父の戦記|第ニ話 祖父は、戦場で草競馬をしていた。
父が残した『父の戦記』を読み進めている。
少しややこしいタイトルだが、これは私の父が、自らの父――つまり私の祖父・佐藤明の戦争体験をまとめた記録である。
祖父は幼い頃に両親とともに台湾へ渡り、そこで育った日本人だった。
その後、支那事変から太平洋戦争にかけて従軍している。
私はこれまで、「戦争」と聞くと、とにかく悲惨で重苦しいものばかりを想像していた。
だが、父の文章の中には、少し意外な風景も残されていた。
海南島に駐留していた頃の話である。
祖父は野砲隊で大量の馬を扱っていたという。
そのため、馬の手入れも重要な任務だった。
「馬の手入れをようやらされたもんやわ。毛をピカピカに磨いて、ひづめの裏まできれいにしとかんとな、『もといっー!』ちゅうてやられるんよ」
父によれば、「もとい」とは、“最初からやり直せ”という意味だったそうだ。
「海南島におった時は、何キロか離れとる川へ、馬を水浴びさせによう行ったもんじゃ。皆で裸馬に乗って、『ヨーイ、ドン』で草っ原を河原まで競争するんよ。へたなもんは、振り落とされんように馬の首にかじりついて必死じゃった」
戦場で草競馬。
言葉だけを見ると、妙にのどかな響きがある。
もちろん実際には戦地であり、命懸けの日々だったのだろう。
それでも若い兵隊たちは、ほんの束の間、馬を走らせ、笑い合っていた。
祖父は馬が好きだったらしく、父によれば、馬の話をする時はいつも目を細め、当時を懐かしむような表情をしていたという。
「おれは馬に乗るんはうまかったもんよ」
とも語っていたらしい。

戦地での思い出を語る時、祖父は時折、ある男の名前を懐かしそうに口にしたという。
祖父の戦友だった、河津憲太郎という男だ。
1932年に行われたロサンゼルスオリンピックの男子100メートル背泳ぎで、銅メダルを獲得した水泳選手だったという。

前列左より祖父、河津憲太郎氏
五輪で世界と戦った男が、数年後には戦場にいたのだ。
海南島では、祖父たちは川で泳ぎを競ったそうだ。
「おれらがなんぼいっしょうけんめい泳いでも、河津にはかなわんかった。河津が面白がって、おれらの体を両足で抱えこんだら、どうやっても足を外せんのじゃ。足の力が、ごっつい強かったわ」
父は、この河津氏の話を何度も聞かされていたらしい。
そんな河津氏の訃報に接したのは昭和45年。
偶然、父が週刊誌の記事の中に、その名を見つけたのだという。
見出しは――
「焼身自殺の元五輪選手」。
河津氏は、仕事や家族の悩みに加え、体調も優れなかったらしく、後年、自ら命を絶った。
祖父は驚きながら、戦友だった河津氏の記事を、じっと見つめていたという。
戦争の記録と聞くと、英雄談や悲惨な戦禍を思い浮かべる人が多いかもしれない。
だが、父の戦記に残されていたのは、もっと人間臭いものだった。
過酷な戦場を生き抜いた人が、ようやく訪れたはずの平和な時代に、自ら命を絶つ。
もちろん、本人にしか分からない苦しみがあったのだろう。
ただ私は、その事実を今も、どこかうまく飲み込めずにいる。
馬を走らせた若者たち。
川で泳ぎを競った戦友たち。
そして、それぞれの人生。
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