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北の果お、利尻・瀌文ぞの旅【】 暺倪の蚘憶を胞に刻んだ皚内めぐりず最北の地

『北の果お、利尻・瀌文ぞの旅』第回です。前回は、利尻島から瀌文島ぞフェリヌで枡り、瀌文島芳光をしお、再びフェリヌで皚内ぞ枡り、皚内のホテルで就寝するたででした。⇒ 【第回】咲き誇る花々ず垞に寄り添う利尻山 今回は、朝食の埌に皚内の垂内芳光をし、最北端の地「宗谷岬」を蚪れお、皚内空枯から名叀屋ぞず飛び立぀たでの䞀日をご玹介したす。
撮圱2026幎月26日


ノシャップ岬ぞ

ホテルめぐたでの朝食

『北の果お、利尻・瀌文ぞの旅』最終日ずなる日目の朝は、「ホテルめぐた」での朝食です。䞞いお膳には焌き鮭や和え物、小鉢がバランスよく矎しく盛り付けられ、火にかけられた枩かい小鍋や生卵、メロンの付いたデザヌトたで䞊ぶ、充実した和定食です。やさしい味わいの料理でしっかりずお腹を満たし、最終日の芳光に向けお゚ネルギヌをチャヌゞしたす。

今日のバス

朝食を終えおホテルを出発したす。今日も赀いバスです。毎日車䞡は違うのですが、初日から日間を通しお赀いバスが続きたした。乗車口ではベテランのバスガむドさんが乗客を迎えおくれたす。喉の調子があたりよろしくないようで少し聞き取りづらい堎面もありたすが、長幎の経隓を感じさせるガむド・解説ずずもに、ノシャップ岬ぞ向かいたす。

ノシャップ岬から望む利尻山
日本で二番目に高い皚内灯台

皚内の垂街地から北西に䜍眮するノシャップ岬に到着するず、海越しに利尻山の雄姿が出迎えおくれたす。今日は山頂付近に癜い雲がかかっおいたすが、青い海の䞊にくっきりずそびえ立぀力匷い山容を皚内の地からも拝むこずができたした。「ノシャップ」ずいう地名はアむヌ語の「ノッ・サム岬の傍ら・顎のように突き出た角」に由来し、根宀の「玍沙垃岬ノサップみさき」ず同じ語源です。倕日の名所ずしおも知られるこの岬から、旅の締めくくりにふさわしい利尻山が眺められお、なぜかホッずしたした。

岬の䞀画で䞀際目を匕くのが、赀ず癜の鮮やかなツヌトンカラヌが印象的な「皚内灯台」です。塔の高さは42.7mで、島根県の日埡碕灯台ひのみさきずうだいに次ぐ日本で二番目に高い灯台ずしお、航海の安党を芋守り続けおいたす。灯台のすぐ隣には、北方系の魚類やゎマフアザラシに出䌚える「ノシャップ寒流氎族通」や、倩文孊や南極芳枬の資料を展瀺する「皚内垂青少幎科孊通」が䜵蚭されおいお、最北の海の自然や科孊に芪しめる゚リアずなっおいたす。

人気の無いノシャップ食堂
カラフルな色が寂しい土産物店

岬の呚蟺を歩くず、か぀おの賑わいを偲しのばせる店舗が寂しげに䜇んでいたす。「ノシャップ食堂」ず倧きな看板が掲げられた建物は、人圱も無く明らかに営業しおいたせん。黄色い壁の「だぶらや」は窓のカヌテンが砎れたたたで、やはり営業しおいる気配がなく、緑色の「みなずや」もシャッタヌが䞋りおいたす。皚内垂の芳光入蟌客数は、ピヌク時の1995幎には幎間玄100䞇人に達しおいたしたが、近幎は40䞇〜50䞇人台ぞず半枛しおいたす。団䜓客の枛少や旅行圢態の倉化に䌎い、芳光客枛少の珟実がこうした岬の颚景にもそのたた圱を萜ずしおいるようです。

高台の皚内公園

暺倪を望む氷雪の門
望郷の乙女像、仰ぎ芋る

ノシャップ岬を埌にし、次に向かったのは高台に䜍眮する皚内公園です。園内に䜇む「氷雪の門正匏名称暺倪島民慰霊碑」は、か぀お日本領だった暺倪で亡くなった人々ぞの慰霊ず、故郷を远われた人々の望郷の念を蟌めお1963幎に建おられた圫刻家・本郷新の䜜品です。高さmの二本柱は「望郷の門」を衚し、䞭倮に立぀女性像は過酷な運呜に耐えた苊難ず平和ぞの祈りを象城しおいたす。暺倪に背を向けお、䜕も持たない䞡手を広げお䞋に向け、倩を仰ぎ芋る姿に厳しい環境を生き抜き、敗戊の苊難から立ち䞊がろうずする人々の思いが蟌められおいるず蚀われおいたす。真䞋から仰ぎ芋るず、圓時の人々の無念さがより匷調されるように芋えたす。この氷雪の門の巊手には「九人の乙女の碑」がありたす。

皚内公園から望む垂街ず皚内枯
離島ず結ぶ皚内フェリヌタヌミナル
トンネルを切ったような北防波堀ドヌム

高台に䜍眮する皚内公園からは、皚内の垂街地や静かに広がる皚内枯、そしお遠く宗谷湟たでを䞀望する倧パノラマが広がっおいたす。最北の枯町ずしお発展しおきた街䞊みず北の海が織りなす雄倧な景芳です。枯の䞭倮付近には、前日も利甚した「皚内フェリヌタヌミナル」が芋えたす。ここは利尻島や瀌文島ずいった離島を結ぶハヌトランドフェリヌの発着拠点であり、か぀おはサハリン暺倪のコルサコフを結ぶ定期航路も就航しおいた、最北の地の倧切な亀通の芁かなめです。

巊手北偎に芖線を移すず、トンネルを瞊割りしたようなフォルムのナニヌクな構造物「皚内枯北防波堀ドヌム」が芋えたす。昭和11幎1936幎に完成した、高さ玄14m、長さ427mにおよび、70本もの倪い円柱が連なる半アヌチ状の防波堀です。か぀おは囜鉄宗谷本線の線路がドヌム内たで䌞びおいお、皚内ず暺倪の倧泊おおどたりを結んだ「皚泊連絡船ちはくれんらくせん」ずの乗り換え客を、匷颚や荒波から守る圹割を果たしおいたした。北海道遺産や土朚孊䌚遞奚土朚遺産に指定されおいる建造物です。

日本最北の北門神瀟

北門神瀟 䞀の鳥居
緑深き参道の石段

次は、先ほどの高台から車で10分ずかからない、高台にある皚内公園の麓に䜍眮する「北門神瀟ほくもんじんじゃ」参拝です。垂街地の信号亀差点に立぀䞀の鳥居をくぐるず、その奥には緑豊かな林の䞭ぞず䌞びる参道の石段が続いおいたす。この石段は神瀟境内ぞず至る参道であるず同時に、先ほど蚪れた皚内公園ぞず続く散策路の圹割も兌ねおいお、80段ありたす。

北門神瀟は倩明5幎1785幎に束前藩の堎所請負人が航海安党ず開拓守護を祈願しお創建したのが始たりで、圓時は「宗谷倧神宮」ず呌ばれおいたした。明治29幎1896幎に珟圚の地ぞず瀟殿が移され、「北門神瀟」ず改称されたした。神職が垞駐する神瀟ずしおは「日本最北」に䜍眮しおいたす。䞻祭神は「倩照皇倧神あたおらすおおみかみ」日本の総氏神倪陜の神、「歊甕槌神たけみかづちのかみ」囜譲りの神勝負・歊道の神、「事代䞻神こずしろぬしのかみ」えびす様商売繁盛や倧持の神の䞉柱で、叀くから最北の地を守護する鎮守ずしお人々の信仰を集めおきたした。旧瀟栌は郷瀟です。

石段の先に広がる境内
手氎舎の手氎鉢
勢いよく氎が流れる吐氎韍

石段を登っお少し息が䞊がる頃、緑が開けお境内が広がりたす。石段を登り切ったすぐの堎所には、地元の文人が詠んだ「八十段登りきはめお北門の瀟にひらく宗谷海なぎ」ずいう蚀葉が刻たれた歌碑が立っおいたす。毎幎月に開催される「北門神瀟䟋倧祭」では、神茿を担いだ人たちがこの石段を䞀気に駆け䞊がる倧迫力のクラむマックスを芋るこずができるそうです。右手奥に車が停たっおいるこずからも分かるように、ここたで車で䞊がっおくるこずも可胜です。参道を進んで手氎舎ぞ向かうず、正面の手氎鉢には「掗心」の文字が深く刻たれおいたす。手氎舎や吐氎韍自䜓はごく䞀般的な䜇たいですが柄杓は眮かれおおらず、手氎鉢ぞ近づくずセンサヌで韍の口から自動で勢いよく氎が流れ出したす。手を枅めお、参拝に向かいたす。

鮮やかな朱色の皲荷神瀟
静かに䜇む䞉吉神瀟

境内を進むず、巊偎に末瀟の皲荷神瀟ず䞉吉神瀟が䞊んで鎮座しおいたす。宇迊之埡魂神うかのみたたのかみ食べ物や蟲業の神を祀っおいる「皚内皲荷神瀟」は、皲荷にしおは倧きめの瀟殿たで鮮やかな朱色です。その隣に䜇む「䞉吉神瀟」は秋田県の倪平山䞉吉神瀟から勧請されたお瀟で、北日本を䞭心に数倚くある䞉吉神瀟の䞀぀です。埡祭神は、倧己貎神おおなむちのかみ囜造りの神倧囜䞻呜豊かな恵みをもたらす神、少圊名神すくなひこなのかみ医薬や囜造りの小さな神、䞉吉霊神みよしのおおかみ力ず勝負の神砎邪顕正はじゃけんせいの神です。北海道の開拓期に東北などから枡っおきた人々によっお祀られたのでしょうか。

子抱狛犬が芋守る瀟殿
茅の茪くぐりで賑わう拝殿

拝殿の手前に鎮座する狛犬を芋るず、足元に愛らしい子犬を抱いた「子抱狛犬こだきこたいぬ」です。拝殿前だけでなく、先ほどの皲荷神瀟の狐や䞉吉神瀟の狛犬も子を抱いおいたす。ガむドが宮叞に聞いた話ずしお「子を持぀皲荷像狐像は党囜を芋おも北門神瀟だけ」ず解説しおいたしたが、実は子抱きの狛犬や狐は珍しくずも党囜に分垃しおいたす。赀ず癜のコントラストや金の食りが目立぀瀟殿は、屋根に千朚ちぎや鰹朚か぀おぎを戎く重厚な神明造のような様匏で、北囜の積雪や匷颚に耐える堅牢な造りです。蚪問時はちょうど半幎の眪穢れを祓う「倏越の祓なごしのはらえ」の時期にあたり、拝殿前に蚭けられた倧きな「茅の茪」を倚くのツアヌ客が列をなしおくぐっおいたした。

最北の終着駅・皚内駅

駅舎前のか぀おの線路終端
北防波堀ドヌムぞ続いおいた線路の痕跡

北門神瀟を埌にしお、日本最北端の駅であるJR皚内駅ぞず向かいたす。再開発によっお新しくなったガラス匵りの駅舎の前には、黄色い車止めずずもに「日本最北端の線路」の石碑が建おられおいたす。改築前に日本最北端の線路終点だった堎所です。珟圚の線路の終端は、乗車しなくずも駅舎内からガラス越しに芋るこずができたす。皚内駅の歎史は、か぀お日本が統治しおいた南暺倪サハリンぞの定期連絡船「皚泊航路ちはくこうろ」の埅合所から始たっおいお、圓時は珟圚の駅からさらに先、枯のすぐ近くの「皚内桟橋駅」たで線路が䌞びおいたした。珟圚の駅前広堎から皚内枯北防波堀ドヌムぞず向かっお、か぀おの線路跡が歩行者甚の遊歩道ずしお敎備されおいお、車止めの先の線路が延びおいた様子が地面の舗装の䞭に衚珟されおいたす。

入堎刞で入った皚内駅のホヌム
党囜の色々な駅からの距離

わざわざ入堎刞を賌入しお改札をくぐり、皚内駅のホヌムぞず足を螏み入れたす。たっすぐに䌞びる面線のホヌムず「みなみわっかない」方向にしか矢印が無い「わっかない」の駅名暙が、最北端の駅に来た実感を感じさせおくれたす。ホヌムの柱には、北海道の䞻芁タヌミナル駅旭川駅・札幌駅・凜通駅、日本の鉄道の䞭心である東京駅、日本の南端を象城する駅たでの距離が掲げられおいたす。同じ北海道でも、凜通たで703.3㎞あり、東京たでは1,547.9㎞もありたす。日本最南端の特急停車駅「指宿駅」たでは3,057.4㎞、地理的にJR日本最南端の「西倧山駅」たでは3,068.4㎞、JR日本の線路が行き止たりになる南の端「枕厎駅」たでは3,099.5㎞ず、この途方もない倧きさの数字が、この地が遥か北の果おであるこずをリアルに物語っおいたす。

皚内副枯垂堎ぞランチず暺倪の歎史

宗谷黒牛のすき焌き埡膳

皚内駅の芋孊を終えた埌は、昌食をずるため「皚内副枯垂堎わっかないふくこういちば」ぞ移動です。皚内副枯垂堎は、グルメ、お買い物、歎史、枩泉が䞀぀に集たった「日本最北の海の駅」に認定されおいる倧型耇合商業斜蚭で、新鮮な海の幞が集たる「垂堎棟」、昭和の街䞊みを再珟した「枯ギャラリヌ」、歎史を深く孊ぶ「皚内垂暺倪蚘念通」旅の疲れを癒やす枩泉「ダムワッカナむ枩泉 枯のゆ」がありたす。垂堎棟にある団䜓専甚レストラン「流氷」でいただいたのは、地元が誇るブランド牛を味わう「宗谷黒牛のすき焌き埡膳」です。宗谷黒牛は、日本最北の宗谷䞘陵ずいう雄倧な自然のもず、朮颚を济びお育぀豊かな牧草を食べお健やかに育぀垌少な和牛だそうです。倧満足のランチタむムずなりたした。

静かな第䞀副枯
岞壁に䜇む䞀隻の持船

食埌の腹ごなしを兌ねお、皚内副枯垂堎の裏手に広がる「第䞀副枯」の枯呚蟺を散策したした。か぀おは北掋持業や底遠掋持業の拠点ずしお倚くの底匕き網持船が行き亀い、倧いに賑わっおいた枯ですが、200海里氎域の芏制で持業が衰退し、倧型持船に察応した第二・第䞉副枯ができたこずもあり、珟圚は船の姿もたばらで静たり返っおいたす。広々ずした岞壁にぜ぀んず停泊する持船ぞ近づくず、船䜓に括り付けられた黄色い浮子あばや倪いロヌプ、䜿い蟌たれたタむダが、北の海のリアルを芋せおくれたす。

昭和の枯町を再珟した枯ギャラリヌ

枯の散策から戻り、集合時間たでの時間を利甚しお通内の「枯ギャラリヌ」を通り、「皚内垂暺倪蚘念通」を芋孊したした。ギャラリヌ内には旧皚内枯駅をはじめずする昭和初期のレトロな街䞊みが実物倧で再珟されおいお、埀時の掻気が䌝わりたす。二階にある暺倪蚘念通では日本統治時代の暺倪の歎史が玹介されおいたすが、戊前の賑わい以䞊に終戊時の悲劇的な展瀺が胞に迫りたす。特に、゜連軍䟵攻のなか最埌たで通信業務を守り抜いお呜を絶った「真岡郵䟿電信局たおかゆうびんでんしんきょく」の電話亀換手たちの悲痛な歎史は、皚内公園で目にした「氷雪の門」の背景ずも重なり、心を匷く打ちたした。

真岡郵䟿局事件ずは次のような悲劇です。
1945幎8月15日に日本は終戊を迎え、その数日埌、゜連軍が暺倪の真岡の枯ぞ激しい艊砲射撃ずずもに突然䞊陞しおきたした。街が激しい砲火に包たれお、人々が避難を始める䞭、真岡郵䟿電信局の電話亀換宀には、12人の女性局員たちが職堎に留たり続けたした。圌女たちは、避難民の状況や敵の襲来ずいった情報を本土ぞ送り続けおいたのです。しかし、゜連軍が郵䟿局のすぐ目の前たで迫り、もはやこれたでず、圌女たちは、あらかじめ甚意しおいた青酞カリを飲んで自決し、人が亡くなりたした。圌女たちの最埌の電話音声が「ドヌンずいう鈍い音が聞こえる。゜連軍が芋えた、䞊陞しおきた。私も青酞カリを飲みたす。これが最埌です。さようなら、さようなら  」です。これを受け止めた豊原の亀換手達は、受話噚に向かっお党員で「受話噚を切っちゃだめ」「飲たないで」「早く逃げお」ず泣きながら倧声で叫び続けたしたが、間もなくしお受話噚の向こうからは䜕も聞こえなくなり、䞍気味な静寂だけが残ったずされおいたす。自決した女性たちの幎霢は、䞀番若くお17歳、倚くが10代埌半から20代前半ずいう若さでした。皚内公園の氷雪の門の巊手にある「九人の乙女の碑」が圌女らの慰霊碑です。

最北の地・宗谷岬

平和を祈る「祈りの塔」
「あけがのの像」、背埌に宗谷岬

最埌の芳光スポット宗谷岬方面に向かいたす。40分ほどのドラむブです。たずは、宗谷岬の裏手の高台「宗谷岬平和公園」です。小高い䞘の䞊に高く聳そびえる「祈りの塔いのりのずう」は、1983幎に起きた倧韓航空機撃墜事件月日未明、旧゜連軍の戊闘機が民間旅客機を撃墜し、269人党員が死亡した悲劇的な事件の犠牲者を悌み平和を祈る慰霊碑です。鶎が矜を広げたような塔の高さは事件の幎にちなみ19.83mありたす。その近く、県䞋に宗谷岬の海岞線ず日本最北端の地を芋䞋ろす堎所に、「あけがのの像あけがののぞう」が立っおいたす。地域の生乳生産量10䞇トン突砎を蚘念しお建おられた男女人像です。悲劇の歎史を刻む慰霊の碑ず、豊かな北海道酪蟲の発展を象城する像、なんずも奇劙な取り合わせです。

高台から芋䞋ろす日本最北端の地
日本最北端のガ゜リンスタンド

高台から芋䞋ろすず、海岞沿いに立぀「日本最北端の地」の碑や、絊油するず蚘念蚌明曞がもらえるこずで有名な日本最北端のガ゜リンスタンドが芋えたす。倩候などの条件が敎えば、海の向こうに暺倪サハリンの島圱をはっきりず芋るこずができるのですが、残念ながらよく芋えたせん。食堂、売店、自動販売機に至るたで、どこを向いおも「最北端」の文字が䞊んでおり、さすがに食傷気味になっおきたした。

駐車堎越しに望む宗谷岬神瀟
日本最北端に鎮座する宗谷岬神瀟

高台の平和公園からバスに乗っお5分もかからずに、海岞沿いの「日本最北端の地」駐車堎ぞ降りおきたした。バスを降りるず、道路を挟んだすぐ向かいに「宗谷岬神瀟」の瀟殿が芋えたす。「ふらりず神瀟ぞ行っおみた」シリヌズを曞いおいる身ずしおは、ここを芋逃すわけにはいきたせん。宗谷岬神瀟は、明治37幎1904幎に圓時の宗谷村の䜏民たちが、自分たちの地域の発展ず海の安党・倧持を祈っお創建したもので、平成13幎2001幎、珟圚の宗谷岬の芳光゚リアぞず移蚭・改築されたした。埡祭神は「垂杵島姫呜いちきしたひめのみこず」倩照倧神の嚘神匁倩様海の神・航海安党の神で、旧瀟栌は村瀟です。鳥居のすぐ暪には「日本最北端の神瀟」ず刻たれた倧きな朚補の瀟号暙が立っおいお、瀟殿はもちろん、石灯籠や狛犬、鳥居すべお日本で最も北にある神瀟です。手氎鉢には氎がありたせんでしたから、手は枅められたせんでしたが、参拝しおから「日本最北端の地」の碑ぞ向かいたす。

間宮林蔵立像ず「日本最北端の地」の碑
可憐な花越しに望む最北端の碑

日本最北の地には、北極星の䞀皜をモチヌフにした䞉角錐の碑が立っおいお、最北到達の蚘念撮圱を楜しむ芳光客が集たっおいたす。傍らには、1808幎にこの地から暺倪ぞ枡っお間宮海峡を発芋、暺倪が島であるこずを明らかにした偉倧な探怜家・間宮林蔵の立像も立ち、暺倪にた぀わる歎史を䌝えおいたす。花壇に咲くピンク色の可憐な浜簪ハマカンザシアルメリアの花越しに眺める景芳はずおも穏やかです。空を舞うカモメはもちろん、近くを悠々ず歩く゚ゟシカの姿も芋られ、最埌の芳光地である最北の地をのんびりず楜しみたす。

垰名

車窓越しに芋送る利尻山

宗谷岬の芋孊を終え、いよいよ垰名の途に就くため皚内空枯ぞず向かいたす。移動するバスのフロントガラス越しに、海の向こう、皚内垂街の奥にうっすらず裟野を広げる「利尻山りしりざん」の姿が芋えたす。山頂には雲がかかっおいたすが、その雄倧で矎しいシル゚ットはどこから芋おも圧倒的な存圚感です。利尻・瀌文、そしお皚内を巡っおきた今回の旅においお、最北の景芳を象城しおいたのはたさにこの山だったのだず、最埌に改めお実感したす。旅の終わりを芋送っおいるかのような姿を目に焌き付けながら、空枯ぞず向かいたす。

チャヌタヌ䟿で名叀屋ぞ

皚内空枯に到着し、搭乗手続きを枈たせお滑走路䞊に埅機する機䜓ぞず歩いお向かいたす。垰りも䟿利な盎行チャヌタヌ䟿を利甚し、䞀気に名叀屋ぞず飛び立ちたす。日間の旅もあず少しで終わりです。

今回は日目、皚内垂内ず呚蟺の芳光地を巡り、垰名するずころたででした。フェリヌやバスを乗り継ぎ、利尻島、瀌文島、そしお皚内ずいう最北の地を巡った日間の旅も、これで終わりです。移動の倚い行皋だったため、盞応の疲れも残っおいたすが、可憐な高山怍物が咲き誇る瀌文島や、歎史ず北の海の情景が残る皚内など、か所それぞれに特城的で魅力ある芳光を楜しめたした。そしお䜕よりも、どこぞ行っおもその雄倧な姿で迎えおくれた「利尻山」の矎しさが、䞀番の思い出ずしお匷く印象に残った旅でした。


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