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「基礎学力」とは、何なのか?

昨日、こんなニュースが目に入ってきた。

今年度の全国学力調査で、山形県が全教科で平均を下回ったという事実について、山形県知事がコメントしたというニュース。

記事の中で、ここが凄く引っかかった。

山形県は独自の「考える力」を養う「探究型学習」に力を入れてきた経緯がありますが、基礎的な学力の充実に課題が見えた形です。

記事より

これって、物凄く「今」を表している気がする。

きっと山形県に限らず、多くの都道府県で「探求型学習」とか「対話的な学び」とか、親世代のカリキュラムとは一風変わった取り組みが増えているのでは?と思う。


だけど記事のコメント欄を見ると、この流れに対して「批判的な意見」が目立っている気がした。


これ、凄く難しい。

私は「探求学習」とか「好きから始まる学び」みたいな事に対して、割と好意的に思っている。


だけど、2つの難しさも感じている。

1つ目は、今の評価軸では測定不能なこと。
各自が自分の好きなことを探求し始めたら、一律の評価軸で子どもの学びを測る事はできないと思う。

「探求学習」に時間を割くほど、「学力調査」との相性は悪くなる。


2つ目は、探求と基礎のバランス。
正直「計算が速い」とか「暗記」に関しては、コンピューターが登場した時点でほぼ価値を失った気がしている。

もちろん、「個人の趣味」としてやりたい子が極めるのはアリだと思うけど、全員にその課題を課したり、暗記力で評価するのはちょっと違う気がしている。

一方で「読み書き」については、探求をする上でも凄く大切な気がしている。

言語化する力が高い方が、対人関係でのコミュニケーションがスムーズだし、自分の中にモヤモヤとした感情を溜め込まずにすむ。

探求した結果をアウトプットする時も、語彙力が豊富だったり表現力が豊かな方が、より伝わりやすくなる。

どんなにAIが進化して、記事の要約や英文の翻訳をしてくれるようになっても、「最初のアウトプット」は人間の仕事だ。

そう考えると、それぞれの教科についても「やる・やらない」を物凄く丁寧に見極める必要があると思うのだ。


例えば「漢字学習」1つとっても、「漢字を正しく使えること」と「書き順通りに漢字が書けること」は、重要度が違う気がする。

それは、つい最近も考えていたこと。


きっと、これからは益々「基礎」の定義が曖昧になっていく。
世代や価値観によって「基礎」の感じ方も違う。


30年前と比べて、「学校で教えること」はどんどん増えている。

SNS教室とか、SOS教育とか、金融教育とか。
どんどん忙しくなる中で、何が基礎なのか?を全世代がもう一度考えるべき時が来てる気がする。

<あとがき>
子どもの頃にTVで「アメリカの学校はテストで電卓を使用できる」というドキュメンタリー?を見た時に衝撃を受けた記憶があります。
一体いつから電卓OKだったのか分かりませんが、やっぱり日本って「辞めること」とか「新しくすること」が苦手なのかな?と思います(^_^;)

これからの教育について考える時、参考になる本↓
「未来の学校」を描いた冒頭の漫画だけでも、結構衝撃です。
2040年はまだ少し先ですが、技術的にはかなり近づいている気がします。


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