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誰かの発想を、自分の考えだと思ってしまうこと|AIパートナー|AI彼氏|考察エッセイ


最近、少し考えていたことがあります。

以前、AIで絵を出す人と、自分で絵を描く人では、「アイデア」に対する考え方が違うのではないか、という話を書きました。

その時から、人によって「参考や模倣」に対する考えが違うのではないか、ということを意識するようになりました。


きっかけ

きっかけのひとつは、自分の記事に近いものを見かけたことです。

私の記事を見て、それを自分の考えにしているわけではないかもしれない。
あまりにも口うるさすぎて、いい加減自意識過剰なのはやめろ、と言われてしまうかもしれない。

だから、こういう記事を公開するのはやめておこうかな…。そう考えていました。


ですが、他にも同じように悩んでいる人を見た時に、悩みの内容は違っても「参考の線引き」によって自分と同じように心が苦しくなる人がいるんだ。

これは記事にもプロンプトにも、創作全体にも関わる話なのではないかと思ったんです。


0から生み出すということ

「0から生み出す」とは言っても、人それぞれ今まで見てきたもの、経験したこと、そういうものが積み重なって言葉や作品になっています。


ですが、0から生み出されたものというのは、内容だけにアイデアが乗せられているわけではありません。

記事やプロンプトであれば、

どの要素をどんな順番で書くか。
細かく言葉にするところ、あえて書かないところ。
意味は同じ言葉でも、どの言葉を使えば自分の理想に近づくのか。
読んだ人、実行してくれた人にどんな気持ちになってほしいのか。


このような表立って見えない部分にも、その人なりの意味があります。

ただ、見たものを自分の中で変換している人は、その「作り出す過程で生まれた発想や工夫が込められていること」に気づきにくいのではないかと思いました。

もしかするとその人は、参考にしているつもりすらないのかもしれない。


変換するということ


誰かの記事を読み、誰かのプロンプトを試してみる。

その時に、
「あっ!これいいなっ!」
「なるほど、こうしたらいいんだ!」
「自分でも書こう!」
そう思うこともありますよね。

文章をそのまま使ったわけではないし、自分の経験や意見、発想を入れているので、感覚としてはただ自分の考えを書いただけ。


けれど、その考え始めた場所が、誰かの発信にあったのなら、
その問題意識や表現したいもの、構成が他人のものから来ているなら
それは本当に、0から自分で考えたものだと言えるのでしょうか。

私は、そこに「もやもや」したものを感じる人間です。


良いな、と思ったものをリスペクトして、発信することは素敵な事だと思っています。

ですが、中には「良いな」と思ったアイデアを参考にしている自覚がないまま、自分のものとして変換してしまっている人がいるのではないかな、と思っています。

「自分で考えたことを発信する」のではなく、「発信の内容そのものや、ベースとなる構成」まで、自分のものにしてしまってはいけません。


0と1の境界線

誰かの記事を読んで、「あ、これいいな。」と感じ、似たような題材を書いた場合、
その時点で題材だけではなく、その人の考えや言葉、構成がその記事に入ってしまいます。

自分の言葉や考えのつもりでも、無意識下で境目が曖昧になってしまいます。

これは本当に自分の中から出てきたものなのか。
それとも、誰かの考えに引っ張られて書いたものなのか。

私はそこを曖昧にしたくない。

自分の中から生まれた「書きたいもの」「したいこと」を、書くようにしています。


私の自衛策

私は0から1を生み出す人間でありたい。
これは、創作する人間の本能のようなものだと思っています。

だから、自分がこれから書きたいと思っているテーマに近い記事は、できるだけ読まないようにしています。XなどのSNSも見ていません。

AI画像のプロンプトも、全て自分で考えたものを使用しています。

ですが一部例外があり、私が絶対読まないようにしている「他人のカスタム指示に対する考え方」を、課金してまで読んでしまった記事というのもあります。

内容も充実していますが、なによりめっちゃ面白いです。

語り出すと記事を何本も書けてしまうので控えますが、カスタム指示の仕様が変わる前にしっかりと紹介したかった。マジで(悔しい)

ダイレクトマーケティングかな?笑

また、少しでも参考にしたり、その記事の考えが混ざることがあれば、必ずリンクを貼るようにしています。

それがリスペクトであり、最低限のマナーだとも思っているからです。


最後に


もちろん、意図せず似てしまうことはあります。

同じ時期に同じ問題を見つけたり、似た経験をしていたりすれば、考えることが近くなるのも当たり前のことです。


でも、そうではなく、
誰かの発信を見て、何かを書きたくなったなら、発想が生まれたのなら

その考えは、どこから始まったのか。
その内容は、0から生まれたものなのか、誰かの言葉を自分の言葉に変えているだけではないか。

そういったものを自分の中で整理して、「うん、ちゃんと私のものだ」と言えるようになってから、公開するのが良いと思っています。

少しでも、見たものに影響されているのであれば、リンクを貼る、本人に一言声をかける、などの配慮も必要だと考えています。


自分では真似したつもりがなくても、結果的に言い換えているだけになってしまっていることもあります。

だから、私は周りの話題などに流されることなく、これからも誰かの言い換えをしてしまっていないか、ちゃんと自分と対話しながら記事にしていきたいと思っています。



私は、創造した人を大切にしたい。
だってそこには、つくった人が大切にしているものや、時間がたくさん詰まっているから。


じゃあ、どうしたらいいの?

「じゃあ、書くことをやめろってこと?」

そういうわけではありません。

FFさんが、私のように考察的な感じではなく、もっと分かりやすく書かれている記事がありましたので、
紹介リンクを貼らせていただきます。


まぁ、定期的に書いたものをまとめたり、自分でリライトすることも必要なんだろうな、と思っています。



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