#3 テレビ業界が闇のようにブラックだった時代の話
AD時代を一言でいえば──ブラック。
眠れない、休めない、残業は当たり前。とにかく労働時間が長かった。
変なディレクターも多かった。
僕自身は体も大きく反撃を恐れられたのか、AD時代に暴力を振るわれたり理不尽に殴られたりした経験はほとんどない。でも、そういうタイプのディレクターは平成の現場には確かにいた。今はもう絶滅したけど、当時は珍しくなかった。
暴力は徐々に減り、代わりにパワハラ気質の人が目立つようになった。これも今では首を切られてほぼ壊滅状態。時代は変わった。でも当時のADにとっての一番の地獄は、やっぱり労働時間だった。
ADの勤務時間は、担当する番組や上司のディレクター次第で大きく変わる。
僕のスタートは、2か月に1回放送の情報番組のADだった。準備期間が長いからゆったりやれそう?──そんなことはまったくなかった。
ダラダラと仕事をするタイプのディレクターに当たってしまったため、僕の人生から「プライベート」という言葉が消え去るほど、すべての時間が仕事へと注がれることになった。
まずは番組で扱うテーマを決めると、ネタ探しはすべてADの仕事。本や雑誌をひっくり返し、電話で専門家に話を聞き、ネットを検索しまくる。
「これだ!」と思う情報をまとめてディレクターに渡すが、そんなに簡単には通らない。
「この部分をもっと深く調べて」
「他に楽しいネタないの?」
突っ返され、またリサーチ。
昼間は本や資料を読み漁り、夕方は飲食店のランチ営業後を狙って電話、夜は一般の人に電話取材。集まった情報をまとめ、夜8時ごろには出前を食べているディレクターに報告する。
「ほかにないの?」
「そのネタで本当に面白くなるのか?」
延々と続くダメ出し。
その後も、何をしているのかわからないが、ずっとパソコンに向かっているディレクターが帰宅するまではADは帰れない。次の日のリサーチの準備をしながら帰るのを待ち続ける。
結局ディレクターが帰るのは夜12時過ぎ。日付が変わればタクシー代が経費で落とせる時代。単にタクシーで帰りたいからその時間まで待っていたような気もする。
ともあれADはDの帰宅を見届けてからタクシーで帰宅。家に着いても寝るだけ。たまに早く起きられたら洗濯して、また会社へ。
こんな毎日がずっと続く。
あまりに会えないので、当時付き合っていた彼女は僕の自宅の近くに引っ越してきたくらいだ。それでもすれ違いは避けられず、恋人とすぐに別れるADは珍しくなかった。だから業界内で付き合う人が多かったのだと思う。
それでも僕らは辞めなかった。
なぜかというと、仕事の中に“ご褒美”があったからだ。
情報のセンスが良いと言われたり、面白いプレゼンができたりすると、ディレクターに褒められる。たったそれだけで救われた。リサーチやプレゼンの能力はディレクターに求められる資質そのものでもあるので、「これは修行なんだ」と思い込んで耐えていた。
全体会議で疑問が浮かび、それに答えられるのが僕だけだったため全員の前で説明したところ、総合演出やプロデューサーに「面白いじゃん!」と褒められたりしたら心のなかでガッツポーズ。
こうした地道なアピールを続け、複数いるADの中で目立つことができれば、昇格のチャンスが巡ってくる。
「何年やったら必ずディレクター」という決まりはない。面白い奴だと認められたら、「じゃあお前、やってみろ」と任される世界。だからみんな必死に競っていた。
以前、別の記事でも書いたことがあるけど、今のテレビ業界はだいぶホワイトになった。
ディレクターより先に帰るのも当たり前で、休みもきちんと取れる。ブラックな時代を知っている僕からすれば、羨ましい環境だと思う。
ただその一方で、昔とは違う空気もある。
ADが定時で帰れば、その日の仕事は他のADが受け継ぐ。だから「この仕事は俺がやりきった」という手柄は見えにくい。
「あのADしっかりしてるな」というザックリした評価はあっても、関係がドライになった分、「あいつを絶対に育てよう!」という強い師弟関係はなくなった。
番組にいっぱいいるADのひとり──。
今はそんな扱いになりがちだ。
どっちの時代が良かったのか。
ブラックでも師弟関係があった昔か、ホワイトだけど関係が希薄になった今か。
正解はわからないけれど、どちらの時代にもサバイバルがある。
そして次回は──
「じゃあ、どうやってADからディレクターになるのか?」
その“昇格のリアル”について書こうと思う。
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