#06 本音を言わないのは、配慮じゃなくて遠慮 ── その違い、説明できますか?
「思うところはあったんですけど、和を乱したくないので言いませんでした」
セッションでも、企業の現場でも、本当によく聞く言葉です。
そして本人は、これを「大人の対応」「相手への配慮」だと思っている。
僕もこれ、やっちゃいます。
でも、それは「配慮」じゃなくて「遠慮」だと思うんです。
この二つ、似ている言葉に感じますが、まったくの別物です。
今回は遠慮と配慮の違いの話をします。
主語を見れば、一発でわかる
定義はこうです。
遠慮とは、自分を守るために言わないこと。
嫌われたくない。
波風を立てたくない。
面倒なことになりたくない。
よく見てください。守っているのは全部、自分です。遠慮の主語は「自分」なんですよね。
配慮とは、相手のために伝え方を工夫すること。
どのタイミングなら受け取れるか。
どの言葉なら伝わるか。
視線が向いているのは相手です。配慮の主語は「相手」。
つまり、見分け方は一つ。それをすることで守られるのは、誰か?
主語が自分なら遠慮、相手なら配慮です。

「和を乱したくない」をこのテストにかけてみましょう。
乱したくないのは、本当に「和」でしょうか。
多くの場合、守りたいのは「和を乱した人だと思われたくない自分」だったりします。
つまり、「遠慮」してるんです。
遠慮と配慮の混同で何が起きるか
遠慮を「配慮」と呼んだ瞬間、本音を殺すことが「良いこと」になってしまうんです。
自分を守るための沈黙が、思いやりという勲章に化ける。
こうなると、人は安心して黙り続けます。
だって良いことをしてるんだから。
でも考えてみてほしいんです。あなたが気づいている問題を、相手に伝えない。改善のヒントを握ったまま渡さない。
これ、相手の視点から見たらどうですか?
相手の成長の機会を、こちらの都合で奪っているかもしれないです。
遠慮は優しさの顔をしていますが、実のところ、相手を信頼していない行為なのかもしれません。
「この人は本音を受け止められないだろう」と、勝手に見積もっている。
だから僕は、遠慮は不誠実なんじゃないかと思うんです。
言いにくいことを言ってくれる人と、言いにくいことを黙っている人、本当に自分の味方はどちらか。答えは明らかですよね。
遠慮はしない。 でも、配慮はする
じゃあ何でもズケズケ言えばいいのか。
これも、また違います。
ここが切り分けの美しいところで、二つは両立するんです。
内容は、遠慮しない。でも、伝え方は、配慮する。
言うべきことは全部言う。
ただし、相手が受け取れるタイミングを選ぶ。
相手に伝わる言葉を選ぶ。
頭ごなしじゃなくて、まず相手の意図を聞いてから伝える。
率直さと丁寧さは、敵同士じゃないんですよね。
なぜ「伝え方の配慮」がそこまで大事なのか。細胞の話で説明されたとき、すごく腑に落ちました。
細胞から細胞へ物質が届くとき、受け取る側に「レセプター(受容体)」が出ていなければ、その物質は素通りしてしまうそうです。どれだけたくさん出しても、受け皿がなければ、届いていないのと同じ。
人の会話も、まったく同じだと思うんです。
「何度言っても分からない」と嘆く人がいますよね。
でもあれ、多くの場合は相手の理解力の問題ではなくて、その話を受け取るレセプターが、まだ開いていないだけなんです。
責められていると感じている人に、どれだけ正しい指摘をしても入りません。心当たり、ありませんか。
だから配慮とは、相手のレセプターが開く条件をつくることなんですよね。
タイミングを選ぶのも、言葉を選ぶのも、先に相手の意図を聞くのも、全部そのためです。
正しいことを言うだけなら、誰でもできます。届く形にして渡すところまでが、配慮なんだと思います。
逆のパターンがいちばんまずいんです。
内容は遠慮して、伝え方は雑。本音は言わないくせに、不満は態度やため息で漏れる。
職場でも家庭でも、関係をじわじわ壊すのはだいたいこれです。
その会話は、対話になっていますか
「自分の思いを遠慮せず伝えたら、ケンカになりませんか」
よく聞かれます。ここで、会話の種類を分けておきたいんです。
ディベートは、勝ち負けを決める会話です。どちらが論理的に正しいか、どちらが強いか。片方が勝てば、片方が負けます。
ディスカッションは、選択肢を削っていく会話です。いくつかの案から一つを残して、決める。会議の多くはこれですね。
そしてダイアログ(対話)。
これは、新しい意味が生まれていく会話です。選択肢を削るのではなく、話しているうちに増えていく。
対話(dialogue)の「dia」には、"通り抜ける"という意味があるそうです。言葉が、お互いの中を通り抜けていく感じ。いい言葉だなと思います。

残念ながら、組織の中の会話のほとんどは、ディベートかディスカッションになっています。
そしてそういう場では、本音が言いにくい。
言ったら負けるからです。
だからみんな、遠慮する。遠慮が積み重なった場所から、新しいものが生まれることはありません。
遠慮しない、けれど配慮する。
この切り分けができたとき、会話はディベートからダイアログに変わります。
もう一つ大事なことがあります。対話をすれば、意見の食い違いや誤解は必ず起きます。でも、それは失敗じゃないんですよね。むしろ、食い違いのないところから新しいものは生まれません。「なぜこの人は、そう思うんだろう」というところまで行けたとき、自分が握っていた前提のほうが見えてくるんです。
対立を避けることは、平和とは違います。ただ、何も生まれないだけです。
本音を言える場所が、人を変える
最後に、少しだけコーチングの裏側の話を。
セッションで人が変わり始める瞬間というのは、多くの場合、良いアドバイスをもらった瞬間じゃありません。
遠慮なしの本音を、口に出せた瞬間です。
何年も、時には何十年も、誰にも言わずに抱えてきたことを言葉にしたとき、人の顔つきは変わります。
面白いのは、こういうとき、僕は大したことを言っていないんですよね。
ただ、遠慮しなくていい場所をつくって、聞いている。
それだけで、本人が勝手に気づいていく。
人は、自分の中にあるものを、言葉にして外に出すまで、自分でもよく分かっていないんです。
話しながら、自分が口にした言葉を自分で聞いて、「ああ、自分はこう思っていたのか」と気づく。
つまり、遠慮しなくていい場所を持っていない人は、自分が何を考えているかに気づく機会も持てないということなんですよね。
そしてもう一つ。人が変わろうとするときには、必ず不安がついてきます。
新しい場所に進むなら、なおさらです。
その不安を抱えたまま前に進めるかどうかは、結局、支えてくれる関係があるかどうかで決まります。
つまり、遠慮と配慮の切り分けは、単なるコミュニケーションの技術じゃないんです。
人が変わっていける場所を、つくれるかどうかの話なんですよね。
裏を返せば、それだけ多くの現代人が、本音を言える場所を一つも持たずに生きている、ということなのかもしれません。
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