天才の守り人たち|エッセイ
装丁も中身も、時間をかけて作られた本はもちろん好きだが、気軽に読めるネットの文章も楽しい。もっと本音に近くて、「今」を切り取ったものが多い。普段なら話せないような人の考えを、知ることができる。いや、わかったふりして読んでるのも、結構あるけれど。
ページをめくる代わりに、指先でスクロールする。たったそれだけの違いなのに、そこに流れている言葉の温度は、どこか生々しい。整えられた文章ではなく、書きながら揺れている思考そのものに、触れているような感覚になる。
本に収められる言葉には、著者以外の手が入る。編集者の客観は、的確だ。そうやって余分を削がれた言葉は、美しく、強く、残る。ただ、削られたもののなかには、迷いや逡巡も、あったはずだ。
ネットの文章には、それが、消されずに残っている。言い切れなさも、途中で向きを変える気配も。完成された考えではなく、考えが形になっていく途中に、ふいに立ち会ってしまう。
整えられた言葉に安心する日もあれば、整いきらない言葉に癒される日もある。そのときどきで、私は読む場所を変えて、楽しんでいる。
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そのなかに、ひとり。 あまりお目にかかれないタイプの文章があった。思考そのものに触れるという一点では、同じなのだが、その鮮やかさに魅せられてしまった。
自分にはない世界だから、かもしれない。
はじめは、その人の過去記事を遡り、すみずみ読んだ。難しすぎるものは、さっぱりわからなかったが、それでもなぜか読めた。わからないのに面白い。それって、なんだ。
錯綜した情報を、よくもここまで明快にほどいて整理できるものだ。そこに、迷いはない。考えが揺れる様子も、言葉が事実とずれることもない。
間違いなく、人生三周目。
ただ、これほど明晰な人を前にすると、自分の、もたもたした考えが、恥ずかしくなる。これは副作用なのか。それでも、読むのはやめられない。狂おしく楽しみながら、その知性を愛でる。いや、これは私だけではないだろう。そうやって、ただ読むだけの日々が、何年も続いた。
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きっかけは子どもだった。自学自習のことを相談したくて。
それで、思いきって、メッセージを送ってみることにした。
すると、返ってきた。
一問一答どころではない、はるかに射程の広い答えが。
ああ、やっぱり。
文字の海で見つけた、あの精度は、本物だった。
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規定通り進めるのを、面倒臭がっていた子ども。一応、理由は聞いたが、私にはその意図を汲み取れずにいた。
でも、あの人は、「それ、要らないでしょ」と即答した。
たとえば、学ぶというのは、順番に、ひとつずつ、積み上げていくもの。講座でも問題集でも、最初から手をつけるに決まっている。飛ばすなんて、ありえない。しかも、何段飛ばしだよ、それ。
——と、最初は思った。
でもたしかに、簡単な部分で飽きてやる気を失い、放置された残骸は、三日坊主あるあるだ。
自分で取捨選択か。 もし足りないと思えば、あとで補えばいい。 柔軟にいいこと取り、つまみ食い上等。当たり前だと思っていることを、ほんの少し疑って、自分に必要かどうか考えてみる。それだけで、景色は変わる。
他にも書ききれないが、こんな感じで、一事が万事。
まるで負けかけたオセロが、一手で、ぱたぱたと裏返る感覚。さっきまで、どう見ても劣勢だったはずが、気づけば、こちらの色に。
あれ、我が軍有利になっているような。
「学問にも近道はあるんだよねぇ」と、世間のしたり顔をするりとかわす、とぼけた断言。深刻ぶらず、さらっと、常識をひっくり返す。それが、この人の凄みであり、可笑しみであった。
妙なもので——差し出したものが、自分の読み以上に効いてしまったとき、この人は、いちばん嬉しそうにする。
「お、いいねぇ」
「ほらね、言ったとおりでしょ」
仕掛けた花火が、思ったより大きく開く。それを見上げている。当人より、この人のほうが、よほど面白がっている。自分が点した火だということは、もう忘れている。
ところが、だ。
うまくいって、お礼を言おうとすると——すうっと、消えて、いなくなる。ぷつりと、音信不通になるのだ。あれほど言葉を尽くしてくれた人が、感謝の前では、きれいに姿を消す。まるで、人助けを終えたヒーローみたいに。世界を救ったわけではないんだけれど。
照れているのか、興味を失ったのか。 それは、いまだにわからない。
連絡がつかなくなることは、決して珍しくない。たいていは、面白いものを見つけたとき。たぶん、集中モード。
スイッチが入ったら、邪魔をしてはいけない。 そっとしておくのが、守り人の掟。
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もっとも、守り人を気取っていたのは、私だけではなかった。
同じように熱心に記事を読んでいた者が、大勢いた。天才に魅了されて、勝手に集まるゼミみたいな。いや、ゼミというより——もう、神あつかいである。そして可笑しいことに、その神は、たいてい不在だった。
引き寄せられる人間には、どこか、似た匂いがあるらしい。言葉を交わせば、妙に気が合う。同じ人を、同じように尊敬していた。いつの間にか、横のつながりもたくさんできて、楽しかった。
守り人は、私ひとりではなかったのだ。
文字の海で見つけた人。
私たちが、勝手に拝命した「天才の守り人」。
——のつもりだったが、
ずっと守られていたのは、こっちだった。
もう、十年以上になる。
その人から教えてもらった方法の一つが、これ。
