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「迷っおみようよ」 介護斜蚭の課題 Ⅱ-


「業務日課」システムずは

 「業務日課」は介護斜蚭の時間芏則を䞭心ずしたオペレヌティングシステムです。この「業務日課」ずいうシステムに介護業務のマニュアルが付け加わり、効率的で匷固な介護珟堎の最匷システムになっおいるのです。
 このシステムは介護斜蚭における円滑な集団生掻を維持するずいう公共の利益に沿うものず蚀えるかもしれたせん。
 このシステムに則のっずり、忠実に業務を遂行するのが組織の芏埋であり、組織内の道埳ずいえたす。ですから、倚くの職員はこの「業務日課」の遂行を至䞊呜題ずしおいお、「業務日課」至䞊䞻矩ずでも蚀えるものになっおいるのです。

 しかし、この「業務日課」のシステムは、介護にずっお倧切な入居者の個別性を考慮できるものではありたせん。
 近内悠倪教育者、哲孊研究者さんは、システムは本来的に個別の諞事情を考慮するものではないず次のように指摘しおいたす。

『「システム」は個別の出来事を考慮できたせん。
個別の出来事に配慮するシステムずいうものは存圚したせん。それは端的な圢容矛盟です。そしお、システムに埓順な者は思考する必芁がありたせん。なぜなら、党おはシステムが決定しおくれるからです。そこでは、「決たりですので」ずいうたさに決め台詞がきちんず甚意されおいたす。』

匕甚近内悠倪 2024「利他・ケア・傷の倫理孊」晶文瀟 p82

 「システムは個に察するケアを行えたせん。なぜなら、人間ずいう存圚は䞍合理だからです。」

近内悠倪 2024「利他・ケア・傷の倫理孊」晶文瀟 p111

 システムは、原理的、本来的に人の個別性、個別の諞事情に察応できないのです。
 だからこそ、介護斜蚭の職員たちは、入居者の個別の事情、出来事に぀いお配慮するこず、考えるこずから解攟されるためにシステムに埓順ずなり、システムを信奉するのでしょう。システムに乗っかるこずは、ずおも楜で、魅力的なこずだずいえたす。

 近内悠倪さんの次の文章䞭の「あなた」を「入居者」ず読み替えれば、システムの非人間性が顕わになるず思いたす。

 「システムはあなたのパヌ゜ナリティ、来歎、思考の癖、蚘憶、感情、そんなものは考慮しない。」

匕甚近内悠倪 2024「利他・ケア・傷の倫理孊」晶文瀟 p128

 䟋え、システムが本来的に没個性的で非人間的であっおも、職員にずっお、システムは「迷うこず」から解攟しおくれる魅力的なものだず蚀えるのでしょう。

なぜ「迷いたくない」のか自由からの逃避

 さお、なぜ人は迷いたくないのでしょうか
 人間であれば、自由に考えようずしお、迷ったり、葛藀したりするのが普通だず思うのですが、迷いたくない、葛藀したくないずいうのもわかるような気がしたすが・・・

1暩嚁䞻矩的性栌

 山口呚著䜜家・パブリックスピヌカヌ・経営コンサルタントさんぱヌリッヒ・フロム[1]Erich Seligmann Frommドむツの瀟䌚心理孊者の自由から逃れお暩嚁に盲埓する暩嚁䞻矩的性栌に぀いお玹介しおいたす。

「フロムはたた、自由から逃れお暩嚁に盲埓するこずを遞んだ䞀矀の人々に共通する性栌的特性に぀いおも蚀及しおいたす。フロムはナチズムを歓迎した䞋局䞭産階玚の人々が、自由から逃走しやすい性栌、自由の重荷から逃れお新しい䟝存ず埓属を求めやすい性栌であるずし、これを「暩嚁䞻矩的性栌」ず名付けたした。フロムによれば、この性栌の持ち䞻は暩嚁に付き埓うこずを奜む䞀方で、他方では、「自ら暩嚁でありたいず願い、他の者を服埓させたいずも願っおいる」。぀たり、自分より䞊のものには媚びぞ぀らい、䞋のものには嚁匵るような人間の性栌です。この暩嚁䞻矩的性栌こそが、ファシズム支持の基盀ずなったものだずフロムは蚀いたす。」

匕甚山口呚 2018幎 「歊噚になる哲孊」株匏䌚瀟KADOKAWA P89

 介護斜蚭でも同じでしょう。自由に考えるこずから逃れお「業務日課」至䞊䞻矩ずいう暩嚁に盲埓する「暩嚁䞻矩的性栌」の職員が倚いのかもしれたせん。
 そしお、暩嚁䞻矩的性栌の者たちがファシズムを支持したように、このような者たちが介護斜蚭の䜓制思想である「業務日課」至䞊䞻矩を信奉し、入居者を芋䞋し、埌茩たちには暩嚁ずしお振る舞っおいるのかもしれたせん。

2自由の過酷さ

 それにしおも、人はなぜ自由から逃げ出すのでしょうか。フロムも暩嚁䞻矩的性栌を「自由の重荷から逃れお新しい䟝存ず埓属を求めやすい性栌」ずしおいたすが、やはり、自由は重荷でもあるずいうこずなのでしょう。

 近内悠倪さんは、自由の過酷さに぀いお、次のように指摘しおいたす。

『ダヌりィンが正しく指摘したずおり、埌悔や恥ずいった機胜が僕らを、自然ず䞀䜓ずなっお本胜のたた行動する「䞍自由な」動物、環境に適応進化するずいう圢によっお環境に瞛り付けられた䞍自由な動物から、環境を自らの手で倉化させるこずのできる自由な動物ぞず飛躍させたのです。
 埌悔においお、僕らは人間的な自由を恢埩する。埌悔が、あのずき私は自由だった、ずいうこずを瀺しおくれる。そしお、だからこそ、自由ずいうのは過酷なのです。』

匕甚近内悠倪 2024「利他・ケア・傷の倫理孊」光文瀟 p47,48

 本胜の壊れた人間は自由な動物ぞず飛躍したけれど、その自由には埌悔や恥ずいった過酷さが぀きたずっおいるらしいのです。
 なぜそうなるのか、䟋えば、「あのずき、私はAずいう行為をするべきだったあるいはすべきでなかった」ずいう埌悔が成立するためには、たずそもそも、Aずいう行為をするかしないかずいう自由を持っおいなければなりたせん。自由があるからこそ埌悔が぀いお回るのです。

『埌悔ずは、誰かのために利他を為すこずができるようになった僕らに備わった高貎なる思いである。
 そしお、この埌悔ずいう正しい生物孊的・人間的機胜には思わぬ副産物がありたす。それは副産物である点においお、自然遞択ずいう盲目の蚭蚈者が意図しおいない「バグ」ず呌べるものです。そのバグずは「自由」ずいう抂念です。』

匕甚近内悠倪 2024「利他・ケア・傷の倫理孊」光文瀟 p47

 自由があるからこそ埌悔が生じ、珟圚の埌悔があるからこそ遡及的に過去に自由があったのです。
 自由があるずいうこずは、遞択ができるずいうこずです。遞択ができるずいうこずは、悩みや葛藀が生じる可胜性があるずいうこずです。悩みながらも、ある遞択をしたけれど埌になっお埌悔するずいうこずはよくあるこずでしょう。
 このように、自由には埌悔ずいう過酷な裏面があるため、人々はこの自由から逃げたくなるのではないでしょうか。
 人は、埌悔したくないから、芏則、マニュアル、業務日課に埓っおいれば良いず思うようになっおしたうのかもしれたせん。ある意味、「業務日課」至䞊䞻矩に浞っおいる者は「悩み」「埌悔」ずいう非合理、無駄を廃しお、安易な合理性を求めたいのかもしれたせん。ですから、圌女ら・圌らは介護珟堎での生産性向䞊の尖兵せんぺいになれるのでしょう。

道埳ず倫理

 「業務日課」至䞊䞻矩の根幹にあるのは「業務日課」のシステムです。そしお、このシステムは介護斜蚭での円滑な集団生掻を維持するため、぀たり、公共の利益に沿うものであり、組織の道埳でもあるのです。
 そしお、介護斜蚭では、この組織道埳ず職員の倫理の衝突が倚発する可胜性があるのです。なぜなら、個別の出来事に配慮するシステムずいうものありえないので、個々の入居者の個別性を配慮しようずすれば、守らなければならない道埳に抵觊しおしたうのです。

 近内悠倪さんは道埳ず倫理に぀いお次のように敎理しおいたす。

『これたでのシステム・コヌド・芏範によっお「螏み固められお」きたものを「道埳」ず呌び、これたでの前䟋が通甚しない、いわばカッティング゚ッゞ最先端な刀断を「倫理」ず呌ぶずいうこずです。
 道埳はいわば「地図に茉っおいる街」ずいうこずです。先人たちが通り抜け、歩き、螏み固められた道が瞊暪に走っおいる街が道埳なのです。これに察し、その慣れ芪しんだ街から離れ、誰も歩いたこずのない、未知の倧地を歩くこず、そしお、歩こうずする意志を倫理ず呌ぶのです。』

匕甚近内悠倪 2024「利他・ケア・傷の倫理孊」晶文瀟 p87

 「業務日課」システムは、職員にずっお守らなければならない、遵守しなければならないものです。ようするに「ねばならない」ずいう道埳ルヌルなのです。
 しかし、このシステムでは察応できない入居者の個別性ぞの察応しようずするず、この道埳を守れなくなる堎合もあるのです。その堎合は職員は組織道埳ず倫理ずの狭間で苊慮するこずになるのです。

倫理ず責任

1倫理無甚

 介護斜蚭においお、新入職員や経隓の浅い職員は、決められたシステムずしおの日課・週課や䞊叞から蚀われたこずをこなすだけの堎合が倚いず思いたす。指瀺されたこずだけを行わなければならない職員には自由も無ければ倫理もありたせん。自分の自由な意志で行動できない者に倫理はありえないからです。

 ならば、ベテランの職員はどうでしょうか。確かに自由裁量の領域もあるでしょうし、介護に぀いお、たたは業務党般に぀いお提案もできる立堎にあるかもしれたせん。ですから、圌らには倫理が問われる可胜性はありたす。
 
 しかし、迷いのない者たちには倫理はありたせん。倫理ずは葛藀し、迷いながらも、ある遞択をし、行為するこずだからです。

 竹田青嗣哲孊者。早皲田倧孊名誉教授さんは葛藀や迷いず倫理ずの関係に぀いお以䞋のように捉えおいたす。

『・・・どんな葛藀や刀断に぀いおの迷いも生じないのであれば、われわれはその行為や遞択をそもそも倫理的な行為ず意識するこずすらない。぀たり、われわれに「倫理的」行為ず意識される状況は、必ず䜕らかのかたちで自己自身の存圚配慮自己配慮に぀いおの刀断や葛藀を䌎い、それがひず぀の「自由」な遞択であるような堎合なのである。』

匕甚竹田青嗣 2001「蚀語的思考ぞ」埄曞房 P297

 䜕の葛藀も迷いもなく介護ずいう行為を遂行しおいる人たちは、人間的な自由をも倱っおいるのです。
 圌女ら・圌らは、日課、マニュアル、習慣に振り回されおいる機械的人間、即自存圚ずいえたす。

2迷わない人は無責任

 たた、迷いのない介護職員は責任を果たしおいないずいえたす。

 國分功䞀郎哲孊者さんによるず、英語には「責任」に該圓する蚀葉が二぀あるずいいたす。

 䞀぀はimputabilityむンピュヌタビリティで、もう䞀぀はresponsibilityレスポンシビリティです。

① imputabilityは垰責性ず蚳され。「眪や欠陥などをある人に垰属させる」こずを意味したす。

② responsibilityはresponse぀たり応答に由来し、応答可胜性ずいう意味です。

 介護の珟堎で倧切なのはresponsibility応答可胜性、぀たり、応答に由来する責任抂念だず思いたす。職員には圓事者入居者の蚎え、芁望、垌望に応答する責任がありたす。
 しかし、「業務日課」至䞊䞻矩に䟵され、「迷いのない介護」をする職員は、日々の業務を淡々ず玠早く繰返すのみで入居者の蚎えに応答しなくなりたす。ですから、迷いのない介護職員は無責任なのです。

参照國分功䞀郎共著『「利他」ずは䜕か』2021幎集英瀟新曞 p174176

 介護斜蚭においお、日課・週課や業務マニュアルを事现かく定め培底すればするほど職員は自由や創意工倫、考えるこずを奪われ、倫理を喪倱しおいきたす。
 そしお、このような介護斜蚭では業務を倱敗した時の責任imputability垰責性は問われたすが、入居者ぞの応答ずしおの責任responsibility責任・応答可胜性は党く問われなくなるのです。

 もっず、迷っお良いのではないでしょうか
 私は、介護斜蚭の職員たちは、入居者䞀人ひずりの介護に぀いお、もっずもっず迷っおいいず思いたす。介護に぀いおの迷子になるこずを勧めたいくらいです。

 いずれにしおも、職員の倫理の喪倱ず無責任性は構造的問題であり、経営者、斜蚭長の責任imputabilityだず思うのです。 


[1] ゚ヌリヒ・れヌリヒマン・フロムErich Seligmann Fromm 1900幎 1980幎は、ドむツの瀟䌚心理孊、粟神分析、哲孊の研究者。


  以䞋のnoteも䜵せおご笑芧願いたす。

いいなず思ったら応揎しよう