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今暫く古代史に浸からざるをえず

前回、気になる雄略天皇を深掘りすることなく、テーマを奈良時代に移す方針で記事を書く宣言をしました佐玖です!

早くも決意が揺らいでますすみません

大宝律令に入る前に、大化の改新にあたっての諸政策は理解しておかないとと思っていまして、論点整理とかやってました。主に改新の詔で示したとされる以下の政策なんか、重要な論点になりますね。

  • 公地公民の政治理念

  • 戸籍・計帳

  • 班田収授

  • 国史・郡司配置による地方行政

  • 租庸調の税制

  • 交通制度

  • 官制


ですが・・・、


もうね、初っ端の公知公民のところで挫折しましたよ。ここを論じようと思ってすぐ、「あ、古代の理解が足りてない」てなった。

私が日本史の記事を書く上で、オリジナリティというか、大事にしたいと思っているのが、史実を自分の肌感で理解できるまで分析して論じる、という姿勢です。各々の史実に対して、今を生きる自分の感覚で腹落ちできるか、を何よりも優先しています。

その感覚でみて、公地公民が早速ダメでした。ビジネスの目線で見て成り立たない。

何が駄目かって、公地公民は今まで各豪族が領有していた土地と民を天皇のもの(=大和王権のもの)とし、だから王権のものである土地と民に対して租庸調の徴税もする、というものです。

まあ王権側のモチベーションは分かります。統一国家作りたいし、財源確保したいし、やれるってんならそりゃやります。

でも、豪族側は?これを受け入れて何のメリットがあるのか。一方的に自分の領地を差し出す話になってるよね。何のメリットもありません。

もう少し後の時代のことも視野に入れて論じると、実際メリットがないので公地公民は破綻していくことになるんですが、にしても一時的にでもこんな政策がまかり通れたのはどうしてか。

私にとっては、史実を理解するにあたり、そういうところを納得したい、腹落ちしたいという思いがあります。

で、そうするとそれがあり得そうな状況というものはどんな状況か、というのをいろいろ想像してみることになります。既に類似の制度が出来上がっていたとか、外交的な危機感を共有していたとか、この辺の理由が重なっているのかな、というような推論に思い至ります。

外交の方は比較的分かりやすいです。仲良しだった朝鮮半島南端の加羅が滅び、次に信頼関係を作ってきた百済も衰退している状況下です。

ですが、その理由だけでは足りない感覚です。九州とか西側はそれでも十分な理由になりますが、東側は?
瀬戸内、畿内、以東の各地が同じ危機感を共有するかといったら、それは別の話ではないでしょうか?

今の社会なら、「日本の危機」があればその感覚を日本全国で共有できるでしょうが、当時は事情が違います。地域が異なれば、国が異なるに等しいからです。

史実に対し、今の自分の肌感を重視すると書きましたが、自分の感覚と同時に現代の前提をその時代に持ち込まない注意も払うべきです。今の日本は、一応全土で一つの国という認識がありますが、古代は違うということに注意しないと当事者としての感覚がズレてしまいます。

九州で感じる危機を畿内が同じように感じるとは限らないです。中部地方なんかもっと鈍感だったと思える。倭国は統一王朝ではないので、各地は実質別の国、要は対岸の火事だからです。

そう考えると、外交事情以外にも公地公民が成立しうる支援材料が必要になってくる。それが、先ほど触れた、既に類似の制度が出来上がっていたから可能だったのでは、という推測です。

そう思ったときに気付くのが「屯倉制度」です。屯倉制度というのは、大和王権の直轄領を指します。これが継体天皇の次の代で急拡大しています。広域に30ヶ所ほどの地域に屯倉が設置されています。

この屯倉の設置というのは、空白地を直轄領にしたわけではなく、在地の豪族の領地の一部を大和王権が接収しているわけです。この下地ができていたから公地公民が成立している、そういう見方が重要ではないかと思います。

当然、屯倉30ヶ所から、全国土を公地公民とするというところには、かなりの飛躍がありますが、まず30ヶ所にのぼる豪族の領地接収がどういう経緯で成り立ったのか、そこを明らかにする必要がありそうです。

で、さっき重要人物の名前が再登場したわけですけど、・・・そう、継体天皇。正確には次の代の出来事なので、安閑天皇時代の話なのですが、継体天皇が関係していないわけはないんですよ。継体天皇に関しては、4回にもわたって記事を書いてきたんですが(興味あれば下のリンクを参照ください)、実は取りこぼしがありました。

磐井の乱というやつです。これ、継体天皇シリーズの初回記事で触れるといっておきながら、結果的にスルーしてた話なんですが・・・、屯倉制度のはなしするならここは外せなさそうです。

あと、屯倉の拡大って、範囲が関東にまで及んでいるんですよね。武蔵野国が登場してくる。・・・関東といえばさ、雄略天皇の下賜した鉄剣が茨城県の稲荷山古墳から出てたよなー。

それと、何気にですけど・・・、屯倉の拡大した地域と前方後円墳の集中地域とか、微妙に地域がかぶってるような気がせんでもないんですけど・・・。

あとですね・・・、これはその・・・、非常に言いにくいんですが、

雄略天皇とか磐井の乱とか眺めてて、ちょっと邪馬台国と大和王権の接続性の話も閃くものがあり、「もしかして」の推論を論じたい衝動がふつふつとわいてきている自分がいます。



振り返って先週投稿した下の記事(リンク再掲)ですが、

この記事を要約すると、

  • これから大宝律令に論点進めます!

  • 雄略天皇は気になるけど、論じません!

  • 今から前方後円墳の話するとかアホなんで絶対しません!

  • 邪馬台国の話とかやったらバカでしょ、初志貫徹しろ!!

という内容でしたね(ヤベー・・・)


読み返してみて、自分でドン引きしてますが、10割手のひら返してますね!



すみません。

ここまで自分の発言があてならないとか思ってなかったんですが、すみません。

でも、どうしてもこれ書きたいんで・・・、もうちょっと古代の記事書きます!!

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