言葉の前に、心がある。——不器用な私が、沈黙の時間を大切にする理由
私は昔から、社会生活の中で器用なタイプではありませんでした。
一度にたくさんの情報を処理しようとすると頭がパンクしてしまったり、次々に興味が移って作業が進まなかったり。注意散漫でミスも多い。その一方で、集中しだすとこだわりが止まらず、気が済むまで続けて疲労困憊してしまう。
そんな発達障害の特性を持ち、生きづらさを抱えてきました。人前で「立て板に水」のようにスラスラと話すことなど、もってのほか。すぐに言葉に詰まってしまいます。アイコンタクトも苦手です。
「もっと手際よくできれば」「もっと上手く喋れれば」 そうたくさん自分を責めていた時期もありました。
ケアの入り口は「不器用さ」の中にあった
けれど、鍼灸師として長年、多くの高齢者の方々と向き合う中で気づいたのです。 この不器用さこそが、私にしかできないケアの入り口だったのではないか、と。
「言葉の前に、心がある」 どこかで聞いたその言葉が、今の私にはしっくりきます。
まずは相手を知り、興味を持ち、観察する。 相手の身体と心をじっと見つめる。
私が患者さんと関わる時間は、「誰かに聞いてほしい」「痛みに寄り添ってほしい」という想いを少し預けてもらうための受け皿でありたい。その重みを少しでも軽くすることが、私の大切な仕事だと思っています。
お茶が冷めるのを待つように
上手なアドバイスをするよりも、ただ隣に座って、お茶が冷めるのを待つように、その方の言葉がこぼれ落ちるのを待つ。
そして、少し言葉が出たら、クスッと笑えるようなジョークを一つ返す。 すると、それまで静かだったお部屋に笑顔が広がり、思いがけない本音や温かいひと言が返ってくることがあります。そこからまた、その方がどうしていきたいのか、心の機微を汲み取り、一つでもプラスに持っていってもらう。
発達障害を持ち、話し下手な私だからこそ、患者様の「言葉にならない気持ち」をそのまま大切に受け止めることができるのかも、と。また、言葉の奥にある大事な気持ちや、痛みや変化に気づくことができる。
その細やかな観察の時間の中にこそ、本当の対話があるのだと気づきました。
「小さなサイン」を一字一句書き留める
言葉にならない時間を共有していると、身体が発する「小さなサイン」に目が向くようになります。言葉では「大丈夫」と言いながら、少しだけ力みの取れた肩先。話が途切れた後に見せる、柔らかな視線。
私は、患者様が発した言葉だけでなく、こうした「言葉になる前の小さな変化」を一字一句大切に書き留めます。それは、目の前の一人と誠実に向き合うための、私なりの方法です。
私は、私のままで歩んでいく
一気に歩幅を広げることも、自分を大きく見せるような振る舞いもできません。でも、患者さんとともにお茶が冷めるのを待てるような「心のゆとり」だけは、いつも蓄えておきたい。
今、新しい挑戦を前にして、不器用な自分に涙することもあります。急な変化にパニックになることもあります。
根本は、せっかちで、相手を思いやれるような性分でもない。 けれど、背伸びをしても別の誰かになれるわけではない。
私はやっぱり、この不器用な私のままで。まずは初心にかえって、今向き合っているお一人ひとりと、他人とちがうやり方で誠実に関わること。それ以上のことはできないのだと思うのです。
私の言葉がこれから先、何度行き詰まったとしても。 患者さんとしっかりと向き合い、ともに流れる柔らかで静かな時間を、これからも大切にしていきたいです。
