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古事記をはじめて学ぶ-22 徐福渡来の可能性 古代中国の信仰と歴史の観点から 夏・商(殷)・周の各王朝の信仰と統治の変遷

古事記を読みながら、いつも古代人に思いを馳せています

古事記は日本の古代史と深いつながりがあるはずです
古代人として私たちは縄文人と弥生人を学びました
私たちには縄文人と弥生人の血が脈々と受け継がれています

天皇は高天原からおみえになりましたが、私たちの祖先はどこからやってきたのか、豊葦原の中国(なかつくに)の私たち祖先をすこし考えてみます

私たちの祖先となる古代人が、どのように日本に渡ってきたのか? この謎を解くため、古代人DNAのサイトから学びました

また一方で富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」大元出版 を読み続けています。

このDNAと出雲王国とヤマト政権の記述の関係性を記事にした結果が下記となります


ここで、日本人DNAの構成から初期に北東アジアからの渡来があり、縄文人と混血して弥生人となっています

その後、東アジアから渡来があり、弥生人と混血して、古墳人となり、ほぼ現在の私たちのDNAと同じ形になっています。

祖先DNAの混血割合と時期
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20240724_e01/index.html


この、北東アジアからの渡来を出雲族なのではないか!
弥生人と混血した東アジア人を徐福一行と考えました
如何でしょうか


しかし、本当に徐福は渡来したのでしょうか?

富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」大元出版によりますと、徐福は斉国の高位な人のように記述されています。

そして、「出雲族との宗教的争いが生じた」と記述されています

1.徐福一行の宗教観

富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」大元出版によりますと、徐福一行は道教を信仰する集団だと記述されています

道教についてwikiで調べてみました

なかなか複雑な設立経緯となっています

徐福一行は本当に道教信仰だったのか? 少し、考えてみます

2.夏、商(殷)、周の信仰

「徐福は斉国の高位な方だった」を頼りに、古代中国の信仰についてGeminiのDeepreaserchに問い合わせしてみました

2-1. 夏王朝時代:BC2070年頃

祖先祭祀と王権の正当性を結び付けていたようです
亡き祖先の崇拝を宗廟の形で表し、為政者の権力を始祖の廟で行使していたようです

日本の古墳時代の統治も、このような祖先祭祀の形態だった可能性があります

2-2. 商(殷)王朝時代:BC1600年頃

商王朝時代は「宗教帝国」と評され、信仰と政治が一体化されていたようです

至高の存在は、「帝」。帝が王の統治、自然神、祖先神を司る形です
この商王朝の時代に、甲骨文に残された卜辞があり、政治、戦争、気象、収穫、田猟に至るあらゆる事柄について神に問い合わせた記録があるようです

この「甲骨文による卜辞の神への問い」は出雲王国時代から現在の天皇まで継続して行われている儀式です
三河一宮の砥鹿神社のご神紋には亀甲紋のなかに、この亀卜が描かれています

三河一宮 砥鹿神社 ご神紋


亀卜は古代中国の商(殷)との繋がりが感じられます

商(殷)の時代に、既に日本は商王朝の儀式を取り込んでいた可能性が出てきました

このシャーマンによる「甲骨文による卜辞の神への問い」の儀式を取り入れるためには、交易が必須です

BC1600年頃、すでに日本は盛んな交易が行われていた可能性もでてきました

日本にも伝わったシャーマンによる神意の代弁の仕組みを有する商(殷)王朝は神権政治だったといえそうです

この時代の信仰体系の階層構造をGeminiのDeepreaserchは下記の様にまとめてくれました

商(殷)王朝の信仰対象の階層構造

2-3. 周王朝時代:BC1046~770年頃

商王朝から周王朝に時代が変化し、宗教観も大きく変化していったようです

実態が伴う商王朝の至上神である「帝」から、抽象的な「天」の概念をたて、統治は君主の「徳」により治められるとしています。

小国だった周が全国支配する理由付けの意味も有していたようです

商王国と周王国の宗教観の違いをGeminiのDeepreaserchは下記の様にまとめてくれました

商王朝と周王朝の信仰概念比較


3. 徐福渡来の記述・・・史記 秦始皇帝本紀

徐福一行は周王朝の末期に1回目に渡来しています

史記 秦始皇帝本紀の抜粋を下記にしまします

既已,齐人徐市等上书,言海中有三神山,名曰蓬莱、方丈、瀛洲,仙人居之。请得斋戒,与童男女求之。于是遣徐市发童男女数千人,入海求仙人。

https://ctext.org/shiji/qin-shi-huang-ben-ji/zhs#n4750

意味は以下となります

斉人徐市等、上書して言す、海中に三神山有り、名づけて蓬莱・方丈・瀛洲と曰う。僊人、之に居る。請う、斎戒して、童男女と與に之を求めん、と。是に於いて徐市をして童男女数千人を発し、海に入り、僊人を求めしむ。

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://gongsunlong.web.fc2.com/sinsikou-h.pdf

斉国の徐市が始皇帝に「海のかなたに三神があり、蓬莱、方丈、瀛州があり、ここに仙人がいる。身を清め童男女数千人とともに、仙人を求めたい」となります

ここに登場の徐市は徐福のことです

蓬莱は日本 方丈は済州島 瀛州(えいしゅう)は沖縄と言われています

ここに記述の内容が、出雲口伝に残されています
したがって、やはり、徐福は日本に渡来したと考えた方が良いと思われます

方士徐市等入海求神药,数岁不得,费多,恐谴,乃诈曰:“蓬莱药可得,然常为大鲛鱼所苦,故不得至,愿请善射与俱,见则以连弩射之。

https://ctext.org/shiji/qin-shi-huang-ben-ji/zhs

徐市等、海に入り、神薬を求め、数歳なれども得ず。費え多し。譴(せめる)られんことを恐れ、乃ち詐りて曰く、「蓬莱の薬、得可し。然れども常に大鮫魚の為に苦しめらる。故に至るを得ざりき。願わくは善く射るものを請い、與に倶にせん。

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://gongsunlong.web.fc2.com/sinsikou-h.pdf

容易に海を渡ることができない旨を訴えている様子が伺えます

見事な交渉術を駆使し、始皇帝へ謁見をしているようです

この中国の史記から、徐福は渡来を試み、出雲口伝にその旨が残されている点に注目しながら、今後も富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」大元出版を読み進めて行こうと思います


まとめ


夏王朝からの伝統的な祖先崇拝と自然崇拝を基に、商王朝、周王朝の信仰の骨格はイメージできました

徐福は中国の史記に仙人を求めて、海に出た。その際、数千人の童男女を連れて行った・・・この徐福と童男女数千人が渡来し、在来の日本人と混血し、古墳時代の日本人となったのではないかと・・・推測しています


今後は「青銅製の鏡」が古代中国の祭事にどのように用いられてきたのか、探求していきたいと思っています

今回、無料GeminiのDeepreaserchを何度も使用してしまい、当面使用できません。とても残念です。

暫くして、GeminiのDeepreaserchが使えるようになりましたら、続きを調査報告をさせていただきます

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