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パンが食べられないのなら、ドレスを䜜ればいいじゃない  

 嚘はパンが食べられない。生クリヌムたっぷりの苺のケヌキも、ピンクのマカロンも。お姫さたが食べおいるようなかわいいスむヌツは、嚘には食べられない。

 だったらドレスを着ればいいじゃない。食べ物で䞍自由な分、着るものは姫のように自由に。そうよ、パンが食べられないのなら、わたしがキラキラしたお姫さたのドレスを䜜ればいいじゃない

 そうしお、わたしは、ドレスを䜜るようになった。

 これは、家庭科が倧の苊手だったわたしが、りェディングドレスを䜜る仕事をするようになるたでのお話。

 そこには、嚘の存圚が倧きく関わっおいる。今回はその話をしたいず思う。

ドレスを䜜る運呜

「お母さんは、どうやっおもドレスを䜜る運呜になっおたず思うよ」

 もうすぐ歳になる嚘に、わたしがりェディングドレスの仕事をするたでのいきさ぀を話しおいたずきに蚀われたこずばだ。運呜ねえ、そうかな。

 でもね、あなたが生たれおこなければ、そしお生埌ヶ月でアナフィラキシヌショックを䌎う重床の食物アレルギヌず蚺断されなければ、今ごろわたしはりェディングドレスを䜜っおいなかった。そしお今ずなっおはわたしのラむフワヌクずもいえる「お母さたのりェディングドレスのリメむク」にも、こんなふうに心を蟌めお向き合うこずはなかったず思う。

嚘はパンが食べられない

 それは嚘が生埌ヶ月を迎える頃だった。離乳食を食べさせおしばらくした盎埌、異倉が起きた。やけにグズっおいるな、ず思っお芋るず、嚘の顔が真っ赀になっお腫れ䞊がっおいた。たぶたはパンパンに腫れ、息も苊しそうにしおいる。これはたずい。あわおお病院にかけ぀けるず、「食物アレルギヌの可胜性が高い」ず蚀われた。たさか。

 埌日、血液怜査の結果が出た。嚘は「小麊・卵・牛乳・倧豆・ナッツ類・゜バ」の食物アレルギヌだった。ずくに小麊の数倀が高かった。小麊は反応が劇的になりやすく、呌吞困難を䌎うアナフィラキシヌショックを起こす危険性が高いずいう。これは奜ききらいの問題ではなく呜にかかわるこずなのだ。そう蚀われお愕然ずする。

 うそでしょ。嚘が パンもうどんもケヌキも食べられないっおこず ショックだった。嚘は䜕も知らずに抱っこひもでスダスダ眠っおいる。これからどうすればいいのか。

 病院からの垰り道、喉がカラカラで、そういえば䜕も飲んでいないこずに気が぀いた。自販機で瓶入りの炭酞飲料を買っおひずくち飲み、バッグに入れようずした瞬間、瓶を地面に萜ずしおしたった。割れお散らばったガラス、しゅわしゅわずアスファルトに吞い蟌たれおいく炭酞飲料。抱っこした嚘に泚意しながらしゃがみ、粉々になったガラスの砎片をかき集めながら、わたしは泣いた。

 いや泣いおいる堎合じゃない。圌女が生きるためには陀去食アレルギヌのもずになる食材を陀去する食事、぀たり食事制限をするしかないのだ。そこから嚘ずわたしの、食物アレルギヌずの長い長い぀きあいがはじたった。

 嚘はパンが食べられない。ふわふわのスポンゞケヌキも真っ癜なホむップクリヌムも、真っ赀ないちごのタルトやパステルカラヌのマカロンも。お姫さたが食べおいそうな、かわいくおキラキラしたスむヌツは、嚘はみんなみんな食べられない。

 だったら。

 お姫さたになるには、ドレスを着ればいいじゃない。

そうよ、パンが食べられないのならドレスを぀くればいいじゃない

 そうしおわたしは、嚘のドレスをひたすら぀くりはじめた。ふわふわのチュヌル、真っ癜なレヌスやフリル、バラやリボンをあしらったパステルカラヌのドレスたち。お姫さたのようなドレスをたくさんたくさん䜜った。乗り越え方のクセがすごい

生埌ヶ月ごろ

 嚘がじぶんで服を遞ぶようになっおからも、食事に制限があるのだから、服にはいっさい制限をかけない ずいう確固たるポリシヌのもず、いっさいの口出しをせず、嚘の着たいものを奜きなように着させた。その結果ずしお普段着ずしおドレスを着るようになっおしたったけれど。毎日ドレスですが、それが䜕か

「ごきげんよう、プリンセス」ず蚀われた

 たたに「絶察にキャラクタヌものの服は着せない」ずいうおしゃれママさんもいるけど、わたしは党身プリキュアでもコスプレでもどうぞどうぞず思っおいた。だっおプリキュアはすごいよ。あの子たち䜕かず闘っおいるのだから。闘うプリンセスの戊闘服。

 あなたはこれからたくさんのこずず闘っおいかなくおはいけない。でも倧䞈倫、揎護する。だっお、衣装係はここにいる。姫君のお召しもののお支床をする召䜿いがここに。闘うプリンセスを埌方支揎する最匷の召䜿いに、わたしはなる。

 その気持ちは、今も花嫁さたのドレスを぀くるわたしの倧きな原動力になっおいる。

 さお、ここからは少し、前提条件ずしお嚘のアレルギヌが発芚するたでの、わたしの掋裁歎に぀いお曞いおみようず思う。嚘の召䜿いになっおからのこずが読みたい方は目次から「毎日ドレスですがそれが䜕か」たでどうぞ。


瀟䌚人バックパッカヌ、ドレスに出䌚う

 わたしがりェディングドレスに出䌚ったのは、瀟䌚人バックパッカヌずしおヶ月の攟浪の旅に出た代なかばの頃だった。経由先のバンコクでタむシルクのりェディングドレスに出䌚い、次の目的地ロンドンで友人に萜ち合ったずきには「わたし、りェディングドレスの仕事するわ」ず宣蚀しおいた。

 その埌、タむ語を孊びドレスを぀くるためにたずタむ語を孊ぶっおずこがすでにおかしいずりあえずじぶんのりェディングドレスをタむで぀くっおみた。正確にいうず、じぶんでデザむンしおタむ語で仕様曞を曞き、ドレスの工堎こうばさんに瞫補しおいただいたのだ。アパレルの䌁画デザむンをしおいたので、このずきはただ仕事の延長ずいう感芚だった。

 しかしその埌はいろいろあっお、数幎間ドレスの倢を封印しおいた。もう䞀床その倢ぞの扉を開けたのは、嚘だった。

扉を開けおくれたのは嚘

 倢を忘れかけおいたころに、その倢を思い出させおくれる存圚がある。わたしの堎合は間違いなく嚘だった。嚘がお腹のなかにいるずわかったずき、なぜか封印しおいたドレスぞの倢が蘇っおきた。き぀く瞛っおいた結び目を解いたら、繻子織サテンのリボンがしゅるしゅるずほどけ、箱のなかから真っ癜なレヌスやふわふわのフリルがキラキラず螊り出しおきた。

 その話をしたら嚘は「ドレスを䜜っおもらおうず仕向けたんだよ」ずニダリずしおいた。案倖そうなのかもね。だっお今たでたくさん䜜っおきたもの、あなたのドレスを。

巊が嚘 カヌテンの生地芋本からリメむクしたドレス

 わたしはもずもず手先が噚甚で手芞も倧奜きだったのだが、䞭孊の家庭科の先生が厳しくお、掋裁にはあたりいい思い出がなかった。

 それを払拭しおくれたのが、手芞関係の仕事をしおいる友人だった。圌女に教えおもらいながら䜜ったマタニティワンピヌス。これで苊手意識がなくなっお、すっかり掋裁に目芚めた。そこからの远い䞊げはすごかった。

 いちどせき止めおいたものが倖れるず、あずはもう倧攟出。あふれんばかりの情熱を泚ぎ蟌んで、育児䌑暇䞭にじぶんや嚘の服を䜜り続けた。家事をしながらデザむンを考え、子どもが寝おいる間に裁断し、おんぶで嚘を背負いながらミシンをかける。嚘の昌寝の合間に着完成させるのもざらだった。公園デビュヌなんかしおる堎合じゃない。分でもあったら服を䜜りたいんだもの。ずにかくものすごい集䞭力ず情熱で服を䜜り続けた。もはや狂気。

授乳しやすいドレス

 そのおかげで、教えおくれた友人も驚くほどのスピヌドで掋裁が䞊達した。楜しくおしかたがなかった。じぶんで䜜れればアむデアを思い぀いたらすぐ圢にできるのだ。たるで翌を手に入れたような気分だった。

毎日ドレスですが、それが䜕か 

 そんな日々を送っおいたさなかに、嚘のアレルギヌが刀明した。

 その日から、わたしず嚘の長い長い食物アレルギヌずの闘いがはじたった。小麊・卵・牛乳・倧豆のアレルギヌなので、米ず野菜ず魚ず肉が䞭心の食生掻になる。぀ねに食品衚瀺ずにらめっこする日々だ。冷凍食品や加工食品にはだいたい卵や乳補品が入っおいるため、食事はすべお手づくりの陀去食。慣れるたではかなり倧倉だった。でもいちばん倧倉なのは嚘なのだ。

 こんなふうにしお嚘には「食べ物」に察しお厳しい制玄がかかるこずになった。だからこそ「着る服はいっさい制限しない」ずいう方針ができあがったのだ。

 ずくに生埌ヶ月でアレルギヌが刀明しおからは、「パンが食べられないのなら、ドレスを䜜ればいいじゃない」をスロヌガンに、これでもかず嚘のドレスを䜜るようになった。ただ、子育お䞭は材料を買いに行くのも䞀苊劎。思い぀いたら手持ちの材料ですぐに䜜りたかったので、ドレスはリメむクで䜜るこずが倚くなった。こうしおわたしはリメむクに目芚めおゆく。

 わたしの着物を解いおお宮参りのドレスにしたり、着叀したTシャツをスタむにしたり、家にあるハギレを駆䜿しお、かわいいものに䜜りかえるこずにハマった。


ワンピヌスをリメむクしお「新春シャン゜ンショヌ」

 近所のチャリティヌショップで芋぀けた円のキラキラワンピヌスをほどいお、嚘のワンピヌスずわたしのベルトにリメむク。「新春シャン゜ンショヌ」がテヌマの友人たちずの新幎䌚ぞ。


フリヌストップスずシロクママント

 息子が来おいたフリヌスのトップスすでにこれも知人からのお䞋がりをリメむクしお嚘のトップスぞ。


保育園入孊スヌツに

 倧人のレヌスブラりスをリメむクしお、保育園の入孊スヌツに。

 これらすべお、「家にあるものでさっず䜜れるもの」。新しく賌入しなくおも家にあるものをうたく利甚し、ダメヌゞや汚れや倚少の倱敗も食りを぀けたり「あえお掻かす」こずでより良いものに䜜り倉える。それがわたしが気付いたリメむクのおもしろさだった。

 嚘が歳になる少し前くらいから、専門孊校に通っお本栌的にリメむクずお盎しの技術を孊ぶようになった。週に日皋床、〜時間ほど倫に嚘を預けお孊校に通った。お盎しずリメむクに特化したのは、嚘の服のリメむクがこずのほか楜しかったからだ。

 幞運だったのは、その専門孊校の先生が、りェディングドレスのアトリ゚ご出身だったこず。わたしはお盎し技術だけではなく、オヌダヌで型玙を起こし、いちからドレスを制䜜する技術たでも教わるこずができた。授業料は回円ず決しお安くはなかったけれど、オヌダヌずリメむク䞡方の技術が習埗できたのは倧きかった。今はもうその孊校はなくなっおしたったけれど、わたしはほんずうにラッキヌだったず思う。

 その孊校のよかったこずがもうひず぀。ひず通りのお盎しを孊んで䞭玚たで進むず、孊校が名刺を䜜っおくれる。その名刺を配りたくっお、「今お盎しを勉匷䞭なので、協力しおください。通垞より栌安でお盎しできたす」ず、仕事を取っおくるこずができるのだ。それを授業で教材ずしおお盎しをするず、めちゃくちゃ䞊達するのだそうだ。これはずおも理にかなっおいる。

 この「名刺システム」もわたしにはぎったりだった。「こんなにたくさん仕事を取っおきた人は他にはいない」ず先生方に驚かれるほど、たくさんのお盎しをした。もちろんこれには授業料がかかる。お盎し代をいただいおも、毎回倧幅な赀字になっおしたう。いったいどれだけの時間ずコストをかけただろう。ちょうどこの頃䌚瀟を蟞めお独立しおいたので、退職金があったのもよかった。

 最近、ドレスデザむナヌにどうやったらなれるのかず、若い人たちに聞かれるこずが倚くなった。わたしが圌・圌女たちに蚀いたいのは、「ほんずうに奜きでやりたいこずで時間ずコストをかけお努力を重ねおいけば、どんな道を通ったずしおも結局そこにたどり着く」ずいうこずだ。
 
 少なくずも技術の習埗に関しおは、孊ぶ環境などはそこたで関係なくお、ずにかくやった分量ず、かけた時間ずコストに比䟋するのではないだろうか。それは才胜ではなくお、もはや狂気だ。そこたでわたしが情熱を傟けられた原動力はなんだったのか。

 それはやはり、りェディングドレスが奜きだずいうこずず、「姫君を埌方支揎する最匷の召䜿いに、わたしはなる」ずいう、匷い気持ちから来おいたのだず思う。

ワンピヌスから母嚘のサンドレスにリメむク

めくるめくドレスたち

 それでは嚘のめくるめくドレスたちを少しご玹介。泚すべお個人で楜しむために制䜜

応揎フラッグからリメむク
倧人のシャツからリメむク
おそろいのドレスで䌚えたね
倧奜きな歌手に憧れお
これで電車に乗った

 この癜いドレスは、保育園の卒園匏ず、小孊校の入孊匏に着たドレス。嚘の曞いたデザむン画から䜜った。

嚘がデザむンしおわたしが䜜ったドレス
デザむン画

 入孊匏でドレスを着お元気いっぱいに入堎する嚘を芋お、埌ろに座った保護者が、「あれっおさ、絶察芪が着せおるよね」ずヒ゜ヒ゜話しおいるのが聞こえた。

 違うし。あれは嚘がデザむン画を描いお、「ポケットはハヌトにしおね」ず明確な指瀺たでしお、わたしはそれを忠実な召䜿いずしお䜜っただけだし。

嚘は「かわいそうな子」ではなく「姫」

 「あれっお芪の゚ゎで着せおるんだよね」そんな颚にいう人はどこにでもいる。たしかに嚘をたるで姫君のように育おたのはもちろんわたしの゚ゎでもある。それは吊定しない。

 ただ、嚘を「かわいそうな子」にしたくなかったずいうのもある。嚘は悲しい思いをいっぱいしおきたず思う。倖食はもちろんのこず、お友だちの誕生䌚にも気軜に参加できないし、食べられなくお悔しい思いをさせたこずも、発䜜で䜕床も入院したこずもある。だから、ここはあえおの「姫モヌド」なのだ。

 保育園では、コンタミコンタミネヌション。アレルゲンが混入するこずを避け、絊食時には嚘だけみんなから少し離れたひずり垭で食事をしおいた。それが、普通だったら「かわいそう」な印象になるかもしれないのだが、嚘の堎合はなんだかそれがやけに「姫」っぜくお、ああ、あの子は姫だから特別垭なのね、ず思わせる雰囲気を醞し出しおいたのが䞍思議だった。もうこうなったら「姫」ずしお、うたいこずみんなに助けられながら生きおいっおくれ。それもある意味、生存戊略だ。

 でもうちの嚘は、ただ守られおいるだけの姫ではなかった。蚀いたいこずはちゃんずいう。嚘はい぀の間にか、ちゃんず「闘うプリンセス」に成長しおいた。

怒りでプルプルするほど悔しかったこず

 保育園や小孊校では、「食物アレルギヌの嚘のこずを理解しお、みんなで気を぀けおいこう」ずいうスタンスだった。わたしのチェックがもれおいた絊食の献立に、お友だちが気が぀いおくれたこずもある。ずころが䞭孊に入っおからは状況が倉わった。

 入孊匏の埌、孊幎䞻任ずアレルギヌのこずに぀いお話した。代くらいのベテランの男性教員だ。圌はこう質問した。

「あの、牛乳のアレルギヌなんですが、空気に觊れたり飛沫で反応されるこずはありたすか」

「いえ、それはないです。うちは経口時の反応のみです」

 なかには、アレルゲンず同じ空間にいるだけで、アレルギヌ反応を起こしおしたう子もいるのだ。嚘はその反応はなく、食べたずきの反応経口反応だけだった。

「よかった。飲み残しの牛乳のバケツを、教宀内に眮いおいるもので」

 そこたで心配しおくれおいるんだ、ず䞀瞬よろこんだがそれは違った。

「もしも空気䞭もダメだったら、バケツを廊䞋に出さないずいけたせんので。そうしたらこのクラスにそういう子がいるっおバレおしたいたすので」

 はあ

 䜕 うちの子は「そういう子」だから、隠しおおかないずいけないっおこず いじめのタヌゲットにされるから 食物アレルギヌは隠すべきこずなのか。

 ふざけんな。そういう䜓質がかえっおいじめを助長させるんじゃないのか。それに、呚知せずに隠すこずでアレルギヌのトラブルが起きやすくなるんじゃないの 

 その時はあたりにもびっくりしお怒りでプルプルしおしたった。蚀い返そうず蚀葉を探しおいた時、嚘が小さい声でわたしに蚀った。

「倧䞈倫だよ。仲のいい子にはわたしから話すから」

 そう、嚘はうたくやるだろう。コミュニケヌション胜力が高く、呚りも助けおくれる。それだけでなく、嫌なこずは嫌ず蚀える匷さも持っおいる。匷くなったな、ず思う。

 この時のくやしい気持ちを、嚘は高校生になっおから゚ッセむに曞き、賞をもらっおいた。それくらいたくたしく生きおいかないずね、いいぞ、嚘。

負荷詊隓は母嚘の倧事な時間だった

 嚘のドレスを䜜りたくっおいるうちに、わたしの技術も磚かれ、ドレスの仕事も軌道に乗っおきた。

 嚘が小孊生になっお、あたりドレスを着なくなった頃から、時期を同じくしおわたしの仕事がかなり忙しくなった。食事やお匁圓は完党手䜜りで頑匵っおはいたけれど、仕事ず家事ず育児の䞡立は、決しお楜なこずではなかった。䞭孊生になるず嚘も思春期に入り、お互いがギクシャクするこずも倚くなった。

 けれども、そんなわたしたちをもう䞀床結び぀けおくれたのも、食物アレルギヌだった。

 負荷詊隓ず蚀っお、アレルゲンずなる食材を医垫の前で少量ず぀食べおみお、反応を芋ながら段階的に食べれる量を増やしおいくずいう治療法がある。

 これにはリスクもあるので、察応できる医垫ず、䜕かあったずきの斜蚭の䜓制も必芁ずなる。だからお医者さんが倧きな病院から独立しおしたうず、その治療が続けられないこずもあった。嚘は小孊校䜎孊幎くらいでうどんをセンチ、ペヌグルトは口たで負荷詊隓が進んでいた。ずころがペヌグルトでアナフィラキシヌ反応が出お、急きょ入院になっおしたった。その埌は先生が独立されたこずもあっお、負荷詊隓は䞭断しおいた。

 コロナ埌、嚘が䞭孊幎の時に倧きな病院で負荷詊隓を行っおいる医垫を玹介しおもらい、治療を再開するこずになった。はじめおの蚺察に行くず、埅合宀は小さな子どもばかりだった。䞭孊生の嚘はかなり倧きいほうだ。負荷詊隓はもっず小さい子が受けるものなのだ。

 嚘は先生の前でわたしを責めるような口調で、「なんでもっず早くやらんかったんよ」ず蚀う。きっず仕事で忙しかったわたしを責めおいるのだろうず思った。

「だっお、こわかったから」
 
 そう、わたしはこわかったのだ。もしもたた反応が出たらず思ったら、こわくお、躊躇しおいた。

 先生はわたしのその蚀葉を聞いお、

「そりゃ怖いよねえ。芪やったら怖いわ」

 ず蚀っおくれた。わたしは泣きそうになった。この先生のもずで負荷詊隓をやっおみようず思えた。嚘にも、「こわかったんだよ」ずちゃんず䌝えた。「生きおくれおいるだけでいい」ず思っおいるこずも。そこからは、嚘ずの関係も埐々に良くなっおいったように思う。ちゃんず蚀葉で愛を䌝えるっお、倧事なんだな。

 負荷詊隓はヶ月にいちど、山の䞊の病院で「日垰り入院」ずいうかたちで行う。これがたた病院ずは思えないような景色で、たるで入院じゃなくおリゟヌトホテルに居るようだった。

 食べお反応を芋るだけなので、基本はずっず埅ち時間になる。埅ち時間の間、ふたりで話をしたり、たたに勉匷をしたり、いっしょに昌寝をしたり、テレビで韓囜ドラマをみおみたり、東京オリンピックの女子スケヌトボヌドでそれぞれの挔技を讃え合う女の子たちを芋お、胞を熱くしたりした。ラむバルず闘うのではなくお、みんなで喜びあうっおいうのがいい。シスタヌフッドだ。シスタヌフッドずは女同士の連携のこず。この時代の乗り越え方を、圌女たちはわかっおいる。新しい時代の、新しいプリンセスたち。

 幎間の負荷詊隓によっお、嚘はなんず小麊を食べられるようになった。牛乳ず卵そのものはただ厳しいが、焌き菓子なら倧䞈倫だ。

 そう、嚘はパンを食べられるようになったのだ。


お母さんたちず泣いたあの日のこず

 わたしが今たであたり曞いおこなかった嚘のアレルギヌに関しお曞いたのには理由がある。食物アレルギヌに関しおもう少し䞖間の理解が進んでもいいず思っおいるからだ。そのこずで防げる事故もきっずあるだろう。

 わたしには今たで「この悩みをひずに打ち明けたずころで、きっずわかっおもらえないだろう」ずいう諊めがあった。芋た目にはわからない。難病でもない。でも嚘の呜がわたしの䜜るご飯にかかっおいるずいう重さ。その重さに耐えきれなくお、台所でお酒を飲んで気持ちをごたかしおいたこずもあった。
 
 嚘が保育園を卒園する前、絊食での食物アレルギヌの事故がニュヌスになっおいた。そのため小孊校では絊食のアレルギヌ察応陀去食や代替食ができなくなり、お匁圓を䜜っお持たせるこずになった。ほんずうに倧䞈倫なのだろうか。正盎䞍安だった。保育園のお別れ飲み䌚で保護者にその䞍安を぀い、もらしおしたった。

 するず、小孊校もいっしょになるお母さんがたみんなが、「みんなで守っおいこうね」ず蚀っおくれた。うれしかった。わたしの悩みなんお特殊すぎお誰にもわからない、ず思っおいたけれど、そうではなかった。聞けば、みんなにもそれぞれの悩みがあった。ダりン症のきょうだい児、シングルマザヌ、発達障害 。みんな、蚀っおいないだけでそれぞれの䞍安や悩みを抱えお、衚向きにはわからないように明るく頑匵っおきおいたのだ。わたしたちはビヌルを飲みながらおいおい泣いた。悩みは違っおも、わたしたちは共感しあえる。シスタヌフッド。

 いた、ありがたいこずにお母さたのりェディングドレスのリメむクを倚く手がけおいる。お母さたにお䌚いするこずも倚い。子育おにはいろいろある。衚には出されないけど、ここたでお嬢さんを育おるには、倧倉なこずもたくさんあったず思う。

「あずはおたかせください」わたしはい぀もそんな気持ちでいる。プリンセスを埌方支揎する最匷の召䜿いずしお。

「新しく未知の䞖界に飛び蟌むプリンセスが、自信ず勇気を持おるような矎しいドレスが䜜れたすように」

嚘のドレスを䜜るために、そしお孫たちのために

「お母さんは、どうやっおも、ドレスを䜜る運呜になっおたんだず思うよ」嚘のその蚀葉には぀づきがある。

「わたしのりェディングドレスを䜜る運呜にね」

 でしょうね。

 たぶん、あなたのドレスを䜜るこずになるず思う。それは間違いない。でもどうしよう、その目的を達成しおしたったら、燃え尜きおしたうのではなかろうか。

 いやいやそれはいかん。だっお、花嫁さたたちず玄束しおいるもの。「長生きしたすね」っお。わたしのドレスを着た花嫁さたのベむビヌは、わたしの「孫」ずいうシステムになっおいお、わたしにはすでに「孫」がたくさんいるのだ。

 孫たちのドレスを䜜るたでは、わたしは死ねない。歯も匱くなっお、硬いフランスパンが霧れなくなったずしおも、わたしはドレスを䜜るんだ。

「パンが食べられないなら、ドレスを䜜ればいいじゃない」

 そう蚀いながらね。


远䌞

 嚘は今幎、歳になる。闘うプリンセスは倧孊生になった。いわゆる「瀟ガヌル」ず呌ばれる、瀟䌚孊郚の孊生である。嚘のような食物アレルギヌの子はもちろん、さたざたな個性を持぀人たちが暮らしやすい瀟䌚の仕組みを考えたいらしい。

 そしお嚘は、ものすごくおしゃれな、そしおなぜだかめちゃくちゃ前向きな子になった。蚘念旅行でロストバゲヌゞしお萜ち蟌んでいた私を、びっくりするほどの明るさでにひっぱっおくれたのは、ほかならぬ嚘の存圚だった。

 それだけじゃなくお、ロストバゲヌゞしお代わりの衣装を芋぀けるずきも嚘は倧掻躍しおくれた。わたしの「パンが食べられないならドレスを着ればいいじゃない」ずいう「服育」の成果が、たさかのピンチで圹立ったずも蚀える。

 ピンチの時も「あるものでなんずかする」「前向きに生きる」「埗意なこずでサバむバルする」「ずりあえず楜しんで笑っずく」。

 これらはすべお、嚘がわたしに教えおくれたこずである。圌女の前向きさ、たくたしさに、わたしはい぀も救われおいる。

 今朝、嚘は私のお䞋がりの真っ癜なレヌスのドレスブラりスに、NZで芋぀けたデニムを合わせお倧孊ぞず駆け出しお行った。


 い぀だっお闘うプリンセスは、ドレスを纏っおいる。







いいなず思ったら応揎しよう

タケチヒロミRoulottes 応揎ありがずうございたす コツコツ旅貯金したす