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構造の䞖界史埌線

モンゎルモビリティずプラグマティズム

 歎史構造ずしおのパラダむムシフトが最も顕著なケヌスが䞭囜です。教科曞を読めば分かるずおり、「䞭原の芇者」の地䜍をめぐっお諞王朝が生たれおは消えおいく、断続的で䞍可逆な革新的倉化、「易姓革呜」の歎史。しかし、よりマクロな芖点に立おば、挢や唐、明や元ずいった諞王朝は、北方階銬民族ずの劥協ず介入によっお生滅を繰り返すナヌラシア的珟象であり、むしろそのむニシアティブは、北方遊牧民モンゎルが握っおいるずいっおも過蚀ではありたせん。近幎の孊説によれば、華北を統䞀しお五胡十六囜を終わらせた北魏以降、䞭華文明を実質的に支配しおきたのは、鮮卑や拓跋ずいったモンゎル系民族であったずの芋方が匷い。「モンゎル」ずは限定的で閉じた時空ではなく、たさに「倧陞的・䞖界史的珟象」なのです。
 モンゎル系階銬民族最倧の特城は、その圧倒的モビリティ機動性です。モンゎル高原からポヌランド付近たで、早銬を乗り継ぐ駅䌝制なら玄1ヶ月、家畜を連れた軍隊なら数ヵ月で移動できたした。自動車の発明以前では、驚異的なスピヌドです。そのため、モンゎル垝囜はナヌラシア倧陞を隅々たで繋ぎ合わせる「ネットワヌク空間」を構築し、その維持ず発展を自らの䜿呜ずしたした。「䞭華」ずは華北・䞭原を栞ずする限られた時空における秩序であり、挢字や儀瀌、儒教などの「゜フトりェア」は、クロヌズドな共同䜓空間を構築するために機胜したした。そうやっお叀い秩序を再構築する営為、「倩䞋泰平」を王朝創業の目的、倩垝の意志ず捉えたしたが、モンゎルはそれを䞖界芏暡で実行した。圌らはナヌラシア倧陞党䜓をネットワヌク状に繋ぎ合わせ、地球芏暡の「パラダむムシフト」を起こしたのです。ロシアを支配した「キプチャク・ハン囜」やむンドの「ムガヌル垝囜」、出自を同じくするテュルク系の「オスマン・トルコ」。これら諞垝囜は、たさにモンゎルが同時倚発的に生み出した新型パラダむムでした。
 なぜ、そのような地球芏暡のむンパクト創出が可胜だったのでしょうか。その鍵は、モンゎルの培底した「実甚䞻矩プラグマティズム」にありたす。チンギス・ハンに始たるモンゎル垝囜は、支配地域に思想や宗教を匷制したせんでした。珟地の習俗をそのたた認め、代わりに玍皎ず培底した服埓を芁求したした。反乱に察しおは凄惚なたでの殺戮によっお鎮圧したしたが、有胜な人材は人皮・信仰する宗教を問わず登甚し、宮殿や銖郜には様々なバックボヌンを持぀人々が溢れた。財務官僚や歊噚の開発ずいった芁職にさえ、圌ら「色目人」を任甚する柔軟さがあったのです。
 圌らが行ったのは玔粋な「支配」であり、統治構造そのものの抜出ず匷化でした。その実態は「亀易ずその保護」ずいう経枈プラットフォヌムの敎備であり、「政治的匷制力」そのものの匷化だったのです。これは織田信長の安土における琵琶湖亀易支配や、豊臣秀吉が行った堺の敎備を先取りする先芋性でした。たた、13䞖玀に元王朝が発行した「亀鈔」は䞖界初の䞍換玙幣ずされ、モンゎル垝囜がいかに統治胜力の本質を芋抜いおいたかが分かりたす。政治は歊力を前提ずし、歊力は経枈に䟝存するのです。それは぀たり、マネヌずパワヌに資するのなら䜕でも利甚するずいう、むき出しのプラグマティズムでした。
 もっずも、モンゎルの支配局はチベット仏教に深く垰䟝しおいたした。垞に移動する遊牧生掻では、じっくりず腰を据えた知的営みは難しい。そのため高床な思玢をベヌスずする仏教の知的䜓系を、チベットの僧院に求めたした。のみならず、そこには儀瀌や祈祷ずいった実践的䟡倀もあった。チベット仏教には、倧怪僧パドマサンバノァを筆頭に呪術や魔術の䌝統があり、その霊的力に魅力を感じたのです。日本の平安貎族が空海や最柄のような密教僧に頌ったのず同じ構図です。密教僧は護摩行や祈祷によっお囜家・共同䜓ず貎族個々人の霊的防護を請け負いたした。それらは圓時の先端技術であり、それらを身に付けるこずは、同時に自らの「栌」を高めるこずでもあった。圌らモンゎル貎族たちは、知的・霊的リ゜ヌスをチベット僧に倖泚し、自らの暩嚁向䞊の手段ずしおも掻甚したのでした。この点も、モンゎルの極めお合理的なプラグマティズムが芋おずれたす。
 思想・宗教的寛容性ずしお、むスラヌム垝囜の「ゞズダ人頭皎」がよく知られたす。皎金さえ払えば信仰は自由だずの政策ですが、実際には支配民族であるアラブ人ずの身分的栌差があったり、聖曞を共有する「啓兞の民」以倖は疎倖されるずいった差別的扱いがありたした。その点、モンゎル垝囜の平等性は矀を抜いおおり、だからこそ、䞖界各地の文明圏を垝囜ずしおたずめ䞊げるこずに成功したのでした。圌ら自身が自らの「普遍的正矩」に固執したならば、これほどのパラダむムシフトを達成するこずは䞍可胜だったでしょう。ずもすれば、我々は珟代のグロヌバリズムの祖型をギリシャ・ロヌマの䌝統に求めおしたう。しかしそれらは、地球芏暡で芋ればあくたでも「地䞭海呚蟺」ずいうロヌカルな珟象であり、真に各地を結び付けお「䞖界」を創出したのは、他ならぬモンゎルだったのです。

結語海民ずいう可胜性

 近幎、たすたす「地政孊」が泚目を集めおいたす。昚今のサプラむチェヌンの「歊噚化」や経枈安党保障政策ずの兌ね合いで、それは経枈構造をベヌスずした「地経孊」に倉貌し぀぀ある。぀たり䟡倀基準を問題ずする政治的次元から、より本質的な力関係、プラグマティックな「ネットワヌク」の次元ぞず、パラダむムがシフトしおいたす。
 19䞖玀に発足した政治戊略思想ずしおの地政孊は長らく、海掋芇暩シヌ・パワヌを重芖する英米ず、倧陞芇暩ランド・パワヌを重芖するドむツの勢力が二倧䞻流でした。二床の䞖界倧戊は、たさしくこの「陞察海」の抗争であり、その埌の冷戊構造にしおも、アメリカずいう「海」ず゜連ずいう「陞」の察立でした。単玔なカタログスペックでは圧倒的に䞖界䞀のアメリカは、ベトナム戊争やむラク・アフガン戊争では撀退しおいたす。完党勝利を収めた盞手は日本だけ。぀たりアメリカは、本質的にシヌ・パワヌなのです。
 そこで参考になるのが、䞭䞖〜近䞖に東・東南アゞア䞀垯で躍動した倭寇や海商民、すなわち「海民」ず呌ばれる人々です。初期の倭寇前期倭寇、14䞖玀は日本海沿岞の歊士や持民を母䜓ずする、束浊党などの海賊集団でしたが、16䞖玀以降の「埌期倭寇」では、その8割皋床が䞭囜倧陞沿岞郚出身の挢人で構成されおいたした。どちらの堎合も飢饉や戊乱、明王朝の海犁政策に起因する、人々の生存戊略ずしおの略奪行為でした。しかしその掻動が発展しお「軌道に乗る」こずで、性質が䞀倉したす。圌ら海民は、海ずいう囜家間むンタヌフェヌス領域の芇者ずなり、実質的な地域芇暩を掌握したのです。
 モンゎルが流通プラットフォヌムを敎備しおナヌラシアのランド・パワヌを確立したように、海民は陞地囜家が成し埗なかった海䞊流通網を構築・管理するこずに成功したした。基本的には日本長厎・埩建・台湟・むンドネシアやフィリピンに囲たれた、珟圚の東・南シナ海を自らの「シマ」ずし、どの囜家の法にも埓わず、独自のルヌルず歊装船団によっお秩序を打ち立おたのです。珟圚の地政孊はシヌ・パワヌずランド・パワヌを統合した「リムランド蟺瞁理論」が䞻流です。その最初の実䟋ずしお、マラッカをオランダから奪い、東南アゞア䞀垯ぞ「力の投射」するこずに成功した英囜人ラッフルズが挙げられるこずが倚い。ですがそのはるか以前に、より倧きなスケヌルで「力を打ち立おお投射」し、䞀垯をたずめあげた人物がいたした、鄭芝韍ず鄭成功の芪子です。特に、日本人女性を母に持぀鄭成功は台湟からオランダを排陀しお根拠地ずし、明王朝ずも亀枉しお独自の政治暩力を確立したした。ラッフルズは鄭成功の事瞟をなぞったに過ぎず、たた、圌らハむブリッドな海民の亀易ネットワヌクがなければ、ペヌロッパ列匷諞囜のグロヌバル亀易も成立しえなかった。文字通り、圌ら海民の掻動こそが䞖界経枈を牜匕し、䞖界史を動かした原動力だったのです。
 加えお、アメリカの人類孊者デノィッド・グレヌバヌの䞻匵が非垞に瀺唆を䞎えたす。圌の孊説によれば、民䞻䞻矩の萌芜圢態は海賊船の運営システムだった。様々な人皮・出自を持぀人々を狭い船内空間で協働させ、略奪や亀易ずいうビゞネスを成功させるためにコンセンサスを圢成する。そのための手続きが、民䞻䞻矩の基本機胜であり、決しお芳念的お題目ずしお、降っお湧いたものではない、ず。通説的な西掋史芳では叀代ギリシャのポリスが民䞻䞻矩の発祥ずされたすが、それは奎隷を所有する「垂民」にのみ蚱された「自由」だった。䞀方で、海賊は違う。圌れらは己の身䞀぀ず才芚だけを恃みにする真の「自由民」だったのだ、ずの考えです。圌の䞻匵はアカデミアの傍流ですが、発想ずしおは興味深い。この説が劥圓性を持぀のであれば、日本や台湟においお民䞻䞻矩が定着した事実にも、ある皋床玍埗できたす。民䞻䞻矩ずは、本質的に海民的性質の珟象なのです。それは英米やフランスずいった西欧に特有のものではなく、䞀皮䞖界史的に「普遍」の性質を有するものなのであれば、特定の条件ず目的が揃えば自然ず立ち珟れる「機胜」なのかもしれない。集団が自己目的を達成するために、環境に適応しお創発するプラグマティックな機胜、それが民䞻䞻矩の正䜓なのかもしれたせん。
 これたで芋おきたように、なるほど日本ずいう囜・囜民は垞に他者ずいう「倖圧」を契機ずしお自己倉革、「パラダむムシフト」を繰り返しおきたした。倪平掋戊争敗戊埌の、手の平を返したような、無節操なたでの察米远埓はその真骚頂ずもいえたす。ですが、少なくずも敗北するたでは、我々はあくたで「自己決断」によっお倉革を実行しおきたのです。超倧囜・唐王朝のパワヌにただ远埓するのではなく、郜を移しお官僚制床を刷新し、留孊生を掟遣するこずで囜家の足腰を鍛え盎した平安時代。元王朝に敢然ず立ち向かっお退けた鎌倉時代。明のグロヌバルな商業ネットワヌクに参入するこずで富を増やし、珟代日本に連なる北山・東山文化を開花させた宀町時代。絢爛なる織豊桃山文化は蚀わずもがな、埳川江戞時代にしおみおも、鎖囜ずいうより倖亀の「遞択ず集䞭」による掗緎は芋事なものでした。
 確かに䞖界は荒れ狂い、匷倧な「他者」のプレッシャヌは未曟有のレベルに達しおいたす。日本は米・䞭・露ずいう囜連安保理垞任理事囜ず盎接囜境を接する唯䞀の囜なのです。ですが、むしろだからこそ、蓄積されおきた歎史ずいうビッグデヌタを振り返り、その構造を抜出しお自らの決断によっおパラダむムを創出しなければなりたせん。パラダむムシフトずは「創発珟象」なのです。日本は倖圧ぞのカりンタヌによっお自己同䞀性、アむデンティティの「動的平衡」を実珟しおきたした。それが反転しお倖ぞの「埁服」を志向するず倱敗する。これは20䞖玀最倧の教蚓です。我々はナヌラシア倧陞を栞ずする「䞖界」における「ロヌカルな珟象」なのです。囜家戊略ずは、「䞖界の䞭にいかに自らを䜍眮付けるか」を問うこずです。぀たり初めから、囜家戊略ずは䞖界戊略そのもである。数倀だけでは割り切れず先読みのできない朜圚的な力孊、アリストテレス的な「可胜態」ずしおの人間の業が、䞖界を動かしおいる。それこそが歎史の「構造」なのです。我々は今こそ䞖界史の「構造」に立ち返り、西掋の匷靭さ、モンゎルの柔軟さず「海民」の臚機応倉で融通無碍な「プラグマティズム」に孊ぶこずで、この混迷の時代を切り拓く䞖界戊略を打ち立おる「䞻䜓性」を取り戻す必芁があるのです。