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外道の視点  ~道徳という名の思考停止装置



前回記事では、正義感持った人が誹謗中傷に走ってしまう様子を書いた。

そういう人を「連中」って表現した。

その記事のラストの方で、

こうなってくると、正義感なんてない方がマシかもしれないね。

と、冗談っぽく書いた。

正義感なんて無い方がマシって感覚。

筆者は、生きていく上でそれなりに大事な事だと思ってる。



■不平等だから特別

人は生まれながらにしても平等だと言っても現実は平等では無い。

女のケツを追っかけるようになるには、女性に興味を持たないと動機が生まれない。

女性に興味を持ったらブス、可愛い、美人、デブとか差をつける。

食える食えないとか、そういう分け方もする。

そういう事が出来る人間じゃないと、女のケツを追っかける土壌にも上がれない。

筆者の場合は土壌に上がったら結婚して子供もいる。

そして今、他人と家族じゃ扱いが平等じゃ無い。

平等に扱わないから特別な存在が生まれた。

こういう人生だ。

人を平等に扱うことは道徳な事である。

そして、

特別な存在を想う気持ちだって道徳的な事である。

状況が変われば、

平等に扱わないことが不道徳になり。

差をつける事が不道徳になる事もあるだろう。

さらに言うと

平等に扱われた方が都合が良い。

差をつけられた方が都合が良い。

こういう場合もある。

こういう時の正解は受け手側の都合になる場合もある。

平等と不平等だけでこんなにややこしくなるんだから、道徳的な感覚を信用過ぎるのも良くないと筆者は思っている。

正義感ってものは道徳の正しさが重要視される場合が多い。

なので、正義感なんてって思ったりするのである。


■命を尊く思うエネルギー

辺野古の事故で人が死んだ。

命を尊いって思うのは道徳的には正しい。

女のケツを追っかける時は、自分で差をつけて特別な存在を作る。

その特別な存在に特別って思って貰わないと追っかけ損になる。

しかしこの事故の被害者は違う。

命を尊いと思うだけで、特別な存在として扱えている事になる。

その命を尊く想うだけで、道徳的に正解になる。

共感も得やすいから一体感も生まれやすい。

女のケツ追っかけるのに比べたら。そりゃ。楽だろう。

これだけ楽だとエネルギーが余ってしまうだろう。


■満足感と高揚感

正義感を強固にするには、批判されるべき加害者が必要だ。

批判されるべき加害者って扱いに出来ないと、被害者を特別視する理由が薄れる。

今回は批判されるべき理由はしっかりと揃っているので余ったエネルギーは、

批判されるべき加害者へと向かうだろう。

反論される余地もなく共感も受けやすい。

共感を受けている感覚は、満足感と高揚感をもたらすだろう。

人は皆平等と言う教育はたしかにある。

批判されるべき加害者と特別な存在として扱われる被害者を、平等に扱うなんて現実的とは言えない。

平等に扱うことは、正義に反する行為って感じるだろう。

被害者を特別に思う気持ちは道徳的だから理屈は通る。

だが、平等に扱わないことが不道徳って道徳観もある。

道徳だって色々ある。

どちらを取るかって言うと、気持ちが良い方だろう。

道徳的に正しさと気持ちよさを兼ね備えていれば、情報としての価値が上がる。

満足感と高揚感が得られるならなおさらだ。

その中には胡散臭いものまで混じってくる。


■着けていれば

この事故でよく言われるのが

ライフジャケットを「着けていれば」

って後悔の念である。

被害者はライフジャケットが船に引っかかったって情報と船の下に潜ったまま溺死したって情報がある。

ライフジャケットって体浮かすためって理解できている人は、この時点で「着けていれば」に違和感を感じると思う。

転覆した船の下でライフジャケット着てたら、浮いた先が船下だから呼吸出来ないし浮力で体が押し付けられて身動き取れないのである。

ライフジャケットのデメリットで亡くなったかもしれないって思える情報が溢れていると思うのだが、尊いって想う気持ちの行き先が「着けていれば」って後悔で埋め尽くされている。

それでもライフジャケット推奨されるのは生き残ってる人が圧倒的に多いからである。

「ライフジャケットって股紐があるんだ。知らなかった。」みたいな話が全然聞こえてこないって事はそれだけそこに興味がわかないって事だろう。

大事なのは被害者を特別に思う気持ちだから、疑問を持つことが非道徳的って思ってるのかもしれない。

■同乗していれば

色々と語られる問題点に疑問を持つことが非道徳的ならそれは思考停止だと思う。

引率の先生が同乗していなかったことを問題視されている。

昨今、教職の内定を出しても内定辞退される自治体のニュースが話題になっている。

年間120日休めて有給も取れる仕事と教育現場で、天秤にかけられているのが実態だって事は想像つくだろう。

同乗させる事は、現場の仕事を増やすご意見である。

命の為なら教師のワークライフバランスなんて考える必要も無いんだろうか??

事前の下見も1度もしていなかった事も問題視されてる。

事前の下見だって現場の仕事を増やす行為だ。

今まで事前の下見1度も無しって事は、複数回下見無しで問題無かったって事である。

同乗すべき理由も事故が起こる前に危険を察知し伝える事が出来たかもって感じである。

そのことに関しては自分より詳しい相手に危ないって伝えるってどんな場面なんだろうか。

被害者を特別に思う気持ちから生まれてる教師への要求は、

複数回下見無しで上手くいっている場所を下見させて、

自分より詳しい相手に危ないって文句言え。

丁寧にまとめるとこんな指示だと思う。

しかも、ワークライフバランスが崩てる職場対してだ。

同乗せずにボケーってできる時間を与えてやっても良いのではって筆者は思う。

過酷って話は聞くし、メンタル壊れる人多いって聞くし。

採用しても辞退されてるんだから。


■何も残らないうえに欠落する

被害者を尊いって想う気持ちには道徳的な正しさはある。

寄り添った行動をすれば正義となり共感も得られる。

批判されるべき加害者への憎悪や怒りが増す情報ばかり入ってくるだろう。

その怒りに任せて、正義感のある行動に出る人もいるだろう。

そうは言っても、実生活では

批判されるべき加害者の次の被害者になる可能性よりも、

日本中で毎日のように起こっている色んな事故で被害者になる可能性の方が高いと思う。

道徳心で視野を狭めすぎると疑問に思う事も無く、

ライフジャケットの付け方やデメリットの様な安全に役立つ情報が何も残らない。

さらには、被害者以外への配慮も思いやりも欠落する。

その可能性が高いと思う。



■磐越道と辺野古の命の扱い

筆者が辺野古の記事の事を書こうと思ったきっかけは、磐越道で起こった事故で記事を書いた後の事だった。

磐越道の事故と辺野古の事故の報道の姿勢の違いをごちゃごちゃ言ってるネット上の記事(あるいは世間の声)が、いっぱいあるって事に気付かされた。

政治的な対立が絡んだ命を事故で死んだだけの命が引き立ててる。

こういう構図になっちゃてるのが気に食わなかったから辺野古の事故の記事をいくつか書くようになった。

辺野古の事故は、起こってから情報が少し出てきた時点で政治案件っぽさが伝わってきた。

「キモっ」ってのが率直な感想だ。

被害者が死んだ経緯による死人としての利用価値を考えると、正直いって出てくる情報への拒絶感が出てきた。



■定型文

仕事終わった時の挨拶で「おつかれさまでした」って言葉がある。

本気で「おつかれさまでした」って思ってなくても普通に言ってる人はいっぱいいると思う。

筆者自身、やっと終わったこのクソがって思いながら「おつかれさまでした」って言葉を使ってた事もある。

辺野古の事故の言論空間においては、「ご冥福をお祈りします」が思ってなくても言っている人が多いように思える。

と言うのも、被害者の死に方が政治的な主張と切り離せない部分に原因があるからだ。

こんな死に方してくれてマジありがとうって思いながら「ご冥福をお祈りします」って言ってるように感じてしまう人がいる。

そして、本気でお祈りする気持ちがある人と主張する内容はあんまり変わら無い。

女のケツ追っかけるのが上手すぎて遊び目的の男も、真剣な交際が目的の男も伝える内容はさほど変わらないってのと構図的には似ていると思う。


■凡人の扱われ方

女のケツを追っかける行為は、選んで貰わないと何も成果が出ない。

選ばれる可能性の高い人は、特権階級のような状況になる。選べる側と言うべきだろうか??

筆者も含まれる凡人の世界は、相手にもして貰えなかったりする場合もある。

相手にされたとしても、遊ばれているだけって場合もある。

巷で話題になっている政治的な情報を集める行為に関しては、選んで貰えるかどうかを気にかける必要はあまりない。

特権階級になれるような才能も要らない。

情報を出す側は、観てもらってなんぼって世界で勝負している。

観てもらいやすいように情報取る側にとって気持ちの良い情報を提供する。

なので凡人でも困ることは無い。

女のケツを追っかけた人には、遊ばれてしまった結果、銀行預金が無くなっていたり、借金を背負ったりする危険は付きまとう。

一方、巷で話題になっている政治的な情報を集める行為に関しては、正義感が暴走して誹謗中傷に走ることはあっても、お金が無くなってしまう心配はあまりない。

遊ばれてしまい、借金を背負い途方に暮れている人には、騙された方が悪いって言われる場合もかなりある。

一方、誹謗中傷が問題視されて、「加担してたかも」って後悔している人には、「あなたは騙された側ですよ」って都合のいい情報が観てもらってナンボのメディアから提供される。

凡人の扱われ方として情報とる行為はかなり安全な仕様になっている。


■女のケツを追っかけろ

人はわざわざ、面倒な道を選ばない。

気持ちの良い情報と気持ちの良くない情報なら気持ちの良い方を選ぶのは当然だ。

私たち凡人はそういう情報を提供する能力が欠けているから凡人なんだろう。

ここまで書いて言うのもなんだがこの記事に気持ちのいい情報は一つもない。

そりゃー。途中で読むのやめて読んで気持ちの良い情報に行くだろう。

でもやっぱ、この兵隊作って暴れてもらうってやり方が筆者は嫌いなんだよね。

悪い人が情報発信して兵隊作ってるのも無くはないんだろうけど、

そういう情報を欲しがってしまう連中ってのが多すぎるから

そういう情報が多くなっちゃう。

こういう現実があると思うんだよね。

ホントに難しいよね。

ネットリテラシーをテーマにした情報も「あなたは悪くないんですよ」ってバイアスかかってるんだから。

もう、こうなったら

「女のケツ追っかけろ」

って結論にしたい。

だって、正義感を味わえるけど経験値は増えないって感じなんだもん。

女のケツを追っかけた方が経験値は増えるんだし。

それに、土壌に立ってる人と立ってない人じゃキモさが違うことが多いからね。

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ていへん せっかくなので、綺麗なお姉ちゃんのいるお店で豪遊するお金が欲しいと心の底から思っております。軍資金を援助してくれる物好きはこの世の中に居ないとお思いますが、間違えてクリックしてしまうことに僅かな望みを。。。。