方ではすでに戦っていた人たちがいたのである。

DEDラボ 健ちゃん



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