資料館の思い出、再訪
7月。
私用で広島を訪れて、偶然とったホテルが平和公園の近所だったこともあって、帰途につく日、資料館にも足を向けてみた。
人生2度目の訪問になる。
最初は、小学校の修学旅行だった。
修学旅行といえば京都が定番で、では京都の子はどこへいくのかと思っていたら、小学校が広島、中学校が岐阜の山登り、高校が真冬の沖縄だった。
中学にいたっては、前年までTDLだったものを、不良が暴れて出禁になったせいだとまことしやかに噂されていたが、真偽はともかく、あれはねえよと今だに思う。
ちなみに私は岐阜生まれの京都育ちだ。
繰り返すが、中学の修学旅行は最低だった。
閑話休題。
初めて私が原爆資料館を訪れた当時は、まだリニューアル前で、おどろおどろしい実物大のジオラマや、相当になまなましい遺物が展示されていた。
もちろん恐ろしかった。
後に、キレイで高尚な資料館に様変わりしたと聞いても特になにも思わなかったが、流石にこの年になると、どのようになったものなのか興味はあった。
この日、私が最も目と心とを奪われたのは、
最初のエスカレーターを上ってすぐにある、
被爆前の町並みのパノラマだった。
私は先へ行く勇気を失って立ち止まり、
まぶたを閉じ、
もう今日はここで引き返しても十分だとさえ思った。
その巨大な白黒写真には、「街」があった。
私の知る日本人らしい、
ていねいで、
おおらかで、
忙しそうでもあり、
朗らかでもあり、
商店街に並ぶ街灯も、家々も、道も、橋も、
時間を重ねて作られてきた、
今からでもそこへ行けそうなほど身近な、
よく知った人たちの、
よく知った街が広がっていた。
前世紀の、古臭い、白黒写真だ。
そこに、確かに私とつながりがあると感じられる人たちの、
あたたかさがみえた。
そのあたたかさが、生々しくて、恐ろしかった。
これが、ある日突然、消えたというのだから。
そんなことがあっていいわけがない。
人が人に、こうなることを分かっていて、二度と再び、
こんなことをおこなっていいわけがないではないか?
戦争が、国防が、核保有が、同盟関係がと、
いろいろな立場でいろいろな意見があるだろう。
それはいい。ここで是非を論ずるのはいったん置こう。
ただ、どのような類の議論であれ、
まずはじめに、このリアルからスタートしていなければ仕方がない。
その実感を得た。
そのために、今日、ここへ来たかいがあったと思った。
かつての資料館は、子どもの感性に直接差し込むような展示だったけれど、今の資料館は、少なくともまっとうな大人なりの想像力を持つ人間にとっては、それ以上に残酷なものであるのかもしれない。
両方あっていいとも思うが。
蛇足になるが、
坂口安吾の文章だったと思う、
うろ覚えの引用で失礼するが、これにてしめさせていただく。
核バクダンがいけないのではない
いけないのは、戦争だ
戦争がありだということなら、
俺だって喜んで核バクダンを敵の頭の上に落としてやるだろう
