[エッセイ] ゼロカロ・リーもしくは天丼が囁く
自分をやめたいと思ったことはあるだろうか?
私はもちろんある。
客観的に考えてもない方が困るだろう。
それくらい自己肯定感が低い。
もろちん、間違えた、もちろんそこに至るまでに様々な要因があるのだが、それを一から説明するには八月は暑すぎる。
クーラーの冷気よりも脂肪燃焼による発熱の方が勝る世界線で生きているのだから、そりゃもろにはしたない格好になってしまうし、脳の回転が金星の自転くらい遅くなって何も考えられなくなってしまうのもしょうがない。
こういう時は気分転換に名前を変えるに限る。
実は長年ずっと憧れてきた名前がある。
それが「ゼロカロ・リー」だ。
名は体を表すと言う。
確かに豊満な肉団子ボディーを維持している私の本名には「太」という痔がある。あ、また間違えた。字だ。痔もあるし、字もある。
それ故に太っているというわけではないが現に太っているのは事実なわけで、ならばせめてまず名前から痩せてみようという安易極まりない考えで辿り着いた名前が「ゼロカロ・リー」だ。
どうだろうか。格ゲーのキャラにいそうでちょっとだけ強そうなイメージが湧かないだろうか?
そして、何を隠そう、いや太っていてどこにも隠れられないのだが私はカロリーゼロ理論の信奉者でもある。
私の尊敬する太り人でカロリーゼロ理論の提唱者でもある伊達みきお氏は以前「ドーナツは穴が空いているからカロリーゼロだ」と仰っていた。
それを鑑みると私は尻に穴が空いているし、広義な意味ではドーナツと同じだ。つまりこの肉体もカロリーゼロ。
名も肉体もカロリーゼロならば、もはや少しだけ宙に浮けるのではないだろうか?
そう、もはや私はドーナツの妖精「ゼロカロ・リー」
略してゼリー。美味そうだ。
なんだこの話は。くだらねえ。
と、思っていることだろう。もし、そうなら私は嬉しい。
それはあなたが心のどこかで楽しみを求め続けている証左なのだから。
人生の中でまだまだ楽しみを見つけたいという心の余地があると気づくことが出来るのなら、くだらねえことにもきっと意味がある。
なので、まだまだくだらねえことを続ける。
やっぱり和名も欠かせないと思うのだ。となればやはり「天丼」がいい。
好きなものを名に冠せるなんてまさに名誉だろう。
これは常識だと思うが天丼は「天にも昇る気持ちにさせてくれる丼もの」だから天丼という。まあ私の中だけでのことなのだが。
エビ天、キス天、とり天、レンコン、ししとう、カボチャ、半熟卵。
色々あるがエビ天が二本乗っている天丼を提供するお店にはお嫁に行ってもいいと思っている。エビ天なんてなんぼあってもいいですからね。
ちなみに姓が「天」で名が「丼」
読み方は「あまね・ドゥーン」だ。
おそらくトップにはなれないインフルエンサー崩れみたいな名前になってしまったが自己肯定感が低い私にはちょうどいい。低くてなんぼ。高く昇っていくのなんて太陽に任せればいい。
さて、あなた自身すでに理解していることだと思うがこの記事を読んで得るものは何一つない。
強いて言うなら、あなたの人生において天丼の読み方に「てんどん」だけではなく「あまね・ドゥーン」という選択肢が加わったくらいだ。
出来れば早く忘れた方がいい。
日常生活を送る中で、もしも天丼と出会った時にふと「あまね・ドゥーン」を口に出してしまったら自己を肯定する前に他者に否定されてしまうことだろう。
勢いだけでここまで書いてきたが、やはり何か大きく方向性を間違えている気がする。
いや、そもそも私はずっと間違え続けているのかもしれない。
この人生も過去を嘆いて、今を憂うことばかりだ。未来なんてとても考えられない。そんな時程どうしようもなく自分をやめたくなってしまう。
でも、簡単にはやめられないし、とまらない。
それがかっぱえびせんだ。
間違えた。それが自分自身とその人生だ。
ならばと、名を変え、姿を変え、何かを変えようともがいても、どこまでいっても自分は自分にしかなれない。
「てんどん」だろうが「あまね・ドゥーン」だろうが、読み方が変わっても「天丼」そのものが変わるわけではないのと同じように。そして、きっとそれはあなたがあなたであるのと同じように。
そんなどうしようもない現実に絶望しますか?
私はもちろんした。
でも、コップにフチ子さんがいるように絶望の淵にも手を差し伸べてくれる物好きはいる。
私が本当にどうしようもなくなった時にある人から「生きてさえいれば、いつか過去の後悔だってその意味を変えられる日が来る」という言葉を貰った。
別にその言葉を受けて何かが好転したわけではないけれど、あの日の自分を思いっきり抱きしめてやるためにも長く生きようと思うようになった。
もちろん長く生きることだけが正解ではないし、長く生きるからこその後悔も増えると考えたら、それもまた選択として間違えているのかもしれない。
だが、それでもいい。間違え続ける自分を私は少しずつ好きになろうと思う。
そうすればいつかそれを正解に出来る日が来るかもしれない。
そんな日を夢見て、自分をやめたくなった私にそっと囁く。
今日は死ぬにはまだ早い。
これはマイキー🐣さんが主催された企画です。
同僚の猫杓子さんから「ぜ」のバトンを頂きました。
猫杓子さんは赤裸々に言葉を綴られる味噌汁系noterの方です。私にはコメンテーターとしての才能がないので猫杓子さんを上手に紹介することが出来ません。なので、ぜひ実際に記事を読んで猫杓子さんの素敵な人(猫)となりを知っていただけると幸いです。
そして、あまり特定の誰かに向けて何かを書くということはしたことがないのですが、これは猫杓子さんとくだらないことが好きそうな旦那様が一緒に天丼を食べる時に話の種になればと思い書き始めました。ですが、結果として「あまね・ドゥーン」の呪いとなってしまったので、ついでにかかってしまった優しい心の持ち主の方々には大変申し訳ございませんでした。どうか日常生活ではお気を付けください。
呪いの打ち消しとしてこちらをどうぞ。素敵な呪いです。
最後に本来ならば次の方へバトンをお渡しするところではありますが、法則に従えば「く」でお渡しすることになってしまいます。その場合、次のタイトルが「クリームシチュー」になってしまう場合があり、予期せずに私のお腹が空いてしまう可能性がある為ここで打ち止めとさせていただきます。ごめんなさい。
こういう催しからは縁遠かったのですが、今回はまさに中島に誘われる磯野の気分を味わうことが出来てとても嬉しかったです。
主催者のマイキー🐣さん、バトンを繋げてくれた猫杓子さん、そして、ここまでお付き合いいただいた皆様。
相も変わらず長い文章になってしまいましたがお読みいただきありがとうございました。
ここに辿り着いたあなたへ海の幸あれ。(エビ天の量が増えますように)
