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かくして、僕は今日も昭和映画館に足を向ける。

今より、ずっと混沌としていた時と街で、
僕は映画の森の中を彷徨い、何かを探し続けていた。
何を、って?
それが分かっていたら、あんなに映画に夢中になれるわけない。
けれど、求めているものが、そこにあって、いつか見つかる気がした。
だから僕は今日も、ポケットの中の期待と不安が溶け合った感情を握りしめて、昭和映画館に足を運ぶ。

第1回 「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」
第2回「さらば友よ」
Column #1 かくも主観的なハードボイルド考察
Column #2 またも主観的「さらば友よ」タイトル比較論
第3回「モナリザ」
Column #3 私的モンティ・パイソンとイギリス・ギャグ論
第4回「未来世紀ブラジル」
Column#4 無能な夢想家の私的ベストな映画論
第5回「アメリカン・グラフィティ」
Column #5 コッポラ監督に何を期待するのか私的論 Part1
第6回「太平洋の地獄」

第6回「太平洋の地獄」Part3

世界で最初に汎用型のフィルムカメラが発売されたのは1888年。もちろん、現在もフィルムカメラは現役だが、画像を残すという目的では2000年初頭から使われ始めたデジタル技術が圧倒的なシェアを占めており、フィルムを使って写真を撮るのはもはや、ニッチな趣味となっている。
フィルムやそれから現像したプリントはきちんと保管しないと劣化する。今後、フィルムの世界が狭まることは間違いなく、そうなるとフィルムの現像や修復、再生はますます困難になる。
だから、残されているフィルムやプリントは、何が写っていようと、その存在だけでも貴重なのだ。
かくして、私は押し入れにしまっておいた、私が撮影した膨大なフィルムのデジタル化に取り組むことにした。もちろん、保管に関してデジタルがフィルムに勝る、とは限らないが、今の時代、フィルムの画像を使うにしてもデジタル化しなければならないので、早いに越したことはない。
ついで、といっちゃなんだが、母の古いアルバムもデジタル化してTVで見せてやったら喜ぶだろうと思って取り出してみた。
そこでようやく、リー・マーヴィンに親近感を覚えていた理由が分かった。
母方の父、つまり私の祖父が、よく似ているのだ。

祖父と祖母。この面影には記憶があるから、50年ぐらい前のプリントだろう。意外と状態が良い。

母や母の妹、つまり私の叔母から聞いた話だが、祖父は先見の明があったらしい。若い頃、地元で鉄道駅を起点としたバス会社を経営、その路線が活性化すると大手のバス会社に路線ごと売却し、その資金で土地を購入、すると今度は世界的に有名となった家電メーカーが工場を設立するためにその土地を購入、相当な財を成したそうだ。
普通の男なら、そこで成金趣味に走るところだが、祖父はいたって質素な暮らしを好んでいて、わずかばかり残した土地を田にして米を作っていた。農夫だ。
私から見た祖父は、威厳があった。
怖くはないし、物静かだ。私を怒ったことなんて1回ぐらいしかない。けれど、母と祖父、祖母の家に行った時は最初に正座して祖父に挨拶するのが慣わしだった。
祖父よりも祖母が大好きだった。
とにかく優しい。私の大好きな食べ物をいつも用意してくれる。セミの鳴く季節、昼間はスイカを切ってくれ、夜は蚊帳を吊ってくれて寝るまで枕元にいてくれた。

祖母の若い頃。左は祖母の母だろう。仲居前だとしたら80年以上経過しているプリントだ。

そんな祖父と祖母の出会いを叔母が私に話してくれたことがあった。
祖父がバス会社の経営で儲かっていた頃、地元から近い温泉旅館で芸者をあげて派手に遊んでいたそうだ。
へえ、祖父にもそんな時代があったんだ?なんて思っていたら、祖母の行動の方が凄かった。
その旅館で仲居さんをしていた祖母が、あまりにどんちゃん騒ぎでうるさかったので、嗜めに乱入した、というのだ。もちろん、祖父はその剣幕に返す言葉がなくうなだれた、という。
威厳のある祖父、優しい祖母。けれど、そんな2人の意外な一面を聞けたのが、とても嬉しく、楽しかった。まあ、そんなところは絶対に孫には見せないだろうけれど。

祖父は旅行とカメラが好きだったようで、次々に旅行のスナップが出てくる(もしかしたら、私には祖父からの隔世遺伝が宿っているのかもしれない)。堅苦しい表情は相変わらず多いが、その中で、たぶん小さい頃の母や、その妹を抱いている顔が綻び過ぎていて可笑しい。
そのうち、見慣れない、古い小さな写真が出てきた。

縦5cm、横7cmほど。建物の前の瓦礫が気になる。

ロシア語だ。読めない。
それからこんな写真。

誰だろう?祖父ではない…。

こんなの、とか…。

後ろの建物の屋根はクーポル。ロシア建築の特徴。

こんなの、も…。もちろん祖父ではない。

小さな子供が中折れ式リボルバーを平気で持っている…。

これはポストカードに印刷されていた。どこかへ送るつもりだったのだろうか?これも祖父ではない…。

軍服ではなく豹柄のコート。寒いのは分かるが…。

これも小さい写真。画像が荒くてもはや祖父なのかどうかも分からない。

後ろに咲いているのは桜だろうか?

これは祖父がバス会社を立ち上げた時の写真だろう。すでに平服だ。

下段、右から2番目が祖父。

なんて書いてある?
読めない。
もしかして、哈爾賓?
それなら辻褄が合う。
だとしたら、これらのプリントは100年近く前の写真だ。

おそらく関東軍のハルビンに駐在した憲兵隊だろう。
他にも陸軍の軍服姿の写真があり、それらの中には朝礼や兵士たちがユニフォームを着て野球に興ずるものもあった。
最後の写真を見ても、車の古さ、まだ陸軍の軍服姿が多くいることなどから、太平洋戦争後ではなく、日露戦争後で満州事変の前。
その時代のハルビンに、祖父は軍人として、いた。

祖父が亡くなったのは私が高校2年生の時。
今でも鮮明に覚えている。
剣道部の夏の合宿のある日、夜、同年の部員とこっそりタバコを吸いにいった後、顧問に呼び出された。てっきり、タバコがバレたのかと思ったら、祖父の訃報だった。

祖父から戦争の話を聞いたことがない。
幼い私に話したところで理解できないし、私も興味を示さなかっただろう。
では、今なら?
聞きたいことが山ほどある。

…祖父は、話してくれるだろうか?

2026年、夏。
私なりの、戦争への振り返り方。

左が祖父。なぜか右手を隠している。右の平服の男はいかにもスパイって雰囲気。

『太平洋の地獄』終わり





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