「本人らしさ」を倧切にする介護 No5(終莅沢で「䜿甚䟡倀」重芖の介護


「本人らしさ」「私はこれが奜きなんだ」

(1)「楜しい」ずは享受の快

 「楜しい」ずか「楜だ」ずいう事態の䞭に「本人らしさ」「自分らしさ」぀たり個性が宿っおいるのですが、介護の珟実は、日垞のすべおの掻動を「必芁目的手段」構造のなかに閉じ蟌め、自立ずいう目的に還元される生ずなっおいるこずが倚いのです。これでは、ずおも人間的で豊かな生ずは蚀えたせん。
 國分功䞀郎さんも次のように指摘しおいたす。

 人間の生がそのあらゆる地垯を目的‐手段連関によっお占領され、目的ずは無関係である享受の快のための地垯が倱われれば、そこに珟れるのは、享受の快を剝奪された生に他ならない。あらゆるものが目的のための手段ずされる生である。

匕甚國分功䞀郎 2025 「手段からの解攟」新朮新曞Kindle版 p77 匷調は祐川

 國分功䞀郎さんの䞊蚘の文章䞭の「享受の快」を「楜しみ」「喜び」ず読み替えるこずができるず思いたす。
 人生の黄昏時を「本人らしく」「楜しく」「楜に」「ゆったりず」生きるためには、目的に瞛られ手段化された「珟圚」から離脱しなければならないでしょう。

「目的のために䜕かを犠牲にするこずのない人生、行為を䜕らかの目的のための手段をみなすようなこずの決しおない人生」

匕甚國分功䞀郎2023「目的ぞの抵抗」新朮新曞 p172

 ã€€ã€Œæœ¬äººã‚‰ã—く」生きるずいうこずは、自立ずかいう未来の目的に向けたむンストゥルメンタル手段的な「珟圚」ではなく、コンサマトリヌ即自充足な「珟圚」を生きるこずでしょう。
 「本人らしく」生きるこずは、「ゆったりずした」「リラックスした」「心躍る」「楜しい」経隓に結び付いおいるものなのです。

 玔粋に味わうために食事をし、楜しむためにレクレヌションをする。心を䌑めるため、心躍らせるために音楜を味わう。

 「享受の快」ずはただ単に、楜しむために楜しむこずではないでしょうか。
 人生の黄昏においお「心躍る」「楜しい」「ゆったりずした」経隓ができる、そんな介護サヌビスを利甚したいものです。 

(2) 普遍性がない固有性

 「奜きだ」ずか「楜しい」には普遍性がありたせん。普遍性ずは誰にでも圓おはたるずいうこずです。「私は〇〇が奜きだ」には普遍性がないので、すべおの人が「〇〇を奜きにならなければならない」ずいうこずはないのです。だからこそ「奜きだ」ずか「楜しい」ずいうこずが「本人らしさ」、぀たり、人間の個別性、固有性、個性に盎結しおいるず蚀えるのです。 
 この蟺の事情に぀いおは國分功䞀郎さんは、次のように説明しおいたす。

「俺はこれが奜きなんだ」ずいう刀断には、たったく普遍性はない。しかし、そのように断蚀できる人間は、自分に固有の意味を持っおいる。その人は、享受の快の受け取り方を知っおいる人間である。自分に固有の趣味をも぀人間は、䜕もかもを目的のための手段ず芋なす病的な日垞から抜け出しお、快適なものを享受する術を知っおいる。たた、享受の快を経隓したからこそ、それを自らの楜しみだず知るこずができるずすれば、享受の快は、その人間に固有の趣味をもたらすものであるずも蚀うこずができる。

匕甚國分功䞀郎 2025 「手段からの解攟」新朮新曞Kindle版 p73

 「私はこれが奜きなんだ」ずいう普遍性のない玔粋で恣意的な想いこそが「本人らしさ」「私らしさ」なのだず思いたす。目的に汚染されおいない端的な「奜きだ」「楜しい」「リラックスできる」「おち぀く」ずいう「快適なものの享受」「享受の快」を経隓できるように配慮するこずが「本人らしさ」を倧切にする介護ずいうこずなのでしょう。ここで蚀う 「享受の快」ずいうのは、ただ単に享受するこずだけが目的だずいうこずを衚珟した蚀葉です。

莅沢を尊重する介護

1「本人らしさ」を尊重する介護は「莅沢」を尊重する介護

 「本人らしさ」の根底には、普遍性のない、䞻芳的、恣意的な「享受の快」、぀たり「楜しさ」ずかがあるず考えられたす。しかし、公的介護保険制床の䞋での介護では、このような、ただ単に「奜きだ」ずか「楜しいずか」ずか「快適だ」ずかいった䞻芳的に過ぎない欲求は瀟䌚的承認を埗られないこずも倚いでしょう。
 介護サヌビスを受けおいる人の「楜しさ」「享受の快」などは、介護保険の範囲倖であり、「莅沢」極たりないものであり、無駄で䞍必芁なものです。
 「本人らしさ」を尊重する介護ずは「莅沢」な介護ずいうこずかもしれたせん。
 確かに「莅沢」は無駄で䞍必芁なものです。國分功䞀郎さんも次のように指摘しおいたす。 

 莅沢ずは䜕か。それは必芁の限界を超えた支出である。
 この堎合、必芁ずは人間が生存しおいくために最䜎限なくおはならないものを意味しおいる。必芁を超えた支出なのだから、莅沢は䞍必芁である。・・・
 ぀たり、もっず匷い蚀葉を䜿っお蚀えば、莅沢ずは無駄である。

匕甚國分功䞀郎 2025 「手段からの解攟」新朮新曞Kindle版 p14

 「本人らしさ」を尊重する介護を考えるずき、この無駄で䞍必芁な「莅沢」ずは䜕かに぀いお考えおみる必芁がありそうです。

2莅沢は消費ではなく浪費

 國分功䞀郎さんは単に人間が生存しおいるこずず、人間が人間らしく生きるこずを区別するためには「莅沢」ずいう抂念が必芁だず指摘しおいたす。さらに、この「莅沢」ずいう抂念を捉えるために同氏はフランスの哲孊者、ゞャン・ボヌドリダヌル[1]Jean Baudrillardの「消費」ず「浪費」の抂念を玹介しおいたす。

 ã€€å®Ÿéš›ã€ã©ã‚“な瀟䌚でも豊かさを求めたし、莅沢が蚱された時にはそれを享受しおきた、ずボヌドリダヌルは蚀っおいたす。あらゆる時代においお、人は買い、所有し、楜しみ、䜿った。「未開人」の祭り、封建領䞻の浪費、19䞖玀ブルゞョワの莅沢・・・他にもさたざたな䟋が挙げられるでしょう。・・・莅沢を享受するこずを「浪費」ず呌ぶならば、人間はたさしく浪費を通じお、豊かさを感じ、充実感を埗おきたのです。

匕甚、参照國分功䞀郎2023「目的ぞの抵抗」新朮新曞p134

 豪勢な食事ずか仕立おのよい衣装等のいわゆる「莅沢」ずは、人間の生存にずっおは必芁でないもの、䜕らかの限界を超えた支出であり「浪費」ですが、限界を超えお物を受け取るわけですから「浪費」は満足をもたらしたす。そしお、満足したら「浪費」は止たりたす。

 それでは浪費ずは違う消費ずは䜕か。國分功䞀郎さんはボヌドリダヌルの消費抂念を次のように玹介しおいたす。 

 『20䞖玀になっお人間は突然党く新しいこずを始めた、ずボヌドリダヌルは蚀いたす。それが「消費」です。』

 『浪費には終わりがある。ずころが、消費には終わりがありたせん。なぜか。浪費の察象が物であるのに察し、消費の察象は物ではないからです。消費は芳念や蚘号を察象ずするものだずボヌドリダヌルは指摘したす。』

 『消費においお人は物を受け取らない。食事を味わっお食べお満足するこずよりも、その食事を提䟛する店に行ったこずがあるずいう芳念や蚘号や情報が重芁なのです。そしお芳念や蚘号や情報はいくら受け取っおも満足を、぀たり充満をもたらさない。お腹がいっぱいになるこずはない。だから止たらない。』

匕甚、参照國分功䞀郎2023「目的ぞの抵抗」新朮新曞p134~137

 具䜓的に蚀えば、「消費」ずは、䟋えばブランドを買いあさったり、ミシュランガむドに茉っお飲食店を食べ歩いたりするようなこずです。買っおいるのは「ブランドを持っおいる」ずいう芳念・蚘号であり、「有名店で食事した」ずいう芳念・蚘号なのです。
 國分功䞀郎さんは人間らしい生に必芁なのは「消費」ではなく、目的なるものからの逞脱であり、「浪費」ずしおの「莅沢」だずしおいたす。

 「楜しんだり浪費したり莅沢を享受したりするこずは、生存の必芁を超え出る、あるいは目的からはみ出る経隓であり、我々は豊かさを感じお人間らしく生きるためにそうした経隓を必芁ずしおいるのです。必芁ず目的に還元できない生こそが、人間らしい生の栞心にある。」
 「人が莅沢をするのは、それがよろこびをもたらすからです。矎味しい食事を食べるのは、それが矎味しいからです。莅沢は䜕らかの目的のためになされるものではありたせん。」

匕甚國分功䞀郎2023「目的ぞの抵抗」新朮新曞 p152 匷調は祐川

 「莅沢」ずは䜕らかの限界を超えた支出であり、人間の生存にずっおは必芁ではないものですが、「莅沢」は豊かさや充実感を感じるためには䞍可欠なものなのです。この「莅沢」を「本人らしさ」ず読み替えるこずは可胜でしょう。

  「本人らしさ」を尊重する介護  「莅沢」を尊重する介護

 「本人らしさ」を尊重する介護ずは、介護保険制床の限界を超えた介護であり、人間の生存にずっおは必芁ではないものですが、「本人らしさ」を尊重する介護は圓事者お幎寄りが豊かさや充実感を感じるためには䞍可欠なものなのです。

 すべおの掻動を「必芁目的手段」構造のなかに閉じ蟌めたり、目的に還元したりせず、次のような人生を目指したいず私は思いたす。

「目的のために䜕かを犠牲にするこずのない人生、行為を䜕らかの目的のための手段をみなすようなこずの決しおない人生」

匕甚國分功䞀郎2023「目的ぞの抵抗」新朮新曞p172

 「莅沢」を尊重する介護、「本人らしさ」を尊重する介護は、未来の目的に向けたむンストゥルメンタル手段的な「珟圚」ではなく、コンサマトリヌ即自充足な「珟圚」の豊かな生き方を支揎するものです。
 圓事者それぞれの「莅沢」「奜き嫌い」「嗜奜」を掞察し、生掻を最おす「莅沢」を取戻すこずができなければ介護斜蚭などにおける「剥き出しの生」[2]は今埌も続いおいくこずでしょう。

 人生の黄昏においお「心躍る」「楜しい」経隓ができ、萜ち着いおリラックスできる「本人らしさを」倧切にしおくれる「莅沢」な介護を誰もが望んでいるず思いたす。

䜿甚䟡倀を倧切にする介護

 「本人らしさ」を尊重する介護は資本䞻矩瀟䌚の䞭で日垞生掻党䜓が手段化されおいくこずぞの抗あらがいでもあるず思いたす。

 ã€€ã€ãŸã‚Šã€ã€Œæœ¬äººã‚‰ã—さ」を尊重する介護、消費ではなく「莅沢」を尊重する介護は資本䞻矩瀟䌚の䞭で日垞生掻党䜓が資本増殖、金儲けのために手段化され、生産性向䞊ずか効率化ずかが叫ばれおいる昚今の殺䌐ずした珟代瀟䌚ぞのささやかな抵抗でもありたす。
 ぀たり、「莅沢」を尊重するずいうこずは、すべおの商品、サヌビスを亀換䟡倀、お金で枬るのではなく、制䜜物やサヌビスの基盀にある䜿甚䟡倀に光を圓おるこずでもありたす。すべおの商品がお金で枬られる珟代瀟䌚にあっお、サヌビス商品を玔粋に盎接的に「楜しむ」いう経隓、「享受の快」は「䜿甚䟡倀」ぞの気づきに぀ながっおいるず思いたす。
 䜿甚䟡倀value in use, use-valueずは、物やサヌビスの持぀さたざたなニヌズを満たすこずができる有甚性を指したす。

 斎藀幞平哲孊者さんは介護劎働の特性を䜿甚䟡倀に芋おいたす。

 ケア劎働の郚門においお、オヌトメヌション化を進めるのはかなり困難である。ケアやコミュニケヌションが重芖される瀟䌚的再生産 の領域では、画䞀化やマニュアル化を培底しようずしおも、求められおいる䜜業は耇雑で倚岐にわたるため、むレギュラヌな芁玠が垞に発生しおしたう。このむレギュラヌな芁玠はどうしおも排陀できないため、ロボットやAIでは察応しきれないのである。これこそ、ケア劎働が「䜿甚䟡倀」を重芖した生産であるこずの蚌である。䟋えば、介護犏祉士は単にマニュアルに即しお、食事や着替えや入济の介助を行うだけでない。日々の悩みの盞談に乗り、信頌関係を構築するずずもに、わずかな倉化から䜓調や心の状態を芋お取り、柔軟に、盞手の性栌やバックグラりンドに合わせおケヌスバむケヌスで察凊する必芁がある。」

斎藀幞平 2020 『人新䞖の「資本論」』集英瀟新曞 p313 匷調は祐川

 この「䜿甚䟡倀」を倧切にする介護ずは「莅沢」を倧切にする介護でもあり、「本人らしさ」を倧切にする介護なのだず思いたす。
 今だけ、自分たちだけ、お金だけの珟代瀟䌚においお「本人らしさ」を倧切にする介護は違う瀟䌚構想ぞの入り口に圚るものかもしれたせん。

 たた、珟代に至るたで倚くの方々の努力ず犠牲によっお、人皮や性別、囜籍、宗教、䟡倀芳など、さたざたな属性、倚様性を持った人々が共存しおいる状態、ダむバヌシティdiversityが培぀ちかわれおきたした。
 この倚様性の蚱容、寛容が「本人らしさ」を倧切にする基盀ずなっおいたす。
 しかし、今、アメリカでは、トランプ2.0がこのダむバヌシティを吊定し打ち壊そうずしおいたす。日本でもこのような倚様性を認めない䞍寛容な颚朮が急速に広たっおいくず思われたす。
 だからこそ、「本人らしさ」を倧切にする介護が、今、必芁なのだず私は思っおいたす。


 介護劎働ず資本䞻矩に぀いおは以䞋のマガゞンを参照ください。


[1] ゞャン・ボヌドリダヌルJean Baudrillard、1929幎~2007幎は、フランスの哲孊者、思想家。『消費瀟䌚の神話ず構造』1970は珟代思想に倧きな圱響を䞎えた。ポストモダンの代衚的な思想家。
[2]剥き出しの生ずはゞョルゞュ・アガンベン Giorgio Agambenの蚀葉
以䞋のnote参照


 ã€Žã€Œæœ¬äººã‚‰ã—さ」を倧切にする介護』はシリヌズです。


いいなず思ったら応揎しよう