幕末好きにしか刺さらないかもしれない大津宿の話
「大津」と聞いて、何を思い浮かべるでしょう?
びわ湖。
近江神宮。
比叡山。
石山寺。
滋賀県の県庁所在地。
あるいは、「京都から電車ですぐ」という人もいるかもしれません。
私の場合は、山南敬助と沖田総司のことを思い出さずにはいられません。
最近久しぶりに新選組関連の作品を読み返していて、気持ちがすっかり江戸に行ってしまいました。

大津と新選組
新選組を好きな人なら、みなさんご存じだと思います。
新選組の副長、のちに総長となった山南敬助は、屯所を脱走しました。
その後を追ったのが、沖田総司でした。
沖田は大津で山南に追いつき、屯所へ連れ戻したと言われています。(※)
※確実な史実であるか、断言できないかもしれませんが、旧前川邸サイトにもそ旨の記載があります。(旧前川邸)
山南が脱走した理由としていくつか説がありますが、決定的な事実は明らかになっていません。
新選組を取り巻く話には、後世に残された記録もあるものの、フィクションがあまりにも有名になり、いつしか史実としてまことしやかに語られるようになった逸話も多くあります。
山南が京都を出た時、どんな気持ちだったのか。
何を考えながら大津へ向かったのか。
そして、その後を追うことになった沖田はどんな思いだったのか。
大津で出逢った二人は何を話したのか。
私の中で、そんな結論のない過去に思いを馳せる時間がありました。
もはや真実は誰にもわかりません。
せっかく滋賀へ越してきたからには、一度は彼らの足跡に触れてみたいと思い、かつての大津宿を歩いてみました。
かつて大津宿があった場所
今の大津は、江戸の頃とは大きく変わっています。
車や路面電車が走り、ビルも並び、店があり、現代の人々が普通に暮らす、普通の町です。
それでも、旧東海道の道筋や、かつての宿場町の面影が残る場所を歩き、少しだけ時代の欠片を拾ってみたいと思います。
「このあたりを、二人も歩いたのだろうか」
そんな気持ちになります。
1分半弱の短い動画にもまとめました。
静止画よりも動画のほうが雰囲気は伝わりやすいと思いますので、もしお時間が許す方は是非ご覧ください。
▼旧東海道・大津宿の面影を辿る
京都から大津へ
京都から大津への旅路は山越えです。
京都を出ると、最初の東海道の宿が大津宿でした。


画像に向かって左へ行けば京都、右へ向かえばその先にはびわ湖
大津宿と旧東海道
本陣は、江戸時代に宿場におかれた大名などの宿泊施設。
大津宿には2軒の本陣があり、この地はその内の大塚嘉右衛門宅です。
当時の本陣は3階の楼上からの琵琶湖の眺めが絶景だったといわれています。
建物は現存せず、明治天皇聖跡碑が建っています。


「札の辻」とは、幕府の法令を書いた高札場がある辻であったことに由来します。
この地は、東海道と北国海道の分岐点にあたり、多くの旅人や荷物を運ぶ馬などが行き来する賑やかな場所でした。

今は交差点になっている場所も、かつては人々が行き交う重要な場所でした。
大津宿の周辺でも、当時のまま保存されているような史跡はほとんどありません。
旧東海道沿いは、それでも少し歴史の痕跡に触れられるような古い町並みが残っています。


趣のある通りでは、つい「幕末の大津」に思いを馳せてしまいます。
実際にこの地に立つと、
「ここを沖田や山南が歩いたかもしれない」
そんな想像が、少しだけ現実に近づく感じがします。
山南を追った沖田総司は、何を思っていたでしょう。
もちろん、捕えるために任務として追いかけたはずです。
けれど、山南は新選組の仲間だった。
単純に「脱走した隊士を連れ戻す」というだけではなかったのではないか、と考えてしまいます。
また、山南は、追いかけてきた沖田の姿を見て何を思ったでしょう。
「やはり来てしまったか」と思ったか。
あるいは、「来てくれたか」とほっとしたか。
史料で明確に確定できる根拠が残っていない以上、これはもう各々の想像でしかありません。
その「想像するしかない」歴史に消えた彼らの思いを想像すると切なくなります。
幕末の大津を想像しながら
大津の町を歩いていると、新選組だけではなく、幕末という時代そのものが少し身近に感じられる場所がありました。

京都の伏見にあった船宿「寺田屋」主人の妻となったお登勢。
大津の商店街内で、その実家跡に出会いました。
実際にあったのは、この向かいの場所であると記載されています。
(2026年8月現在、向かいのスペースは工事中でした)
お登勢については、新選組が好きな人以上に、坂本龍馬を好きな人のほうがおそらく詳しいかと思います。
大津にある実家から京都伏見に嫁いで、寺田屋を切り盛りする。
当時の人間の営みがなんだかリアルに感じられます。
同じ商店街の中に、大津祭曳山展示館も建っています。


思いを馳せて大津を歩く
結局、山南がなぜ脱走したのかも、切腹に至るまでの経緯も詳細は分からないままです。
これから新しい史料でも出てこない限りは、完全な答えを知ることはできません。
それでも、残された記録を読み、実際にその場所を歩いてみる。
そうすると、文字だけだった「大津」という地名が、少しずつ具体的な風景になっていく気がしました。
京都から辿る道にある大津宿、その先に見えるびわ湖。
町は、幕末に彼らが見た景色と変わってしまったかもしれませんが、山並みやびわ湖などの自然には、わずかながらも変わらない面はあるのではないでしょうか。
そんな気持ちで大津を歩くのも、日常と少し違った時間になって感慨深いです。
山南敬助繋がりで、京都市にある光縁寺へお墓参りへ行った際のお話はこちらです。
お時間がございましたらお付き合いください。
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