ネットの「男性差別」という名の、ただのルサンチマン。
先日、タイムラインのオススメに突然「男性差別」を声高に訴える記事が流れてきました。「男性差別」ってそもそも何ぞや?と興味をそそられたので見てみたところ、その中身は「男性差別は女性のせいだ」という女性への恨み節がつらつらと書かれたものでした。
私は幸いなことに、これまでの人生で男性差別だと憤るような経験が全くありません。そのため、なぜ彼らがそこまで被害者意識を募らせるのか、純粋なロジックとしてその「違和感の正体」を徹底的に掘り下げてみることにしました。
結論から言えば、世間で騒がれている「男性差別」の多くは差別などではなく、「強者の論理の押し付け」であり、それを叫ぶ人々の「認知のバグ(八つ当たり)」に過ぎません。
今回は、私たちが目指すべき本当の「公平」と、世に溢れる「平等」という言葉について言語化してみます。
1. その「生きづらさ」は本当に女性のせいなのか?
巷で「男性差別(男性特有の不利益)」として挙げられる事例には、以下のようなものがあります。
過酷な労働や「大黒柱」としての経済的プレッシャー
弱音を吐けないメンタルヘルスの抑圧
育休取得に対する職場からの冷ややかな視線(パタハラ)
しかし、これらをよく観察してみてください。これらのルールや空気を作り、管理し、最終的に承認しているのは誰でしょうか? その大半は、社会の意思決定権を握ってきた「年長男性(強者)」です。
つまり、これは「男 vs 女」の差別構造ではなく、「強者男性が作ったシステムを、弱者男性に押し付けている(ホモソーシャルな抑圧)」というのが社会学的な実態に最も近いです。

それにもかかわらず、システムそのものを批判する力のない人々が、自分たちを追い抜いて支援されているように見える「女性」を敵に設定し、スケープゴートにしているのが、ネットで見かける恨み節の正体です。完全に加害者を見誤っています。
これと似ているもので子育てにおいて母親だけに当たりが強く、父親にはそれがないのもこれに近いものだと思われます。
2. 統計的リスクヘッジは「差別」ではなく「合理的な区別」である
また、男性が「潜在的加害者」として扱われることを「差別だ」と怒る声もあります。しかし、これもロジックとして破綻しています。
客観的な統計やデータとして、性犯罪の加害者に男性が多いという事実がある以上、社会が防犯のために一定の警戒心(リスクマネジメント)を持つのは、生物的にも統計的にも「合理的で自然な反応」です。
動物の世界でも、繁殖期のメスや縄張り争い中のオスに対して、動物園や病院が警戒レベルを変えるのは当然のリスクヘッジです。

社会を回すためには、マクロな「確率論(統計データ)」ベースでシステムを組むしかありません。それを「自分という個人への人格否定」と誤読し、「男だからって警戒された!差別だ!」と怒るのは、強すぎる感情がロジックを無視しているにすぎません。
3. 「数値の平等」という暴力と、愛という名の「究極の差別」
現在社会が目指している「男女平等」の多くは、見た目の数値や待遇を無理やり揃える「結果の均等」ばかりを追いかけています。しかしここには、「男女、あるいは個体によって満足度が決定的に違う」という視点が抜け落ちています。
例えば、夫婦でラーメンを食べに行くとします。 見た目の数値を平等にするために、2人とも全く同じ「並盛(300g)」を同じ料金で提供されたらどうでしょうか。たくさん食べたい私は「物足りない(不満)」と感じ、少食の妻は「多すぎる(不満)」と感じます。結果、どちらにも不満が残ります。

本当に目指すべきは、以下のような状態です。
私は「特盛(500g/料金高め)」で満腹になる
妻は「小盛(200g/料金安め)」で満腹になる
見た目の数値や料金には差がありますが、「満足度」という目に見えない指数では限りなく公平になります。

現在の安易な平等論は、個体差や属性のニーズを無視して、一律に並盛を配る「平等の押し付け」になっています。そもそも、数字という分かりやすいものさし自体が、客観的データしか信じない男性的なシステムが生み出したバグなのです。
人間は本質的に、自分が優遇や特権を受ける「差別」が大好きです。嫌いなのは「不当に(理不尽に)扱われること」であって、一律のフラットを求めているわけではありません。
なんなら、「人を好きになって愛する」ということは、特定の誰かを他の有象無象から切り離して特別扱いする、究極の差別です。差別のない世界とは、誰も誰からも特別に愛されないディストピアです。

差別の仕方に美学や適切な手段は必要ですが、差別(特別扱い)なくして人間が幸せを感じることは決してありません。
また、どれだけ男女平等を掲げようとも、個人から滲み出される人間性や魅力というものは底上げされて均等になることはありません。むしろ男女平等が広がるほど、その差に対する劣等感だけ強く感じることになるでしょう。
4. 私は「平等に差別」し、「差別の内容は平等にしない」
だからこそ、私は「堂々と差別(個別最適)しますよ」というスタンスを取っています。
「平等に差別はするけれど、差別の内容を平等にしようとは思いません」
妻には「妻にしかしない特別な差別」を、 子どもには「我が子にしかしない特別な差別」を提供する。 仕事の相手には「成果に応じた適切な差別(評価)」を提供する。
目の前の人間を「その他大勢」として雑に扱わず、その人のスペックや関係性、年齢、性別、個性に100%向き合って個別に最適化された特別扱い(=差別)を配分していく。そうでもしなければ、リアルな現場(特に家庭や子育て)なんて回るはずがありません。

「上の子と下の子は年齢も性別も違う。子供という記号で一括りにして一律同じ扱いをしたら、家庭は崩壊する」ーーこれが、現実を生きる当事者のリアルです。
5.不平等だけが平等に配られる
私たちは生まれてから死ぬまで、見た目、能力、お金、人望、経験など、決して誰かと同じになることのない不平等なリソースを、不平等のまま平等に与えられているだけです。
そんな世界で「男性差別だ」「弱者を救え」と大声で叫ぶ人々は、実は「平等な世界」など求めていません。仮に彼らに「全く同じもの」を配ったとしても、彼らが喜ぶことはありません。
なぜなら、彼らの視線は常に「他人の皿」に向いており、「他人が自分よりいい思いをしているのが許せない」という終わりのない比較ゲームの中にいるからです。
例えるなら、「手持ちのお金がない時に、欲しかったものが大安売りされているのを見つけてキレている状態」です。
全員もれなく9割引きだったとしても、買えないという事実は変わりません。必要なのは「割引券の有無」ではなく、自分の財布にお金が入っているかどうか、つまり「自分自身の現状の満たされなさ」の問題なのです。

他人がどれだけ不幸になろうが、自分の財布にお金は増えません。他人の幸福と自分の人生は関係がないのです。
なにより彼らは、自分が無意識に享受している「男性側の特権」には驚くほど盲目です。 例えば、結婚や出産でキャリアが中断しない前提で社会から信頼されること、ビジネスの場で最初から「一人前」として扱われるデフォルトの信用、そして家庭のタスクを少しこなすだけで「素晴らしい」と加点されるボーナスステージ。これらはすべて、男性だからこそ最初から配られている強力な特権です

しかし、彼らがこの男性特有の特権に気づくことはありません。なぜなら、彼らには「実体としての女性と人生を深く交わし、隣で比較する機会」そのものがないからです。

結婚し、パートナーと共に仕事や子育ての現実を回していれば、社会のシステムが男女をどう不平等に扱っているか、男性側にどんな下駄が最初から用意されているかは、嫌でも日常の中で気づかされます。
もっとも、これは結婚という形式が必要なわけではありません。職場の雑務という名のケア労働を誰が背負っているか、夜道での安全という当たり前の権利を誰がどれだけのコストを払って確保しているか、あるいは恋愛という市場において属性がどれほど残酷に価値を規定するか。
他者のリソースがどこに割かれ、誰がどのコストを免除されているかという構造さえ観察できれば、日常の至るところでその事実に突き当たります。結局、自分の財布の中身と他者への配慮に無頓着な人間だけが、その「構造的な下駄」を履いていることに気づけないだけなのです。
その一次情報を持たない彼らにとって、女性とはネットの画面の向こうにいる「自分より優遇されているずるい記号」でしかありません。比較する鏡がないから、自分の手元にある特権が完全に見えなくなっているのです。
6.「平等」というパッケージの正体
社会で美化される「平等」や「差別反対」という言葉は、実は「自分が損をしたくない、他人が羨ましい」という原始的な妬みや僻みを、正義の訴えに見せるために美しくパッケージ化したメッキに過ぎません。
過去の記事でも書きましたが、平等を突き詰めると男性自身も自分の優遇や特権を手放すことが必要になります。女性の優遇ばかりに目を向けて男性の特権にすら気づけてない彼らが、自らの特権を手放してまで平等を与える側に立てるとは到底思えません。
自分の財布(リソース)を見つめ、自分の美学に従って、目の前の大切な人たちを徹底的に「個別最適(特別扱い)」していく。それこそが、綺麗事に振り回されず、この不平等な現実を豊かに生き抜くための、唯一のスマートな戦略なのだと思います。

他者の皿を羨み、平等という甘い毒にすがる暇があるなら、自分の財布をどう満たし、誰を特別扱い(差別)して幸せにするか。私は無機質な平等の世界で生きるよりも、大切な人たちを際限なく特別扱いし、自分自身も唯一無二の存在として扱われる最高に不平等な人生を歩んで生きたいのです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。男女それぞれの視点からのリアルな声を歓迎します。皆さんのコメントが、わが家のこれからのドタバタな毎日を、少しだけ心地よく回す、次のヒントになります。
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