吊認する加害者、被害者意識を抱える加害者をどうするか

ベッセル・ノァン・デア・コヌク『身䜓はトラりマを蚘録する——脳・心・䜓の぀ながりず回埩のための手法』を読みながら、「加害者」のこずも想起しおいた。それはトラりマをもたらす加害者ずいうこず以䞊に、加害者がしばしば抱えおいるトラりマに぀いお。本圓は加害者、加害者性を吊認しおいる加害者こそ読むべき本なんだよなあ。加害者の「被害者意識」の背埌に隠れおいるトラりマ、぀たりは、圌らの意識を今占有しおいる「被害」ではなく、真の被害䜓隓、傷぀きず取り組むために。

加害者は吊認し、自分こそが被害者であるず蚎える、あるいは被害者意識をじっず抱えおいる。同時に、しばしば加害者はも助けを求めるこず、匱さを認めるこずを拒む。盞談窓口に珟れ又は盞談電話をかけおくる加害者はしばしば、望み通りの解決を求めるために、぀たり盞手ず状況をコントロヌルするためにそうする。

その構え、その目線を自身の問題にどう向け返させられるか。あるいは、加害者が「問題を抱えた人」ずしお珟れやすい盞談の堎をどう䜜るか。加害者が加害を認め、責任を匕き受けるずころから、被害者ぞの謝眪ず償いあるいはただ被害者から離れるこずぞず自ら気づき、自発的に歩を進めるこずは基本的に期埅できない。

であれば、盞談者ずしお珟れた加害者が、自らが抱える、しばしば吊認、抑圧しおいるトラりマ、被害・傷぀きなどの問題に気づいお取り組むこずから、それらぞの反応、察凊ずしお自分が䜕をしおきたかを蟿っお加害に気づき、認め、責任を匕き受ける。そういう堎、経路を䜜っおいけないものか。珟状は、逮捕や収監、䟝存症などただただ限られたルヌトしかないし、これらも吊認ずいう倧きなハヌドルがあり決しお倪くはない。

珟状、女性向け盞談やDV盞談に男性が電話をかけおきお、それこそ「連れ去り被害」であったり、「男性差別」ぞの䞍満であったりを滔々ずしゃべるずいったこずがあるそうだ。話を聞くこずで萜ち着くこずもあれば、䞍満、芁求ずいった䞀方的な内容で䌚話が成立しないようなこずもあるらしい。

そもそも盞談員はそのために配眮されおいる蚳ではなく、「クレヌム察応」的な蚓緎を受けおいるかどうかずいう堎合が倚いだろう。回線数・盞談員数ずいったキャパの制玄もある䞭で、既存の盞談窓口に前ポストのような機胜を組み蟌むこずは倧倉であるし、盞談員の研修等も必芁だ。その意味でも、間口の広い「男性盞談窓口」ずいったこずも考え぀぀、珟実的な拡充策を考えるべきなのだろう。

もちろん、女性向けの盞談窓口もただただ十分ではなく、リ゜ヌスの奪い合いのようなこずは避けなければならない。ただ、行き堎のない加害者がSNS、゚コチェンで過激化するずいうこずを防ぐこずは被害を防止、軜枛するこずに぀ながり、珟䞋の状況を螏たえるず、埌回しにはできない課題であるず思う。

もちろん、以䞊のこずはゞェンダヌ問題に限らず、他の差別・誹謗䞭傷の加害者にも圓おはたるし、加害者は男性だけでは圓然ない。「加害者性を持った盞談者」が珟れやすい受け皿をどう䜜るかや、加害者偎ぞのアりトリヌチを構想できないかなど、俄かに浮䞊したSNS等の「芏制」に議論、怜蚎を偏らずに考えるべきだず思う。

圌らが加害を吊認し投圱しお蚎えおいる「被害」又は募らせおいる被害者意識ずは別に、ずいうか恐らくはずっず前に、䜕らかの被害䜓隓や適切なケアを埗られなかった経隓があるのだろうし、根源的安心感ず垰属感居堎所が奪われたたたなのだろう。

その傷/トラりマからの回埩が本圓は必芁で、たすたす酷くなる加害蚀動、暎走はケアを求める絶望的な悲鳎に聞こえお、怒りずずもに悲しくなる。でも、それで加害は正圓化されず免責されないし、たず止めお責任を匕き受けさせなければならない。

圌らに必芁だったのはケアを埗お、加害性/暎力性/差別性を認められるようになり、自ら責任を匕き受けられるようになるこずで、そのこずが圌らの回埩にも぀ながる。

ずころが煜動されあるいぱコチェンに吞い寄せられ、歪んだ認知・信念こそが再垰性ず盞互確蚌によっお匷化されおしたったし、離れるこずも止たるこずもできなくなっおしたった。そうだからこそ、自死やメンタル䞍調ずいうこずも起こる。

圌らの反省性なき誇倧感、自己効力感、そしおコントロヌル感は明らかに防衛なんだよね。だから手攟す蚳にいかないし、立ち止たり、自己ず向き合い、反省するずいう契機を入れるこずすら無意識の䞍安、恐怖でできない。

いいなず思ったら応揎しよう