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マレーシアでの高市早苗首相の行為が話題になっている中、せっかくなのでマレーシアの教科書の記述を紹介ー禍転じて福となすべく、歴史を直視したい

 以前、日本の戦前のアジア各地への侵略を、それぞれの国の教科書がどのように書いているか、抜粋して紹介させていただきました。

 一方、2025年10月26日、首相に選出されて初めてマレーシアを訪れた高市早苗首相がクアラルンブールの日本人墓地で慰霊碑に献花し「先人を慰霊」した後、二度の大戦やマレーシアの独立闘争で亡くなられた兵士や市民のための国家記念碑を訪問し、歴史に思いを馳せたとXに投稿しました。

 これに対し、海外からも「なぜマレーシアの兵士や民間人が第二次世界大戦で命を落としたのか?それは日本の侵略と占領に対して戦ったいたからだ」「日本が行った残虐行為については一切触れられていない?」「犠牲者を無視しながら侵略者に敬意を払うことは歴史に対する不敬」などのリプが投げられ、日本人からの戦時中の指摘も並びました。

 前回のアジア教科書の紹介では、マレーシアは記述が多かったせいもあり取り上げていませんでしたが、この機会に、あらためて現地でどのように日本占領時代が教えられているか学んでみましょう。少し古い本ですが、1990年発行の「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」増補版(梨の木舎・越田稜編)より、中学校2年生用「歴史の中のマレーシア」(マレー語版ー1988年出版)の主要部分を紹介させていただきます。
 37年前の教科書で古くはありますが、逆に、現在のマレーシアの中堅層がこうした教育を受けていたということになります。また、高等教育の部類に入ってきますので、さまざまな指導層でもあると言えます。今後の友好提携のためにも、これぐらいの事実は押さえておきたいものです。

 まず、目次から。日本の占領時代に1章を割いています。政治背景もあるかも知れませんが、少ないものではありません。

日本の中国侵略から解説しています
20世紀初頭からのイギリス支配が1957年に終わったが、そのうち3年半が日本占領時代
日本の周辺諸国への侵略政策から解説

 日本の東南アジアへの勢力拡張の理由を「経済的必要性」と的確に解説。

石油、ゴム、スズ、鉄鉱石などの資源を求めてきたと

 当時の日本の政治状況。ニ・二六事件を経て、一層軍部中心となり、ドイツとの関係を深めたことを説明していますが、実際は政治家の関わりも大きかったのですが。政党は弱くなりましたね。

軍主導の政治と変化した過程にも触れている

 大東亜共栄圏について「しかし、実際に日本が望んでいたことは、経済的に支配する帝国を作り上げることだったのだ」と喝破。そして、満州事変から日中戦争の1939(昭和14)年までを「第一段階」、仏印進駐を始めた1940年から1945年までを「東南アジアを侵略した時期」と分けているのは、まさに東南アジア目線の日本の侵略の分析といえます。実際、資源枯渇で日中戦争継続に苦しみ始めるのも1940年ごろですから、的確です。
 つい、満州事変から1941年までの日中戦争とその後の太平洋戦争に分けて考え勝ちなのが、中の人も含めた日本の戦争認識ですので、この教科書の侵略段階の分け方は大事な視点だと思います。

大東亜共栄圏の欺瞞を指摘

 さて、教科書ではコタバル上陸からわずか10週間で日本軍がマレー半島を占領した経緯も丁寧に紹介しています。そして、占領下の記述が始まります。「解放獲得への期待」を裏切り、「自分たちの植民地であるかのように支配」と受け止められます。シンガポールなどの海峡の枢要な地域は直轄地にされ、其の他はスルタンが州の長になることを許されましたが、実際は日本の軍政官が実権を握っていたのですから、当然ですね。

評議会という組織も作られますが、統治の権限はなし。

 そして、日本軍の諜報部隊についての記述があり、あやしいとにらまれ憲兵に逮捕されると、残酷に扱われたという圧政の状況を描写しています。

現地人をスパイとして利用
疑わしいというだけで罪人扱いされ、手足の爪を抜く拷問も

 そして、日本語教育をはじめとする同化政策が混乱を広げたとします。

 また、経済では日本人が大きな企業を独占し、個人のゴム収穫などは決められた価格でしか売れなくなり停滞、ゴムを輸出できなくなって、ゴム林を食糧用に転換など、現地の主産業は破壊されてしまいます。

 そして、既にあった東南アジア文化圏の輸出入の流れを日本軍が断ち切ってしまい、また、日本政府には新たな経済圏を構築する能力がなく、ひたすら収奪するだけとなり、とうとうコメ不足まで引き起こします。

コメの配給制度も格差付き

 こうして産業が破壊され食糧難になる中、日本軍は通貨の代わりとなる「軍票」を発行します。流通する軍票が多くなれば、それだけその価値は下がるので、さらに大量の軍票を流通させ、インフレーションを起こしてしまいます。

日本軍占領前の卵1個の値段は1945年には116倍に

 さらに、日本の軍政がひどく、殺人と強盗が多く発生。医療の供給もなく、泰緬鉄道建設でおよそ10万人が犠牲になったとしています。

 また、各民族への対応の違いがあり、中国人は数万人が殺害されるなど、日中戦争との関係で激しく迫害されます。

アンパン村の中国人虐殺も記述。反日組織につながったと。

 インド人に対しては、対英戦争に利用できると友好的だったものの、最終的には離反されます。マレー人に対しては、中国人を逮捕させる地位に置き、民族間の友好を壊し対立を増加させます。そしてマレー人の失望を招き、ここからも反日運動が生まれることになります。

「イギリス支配の方が日本の支配よりもいいと思い始めた」

 こうして、反日組織による抵抗運動もさまざまなグループによって行われるようになる中、日本の敗戦を迎えます。そしてイギリスが復帰してきますが、イギリスに対する失望と、日本支配時代に蓄えられたナショナリズムが噴出し、政治運動につながって、12年後に独立を果たします。

日本の民族分断政策で混乱するも、やがて独立運動へまとまっていく

 これでも、記述の一部です。戦時下の占領を経験したことのない日本人には、こうした現地の人の声を聴くことでしか、その人たちの苦労を知ることができません。日本が生き残りを図るために周囲の国を犠牲にすることなど、許されるはずもありません。少なくとも、こうした経過を現地目線で把握して、今後の友好的な交流を発展させていきたいものです。

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