【第288話】M先輩とネーン -本帰国-
前回の続き。。
2005年1月。
雨季の重たい雲はすでに姿を消し、バンコクの空には乾いた青空が広がっている。
昼間こそ30度前後まで気温は上がるものの、朝晩は驚くほど過ごしやすい。窓を開ければ涼しい風が部屋を抜け、エアコンを切って眠れる夜もある。スクンビット通りにはクリスマスを過ぎても色鮮やかなイルミネーションが残り、ショッピングモールでは年末商戦の賑わいが続いていた。
一年で最も快適な季節で旅行者も多くハイシーズンと呼ばれる。
「タイの気候も悪くないな」と改めて思える時期。
今思えばこのタイミングでタイに来た俺だから、印象も良くタイが大好きになった理由のひとつでもあるだろう。
俺はあと何年、駐在員としてタイで生活するのだろうか?
タイ駐在期間が全く読めないという話は、他社の駐在員からも本当によく耳にする話だった。
日本人会の集まりでもゴルフの懇親会でも接待の席でも、たとえ会社が違っても似たような話が次々と出てくる。
「最初は1年って聞いてたんですけど気付いたらもう5年目です(笑)」
「それ普通。まだ5年なら短い方ですよ(笑)」
そんな声まで飛ぶ。
また別の席では「そろそろ帰任ですか?」と聞かれた駐在員が首を傾げる。
「いや、それが分からないんですよ。会社は何も言わないし」
「日本に戻っても席が無いらしいです(笑)」
これにも周囲は大笑いするが笑い話のようで笑い話ではない。
駐在員の世界ではよくある話だった。
帰任時期が決まっているようで決まっていない。
来年帰ると言われてから3年経過。
逆にあと2年あると思っていたら突然帰任命令。
そんなことも珍しくない。
まして2000年代前半のタイは、今以上に属人的な部分が多かった。
現地で人脈を築き、顧客との信頼関係を作り、工場や現地法人を回せる人材は限られている。
だから会社としても簡単には帰せない。
一方で日本本社は本社で人事の都合がある。
「次の候補者を探すのが面倒だから今のままで」と。
結果として「帰任時期は未定」という状態が何年も続くのである。
そして駐在員たちは半ば諦めたように笑う。
「もう帰任の話は考えないことにしてます」
「帰れと言われたら帰るし、残れと言われたら残る(笑)」
そんな感じのタイ駐在員だけど、我らがM先輩もネーンというタイ人の嫁を連れて一緒に日本に本帰国することになった。
本社の役付きから「とにかくタイに行ってくれ!」と会社を放り出され駐在開始から実に5年後のことだ。
▽タイ駐在員が始まった日▽
M先輩とは、タイで丸4年間一緒に働いたことになる。
思い返せば、本当に色々あった。
駐在前の現地視察から一緒。
工場立ち上げ初期のバタバタした時期も一緒。
右も左も分からないタイ語環境の中で毎日試行錯誤していた。
トラブルが起これば自分たちで何とかするしかなかった。
休日になれば「飯行くか」から始まり、気付けば知らないエリアを歩いていたり、変なマッサージ屋に入ったり、バービアでタイ人の女の子と盛り上がったり。
良くも悪くも、タイ駐在生活を一緒に楽しんだ仲間だった。
M先輩は四大卒で頭も良い。仕事も出来る。でも女性の話になると目の色が変わる(笑)そんな人だった。
俺がタイ生活で困った時も何だかんだ相談に乗ってくれた。
逆にM先輩が困った時は俺が話を聞くこともあった。
年齢は4歳上で先輩後輩の関係ではある。
でも感覚的には、途中からタイ駐在を一緒に生き抜いた仲間のほうが近かった気がする。
M先輩の送別会が会社近くのタイレストランで開かれた。
参加者は日本人駐在員とタイ人スタッフ。
宴会が始まると当然のように昔話で皆が好き勝手言って盛り上がる。
酒が進んだ頃、タイ人スタッフのひとりが、「M(先輩)サンは、タイで一番楽しかったこと何ですか?」と聞いた。
するとM先輩は少し考える。
タイ生活全般の話をするのか?
それとも夜遊びの話をするのか。
ネーンとの話をするのか。
皆が待っていると「立ち上げ初期の仕事かな」と、意外な答えだった。
「えっ?」
俺も思わず聞き返す。
するとM先輩は笑った。
「今思うと一番大変だったよね?」
「まぁそうですね」
「毎日トラブル、毎日残業、タイ語も分からない、休みも少ない」
その通りだった。
しかしM先輩はビールを飲みながら続けた。
「でもあの時が一番面白かった」
「何も無い所から皆で作ったやん」
「失敗も山ほどしたし」
「今なら絶対やりたくないけど(笑)」
周囲から笑いが起きる。
そしてM先輩は俺を見て言った。
「俺ちゃんも若かったな」
「今も若いですよ(笑)」
「馬鹿だなぁ(笑)」
そして少し真面目な顔になる。
「4年間ありがとうな」
「一緒にいてくれたから今日までこれたと思ってる」
その言葉に一瞬だけ場が静かになった。
俺は照れ臭くて「いやいや、こちらこそですよ」としか返せなかったけど、俺が思っていたことと同じ気持ちであってくれたことが本当に嬉しかった。

ちなみに、いまだに裏切られた感が強く残っているMさんは、送別会に参加したものの「お疲れさん」の一言があったかなかったか程度で最後まで完全和解することはありませんでした。
