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我々は何のために勉強するのかの答え|ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」読書記録・読書感想文

勉強に意味はあるのか? そんな疑問を子供の時分に思った経験を持つ人々は多いと思われる。その後大人になって、その問いに対する答えを得られた人々はどれくらいいるだろうか。その答えを求めて勉強を続けている人、その答えを勉強し続けている人、答えを得られた人、答えに感心のない人など、実に様々なだと思われる。

ブルーノ・ムナーリによる著作「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」は、そんな問いに対する答えめいたものを感じられる一冊かもしれない。タイトルだけを読めば、デザインに興味のある人々向けの一冊に感じられるかもしれない。確かにその一面はある。だが、それは全てではない。このnoteでは、同書を読んで感じた記録をつらつらと書こうと思う。ちなみに同著者による「ファンタジア」に関する記録もある。


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ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」は勉強そのものについて教えてくれる

ブルーノ・ムナーリによる著作「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」は、デザインの名人、大家であるブルーノ・ムナーリが、ハーヴァード大学で行った講義の記録に加えて、数多くの資料を通じてデザインやヴィジュアル・コミュニケーションに関する学びを得られる一冊である。

とりわけデザインやヴィジュアル・コミュニケーションに関して、原理原則と言おうか根底的なロジックと言おうか、根源に触れる学びを得られる。基礎や基本とは若干異なるため、筆者のような半可通にも満たない素人には難解な内容も多い。

しかしながら、テクスチャーやストラクチャー、モデュールなど、様々な概念に関する根源的な部分に触れながら知見や気付きを得られる。その意味で、内容を理解できなかったとしても読んで得られるものが多い稀有な書籍に感じられた。

ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」in 山猫堂

勉強とは何のために在るのか|ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」を読んで知る勉強の価値|読書感想文

ブルーノ・ムナーリによる著作「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」は、デザインやヴィジュアル・コミュニケーションに関する知見を得られるだけなく、学びというものについて考える機会を得られる一冊でもある。

学校が、最新の技術を利用し、未来に向かうことができる人材を育てないとしたら、一体学校とは何のためにあるのでしょうか?
(中略)
過去は文化上の情報として機能するものであって、その時代に属したままであるべきです。そうでないと、この先なにかを理解するということができなくなってしまいます。

ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」

昨今の学校教育は違ってきているが、従前の学校教育は過去から脈々と教え続けられてきた情報を学ぶだけの内容が多かった。ブルーノ・ムナーリが言うところの”情報として機能するもの”を知り、覚え、主にテストのために扱えるようにする。

そんな授業が大半であった。とりわけ高等学校までの教育はそうした傾向が顕著で、だからこそ『勉強に意味はあるのか?』といった疑問が生徒たちに付き纏い、しまいには学校で学ぶ勉強に意味はないと否定されるに至ってしまっていた。

ブルーノ・ムナーリは、そうした勉強よりも未来に向かうための技術や知見を獲得することこそが、学校で学ぶべきものであり、それを学べない学校の存在に疑問を呈しているように見受けられる。

この疑問は、ブルーノ・ムナーリが生きた時代はどうだったか定かでないが、少なくとも現代では正しい疑問として受け入れられるのではなかろうか。何せ中高生の授業あるいはその延長で探究学習などが取り入れられている。

時代を少し遡れば総合的な学習と呼ばれていたような授業ーー子供たちが自分たちの意思で、現代の社会をフィールドとして未来に資する学習に取り組むことが、今や必須とされているほどだ。

そう考えると、ブルーノ・ムナーリの先見性の高さを感じられるとともに、原理原則や根源的な部分に思考を向けられるブルーノ・ムナーリだからこその創造力が成し得た指摘だと思わせられる。

今日でも住まいとして使用されている日本の伝統家屋の内部では、いくつかのテクスチャーを賢く利用し、それぞれの表面に質感を与えている。それらのテクスチャーは同じ素材からできており、素材がもつ構造上の論理を生かして作られ、一揃いとなって建物の構造要素を成している。

ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」

また、ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」の一節にあるこの文章を読んで、筆者は勉強の価値めいたものを感じずにいられなかった。それは何か?

勉強を通じて知っているからこそ、周囲に存在しているありとあらゆるものの本当の価値、本当の姿形を理解できることだ。上記の引用部分において語られる日本家屋の持つ造形美について、これまで全くといって考えた経験はおろか感じた経験も持たなかった。

家は家であり、部屋は部屋で、それを構成する物はすべて単一の物でしかなかった。だが本書を読んで、襖、畳、障子、壁、それらのテクスチャーが一体となり、それぞれの素材の持つ構造を生かして部屋という一つの合理的な造形美を生んでいると知られた。

つまり勉強とは、こうした目の前に当たり前にある景色が、どのような物、テクスチャーの組み合わせにより創り出され、そこにどのような理屈があり、どれだけ合理的で美しく、価値を持った存在なのかを知る手段なのだ。勉強なくして、そうした価値を理解するのは難しい。

直感的に感性で察せられはするかもしれない。しかし論理的に思考で理解するのは不可能に近く、結果的に価値を理解し、対外的に伝えたいと想ったときに伝えられず、それどころか自分の内にも上手く落とし込めなくなる。

ブルーノ・ムナーリ「デザインとヴィジュアル・コミュニケーション」は、そうした事実に気付かせてくれるとともに、勉強とはどうあるべきか、どう学んでいくのが好いのか、そうしたこれまで答えを見つけるのが難しかった問いに一つの答えを示してくれる一冊だった。機会があれば、ぜひ一度読んで欲しい。


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