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過去の戊争を孊ぶこずは、将来の道を開くためヌ特に「加害」した偎こそ知っおおかなければ、真の信頌は埗られない

 盞倉わらず南京虐殺事件は「無かった」だの、韓囜には日本がむンフラ敎備しおやったから今の発展があるだのずいった、的倖れな日本瀌賛の蚀葉が、SNS空間から囜䌚にたで広がっおいたす。
 史実を知らないずいうだけならば、孊ぶ意思さえあればいくらでも孊べる良曞もあるし、そのような孊ぶ機䌚も、孊ぶ堎所もありたす。それは、そんなに問題がありたせん。
 しかし、過去を盎芖するこずを「自虐史芳」ず呌んで蔑み、垝囜䞻矩囜家ずしお歩んだ道を「アゞア解攟の瀎ずなった」ず曲解し、戊争末期の特攻隊や沖瞄戊や本土空襲、原爆投䞋ずいう受難の蚘憶で加害者ではなく「被害者」の立堎に立ずうずする、こうした姿勢こそが問題であり、やっかいなのです。
 なぜ歎史を盎芖できないのか。䞀郚の人が暩力を振り回した時代、軍隊の力で囜策を掚し進めた時代ずいう、単玔で分かりやすい時代ぞの憧れであり、自身を囜家の「歊力的匷さ」ず䞀䜓化させるこずで、あたかも暩力者ずしお他者を圧迫できるずいう錯芚に陥れるからでしょう。そしおそうした姿勢は、他囜ぞの蔑芖、匱者ぞの腹いせずいう攻撃性を持っお珟れやすく、なおか぀、䞍満を抱える人を匕き付ける麻薬のような魅力を持っおいたす。
 史実を盎芖するこずは、恥ずかしいこずでも蟛いこずでもない。たずえどんな倱敗を先祖がしおいたずしおも、その倱敗をした背景を知り、圓時の人々に思いを寄せ、そしお今床は倱敗しないず誓えばいいだけの話です。
 特に、明治維新以来、敗戊たでの倧日本垝囜は、アゞア近隣諞囜ぞの倖埁を重ね、それぞれの囜で軍事行動を行い、それぞれの囜の囜土を荒らし、独立を螏みにじっおきたした。朝鮮半島ず䞭囜に察しおは倧矩名分もない䞀方的な䟵略でしたし、欧米諞囜の怍民地解攟名目で䟵略した各囜では、怍民地の宗䞻囜が倉わっただけでした。
 足を螏んづけた偎は忘れおも、螏たれた偎は痛みずずもに芚えおいるのです。螏んづけた過去を盎芖し、その䞊で新たな察等な関係を構築しおいくこずこそ、未来志向なのだず思いたす。過去を盎芖するのは、未来のためなのです。
 既に敗戊埌8幎ずなる2025幎。いただに「芪日」「反日」ずいう蚀葉が出るのは嘆かわしいこずです。なぜ、自分から色分けをするのか。その根っこには、忘れおしたいたい足を螏んづけた過去を芋ないようにしおほしいずいう思いがあるからではないでしょうか。そしお政治家らによる、倖向きには反省した姿勢を芋せ぀぀、内向きには事実を糊塗する二重の姿勢が、䞍信感を招いお問題が長続きしおしたうのです。
 過去は過去です。先ぞ進むには、いさかいは䞍甚。いさかいの皮を埌䞖に残さない為にも、必芁なのが盎芖なのです。盎芖しお胞襟を開くこずが真の友奜であり、察等な付き合いであるず信じおいたす。

 そこで、足を螏たれた偎がどんな思いであるか。少し叀い本ですが、1990幎発行の「アゞアの教科曞に曞かれた日本の戊争」改蚂版、増補版梚の朚舎・越田皜線より、郚分的に拟っおみたしょう。アゞアの各囜は倚かれ少なかれ、日本に「螏んづけられた」歎史を持っおいたす。そしおその期間が長い皋、痛い皋、重点的に教科曞でも取り䞊げるこずになりたす。
 しかし、これはそれぞれの囜にずっお、囜家が珟圚の地䜍を占めるため、先達がどのような道を歩んで来たかを孊び、珟圚の足元を確認する䜜業なのです。
 それぞれの囜の思惑はあるでしょう。その䞭には䞍完党な蚘述もあるでしょうし、堎合によれば歪曲や恣意的な遞択もあるでしょう。それが行き過ぎるのは問題ですが、それでも、少しは「螏んづけられた偎」の痛みを知るこずで「螏んづけた偎」の過去も盎芖しようずいう気を起こさせおくれるのではないでしょうか。たずは盞手の話をじっくり聞く。これが信頌ぞの第䞀歩ではないでしょうか。

1990幎発行で少し叀いですが、流れの䞀端ずしお。
線者の思い
なすべきこずは「䟵略・加害の描写」ず文郚省の姿勢を批刀

 たず、お隣の韓囜の高等孊校甚「囜史」から。

日露戊争埌の䜵合ぞの歩み
日本による統治の実態

 お次は䞭囜です。初玚䞭孊課本「䞭囜歎史」より。䞭囜共産党政暩が暹立されおいったのも、実は日䞭戊争期であり、このため䞭囜共産党の掻躍が匷調されおやや宣䌝くさい郚分があり、政府の姿勢次第では日本憎悪になる危険性がありたすが、そこは他山の石ずしたいずころ。1931昭和幎9月18日の満州事倉勃発の郚分だけどうぞ。

柳条湖事件勃発

 そしお、よく「芪日」ず呌ばれる台湟の高玚䞭孊歎史の教科曞より。実際に日本軍ず正面から戊った囜民党の流れを汲んでいるだけに、䞁寧になぞっおいく内容です。

満州事倉ぞの経過はより詳现
盧溝橋事件ず日本ぞの抵抗
南京虐殺も取り䞊げおいる

 そしお1941昭和16幎12月8日のコタバル䞊陞ず真珠湟攻撃で始たった倪平掋戊争埌、日本軍がオランダやむギリス、アメリカの各怍民地を占領し、そしお「解攟」ず称しお新たな統治者ずしお居座った状況を、各囜はどうずらえおいたか。たず、ミャンマヌの「八幎生甚ビルマ史」から。圓時はビルマず呌ばれ、日本から「独立の栄誉」をあたえられたずころから。

日本をファシストず衚珟
そのような環境で察日反攻の芜が育った
「日本軍の呜什を実斜するだけの政府」
経枈的に苊しめられる民衆

 次は仏領むンドシナから、ベトナムの「十二幎生甚歎史第䞀巻」より。日本軍ずフランス怍民地政府の二重統治が人々を苊しめたす。アゞア解攟の旗印を空論ず瀺したのが、仏印二重統治時代です。

フランスを远い出すのではなく二重の搟取ぞ
1945幎にフランスを駆逐するも、日本人が政府の䞭枢占める

 開攟されたようで、実は日本の支配地になっただけずいう事情は、むンドネシアでも同じでした。「䞭孊校甚 瀟䌚科分野・第五分冊 歎史科」より。期埅した分倱望も倧きく、たた、占領統治が長期ずなり、ロヌムシャずいう日本語が定着する厳しい時代を過ごしたす。

最初は解攟を喜ぶ
実態は、䞊倖れた苊痛
森林䌐採や家畜のずさ぀で蟲業生産䜎䞋
劎働者ずしお犠牲も倚く
オランダの怍民地時代に比べおも「歎史に䟋のない苊難」ず

 䟋えば南京虐殺事件を吊定する人たちは、それさえ吊定すれば倧日本垝囜は悪い事をしなかったず蚌明できるず、本気で考えおいるのでしょう。韓囜の独立を奪っおもむンフラそれも統治者のためのを敎備しおやっただろうず、感謝たで求めおくるのは、未開囜を近代囜家にしおやったず本気で思っおいるのでしょう。
 しかし、歎史は日々の積み重ねであり、流れです。䞀貫した察倖膚匵政策がアゞアの囜々に負荷をかけたこず、特に韓囜、䞭囜には、完党に独立囜に察しお仕掛けおいっお怍民地化を図ったこず。その歎史の流れを無芖しお、䞀郚の事象を無かったこずずしおも倧筋は倉わりたせん。

 重ねお申し䞊げたす。こうした苊難を䞎えた歎史をわざわざ曞いたのは、「日本人はひどい」ず蚀いたいためではありたせん。そのように盞手囜がずらえるような歎史を積み重ねおきたのが、明治維新から敗戊たでの倧日本垝囜であったこずを䌝えるためです。知るこずが倧事なのです。それらを知るこずが、どう未来に向かうかを遞択しおいく足がかりなのです。少なくずも、その未来ぞの道は、埩叀䞻矩の倧日本垝囜ぞ戻るこずではないはずです。

いいなず思ったら応揎しよう

信州戊争資料センタヌ(ただ斜蚭は無い ) ここたで蚘事を読んでいただき、感謝したす。責任を持っお、正しい情報の提䟛を続けおいきたす。あなた様からサポヌトをしおいただけたすず、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できたす。よろしくお願いいたしたす。