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脚本も演技も編集も良いのに、21世紀最悪の作品賞? / 「クラッシュ」

もともとテレビドラマなどの監督や脚本で活躍していたカナダ人、ポール・ハギスは、2004年の映画「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本によって一躍有名になった。そして数ヶ月後に公開された監督作「クラッシュ」が大ヒットし、同作はアカデミー賞の作品賞と脚本賞と編集賞を受賞した。
ところが、映画の好きな方ならご存知のように、この作品の評価は毀誉褒貶相半ばするものだ。主人公を設定せず、物語のなかで複数の登場人物たちを描くという、かつてロバート・アルトマン監督が開拓した手法を採用しているため、「視点があちこちに飛ぶ映画はヒットしない」というハリウッドの定説に逆らっている。
僕はアジアのインテリらしく『水滸伝』や『雨月物語』などを愛読してきたので、物語に主人公なんて特に不要であると考えている。だから映画「クラッシュ」を脚本によって減点しない。ロサンゼルス市警の刑事から強盗に至るまで、様々な登場人物たちの人生が交錯し、飽きることなく鑑賞できる2時間弱だ。
しかし、この映画が作品賞に相応しくないという評価には首肯する。
同年に作品賞を争ったアン・リー監督作「ブロークバック・マウンテン」の出来が遥かに良いから、それと比較するように「クラッシュ」を酷評したい訳ではない。後に判明しているように、当時のアカデミー会員たちは同性愛を真正面から描いた「ブロークバック・マウンテン」に対する一種の忌避があったことを認めており、これは世紀の誤審というより、意図された八百長である。しかし仮に「ブロークバック・マウンテン」が候補作でなかったとしても、僕は「クラッシュ」ではなく「カポーティ」の方を受賞作として推すだろう。

では、映画「クラッシュ」は何が問題だったかというと、あまりにも作為に満ちた展開のなかから浮かび上がる人種差別という題材について、あまりにも浅薄な描き方をしたからだ。白人警官(マット・ディロン)が自らの差別の心に急に向き合うなど、本作のような経緯によって改心するなら、世界中に人種差別など存在しないことになる。登場人物たちが人種差別という題材に向かって都合良く一直線に進むような、マンガじみた展開である。
また、人種の間の対立や差別という問題には歴史があり、たとえばアメリカであれば奴隷制度やWASPによる支配など、もはや国家の構造と化してしまっている側面がある。しかし映画「クラッシュ」を眺めていると、人種差別というものがあたかも個人的な問題であるかのように錯覚してしまう。もちろん、市民一人ひとりの心の持ちようは大切なことだが、そこだけに集約されるような問題ではない。
いずれにせよ、上記のような単純化のお蔭か、本作は大ヒットした。この後もポール・ハギスは「告発のとき」や「007/慰めの報酬」などで脚本を務めている。
米国の一部の評論家たちが言うように「21世紀で最悪の作品賞」とは僕は感じない。脚本は巧みであり、俳優たちの演技も、編集のテンポも良い。ただ題材をあまりにも軽薄に扱っただけだ。しかし言い換えると、本作くらい問題の皮相を撫でるだけのような、うわべの物語でなければ、みんなは観てくれないということかもしれない。問題の本質をしっかり捉えるような物語に仕上げたなら、おそらくボックスオフィス・ボム(興行で大失敗の映画)になってしまうだろう。
さて、僕にとっての「21世紀で最悪の作品賞」の候補作は、
2003年「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」
2009年「ハート・ロッカー」
2015年「スポットライト 世紀のスクープ」
2021年「コーダ あいのうた」
2023年「オッペンハイマー」
の5作である。ちなみに、2024年の「ANORA アノーラ」はまだ観ていない。くだらないあらすじを読んで観る気が失せたからだ。
正確に言えば、21世紀のアカデミー作品賞のうち、作品賞に相応しい出来だったのは「ディパーテッド」「ノーカントリー」「アルゴ」「それでも夜は明ける」「バードマン あるいは以下略」「グリーンブック」くらいである。

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