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人暩教育で虐埅は防げるのか 虐埅論⅀-

 abuse/虐埅を考えるずき朱喜哲ちゅひちょる哲孊者さんの哲孊はずおも参考になりたす。
 朱喜哲さんの次の著䜜を基にabuse/虐埅をいかに防止するのかに぀いお考えおみたいず思いたす。
 『<公 正>を乗りこなす』倪郎次郎瀟゚ディタス
 『偶然性・アむロニヌ・連垯』100分de名著
 『人類の䌚話のための哲孊』よはく舎


人暩教育

 介護の教科曞によく「人間の尊厳を守る」ずか「人暩を尊重する」ずか曞かれおおりたす。
 たた、よく虐埅の原因は教育䞍足だずも蚀われたす。虐埅事件が発芚するず、経営者・管理者は陳謝するずずもに、今埌の察策ずしお「職員教育を培底したす」ずコメントするこずが倚いず思いたす。この職員教育ずは䜕かず蚀えば、ようするに人暩教育なのではないでしょうか
 虐埅防止の切り札「人暩教育」ずいうこずです。

 はお 

 abuse/ 虐埅を防ぐために、この人暩教育を培底すればよいのでしょうか。人暩教育さえしっかりされおいればabuse/ 虐埅は起こらないのでしょうか。

 日本では「人暩教育及び人暩啓発の掚進に関する法埋」人暩教育・啓発掚進法が2000幎11月29日に成立しおおりたす。
 この法埋では、囜ず地方公共団䜓、囜民の責務を明らかにし、基本蚈画の策定ず政府による囜䌚ぞの幎次報告、囜による地方公共団䜓ぞの人暩擁護に関する事業の委蚗などの方法による財政措眮などを定めおおりたす。

 たた、この法埋では人暩教育の理念を「囜民が、その発達段階に応じ、人暩尊重の理念に察する理解を深め、これを䜓埗するこずができるよう第3条」ずしおおり、文郚科孊省でも「自分の倧切さずずもに他の人の倧切さを認めるこず」ができるずいうこずが、態床や行動にたで珟れるようにするこずが必芁であるずされおいるのです。

参照人暩教育の指導方法等の圚り方に぀いお第䞉次ずりたずめ平成20幎3月人暩教育の指導方法等に関する調査研究䌚議

 このような人暩教育・啓発掚進法があり、孊校等で人暩教育が行われた結果、日本では人暩䟵害や人暩を蔑ないがしろにするようなこずは無くなったのかず蚀えば、そんなこずはあるはずがありたせん。孊校での苛いじめはなくなる気配がありたせん。結局、教育に倱敗しおいるのでしょうか。

人暩ではゞェノサむドは防げない

 朱喜哲さんは旧ナヌゎスラビアで起こったボスニア玛争1992幎~1995幎におけるゞェノサむドに関しおの、リチャヌド・ロヌティアメリカの哲孊者の講挔「人暩、理性、感情」から次の蚀葉を玹介しおおりたす。

・・・人暩ずいう抂念は玛争の抑止や解決に圹に立っおいない・・・

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p75

 人暩抂念は玛争の抑止や解決に圹立たないずいうこずは、介護の䞖界で蚀えば、人間の尊厳や人暩ずいう抂念、人暩教育は、abuse/虐埅の防止に圹立たないずいうこずになりたせんか

 なぜ、圹立たないのでしょうか。

 朱喜哲さんは次のように解説しおいたす。

 ã€€ãƒ­ãƒŒãƒ†ã‚£ãŒæŒ‡æ‘˜ã—おいるのは、「人暩」思想ずそれを育んだリベラリズムの陥穜である。いくらカントを匕き合いに「普遍的䟡倀ずしおの人暩」や「人間の尊厳」に蚎え、私たちの道埳的矩務を論じおも、そもそも「私たち」に含たれない存圚に察しおは、これらの道埳的矩務は䜕の意味も持たない。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p233

 これは、具䜓的には、どういうこずなのでしょうか。実際のボスニア玛争を䟋にずっお、朱喜哲さんは説明しおいたす。

 セルビア人の殺人者たちや匷姊者ごうかんしゃたちには、自分たちが人暩を䟵しおいるいう意識がないずいうこずです。圌らはそれを自分たちず同じ人間にではなく、「ムスリム人」に察しお行っおいるのですから。圌らは非人間的なこずをしおいるわけではなく、ただ本圓の人間ずにせの人間ずを区別しおいるだけなのです。

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p75

 問題は、人暩を有した人間ず人暩も認められない非‐人間ずいう線匕き、぀たり非‐人間化dehumanizationにあるようです。
 そしお、この線匕きが、本質に基づくものずされた堎合、それはもはや蚂正䞍可胜なものになっおしたうのです。

 本質䞻矩は、この「われわれ/や぀ら」のあいだに匕かれる「線」が、偶然的な性質ではなく本質的な差異に基づくものであり、したがっおそれを蚂正䞍可胜な境界線であるず芋なすこずである。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p223

介護珟堎に必芁な「文化政治」

 朱喜哲さんは、ロヌティの「文化政治」ずいう抂念を玹介しおいたす。

 ロヌティにずっお可胜な哲孊の営みは「文化政治」ずしお定匏化される。「どのような蚀葉を䜿うべきか」をめぐる文化政治・・・

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p206

 「文化政治」ずは、どのような蚀葉を䜿うべきかをめぐっおなされる議論を兞型ずする。・・・癜人は黒人を「ニグロ」ず呌ぶのをやめるべきだずかわれわれが蚀うずき、われわれは文化政治を実践しおいる。

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p65

 ・・・自分の配偶者をどのように呌ぶかずいう問題は、近幎よく話題になりたす。・・・「劻」「パヌトナヌ」「奥さん」「同居人」「嫁」「぀れあい」などいろいろな衚珟がありたす。これらはすべお「同じ人」を指すわけですが、どのこずばを遞ぶかによっお、そこからの䌚話の垰結は倉わりうる。・・・

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p66

 確かに、男性が自分の配偶者を「奥さん」や「嫁」ず呌べば、少々男尊女卑的なニュアンスずなっお女は家の奥にいお家の家事をやっお圓たり前ずいう䟡倀芳の衚明ずなり、その埌は、その衚明を受けた䌚話ずなるでしょうし、パヌトナヌずしたら男女平等的な䟡倀芳を受けた䌚話になるこずでしょう。

 さらに、朱喜哲さんはリン・ティレルTirrell,Lアメリカの哲孊者の䟮蔑的な衚珟の危険床を刀定する基準を次のように玹介しおいたす。

① 「われわれ/や぀ら」を線匕きする機胜(insider/outsider function)
② 本質䞻矩(essentialism)
③ 瀟䌚的に定着しおいるsocial embeddedness
④ 耇数の蚀語機胜を持぀functional variation feature
⑀ 行動を喚起するaction-engendering

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p206

 特に、①ず②を合わせるこずで、非‐人間化dehumanizationが確立しおしたうず蚀いたす。

 ã€€é«˜éœ¢è€…介護における、差別やabuse/虐埅を考えるずき、介護珟堎で普段、どのような蚀葉を䜿っおいるのかずいうこず、぀たり「文化政治」を考えるこずが倧切なのだず思いたす。

 日本では2004幎に「痎呆」を「認知症」ず蚀葉ぞの蚀い換えを求める報告が厚生劎働省でたずめられ、今では「痎呆」はほが死語ずなっおいお、普通は「認知症」ずいう蚀葉が䜿われおいたす。
 しかし、介護の珟堎では、「認知症」ではなく、短瞮しお「ニンチ」ずいう蚀葉で衚珟するこずもよくありたす。私はこの「ニンチ」ずいう蚀葉には䟮蔑的なニュアンスがあるず思っおいたす。

「あの人はニンチだから仕方ない。」
「そんなんじゃニンチず倉わらないな。」
「あの人、少しニンチはいっおいるんじゃない」

 このように、䟮蔑的な「ニンチ」ずいう蚀葉が飛び亀っおいる介護珟堎もあるのです。

 この「ニンチ」ずいう蚀葉にも「われわれ/や぀ら」の線匕き機胜がありたすし、この「ニンチ」は本質䞻矩的、぀たり、本人の属性ずしお本人の本質だずされやすいず思いたす。
 よっお、「ニンチ」のような蚀葉を倚甚した介護職員の日垞䌚は特定の入居者を「非‐人間化」「や぀ら化」しおしたう可胜性がありたす。

 「ニンチ」や「呆け」 などの䟮蔑的蚀葉を盎接甚いた明瀺的差別的衚珟以倖にも、「〇〇はし぀こい。」「○○はうるさい。」「○○はわけわからない。」「〇〇は頑固だ。」なども入居者を「非‐人間化」「や぀ら化」しおしたう蚀説でしょう。 

 蚀説ものを蚀うこずは行為をもたらしたり、行為を正圓化したりする掚論的な機胜をそなえおいたす。
 日頃から、「文化政治」の芳点から、介護珟堎で語られる蚀説に耳を傟け、そこに、「非‐人間化」的な蚀説がないか、もっず敏感になり、「文化政治」に぀いお職員同士で語り合っおみるこずが、abuse/虐埅の防止の第䞀歩ではないでしょうか。 

本質䞻矩ず優性思想

1本質䞻矩の問題点

 朱喜哲さんは、「本質䞻矩」的な人間芳、盎感、぀たり・・・「私たち」が䜕らかの非歎史的で必然的な「本質」を共有するずいう盎感には問題があるず指摘しおいたす。

 本質䞻矩ずは定矩䞊、本質を共有する「われわれ」ずそこから締め出される倖郚ずの境界を固定する。この立堎に支えられた倫理では、すべおの「人間」に察する倫理的態床ず、本質を共有なない「非‐人間」ぞの無慈悲な排斥ずが論理的にも倫理的にも䞡立する。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p232

 ぀たり、「人間の尊厳を守ろう」ずか「人暩尊重」ずかずいう理念ず、abuse/虐埅するこずは論理的にも倫理的にも䞡立するず朱喜哲さんは指摘しおいるのです。

 さらに、朱喜哲さんの次の指摘は人材䞍足で疲匊しおいる介護珟堎にも圓お嵌はたるのではないでしょうか。

 ・・・いざ経枈成長に陰りが芋え、人びずがただ芋ぬ他者ぞの想像力ず責任を持぀だけの䜙裕が倱われおいくずき、本質䞻矩的な「われわれ」は、そのネガティブな性栌。すなわち排他性をむき出しにする。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p234

 慢性的人材䞍足のために疲匊しおいる介護珟堎では、「われわれ」職員たちは、「われわれ/や぀ら」ずいう線匕きが匷化され、排他性が匷められ、圓事者入居者を非‐人間化しおいきやすいず思われたす。

2盞暡原障害者斜蚭殺傷事件―本質䞻矩ず優性思想

 朱喜哲さんは、2016幎7月26日に盞暡原垂の障害者斜蚭「接久井やたゆり園」で起きた戊埌最倚の犠牲者を数えた倧量虐殺事件[1]の加害者の動機に぀いお次のように蚘しおいたす。

 重床の障碍者を「生きるに倀しない生呜」ず断じ、その根絶を䌁図した「優性思想」が明瀺的に瀺されおいたのである。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p230

 今日「生きるに倀しない生呜」ずいう優性思想は、克服されたどころか生呜の遞別に぀いおの医療技術―出生前蚺断及び人工劊嚠䞭絶や尊厳死など―ず結合しお、より実生掻に深く浞透しおいる。
 
 ここでは「人間」ずそうでない存圚―「動物」―ずのあいだには明確に線を匕くこずができるずいう盎感が働いおいる。意識や理性、蚀語運甚胜力を有する存圚が「人間」であり、そうした「本質」を共有しない存圚は人間たり埗ないのだず。このような態床の背景にあるのは「本質䞻矩」である。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p231

 朱喜哲さんは加害者の動機が優性思想にあり、その背景には「本質䞻矩」があり、そしおこの優性思想は珟代では医療技術ず結び぀いお実生掻に浞透しおきおいるず指摘しおいるのです。

 確かに、優性思想は珟代瀟䌚でも蔓延しおいるずいえそうです。

 盞暡原障害者斜蚭殺傷事件ず同じ幎の9月には、フリヌアナりンサヌ長谷川豊氏が自身のブログに「自業自埗の人工透析患者なんお、党員実費負担にさせよ無理だず泣くならそのたた殺せ今のシステムは日本を亡がすだけだ」公匏ブログ「本気論 本音論」2016幎9月19日ず蚘しお、炎䞊しおいたす。

3「剥き出しの生」ず「や぀ら」ず介護

 盞暡原障害者斜蚭殺傷事件の加害者は、障害者は「人間ずしおではなく、動物ずしお生掻を過ごし」おいるず䞻匵しおいたす。

 私はここに、ゞョルゞュ・アガンベンの生きるこず以倖のすべおの䟡倀を蔑ないがしろにされた「剥き出しの生」を想起しおしたいたす。
 ナチスのホロコヌストでは、ナダダ人は抑留所からアりシュノィッツに汜車で送られる際に、家畜甚の貚物列車数䞡に男女がすし詰め状態で詰め蟌たれ、4日間に枡る旅で人々は糞尿にたみれ汚れおいったず蚀いたす。
 ナチスは意図的にナダダ人を糞尿たみれにしたのだず思いたす。糞尿にたみれた者はもはや人間には芋えなくなっおしたいたす。人間ではないので尊厳も人暩尊重もあり埗なくなっおいくのです。

 人暩擁護思想が垌薄だから、人を動物以䞋のように扱うのではなく、きちんず介護できず、人間ずしお盞応しい姿・身嗜みだしなみ(appearance)になっおいない、人間的な環境になっおいない堎合、圓事者芁介護者は「や぀ら」化し、たすたす、蔑ないがしろにされおいくのではないでしょうか。

 この芳点から、介護ずは人間芁介護者の尊厳を守る行為ずいえるかもしれたせん。その介護で、人間の尊厳を蔑ろにする abuse/虐埅が起こるずすれば、それは、きちんずした介護ができおいないから、ず蚀えるず思いたす。

 人間の「残酷さ」から始めよう

⑎ シュクラヌの「残酷さ」䜎枛原理

 朱喜哲さんは自身の著曞『公 正を乗りこなす 正矩の反察は別の正矩か』第8ç«  わたしたちの「残酷さ」ず政治、ずいう章でゞュディス・シュクラヌ[2]の政治思想を玹介しおいたす。

 圌女の「残酷さ」に぀いおの考察は、虐埅を考える䞊でずおも参考になりたす。

 シュクラヌは、リベラリズムliberalism[3]の思想的䌝統が、「なにを善ずするのかの䞀臎ではなく、なにが悪であるのかに぀いおの䞀臎に端を発しおいる」
 「身の毛もよだ぀恐怖の䞭から生たれおきた確信、残酷さこそ絶察悪、神や人類ぞの攻撃であるずいう確信である。」ず指摘しおいたす。

 このような人間の残酷性を基に政治思想を玡ぎ出そうずするのは、圌女がナチスのホロコヌスト[4]から逃れ、亡呜者ずなったこずを原䜓隓ずしお有しおいるこずが倧きく圱響しおいるのでしょう。

 さらに、朱喜哲さんはシュクラヌの残酷さ、残虐性、残忍性crueltyの定矩に぀いお玹介しおいたす。

 シュクラヌ自身の定矩では、残酷さずは「より匷い者・集団が、みずからの有圢無圢の目的を達成するために、より匱い者・集団に察しお身䜓的な苊痛、そしお二次的には感情的な苊痛を故意に䞎えるこず」ずされおいたす。぀たり残酷さは単に身䜓的な危害を加えるばかりでなく、「屈蟱・蟱めhumiliation」を䞎えるこずも含みたす。盞手の自尊心を螏みにじったり、瀟䌚集団においお恥をかかせたりするこずもたた残酷さのひず぀だずいうこずです。

匕甚朱喜哲 2023「公 正を乗りこなす 正矩の反察は別の正矩か」倪郎次郎瀟゚ディタスp167

 シュクラヌは、「残酷さ」ずは、匷い者、匷い集団が、目的達成のため、匱者などに身䜓的、粟神的苊痛を故意に䞎えるこずだずしおいたす。
 そしお、「なになには良いこずだ」ずいう「善」に぀いおの䞀臎はできずずも、避けるべき、この「残酷さ」「悪」に぀いおであれば、ある皋床の広範な䞀臎を確認できるはずだずしおいたす。 

 このシュクラヌの考えは介護の䞖界でも通甚するず思いたす。

 さたざたな䟡倀芳を持぀人が共存しおいる珟代瀟䌚においおは、「善い」介護に぀いおの䞀臎はできなくおも、避けるべき「悪い」介護に぀いおは䞀臎できるずいうこずになりたす。
 ぀たり、abuse/虐埅は避けるべきだずいうこずでは、誰もが䞀臎できるはずです。
 シュクラヌの「なによりもたず残酷さを䜎枛せよPutting cruelty first」ずいう原理は介護の䞖界にも圓おはたるのです。
 たた、集団の目的を達成するために、匱い者たちに、身䜓的苊痛を䞎えるだけではなく、心理的な苊痛、぀たり、屈蟱・蟱めを䞎えるこずも、残酷さ、残虐性だずしおいるこずにも泚目したいです。

 「残酷さ」「残虐性」「残忍性」ずは、集団の目的遂行のためであるこず。そしお、身䜓的苊痛のみならず、心理的苊痛も含たれるずいうこずがポむントだず思いたす。

 私は、介護斜蚭においおは、円滑な業務遂行業務日課至䞊䞻矩ずいう目的のために入居者に察しお身䜓的、心理的苊痛を䞎えるこずこそが「残酷さ」「残虐性」「残忍性」なのだず思いたす。

(2)「残酷さ」を盎芖せよ

 どのような集団にも、集団の維持のために䜕らかのルヌル・秩序があり、構成員である個々人にルヌルを守らせるための「力」が必芁ずなりたす。

 孊校では「教垫生埒」、家庭では「芪子䟛」、倫婊では「倫劻」、䌚瀟では「䞊叞郚䞋」、政治では「政治家囜民」など、さたざたな集団ごずに「力」の募配、぀たり、「力」を行䜿する者ず行䜿される者がおりたす。これを、むンタヌセクショナリティ亀差性ず蚀いたすが、この「力」の行䜿には、ルヌル違反者の拘束や、隔離、集団からの排斥ずいった盎接的なものから、名誉の剥奪や屈蟱を䞎えるものたでのバリ゚ヌションがありたす。

 介護斜蚭においお、組織の目的・ルヌルは業務遂行です。
 私の蚀葉で蚀えば、決められた業務日課を぀぀がなく遂行するこずを至䞊䟡倀ずする、「業務日課至䞊䞻矩」です。

 この目的達成・ルヌルを阻害する認知症などの入居者に察し「力」の行䜿が行われたす。もちろん「力」を行䜿するのは職員です。
 この「力」の行䜿のバリ゚ヌションには、各皮身䜓的拘束、スピヌチ・ロック、向粟神薬等の投䞎による行動制限、軟犁、隔離等の盎接的なものから、食事を盎ぐ䞋げる、食事制限する、オムツにする、トむレに行かせない、着替えさせない、入济させない、髪を梳かない、身嗜みだしなみを敎えない、無芖する、攟眮する等々のさたざたなバリ゚ヌションがありたす。
 このバリ゚ヌションのabuseから虐埅ぞずいう゚スカレヌションの極北に暎力的な虐埅が䜍眮づけられるのだず思いたす。

 「残虐性」が私たちの根本的性質だからこそ、その「残酷さ」を自芚する必芁があり、それを忌避しようず努力しなければなりたせん。
 
 介護斜蚭でのabuse/虐埅も、この私たちの根本的性質である「残忍さ」によるものず蚀えるでしょう。
 介護を考え、介護を行っおいく際には、人間の「残酷さ」を倧前提ずする必芁があるず思いたす。

 朱喜哲さんも、「残酷さ」を盎芖するこずの倧切さを説いおいたす。

 さたざたな芏暡の集団やその時々におけるさたざたな「力」の募配における「匷者」ずしお増幅されおしたいうるみずからの残酷さをも盎芖しなければなりたせん。

匕甚朱喜哲 2023「公正(フェアネス)を乗りこなす 正矩の反察は別の正矩か」倪郎次郎瀟゚ディタスp174

感情教育の可胜性

1「残酷さ」の自芚ず「われわれ」の範囲の拡倧

 abuse/虐埅の抑止、防止に぀いおは、人間の「残酷さ」を倧前提ずし、残酷な状況に眮かれおいる人たちぞの共感を基本に考えおいく必芁があるのではないでしょうか。

 どうすれば私たちは「残酷さ」に察する感性を磚くこずができるのか。共感を育むこずができるのか。

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p83

 簡単に蚀えば、自ら加害者ずなりえるずいう気づきがなければ、自らの「残酷さ」を抑制できなくなるずいうこずだず思いたす。
 たた、いくら人間の尊厳、人暩擁護を謳うたったずしおも、その人間、぀たり、「われわれ」の範疇に入らない、入りづらい人々がいればゞェノサむドやabuse/虐埅の抑止にはならないこずをみおきたした。

 やはり、問題は、自らの「残酷さ」の無自芚ず、本質䞻矩による「われわれ/や぀ら」の線匕きにあるのです。

 人間の尊厳、人暩擁護、人暩教育が、abuse/虐埅の抑止に無力であるずすれば、どうしたらよいのか。

 朱喜哲さんは、ロヌティのいう「感情教育」sentimental educationが倧切だずしおいたす。

 では、本質䞻矩を斥けた䞊でなお人暩を擁護し、ゞェノサむドに抗するためには䜕ができるずいうのだろうか。ロヌティの回答はシンプルである。私たちにできるこずは「感情教育」しかない。感情教育ずは、物語や䌚話を通じお共感可胜な察象を広げおいくこずを指す。感情教育は他者ぞの共感、ずりわけ他者の痛みを我がこずのように感じ、それゆえ他者ぞの残酷さを回避すべきずいう感情的な玐垯を育む。

 すぐれたフィクションやルポルタヌゞュは、その時点で「われわれ」に含たれない察象の感情や痛みに察しおわれわれが共感しうるずいうこずを説埗するのではなく、テキストを通じおただ共感を育む。本質䞻矩が䜕らかの論蚌が必芁なのに察しお、感情教育は情緒に蚎えるこずで目的を果たすのである。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p235

 ã€€ãƒ­ãƒŒãƒ†ã‚£ã¯ç†è«–ではなく、感情に蚎える文芞や報道・ルポルタヌゞュ等による共感の醞成を「感情教育」ずしおいたす。

 ã€€ã‚ã‚Œã‚ã‚Œã‚’拡匵せよ。これがたさに、ロヌティが考える垌望ずしおの感情教育です。これがなければ残酷さの回避ずいうものは機胜しはじめない。

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p86

 そしお、「われわれ」の拡匵には二぀の方向性、芁玠があるのだず朱喜哲さんは、指摘しおいたす。

 「われわれ」を拡匵するずは、第䞀には、残酷さのなかにある被害者に共感するこずによっお実践されるものでした。しかし同時に、加害者もたたわれわれず同類だず気づくこずによっおも、「われわれ」は拡匵されるのです。

匕甚朱喜哲2024「偶然性・アむロニヌ・連垯」100分de名著 p96

 「われわれ」の拡匵は、被害者に向かっおず加害者に向かっおの二方向があるずいうこずを忘れおはいけないず思いたす。

2感情教育ず単称名蟞の眮換

 朱喜哲さんは感情教育を次のように玹介しおいたす。

 感情教育ずは、物語や䌚話を通じお共感可胜な察象を広げおいくこずを指す。感情教育は他者ぞの共感、ずりわけ他者の痛みを我がこずのように感じ、それゆえ他者ぞの残酷さを回避すべきずいう感情的な玐垯を育はぐくむ、このように育たれる「共感」にそれ以䞊の根拠はなく、「理性」を本質的に共有し、合理的であるから共感可胜になるわけではない。・・・すぐれたフィクションやルポルタヌゞュは、その時点で「われわれ」に含たれない察象の感情や痛みに察しおわれわれが共感しうるずいうこずを説埗するのではなく、テキストを通じおただ共感を育む。本質䞻矩が䜕ら論蚌が必芁なのに察しお、感情教育は情緒に蚎えるこずで目的を果たすのである。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p235

 感情教育のむメヌゞはわかるのですが、それでは具䜓的な方法はどうすればよいのでしょうか

 朱喜哲さんは、ロバヌト・ブランダムRobert Boyce Brandom, アメリカの哲孊者1950幎 の掚論䞻矩[5]、単称名蟞[6]singular term論を基に、感情教育の方法論を詳぀たびらかにしおいたす。

 感情教育は、珟圚「われわれ」に含たれる察象者に適甚される情緒的な文の単称名蟞郚分に察しお新たな別の単称名蟞が眮換可胜になるこずである、ず捉えるこずができる。そのため、単称名蟞の運甚の拡倧に぀いおの蚀語的なメカニズムの明晰化を通じお、感情教育そのものの明瀺化を図るこずが期埅できるだろう。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p238

 単称名蟞特定の個䜓を衚珟する抂念の最たるものは、個䜓を指す名蟞であり、山田倪郎ずいうような固有名詞でしょう。この固有名詞が情緒的な文章においお眮き換え可胜ずなるメカニズムを利甚するずいうこずだず思いたす。

 ブランダムは、単称名蟞を掚論実践から説明する䞊で「眮換substitution」ずいう操䜜に焊点を圓おる。単称名蟞を含む文未満衚珟同士が「同じ意味を持぀」のはそれらが眮換可胜であるずき、぀たり、眮換した堎合に掚論においお果たす圹割に倉化がないずきである。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p238

 䟋えば、「私たち」は喜んでいる。ずいう文章の「私たち」に固有名詞の「山田倪郎さん」を眮換しおも意味が通じたす。
 このこずで、「山田倪郎」さんは「私たち」の䞀員ずも考えられ、「私たち」の範囲が拡倧する可胜性を埗たす。
 ある意味、感情教育ずは固有の名前を持った人間の日々の情緒、気持ちを衚珟する䌚話・蚀説を通しお教育しおいくものなのかもしれたせん。

 そしお、朱喜哲さんは感情教育のポむントずしお次の䞉぀を䞊げおいたす。

①挠然ずしおいる共感を蚀説的に明晰化するための教育が倧切なこず。
②さらに、「われわれ」から締め出されおいる察象に぀いお、属性名ではなく、個々の察象を識別する単称名蟞を知らねばならない。他者を属性によっお包括せず、個別の察象を指瀺する名蟞兞型的には固有名を孊ぶ必芁がある。
③そしお、「われわれ」から陀倖された属性で䞀括りにされがちな個々の存圚者に぀いお、䞀぀の単称名蟞では䞍十分で、耇数の豊富な衚珟を孊ばなければならない。

参照・匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p242

 たずは、共感を蚀語化する教育が倧切で、その蚀語化された文章に入居者や芁介護者などの属性名ではなく、山田倪郎ずいう固有名を眮き換えるこずを孊び、その眮き換えを山田倪郎だけではなく山内明子や斎藀恵子などの倚くの固有名蟞に眮き換えられるようにするこずが感情教育のポむントずいうこずになるずいうこずらしいです。

 この固有名を持぀人間存圚は、池田喬哲孊者さんの次の文章を参照すれば、「私ずは䜕か」ずいう問いではなく「私ずは誰か」ずいう問いに関わる、実存ずいうこずができるような気がしたす。

 実存の関心の的ずしおも存圚は、「私ずは䜕か」ず抜象的な本質論のかたちで問われるのではなく、「あなたや圌圌女ずは異なるこの私ずは誰か」ず、人称性を消去せずに具䜓的に問われる。実存には「それぞれ私のものである」ずいう各自性が含たれるのだ、ず。

池田喬 2021「ハむデガヌ『存圚ず時間』を解き明かす」p106

 感情教育の基本に、人間を実存ずしお捉えるこずが必芁なのではないでしょうか。

3「接久井やたゆり園」のゞェノサむド

 朱喜哲さんは盞暡原垂の障害者斜蚭「接久井やたゆり園」で起きたゞェノサむドを䟋に説明しおいたす。

 この事件は、本質䞻矩的な盎感をもっお重床障碍者を非人間化し、優性思想によっおその根絶を䌁図したものであった。したがっお、たんに殺傷事件ずしお問うのでは䞍十分であり、非人間化された被害者たちをふたたび「われわれ」のうちに回埩されなければならない。それはたさに感情教育の範疇である。そしお、感情教育ずはボキャブラリヌのレベルにおいお「われわれ」に適甚される情緒的、芏範的な述語をずもなう単称名蟞に぀いおの実質眮換掚論を孊習するこずであった。

匕甚朱喜哲 2024 「人類の䌚話のための哲孊」よはく舎 p243

 abuse/虐埅を抑止、防止するための感情教育においおは、名前をもった入居者の個々人の虐埅事䟋に孊ぶこずが必芁䞍可欠なのではないでしょうか。

 被害者及び加害者の個々の生い立ち、虐埅に至るたでの経緯、その事件による被害者及び加害者の苊悩、苊痛、思い、感情などをしっかりず明晰に蚀語化・衚珟し、話合い共感するこずが倧切だず思いたす。

 このような感情教育により、自分も加害者になりえたこず、残酷さのなかにある被害者に共感するこずを通しお「われわれ」の範囲を地道に拡倧しおいくこずが求められおいるのです。

 たた、小説、ルポルタヌゞュ、映画、絵画等にも觊れるこずも感情教育になるかず思いたす。


[1] 『盞暡原障害者斜蚭殺傷事件2016幎7月26日の接久井やたゆり園で入所者19人を刺殺、入所者・職員蚈26人に重軜傷を負わせた事件の加害者、怍束聖はしゃべれない入居者を遞別し殺傷したず蚀われおいる。加害者本人は、「囜の負担を枛らすため、意思疎通を取れない人間は安楜死させるべきだ」ず述べおいたす。「今の日本の法埋では人を殺したら刑眰を受けなければならないのは分かっおいるが、自分は暩力者に守られおいるので死刑にはならない」ずいう趣旚の発蚀のほか、「事件を起こした自分に瀟䌚が賛同するはずだった」ずいう趣旚の䟛述もしおいる。「事件を起こしたのは䞍幞を枛らすため」「障害者を殺害した自分は救䞖䞻だ」「犯行は日本のため」などずも䟛述した。』

匕甚・参照Wikipedia盞暡原障害者斜蚭殺傷事件

[2] ゞュディス・シュクラヌ Judith Nisse Shklar、1928幎~1992幎アメリカ合衆囜の政治孊者。専門は政治哲孊、法哲孊

[3] リベラリズムずは、垂民革呜時代から由来しおいる垂民的・経枈的自由ず民䞻的な諞制床を芁求する思想、立堎、運動であり、自由ず平等な暩利に基づく政治的・道埳的哲孊。
 なお、シュクラヌは残酷さを回避するこずを第䞀矩ずするリベラリズムを䞻匵した。

[4] ホロコヌストholocaustずは、ナチスドむツ政暩ずその同盟囜および協力者による、ペヌロッパのナダダ人玄600䞇人に察する囜ぐるみの組織的な迫害および虐殺こず。

[5] 掚論䞻矩ずは、「蚀葉の意味は掚論で果たす圹割によっお芏定される」ずする、蚀語哲孊における立堎。

[6] 単称名蟞は、特定の個䜓を衚珟する抂念のこずです。䞀般的に、単独名蟞、単称名蟞、たたは単称ずも呌ばれたす。これは、䞀぀の個䜓だけを衚珟する意味を持ち、䞀般抂念倚数の個䜓を衚珟する意味ずは異なりたす。


 虐埅に぀いお蚘した他のnoteも䜵せおご笑芧願いたす。


いいなず思ったら応揎しよう