なぜ夫婦の「男女平等」をめぐる話し合いは、永遠に平行線をたどるのか
テレビのバラエティ番組やインターネットの記事で、
夫婦生活における「男女平等」や「家事・育児の不満」がテーマになるとき、いつもお互いの主張が噛み合わずに平行線をたどっている様子を目にします。
妻側の「これだけ大変なのに分かってくれない」という訴えに対し、夫側が
「俺だってこれだけやっているのに、なぜ認めてくれないのか」と言い返す光景は、もはやお決まりのパターンと言っていいかもしれません。
なぜ、この議論はいつまで経っても交わらないのでしょうか。その理由を深く掘り下げていくと、男性側の主張が抱える「ある矛盾」と、
男女間で「平等の目的」が根本からズレているという、一つの構造が見えてきます。
1. 男性側の主張は「後出しジャンケン」
そもそも、妻側と夫側では、戦っている土俵がまったく違います。
妻側が訴えているのは、日々の家事や育児の負担、それに伴う自分の生き方の妥協といった、日常の根本にある「役割の不平等」です。
これに対し、夫側が反論しているのは、日々の会話の中で
「なぜ妻の愚痴は許されるのに、夫が同じように不満を言うと拒絶されるのか」という「話し合いのルールの不公平さ」です。
つまり、妻側は「実際の生活が平等ではない」と言い、
男性側は「言い合える環境が平等ではない」と言っているため、
どこまで行っても交わりません。

ここで注目すべきなのは、男性側の不満の多くは、普段から主体的に抱いていた悩みではないということです。
妻側から「あなたのここが足りない」と指摘されて初めて、悔しさや気まずさから身を守るために、
「それを言うならお前だって……」
とその場で反論の材料を探しているに過ぎません。
これが、男性側の理屈が「後出しジャンケン」になってしまう正体です。
一方で、女性側が男性に対して
このような「後出しジャンケン」をすることは、
ほとんどありません。
なぜなら、女性側は日常的に家事や育児の全体像を把握し、動かしている「本当の当事者」だからです。

相手に言われてから防衛材料を探す必要がなく、その場にある事実と正論だけで、最初から堂々と話をすることができるからです。
2. 「特権を手放す」という本当の平等
私たちはよく「男女平等」という言葉を使いますが、本当の意味での平等を目指すなら、自分が損をしている部分を埋める(底上げする)ことだけでなく、「自分が無意識に得ている特権を手放して、自ら相手と同じ位置まで下がる」という姿勢がセットでなければ成立しないはずです。
しかし、人間は誰しも、自分が得をしている部分には触れたくないものです。
例えば、私自身も一人の男性として感じることですが、男性は外でほんの少し子供の面倒を見ただけで、世間から「偉いね」「よくやってる」と簡単に評価してもらえる傾向があります。
女性が同じことをしても、当たり前だと思われるだけで、わざわざ褒められることはありません。
これは男性側が持っている、ある種の「特権」です。

もし、ここに本当の平等の理屈を当てはめるなら、
女性から「私ばかり評価されなくて不公平だ」と言われたときの
男性側の正しい返答は、こうなるはずです。
その通りだ!! こんな簡単なことで俺だけが褒められる社会はおかしい。俺を褒める暇があるなら、毎日頑張っている妻をもっと評価してくれ!!!
しかし、実際の家庭の中で、自ら自分の下駄を脱ぎ捨てて
「俺の奥さんをもっと褒めろ」と言える男性は、ほとんどいません。
お互いに「相手が持っている、ずるくて楽そうな部分」だけを指差して、「そこを平等にしろ」と言い合っているのが実態ではないでしょうか。
3. 「平等のゴール」の致命的なズレ
なぜこのようなすれ違いが起きるのかといえば、
男女間で「何のために平等を目指すのか」という目的自体が、
完全にズレているからです。
女性が目指す平等は、人生の節目(結婚や出産)によって自分の生き方や
働く手段が一方的に奪われるリスクを減らし、お互いが一人の人間として「自立」して生きていくための、【前提と過程の共有】です。
日々の生活を破綻させないための、切実な生き残り戦略と言えます。
一方で、男性が求める平等は、相手から責められたときに自分の面目を保つための、【結果だけの帳尻合わせ】になりがちです。
生物学的な負担の違いや、これまでの細かい家事の積み重ねといった
「過程」をすべて無視して、
最終的な言葉の強さや、その場の勝ち負けといった「結果」の数字だけを「五分五分」にしたがります。

家事や育児という共同作業において、日々の泥臭いプロセスを共有しようとせず、結果の帳尻合わせばかりを気にして「後出しのジャンケン」を続けている限り、夫婦の溝が埋まることはありません。
4. 現場に立つ当事者として
私自身、子供を連れて外出した際、イオンのベビーベッドや、公共の多目的トイレの充実ぶりに、どれだけ助けられたか分かりません。
男性が外で子供にミルクを飲ませたり、オムツを換えたりしようとするとき、お湯がもらえる場所や、男性でも気兼ねなく使える広い着替えスペースは、本当に貴重な存在です。

しかし、こうした場所の不足をどれだけ訴えても、社会にはなかなか届きません。
なぜなら、外で実際にその不便さに直面し、
本気で困り果てた経験を持つ男性が、
社会全体で見ればまだ圧倒的に少ないからです。
男性が「結果の平等」というプライドの防衛戦をやめ、家事や育児の「プロセス(過程)」を共にする本当の当事者になったとき、初めて
「外でオムツを換える場所がなくて本当に困る」
という切実な声が、社会の仕組みを動かす力になるはずです。
お互いを言い負かすためのジャンケンを終わりにし、それぞれが抱える生活の実態をフラットに机の上に並べ合える関係を作ること。
それこそが、不毛な平行線から抜け出すための、最初の一歩なのだと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。男女それぞれの視点からのリアルな声を歓迎します。皆さんのコメントが、わが家のドタバタな日常を乗りこなす次のヒントになります。
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