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048 じゆう【自由】

048 じゆう【自由】


① 見える層

自由とは、
誰かに強制されたり、縛られたりせず、
自分の意思で選び、行動できること。

社会には、いろんな決まりや枠がある。
その中で、自分のしたいことを選べることを
「自由」と呼ぶことが多い。

② 感じる層

自由は、何でもできることとは少し違う気がする。

「こうしなきゃ」
「こうあるべき」
「一度決めたから、続けなきゃ」

そんなものに、心が固定されていないこと。

社会にも、家庭にも、人間関係にも、
いろんな枠がある。

枠はあってもいい。
その中にいてもいい。

ただ、その枠を
「絶対」というものにしなくていい。

③ 見えない層

今日、決めてもいい。
明日、変えてもいい。

入ってもいいし、出てもいい。
戻ってもいいし、何もしなくてもいい。

今の自分が、
未来の自分まで決めなくていい。

自由って、
何にも決めないことではなくて、

決めたものに、ずっと縛られなくていいことなのかもしれない。

メモ 🐑

・自由=固定されていないこと。
・「しなきゃ」がない。
・枠をなくすのではなく、枠を「絶対」にしない。
・「こういうもの」を「こうでなければならない」にしない。
・自分で決めたことにも縛られなくていい。
・いつでも選び直せる余白がある。
・今の自分が、未来の自分を決めなくていい。



🐑

「自由」

たまに捕獲されたこと以外、基本的にずっと自由に生きてきた。

一瞬一瞬の意図がほぼすべて。

改めて自由ってなんだろうって考えてたら、「こうしなきゃ」がナイってことかなって思った。

「こうしなきゃ」「こうすべき」って、EGOの常套文句。

そしてそれは、幻のようなもの。
世界に、そんなもの「無いかも」ってハルは思ってる。

幻なのに、それを握ってるつもりになってるから、それに反した人を叩いたり、批判したりする人が出てくる。
そして今度は、そうやって叩いたりする人を、批判する人も出てくる。

そこにも、「こうしなきゃ」「こうすべき」を握ってるつもりがあって、そうしない人を批判したり攻撃したりする。


そういうのを見つけたとき、なんか残念だなって思う時がある。
EGOに縛られて、縛られてることに気づかないまま、素の自分自身まで苦しくなってるように見えて。

他への攻撃や批判って、結局、自分の中にも同じ「こうあるべき」を向けることになるんじゃないかと思うんだよね。

これは「正解」の記事でも書いたけど、正しいを置くと間違いが生まれる。
こうやって、すべてを分離させていってるのはEGO。それは幻のようなもの。



ヒトは難しいな~って思う。

枠のルールは守る。でもその枠から出る自由もある。
枠にいたいならいてもいいし、出たいなら出ればいい。自由。


初雪さんの記事に、

【あなたは宇宙から何一つ期待されていないのです】

ってフレーズがあって、そうだな~って思った。

あ、ちょっと遠慮して書いた。笑

期待されちゃ困る。と思った。


ちょっと記事抜粋。

成長過程で、石でも空気でも箱でもない、この空間のどこにも存在しないものを、「やるべきこと」と名付け、心の中の責任感や義務感等のカテゴリに仕舞い込むのです。

これにより多くの期待をかかえていて、なにも許されていないというとても重量感のある思い込みバリアに包まれます。

この中にいる間は、基礎観念のもと、強い責任感と義務感によって、そのやるべきであるはずの多くのことをこなし、期待に応え続けることとなります。

しかし、それはあくまで意識の中だけで起こす思い込み。本来、完全な自由です。宇宙はあなたになに一つ期待していないのですから

初雪さんの記事


自由なんだよね、思い込んでるバリアを外せば。
というか、外すというより、最初から無いことに気づくだけなのかもしれない。

ハルに怒りの感情がほぼ起こらないのは、自由だからかもしれない。
そして、自由だからこそ相手も自由。なにも要求しないし期待も抱かない。いい意味で。
何より自分が未熟だとわかってるから、怒るポイントがない、というのが本音かな。

「こうしなくちゃ」を作らない。
固定しない、決めない、変えていい、自由。

今日決めたことを、明日の自分に要求しない。
今日の自分と明日の自分は契約してない。

それが自由かな。

(もちろん、枠の中にいるなら、そこの契約ルールは守りながら ♪)




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