論文紹介 イスラエル・ハマスの武力紛争が双方にもたらす損失の大きさ
2023年10月7日、ガザ地区を支配するハマスは、イスラエルに対してテロ攻撃を行い、長年にわたる地域紛争を再燃させました(2023年ハマスによるイスラエル攻撃)。このテロ攻撃で犠牲になったイスラエル人はおよそ1200人に上り、243人が人質となりました。この出来事を受けてイスラエルはハマスに対する大規模な軍事行動を起こし、結果として少なくとも3万4000人以上の犠牲者が出ています。
この武力紛争がイスラエルとハマスにもたらした成果はわずかであり、損失は非常に大きなものとなっています。しかし、この政治状況を変えることは難しく、武力紛争は長期化しています。次の研究では、この武力紛争が長期化した理由について幅広い観点から検討が加えられており、考えられる対策についても著者なりの提案が出されています。
Byman, D. (2024). A War They Both Are Losing: Israel, Hamas and the Plight of Gaza. Survival, 66(3), 61–78. https://doi.org/10.1080/00396338.2024.2357484
10月7日のテロ攻撃でハマスはイスラエルに前例のない打撃を与え、児童や高齢者を含む多数の民間人が集団的に殺害されました。著者が指摘しているように、ハマスの最高指導者であるヤヒヤ・シンワルとその軍事部門にあたるアル=カッサームの司令官ムハンマド・デイフは、この作戦を外部に知らせることなく実施したと考えられており、彼らの思想あるいは判断から独自に計画、実行されたとものと見られています。
ハマスはパレスチナのガザ地区に本拠地を置き、2006年の選挙結果を踏まえてガザ地区の政権を掌握して以来、イスラエルの存在を「非合法」とみなす武装組織として、イスラエルがパレスチナ人に「戦争」を仕掛けているという立場から抵抗運動を推進してきました。
実際、ハマスが政権を掌握して以来、イスラエルとの武力衝突で多くの犠牲者が出ており、2008年から2009年のイスラエルが遂行したキャストレッド作戦(Operation Cast Lead)では、ガザ地区で1000人以上、2012年の防衛の柱作戦(Operation Pillar of Defense)では100人以上、2014年の境界防衛作戦(Operation Protective Edge)では2000人以上、2021年のパレスチナ危機では数百人のパレスチナ人が命を落としました。
そのため、ハマスがイスラエルの領域に侵入し、1,200人のイスラエル人を殺害し、およそ250人の人質を獲得したという「成果」はハマスをパレスチナ人の抵抗運動としての評判を高める効果があったと著者は見ています。特にガザ地区と並ぶパレスチナのもう一つの領域であるヨルダン川西岸自治区において、ハマスの支持率が急速に高まった証拠があります。2024年3月にパレスチナ政策調査センターが実施した世論調査の結果によると、71%が10月7日のテロ攻撃を支持しており、90%がハマスが行った残虐行為を信じないと回答しました。
ヨルダン川西岸自治区の一部を支配しているパレスチナ自治政府は、安全保障に関してイスラエルと協力関係にあり、ハマスとは競合する関係にあります。しかし、ハマスの人気の高まりには対抗できていません。これはヨルダン川西岸自治区ではイスラエル入植者が勢力を拡大している状況に対して、パレスチナ自治政府が有効な対応をとっていないことへのパレスチナ人の不満があるためです。こうした不人気を把握しているため、パレスチナ自治政府は2006年以降、民主的選挙を実施できていません。
ハマスは10月7日のテロ攻撃でイスラエルに打撃を与えたとき、イスラエルは即座にハマスの拠点に対する攻撃を実施しました。2024年4月までに死亡したハマスの戦闘員の推定値にはばらつきがありますが、ハマスは6000人から8000人、イスラエルは1万1000人から1万3000人の範囲で推定し、アメリカはこれらの中間の推定値を採用しています。イスラエルの軍事行動によりハマスは多数の中堅幹部を失ったと見られており、さらに新たな人材を採用して育成するにしても、当初の能力を取り戻すには時間を要するはずです。
ハマスは、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派も武力紛争に巻き込むことで、イスラエルに対する地域戦争を引き起こすことを望んでいましたが、ハマスが望んでいたほどには協力が得られませんでした。ガザ地区の市民は戦禍で犠牲になっており、4月末の時点で保健当局が測定できた死者数は3万4000人、そのうちの1万2000人が児童であるとされています。人口の4分の3が避難を強いられており、ガザ地区の市街地のかなりの部分が廃墟となりました。当初の熱狂が冷め、イスラエルの攻撃によってハマスの行動が引き起こす損害が次第に明らかになるにつれて、ハマスに対する人々の支持は低下しています。
次にイスラエルの状況に目を向けてみます。10月7日のテロ攻撃が起こるまで、イスラエル政府はガザ地区のパレスチナ人を管理するため、硬軟織り交ぜた政策を採用していました。イスラエルでは、「草刈り」という表現を用いて、パレスチナの武装勢力の脅威が一定の規模以上に拡大しないように定期的に攻撃を繰り返していました。同時に、イスラエルはパレスチナ人の政治勢力が一つに結集することがないように、パレスチナ自治政府と競合するハマスに対して、カタールを介した資金援助を行うことさえあったのです。
10月7日のテロ攻撃でイスラエルは自国の政策が破綻していることを認識すると、軍事作戦を優先する路線に切り替え、徹底してハマスの戦闘員を排除しようとしました。ハマスが編成していた24個の大隊のうち18個の大隊が壊滅し、主要な幹部も次々と殺害されました。地下に建設された坑道、要塞、弾薬庫などは破壊されました。イスラエルは外部の介入を防ぐため、自国を攻撃すれば大きな代償があることを明確なメッセージとして伝えようともしました。
このことがレバノンに拠点を置いている武装主体であるヒズボラ、さらにヒズボラを支援しているイランに対する強硬姿勢となって現れました。4月1日にはシリアの首都ダマスカスにあるイランの外交施設を攻撃し、イランの軍事要員を殺害しています。この攻撃でイランはイスラエルに対して長射程ミサイルと無人航空機を用いた攻撃を実施していますが、イスラエルはその大部分を迎撃しました。その後、イランは紛争のエスカレートを避けたため、地域戦争にまで拡大する事態は避けられました。
しかし、ガザ地区での軍事作戦によってイスラエルは損失を被っています。まず、ハマスが獲得した人質の解放は順調に進まず、武力によって救出できた人質は3人に留まっています。イスラエル国内では軍事作戦を続行するべきか、人質交換の交渉を進めるべきかをめぐって激しい論争が起きています。また、イスラエルは武力でハマスの勢力を完全に取り除けたわけではありません。しかも、ガザで多くの民間人犠牲者が出たことで、イスラエルの国際的な評判は大きく損なわれ、外交に影響が出ています。
ヨーロッパではイスラエルの軍事行動に抗議するデモが起きており、アメリカでもイスラエルの行動を支持する人は減少しています。特に民主党支持者でその傾向が顕著になっており、イスラエルに軍事援助を与えたジョー・バイデン政権に対して民主党有権者は不満を募らせました。この国内政治の動向から、2024年5月にアメリカ政府は軍需品の供給を一時的に差し止めています。
イスラエル国内の政治状況も混乱しており、ベンヤミン・ネタニヤフ政権は10月7日のテロ攻撃を未然に防ぐことに失敗した責任が厳しく追及されています。国内では軍事作戦の継続をめぐる是非について見解が割れており、ネタニヤフ政権を支持する右派は作戦の継続を望んでいますが、それ以外は人質の解放と引き換えに停戦を受け入れる用意があると著者は指摘しています。
著者は、ガザ地区で起きている人道的危機に対応するためには、以上の状況をすべて考慮した政策が必要だと論じています。ガザ地区に人道的援助を行うとしても、現地には地元の住民に人道支援を分配する統治機構が存在していません。ハマスに代わってガザ地区を統治する候補としては、パレスチナ自治政府がありますが、住民の支持を受けていません。「長期的にハマスを抑えるには、ガザに新しい政府を置くことが必要である。イスラエルはその課題に対処するためアメリカから繰り返し呼びかけられてきたにもかかわらず、この最重要課題に取り組むことを避けた」と著者はイスラエルの従来の政策対応を批判しています。
この問題がさらに複雑になっているのは、10月7日以降、イスラエルがヨルダン川西岸自治区で以前より攻撃的になっていることです。2024年4月末までにイスラエル軍は8000人以上のパレスチナ人を逮捕し、400人を殺害しました。
著者は、イスラエルには新しいアプローチが必要だと論じており、政治交渉を重視する路線に切り替えることを提案しています。同時にガザ地区を統治する主体としてハマスに代わる主体としてパレスチナ自治政府を挙げており、これは「一連の劣悪な選択肢の中で最善の選択肢」と評しています。パレスチナ自治政府がガザ地区の問題で成果を出すことができれば、ヨルダン川西岸自治区での事態を安定化させることも期待できるという考え方です。
この研究は、今のイスラエルとパレスチナの問題がいかに複雑かつ解決が困難な状態に陥っているかをよく示していると思います。実際、紛争解決のために選択可能な政策を見出すことが困難であり、パレスチナ自治政府の支配をガザ地区に導入するという案も必ずしも現実的というわけではなく、ハマスはそれに強く抵抗するでしょう。しかし、それ以外にどうすればこの紛争を終わりに導くことができるのか、その構想を描くことは誰にとっても難しい状況になっています。
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