王朝交代?古代の継体天皇とは1
文字の当て方が気になる継体天皇
古代に継体天皇(450?~531)という天皇がいて前から気になっていましたので、何回かに分けてこの天皇に関連する記事を書いていきたいと思います。名前がね・・・気になるんですよ。
厳密にはこの人が存命時に「継体」という名であったわけではありません。「○○天皇」という呼称は崩御後に後世の人がつけた諡号にあたるものです。つまり、継体天皇の生前の軌跡を偲び、当てられた名前ということです。
で、それが「継体」ということなんですが。。。
「体を継ぐ」という字を当てるとはどういうことなのか?すごく気になったわけです。他の天皇の名前と比べてみても異様な意味がこめられていそうに思えませんか。
出自の怪しさ・新王朝説
先代の武烈天皇の子に男子がいませんでした。しかも武烈天皇は皇位継承で揉め、近縁にも王位継承の適任者がいないという状況にありました。そこで、遠縁の男大迹王(をほどのおおきみ:継体天皇)が越前(福井あたり)から呼びよせられ、天皇に即位したということになっているんですが、即位が決まってから朝廷のある大和に入るまでに19年の時を要したようです。
先代の武烈天皇は25代目とされていますが、継体天皇は15代前の応神天皇の傍流の家系で、応神天皇の5世の来孫ということになっています。5世代も離れているともはや親戚という感覚もないような印象を受けますね。

ということでやはり、学説としても王朝交代説というのがあります。本当は皇族じゃなかったのではないか、武烈天皇までの王朝が滅び、実は別の王朝である継体天皇による王朝が立ったのではないか、という説です。
このテーマで私が興味のあること
今後の記事で、2回くらい同テーマで後続の記事を書くつもりです。予告を兼ねて、継体天皇関係で私が興味を持った論点を挙げておきます。当初知らなかったけど調べてみたらわかった面白い事実というのもあります。
新王朝説は正しいのか
実はこの話は割とすんなり決着がつくんですが、一番最初の興味の部分ですし、まずはここから掘り下げします。なぜ越前から迎えられたのか
個人的にはここがかなり気になりました。これまでも、この後も、日本史で越前という場所が歴史の表舞台に出ることはほとんどないのに、なぜここだけ登場するのか。基本、古文書のような史料は政治的な記録物であり、政治に関係しないことはほとんど書かれません。時代が古くなるほどそういう傾向があります。でも世の中は政治とは関係ないところで回っているものです。こういうところが、当時の社会の奥行きを理解する際に結構重要だと思っています。当時の豪族の力関係
調べてみると何となく見えてきたことですが、継体天皇即位劇では豪族の力関係が背景に見え隠れします。豪族といえば、乙巳の変(大化の改新)で暗殺された蘇我氏がまず浮かびます。古代の最有力豪族のような印象があるんですが、実はこの時代は必ずしも最有力ではなかったようです。継体天皇即位の背景的なところに、当時の有力豪族の駆け引きのようなものが垣間見られます。磐井の乱
継体天皇即位の直後に北九州で起きた大規模な反乱です。この変事も当時の政権運営を掘り下げる上で重要なヒントが隠されているように思えます。
前半2項目と後半2項目でそれぞれ1記事のようなペースでかければと思います。
続編記事書きました。思ったより長くなってしまい、新王朝説の真偽の考察だけで一本としています。
