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なTJAR — 16日で日本アルプスを歩いて、海から海へ

2025年9月に16日かけてTJARのコースをなぞって日本アルプスを全縦走した記録です。


TJARやっぱりいいなあ

2026年のTJARが終わりに近づいている。

いち視聴者として観戦していても、選手の人間らしさ、まわりの人の温かさ、日本アルプスの雄大さを存分に感じる。
厳しい選考会を勝ち抜いてスタートの権利を得た30人の選手が、日本アルプスを縦断してゴールの大浜海岸で海に触れた時、彼らは何を想うんだろう。
ゴールを見ていると、いつか自分もあの場に立ちたいと気持ちが高まる。
(今記事を書いている時点で残りは34時間、今年はまだ全員がレース継続中、無事全員が下山できますように。)

そんな、いつかTJAR完走を目指す自分、
実はレースではないが、去年の9月にTJARと全く同じコースを16日かけて歩いて、大浜海岸の海に触れている。
まあのんびりゆったり注目されない山行だったので、今まさに走っている選手に比べたら感動は薄いかもしれないけど、
16日間歩き続けて、道路でもストックがないと歩けないほどボロボロの身体で大浜海岸の海に触れたとき、自分でも何を言っているのかわからない声や感情が溢れ出てきたのは強く覚えている。

もう1年近く経ってしまっているけど、当時の記録を残しておきたいと思い、今更筆を執りました。

これは、その16日間の記録です。


なTJARとは

改めて、TJAR——トランスジャパンアルプスレースとは、
たったの8日間という制限時間で、富山湾から駿河湾まで、日本アルプスを縦断して走破する。2年に一度開催され、選考を通った30人の選手だけが出場できる、日本トレラン界隈の誰もが憧れるレース。

出たいと思った。でも、思ったよりハードルが高かった。

じゃあ、自分たちで勝手にやればいい

そう考えて、レースではなく、そのコースをテント泊主体でゆっくりなぞることにした。
名付けて「なんちゃってTJAR」、略してなTJAR

結果

  • 日程: 2025年9月6日〜9月21日(16日間・15泊)

  • 距離: 406km(GPS実測)

  • 累積標高: 登り22,314m / 下り22,754m

  • 行動時間: 155時間15分

  • 所要: 15日と6時間20分

  • メンバー: 友人と2人

  • 泊: テント泊8・小屋泊4・宿3

  • スタート時の装備重量: 14kg

当初の計画は17日だった。最終日にがんばって17日目の分もこなし、1日早くゴールした
計画と実績を並べるとこうなる。距離と時間はほぼ想定どおりで、変わったのは泊まり方だった。悪天候(8日目)と熊(13日目)でテントを2回諦めて小屋に入り、最終日は泊まらずゴールした。

$$
\begin{array}{|l|r|r|} \hline \text{} & \textbf{計画} & \textbf{実績} \cr \hline \text{距離} & \text{395.9km} & \textbf{411.4km} \cr \hline \text{行動時間} & \text{152h} & \textbf{154.9h} \cr \hline \text{日数} & \text{17日} & \textbf{16日} \cr \hline \text{テント泊 / 小屋泊 / 宿} & \text{11 / 2 / 3} & \textbf{8 / 4 / 3} \cr \hline \end{array}
$$


はじまりは、ノリだった

2025年の1月か2月。細かいきっかけは覚えていない。

今回「なTJAR」を共にした友人とは、初めての富士山も、初めてのトライアスロンも一緒だった。何かに挑戦するときはいつも隣にいる友人だ。
その彼に、「次の挑戦」としてTJARのコースを行こうと声をかけた。

二つ返事でOKが返ってきた記憶がある。

そんなに考えて誘ったわけじゃない。ノリだった。

準備の実態

正直に書くと、準備は褒められたものではない。

  • 3月: ざっくり計画を引く(かなり雑だった)

  • 5月: テント泊のギア、ULギアを買い始める

  • 7月12〜13日: 人生初のテント泊——雲取山で1泊2日

  • 8月2〜4日: 練習2回目——奥秩父の百名山縦走で2泊3日、87km

  • 8月: 会社の先輩に工程のアドバイスをもらう

  • 7〜8月: 徐々に現実味のある計画に仕上げる

つまり、テント泊を始めて2ヶ月で、アルプス全縦走に出た
そもそもアルプスに立ち入ったこと自体が、それまで一度もなかった。

計画そのものは、そこそこ本気で作った。17日分すべてについて、距離・標高・自分たちの推定時間・ヤマレコの標準タイム・路面の難易度・起床と出発の目安・水場の位置・小屋の設備と料金を表に並べた。印刷して、Dayごとに切り取って、毎日ポケットに入れて歩いた。

いま思えば、常識的に考えればアルプスに初めて行くには明らかに経験が不足していた。
でも、トライアスロンやトレランの大会など、昔から一緒にちょっと無謀な挑戦を乗り越えてきたこの友人となら、どうにかなると思えた。不思議と不安もなかった。


山の上の一日

本題に入る前に、16日間の「ふつうの一日」を書いておく。

本戦のTJARとは違って、行動時間は日中のみ、毎日ちゃんと睡眠を取っているのがポイント。

だいたい5時に起きる。オーバーナイトオーツの朝ごはん、身支度、テントの片付けで1時間半(天気が悪いと+30分)。歩き出して、途中の山小屋か開けた場所でランチ。午後にその日のゴールに着いたら、テント設営に30分から1時間。着替えて、辛ラーメンの夕飯、ストレッチとマッサージ、少し談笑。バッテリーを充電しながら横になって、電波があれば家族に連絡してインスタのストーリーを上げる。明日の計画を確認して、1日の振り返りメモを書いて、19時から21時には寝る

1日の平均行動時間は9.7時間。
平均睡眠時間は7〜8時間。
歩いている間、会話は少ない。7割は無言だった。話すとしたら、景色の感動と、脚の状態と、体調のこと。順番は決めていなかったけれど、どちらかの脚が痛いときは、痛いほうが先頭。そうすればペースが自然に合う。

これを毎日繰り返した。

以下、毎晩寝る前に書いていた1日の振り返りメモを引用しつつ、自分の山行を振り返ってゆく。

毎晩寝る前にiPhoneのメモアプリになぐり書きしていたメモの一例

装備と食料

別記事書きました


信仰の北アルプス ⛩️(Day1-6)

歩き終わってから、三つのアルプスにはそれぞれ違う「色」があったと気づいた。
北アルプスは、信仰だった。

神様ありがとう

剱岳、雄山、薬師岳、槍ヶ岳。山頂に神様が祀られている。岩だらけの峻厳な風景の中に、人が置いた信仰の跡がある。写真を撮るたび「神様ありがとう」と心から思っていた。

カニのヨコバイ

剱岳登頂、早月尾根きつかった

2日目、剱岳。早月尾根から登り、無事剱岳登頂。
そして下りの岩場に入る。

当時のメモにはこう書いた。

剱岳のまわりの岩場は怖すぎる 死ねる

でも、正直に言うと、その最中は一切恐怖を感じていなかった

無我夢中で、小さな足場に足をかけて、丁寧に、丁寧に、ただただ無心で進んでいた。
考えていたのは、ただ前に進むことだけ。

小雨で風も吹いていて、今振り返ると悪条件のカニのヨコバイだったが、北アルプスの険しさ厳しさを噛みしめる瞬間だった。

剱沢の夜、計画が崩れ始める

同じ2日目の夜。剱沢のキャンプ場は過酷だった。

大雨と暴風。設営に時間がかかりすぎて、ここで大きく予定が崩れた。何度もテントが飛ばされるかと思った。
ひたすら岩を積んで壁を作り、風上側にガイラインを重点的に張って、なんとか倒壊を防いだ。純正のガイラインは岩に擦れて切れた。

爆風対策、必死の岩積み

風に吹かれすぎて、全く眠れなかった。

正直、ちょっと心が折れかけた。

「今日いけるとしたら、スゴだよね」

3日目は嵐。立山三山を越えて五色ヶ原へ。雨風で体は冷え、景色はほとんど楽しめなかった。

雨風すごくて満身創痍の雄山。景色もなんも見えん

計画では太郎平まで行くはずだったが、届かなかった。スゴ乗越小屋で行程を打ち切った。

でも、計画を崩すことへの抵抗はまったくなかった
そもそも計画通りにいくとは思っていなかったから。

「シンプルに、今日いけるとしたらスゴだよね」——そういう会話をして、サクッと判断した。

この日、もうひとつ重要な発見があった。**自分たちの行動速度は、思っているほど速くない。**ヤマレコの標準コースタイムとほぼ同じだった。
以降、計画はすべてCTベースで引き直した。この修正が、後の2回のビハインド回収を可能にした。

天気が良いと、こんなにも気分がいい

4日目。快晴。

ついに晴れた!脚が軽い

天気良いとこんなにも気分いいのか
景色最高だし、行き先と来た道が見えるのが気分いい

晴天の薬師岳が本当にかっこよかった。雷鳥に会った。洗濯物が乾いた。

それから、この日、足首を2回捻ったのだけど(浮石と小石で、同じ捻り方で)、沢で冷やしてテーピングを巻いたら、その後はほとんど問題にならなかった。
自分の対応力の成長に喜びを感じる。捻挫程度じゃ心は折れない。

捻挫直後に沢を探してアイシング

そしてこの日、ランチを食べるようになった
3日目に「行動9時間くらいでエネルギー切れを起こす」と気づいたからだ。脚は動くのに力が入らない、気力が出ない、という独特の症状。
(今思えば当たり前w)

太郎平小屋でカップヌードルを食べた。結果、9時間経ってもまだ登れた。
この発見が、残り12日を支えた。

槍ヶ岳と、ロード58km

5日目、3時起きで黒部五郎を発ち、双六を経て槍ヶ岳へ。

楽しさが滲み出てる

崖登りが楽しすぎた。怖さは全くなかった。ただただ、壁のような崖を登るのが楽しかった。
槍ヶ岳山荘のスパイスカレーがうますぎて飛んだ。

そして徳沢園まで歩き切って、3日目の遅れを取り返した
5日ぶりの風呂に入った。頭が油ギッシュ極めてて1回目のシャンプーは泡立たなかったw

6日目は、山を降りてロード58km。上高地から沢渡、奈川ダムを経て木曽福島へ。

山より怖かったのはトンネルだった。

登山道より圧倒的に死の危険を感じるトンネル

これはまだマシなトンネル。もっと暗くて歩道のない1〜2km続くトンネルがほとんどだった(写真撮る心の余裕なんてない)

歩道のない工事中のトンネルを、交通量の多い道を、ずっと車が来るかどうかだけ考えながら歩いた。ヘッドライトのテールランプは必須だった。

途中、CLOSEDの札が出ているドライブインをうろついていたら、店を開けてくれた。TJAR本番の選手も立ち寄る店らしい。
人って温かい。

ソースカツ丼最高に美味しかった。わざわざ開けていただいてありがとうございました

長い長いロードを終えて、木曽のスーパーで買い出しをした。ここもTJARの聖地だそうだ。みんなここで買うんだろうな、と思った。

宿は最高だった。ベッド、風呂、洗濯機、ウォシュレット。
まめだらけの足で、カロリー爆弾みたいな夕飯を食べた。

ちょっと贅沢すぎるか?

今回宿泊した「木曽おぎのや」のご主人から、翌日出発するときに茹でとうもろこしをいただいた。
人って温かい。

がんばってください、その一言だけでも嬉しいのに、、、

修行の中央アルプス 🧘(Day7-9)

中央アルプスは、修行だった。

前線と丸かぶりして、嵐 × 疲労 × 淡々と続く岩場。それだけ。景色を楽しむ余裕はほとんどなかった。

16日間で一番きつかったのは、間違いなくここだった。

修行の始まり、7日目

福島Bコースから中央アルプスに上がる。大雨。

そしてこの日、友人が前ももの痛みを訴え始めた。どうやら軽い肉離れ。
嵐の中、友人を先頭にゆっくり歩みを進めて、なんとか木曽駒登頂。長かった。辛かった。痛みを我慢して歩き続けた友人をリスペクト。

寒いしもうやだ

そしてこの日は宝剣山荘でテント泊、雨と強風の中での設営は大変だった。
でも、剱沢での経験を経て、自分が成長していることを感じてもいた。あの夜に比べれば、手が動く。

夜、テントの中も大荒れだった。寒くて、よく眠れなかった。
そして深夜0時、ポールが倒れてきた。風向きが変わって、岩で固定していたペグが外れたっぽい。

このとき、気持ちが折れかけた

真っ暗な中で、倒れたテントを立て直しながら、自分を保つ。

8日目、止まる判断

翌朝も最悪の天気だった。宝剣山荘から空木岳へ。岩場だらけ。飛ばされるレベルの雨風。

当時のメモに書けたのは、これだけだった。

つらすぎた、それ以外の感想がでてこない

途中、木曽殿山荘で休ませてもらった。それでも進まない。
予定では駒ヶ根まで下山するはずだったけど、今日は最後まで行けないと判断した。

明らかに天候が悪く、友人も前ももに肉離れっぽい痛みが出ていて、ペースも落ちていたので判断に迷うことはなかった。

いま振り返ると、この判断が、この山行の核心だったと思う。
きつさの底で、進まないことを選ぶ。それができるかどうかが、山と向き合い心身ともに成長する自分たちを体現している。

つらかった以外の記憶がない空木岳

駒峰ヒュッテの夜

空木岳までなんとか登って、すぐ下の駒峰ヒュッテに「泊めてください」とお願いした。予約なしだった。

偶然空いていて、泊めてもらえた。

小屋のご主人と、一緒に泊まっていた人たちと、たくさん話した。
ご主人はTJAR本番で有名選手を見送ったことがあるそうで、レースにも詳しかった。
ご一緒したみなさんが自分たちのちょっと無謀な挑戦に興味を持ってくれて、たくさんアドバイスをしてくれて、感謝感謝。
この夜が、16日間で一番あたたかかった。

ご一緒したみなさんとTJARの話で盛り上がる

かっこいい本とパンフレットを読ませてもらった。パンフレットには毎回の行動記録や持ち物が載っていて、じっくり読みたくなった。

そしてこの夜、みなさんと話している中で嬉しいことがあった。

みんなの山の話に少しついていけて嬉しかった

自分は登山の経験値が浅い。山好きの人たちの会話には、これまで全然ついていけなかった。
それが、アルプスを縦走している最中のいま、自分たちも話に入れるだけの経験を積めている。それが嬉しかった。
「カニのヨコバイやばいですよね〜、自分たちが通ったときは〜、、、」みたいな。
正直経験はまだまだだけど、初めて山好きの輪に入れた感覚だった。

9日目、街へ降りる

池山尾根を下って駒ヶ根へ。1日遅れの下山だった。

久しぶりの大きな街。マックもある、なんでもある。西友は24時間営業で何でも揃った。ファミマではAmazonの荷物(カメラのSDカードとバッテリー)を受け取り、ダンボールを捨てさせてもらい、準備万端。

明らかにモバイルバッテリーとカメラのSDカードが足りなかったのでAmazonでコンビニ配達しておいた

補給を終えて、気合いのロード20km、分杭峠を越えて宿へ。
前日の遅れを取り返すべく走る走る。

宿で南アルプスのコースを練り直した。想像以上に15日目の負荷が大きいと分かったので、手前でがんばる形に修正した。


自然の南アルプス 🌳(Day10-15)

葉が色づいてきていた

南アルプスは、自然だった。

この山行で一番天気の良い日が多く、緑が多く、人が少ない。

肉離れ

10日目、南アルプスへの登りの途中で、明確な痛みが出た。

友人の痛みと全く同じ、左の前もも。内側広筋の軽い肉離れ。
ロードの登りで違和感が出て、だんだん強くなって、登山道に入る頃には左足を踏み込めなくなっていた

でも、「完走できないかも」とは思わなかった。
適切に対処すれば前に進めると思っていたし、実際そうなった。
これもまた成長実感。

そしてついにザックのショルダーが千切れかけて限界を迎えようとしていた。

BEFORE。いつ千切れてもおかしくない

裁縫ができる友人になおしてもらって安心。裁縫スキルは必須。

AFTER。もう大丈夫


朝焼けと、右膝という功労者

11日目は快晴。仙丈ヶ岳からは富士山も見えた。

晴れてて最高登山道がずっと気持ちいい
景色が開ければこの先進む道も見えるし

左脚の痛みをこらえて必死に進む

左の肉離れをかばって右脚でがんばった結果、右膝が悲鳴を上げていた。

今日のMVPは間違いなく右膝

熊の平のテント場は雰囲気が良かった。林の中にそびえ立つような小屋。夜はビールと辛ラーメン。

高山裏の天の川

16日間で一番よかった景色は、南アルプスの星空だ。

なかでも12日目、高山裏小屋のテント場。

営業は終わっていて避難小屋として機能していた。人はいない。テント場は風除けになっていて、少し歩けば展望がある。電波もビンビン。

夜、星がえぐかった。

iPhoneでもこれだけ映る

たぶんこの16日で、いちばん贅沢な時間だった。

そしてこの日、この山行で一番うまくいった判断をしている。

当初の予定は三伏峠小屋までだった。でもこのとき、肉離れで下りがきついことがはっきり分かっていた。そして15日目には、2,785m下る長い行程が待っている。

だから、予定を超えて高山裏まで進んだ。13.9km/7時間の予定に対して、23.9km/11.8時間。

計画シートの備考に、こう書き残している。

怪我で下りがきついのがわかったので、Day15の負担を減らすためにここで距離を稼ぐことに

結果、15日目は計画30.3km/12時間が、実績26.1km/7.2時間になった。下りは2,785m想定が2,166mに、登りは1,189m想定が426mに減った。
この判断のおかげで、最終日、68.9kmを歩き切る脚が残っていた。

赤石、聖、そして最後の3000m

13日目は暴風。体が飛ばされそうになりながら、荒川小屋で休ませてもらった。赤石岳の山頂で見た、雷に打たれた木の迫力。

おなじみ雷の怖さを物語る山頂マーク

百間洞のテント場は良かったのだけど、熊が出るということで小屋に泊めてもらった。
暖房の効いた部屋で、同宿の人たちとゆっくり団欒した。

みんな、無知で無謀な僕らにたくさんの知恵を貸してくれた。
東北の飯豊連峰がいい、北海道はトムラウシあたりがいい、アイスランドのロイガヴェーグルというトレイルの記事がある——。
などなど、本当に人は温かい。

14日目は奇跡の晴天(予報は雨だった)。聖岳が綺麗だった。
聖岳はこの長旅、最後の3000m超。感慨深かった。

いつの間にかストックがないと歩けない身体になっていた

聖平では小屋締めセールでパンを買い占めて、茶臼小屋へ。
茶臼小屋で、TJARのコースをなぞっていると話したら、ご主人がご厚意でカレーを大盛りにしてくれた。
美味しかったあ。ありがとうございました。

76歳の同志

15日目。雨。畑薙へ下って、この旅最後の登山道を踏みしめた。

「ついに終わってしまった登山道。さびしいなあ」

登山道終了。泣けてくる
あとはこの道を進むだけ (長すぎ)

そして、この日は田代温泉まで歩いて、最後の宿は民宿ふるさと。温泉、洗濯、夕食。最終日への準備が整った。

その夕食の席で、ある方に会った。

明日駿河湾まで70km歩く3人

76歳。翌日、駿河湾まで歩いてゴールするという。
僕らと同じ日本アルプス全縦走に挑戦していた。3回に分けて、少しずつ。

えぐい偶然。その日夕食を共にした4人中3人が、翌日駿河湾まで70km歩くという狂気w

たくさん話した。60歳を過ぎてからトレランを始めたこと。70歳手前でUTMBに出場したこと。FTR100には第1回から出ていること。おすすめのレースはUTMBとスイスのレース。

改めてだけど、この人76歳。しかもトレラン始めたのは60歳。

この人の話を聞いて、思った。

人が何を成し遂げられるかに、年齢は関係ないんだな。すべては気持ちと意志次第。


海へ(Day16)

最終日。3時スタート。この16日で一番早い。最後だし、がんばれる。

残り72km。早くゴールしたい気持ちからか自然と足早になる。

前半は強度高めの早歩きで9.5分/km。富士見峠の登りは長いけど大したことはない。
残り40km地点のCassoは、朝8時からやっていた。奇跡すぎる。女将さんはTJARを応援している人だった。特製オムライスを食べた。

下り坂はぶっ飛ばせた。前ももは痛いけど、耐えられる。

そこからが本当にきつかった。

日中の暑さがやばい。脚が動かなくなってストックを出した。キロ10分がきつい。街中でも人に気をつけながらストックに頼らないと脚が動かない。
死に物狂いで足を進める。

不審者

ゴールまであと1、2km、海に向かって進んでいるとき——泣きそうになった
この16日間のいろんな思い出を噛み締めながら海に向かう。

そして。

「海だ、、、、!」

大浜公園。海に触れた。

ちょうど海デートをしていたカップルに撮ってもらった。ありがとうございました

15日と6時間20分。無事完走。

体はふらふらで、寒気がしていた。
帰りのタクシーを待つ間、友人と、お互いに感謝を伝え合った。

締めはサウナの聖地・しきじ。最高だった。さわやかは混みすぎていて入れなかったので、しきじの食堂でご飯を食べた。帰りの新幹線では、ずっと思い出話をしていた。

16日前とは心身ともに別人、とりあえずめっちゃ痩せたw

翌日は食欲が爆発して、二郎でリカバリー。
16日間で体重は4kg、体脂肪率は4%落ちていた。


16日間が残したもの

人間力が全部出た

ゴールしてから1年近く経ったいま、あの16日間を一言でどう言うかと考えると、

今までで一番、自分の成長実感が短い期間に詰め込まれた時間だった。
自分の人間力がすべて発揮された感覚があった。

みたいな感じ。

具体的に何が試されたかを並べると、

  • 体験したことのない危険な岩場(剱岳のカニのヨコバイ)で、冷静でいられたこと

  • 強風の中でテントを張り切ったこと(剱沢、宝剣山荘)

  • 計画どおりに進めないときに、計画を調整する意思決定(3日目・8日目)

  • 怪我への対処(捻挫・肉離れ)

  • 山小屋での人との交流

ほかにもたくさんある。書き出したらキリがない。

歩きながら、人生のことを考えていた

山行の前後で、下界の生活が劇的に変わったわけではない。
でも、自分の人生によく向き合うようになった気はする。

山行中、歩いている時間は基本的に無言。何かしら考え事をするしかない。
その時間で、人生について考えることが多かった。

16日間、毎日10時間近く。それだけの時間、自分と対話し続けた経験は、後にも先にもない。

体が覚えたこと

16日間で一番成長したのは、自分の身体を観察して対処することだった。

これは、山を降りてからも効いた。

完走の翌々週末、鎌倉でトレランをした。朝食不足のまま20km走って、サウナと温泉に入って、江ノ電に立って乗っていたら——猛烈な立ちくらみに襲われた。汗が止まらず、視界が不明瞭になり、意識を失いかけた。

でも、なんとか正気を保って、冷静に電車を降りて、ベンチで休んで復活した。

自分の体にいま何が起きているかを観察して、判断する。
16日間毎日やっていたことが、そのまま出た。


いつか出る

16日間、山小屋や宿で本当にたくさんの人と話した。
そして、行く先々で同じことを聞かれた。

「いつレースに出るの?」

TJARのコースを歩いていると言うと、みんなそう聞いてくる。

そんな交流を重ねていくうちに、いつのまにか自分の中に、2028年に申し込もうという想いが芽生えていた。

人と会うたびに、その意志は強くなった。

交流した人たちとの約束は、必ず果たしたい。

2028年に出られるかは分からない。選考があるから。
でも、申し込みできる資格は用意する。

同じ道を8日以内で走り抜けるTJARの選手たちのことは、歩く前から「すごい」と思っていたが、実際歩いてみて、よりそのすごさの解像度が上がった。
自分たちが今回16日かけて歩いたコースを、半分の8日間で踏破するのはスゴすぎる。本当に。
でも今は、「自分もあれをやるんだ」という同じ土俵の人として見るようになった。成し遂げるぞ。


感謝

16日間の山行を終えて、海を触って溢れ出てきたのはもちろん感謝

**妻へ。**16日間、何も言わずに「いってらっしゃ〜い」と送り出してくれてありがとう。

**会社へ。**3年勤続の連続休暇制度がなければ、この挑戦は成立していなかった。快く送り出してくれたチームに感謝。
そして、出発前に工程を見てくれた大先輩へ。「雷雨は15、16時くらい」「風で体温を奪われるのに注意」「雨水を使っていい小屋があるから浄水器を」——もらった助言は全部シートに書き込んで、全部そのとおりになりました。アルプス未経験の2人が無事に帰ってこられた理由の、かなりの部分がここだったと思っています。ありがとうございました。

**山小屋と宿の皆さんへ。**予約なしで泊めてくれた駒峰ヒュッテ。閉店中に店を開けてくれた沢渡のドライブイン。悪天候の日に山荘の中で身支度をさせてくれた宝剣山荘。カレーを大盛りにしてくれた茶臼小屋。茹でとうもろこしをくれた木曽おぎのやのお兄さん。ルート情報を教えてくれた熊の平のお姉さん。たくさんのアドバイスをくれた百間洞小屋のみなさん。朝8時から開けてくれていたCassoの女将さん。みなさんの優しさ温かさのおかげで最後まで歩みを進めることができました。ありがとうございました。

**最終日の前夜に出会った76歳の方へ。**同じ挑戦をしている人に、あの晩に会えたこと。あれは偶然というには出来すぎていました。本当に活力をもらいました。自分も同じ年になっても元気にハードに登山しているようにがんばります。

**そして、一緒に歩いてくれた友人へ。**間違いなく最高のバディです。高校の同級生という身近なところにこんなにも頼もしい友人がいて自分は本当に恵まれていると改めて強く思う16日間でした。これからも挑戦していこう。


付録

他にも詳しい記録はぼちぼち個別記事を書いていこうと思います。

なんか書いてほしい深堀って欲しい内容があればコメントください。たぶん書きます。

とりあえず暇なときに書こうとしてる個別記事↓

  • 自分のスペック、自己紹介

  • アルプス未経験の2人がどうやって今回の計画を引いたか

  • 今回の挑戦のための練習2回の記録 (雲取山、甲武信ケ岳)

  • 16日間圏外の山を歩くときの家族への連絡

  • 装備リスト

  • 16日分の食料計画

  • テント泊で食べる絶品辛ラーメン

  • 捻挫2回と肉離れへの対処

  • 16日間で風呂に入れたのは4回だった

  • 16日間の充電計画、40,000mAhでも足りなかった話

  • 山の途中で、Amazonをコンビニ受け取りした話

動画

それから、16日間で約80時間分を撮りました。暇なときにYouTubeに上げていきます。

→ とりあえずほぼ無編集で上げました


金銭面

計画時点の見積もりは60,000〜70,000円でした(宿泊費と幕営料の積み上げ)。内訳の大きいところは、太郎平小屋12,000円、仙丈小屋11,500円、木曽おぎのや11,000円、民宿ふるさと8,400円、平家の里6,325円、各テント場が1,000〜2,200円。

これに往復の新幹線代と、道中の食料買い出し、山小屋での買い足しが乗ります。実際の総額は集計していないので分かりませんが、16日間の日本横断で宿泊費が10万円弱というのは、我ながら安いと思います。


信仰の北アルプス⛩️、修行の中央アルプス🧘、自然の南アルプス🌳。
そんな色を感じながら歩いた16日間でした。

読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

↓もろもろリンク

Instagram

https://www.instagram.com/shinsaku_toyama/

山行記録

ヤマレコ:

YAMAP: 

YouTube:


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