芋出し画像

雚の日が奜きになった理由を、この本が教えおくれた


『゜ヌル・ラむタヌのすべお』を読んで気づいた、小さな幞せの芋぀け方

雚の日が奜きです。

そう蚀うず、たいおい䞍思議な顔をされたす。掗濯物は也かないし、靎は濡れる。奜きになる理由がない、ず。

でも私は、カメラを持぀ようになっおからの12幎で、雚の日がいちばん楜しみな日のひず぀になりたした。曇り空はやわらかい光を回しおくれるし、濡れたアスファルトは䞖界をもう䞀枚ぶん増やしおくれる。雚䞊がりの花に残った雫のきらめきは、晎れた日には絶察に撮れたせん。

ただ、そのこずを私はずっず、うたく説明できない実感ずしおだけ持っおいたした。

その実感にはじめお蚀葉が䞎えられたのが、䞀冊の写真集を読んだずきです。『゜ヌル・ラむタヌのすべお』青幻舎でした。

゜ヌル・ラむタヌずいう人

゜ヌル・ラむタヌSaul Leiter, 1923–2013
アメリカ・ピッツバヌグ生たれ。正統掟ラビの父のもずで神孊校に進むが、23歳で䞭退しおニュヌペヌクぞ。画家を志すなかで写真に出䌚い、1948幎からカラヌ写真を撮り始める。1950幎代埌半からは『ハヌパヌズ バザヌ』などでファッション写真を玄20幎間手がけた。その埌は長く忘れられた存圚だったが、2006幎、83歳のずきに刊行された写真集『Early Color』で䞀躍再評䟡され、カラヌ写真の先駆者ずしお䞖界に知られるようになった。

経歎だけ䞊べるず波乱䞇䞈ですが、圌が撮ったものは驚くほど地味です。

雚に濡れた窓ガラス。赀い傘。ガラスに映り蟌んだ人圱。名前もわからない誰かの背䞭。ニュヌペヌクにいながら、圌は自由の女神も゚ンパむアステヌトビルも撮りたせん。自宅から数ブロックの範囲を、半䞖玀にわたっお撮り続けた人でした。そしおその䞀枚䞀枚が、絵画のように静かで、矎しいのです。

ペヌゞをめくりながら私が思ったのは、「ニュヌペヌクに行きたい」ではなく「明日、い぀もの垰り道をもう䞀床ちゃんず芋おみよう」でした。

行きたくなるのではなく、芋たくなる。これが゜ヌル・ラむタヌの写真の、いちばん䞍思議なずころだず思いたす。

「捚おる」ずいう蚀葉

この本には、写真ずずもにラむタヌ自身の蚀葉が随所に眮かれおいたす。そのなかで、私が䜕床もペヌゞを戻しお読み返したのが、この䞀節でした。

肝心なのは䜕を手に入れるかじゃなくお䜕を捚おるかなんだ。
——『゜ヌル・ラむタヌのすべお』p.56

゜ヌル・ラむタヌのすべお

最初は人生論ずしお読みたした。幎霢を重ねるず、こういう蚀葉は玠盎に沁みたす。けれど読み進めるうちに、これは写真の話でもあるのだず気づきたした。

圌の写真には、い぀も䜕かが足りたせん。人物の顔は傘に隠れおいる。看板の文字は氎滎で読めない。画面の半分が、ピントの合っおいない䜕かで芆われおいる。普通なら「倱敗」ず呌ばれるものです。でも圌は、そこを盎さない。むしろ、隠れたたたにしおおく。

党郚を芋せないから、芋た人が想像する䜙癜が残る。説明しないから、静けさが生たれる。足し算ではなく匕き算で、あの䜙韻は぀くられおいたのだず、ようやく腑に萜ちたした。

私はもう、答えの半分を持っおいた

正盎に曞くず、この本を読んで人生が180床倉わった、ずいう話ではありたせん。

私はすでに、雚の日を奜きになっおいたからです。

きっかけは12幎前でした。それたでの私は、倩気予報が雚だず知るずがっかりしお、撮圱の予定を取りやめおいたした。雚は写真の邪魔をするものだず思っおいたのです。

ずころが䞀床、雚䞊がりに花に぀いた雫を芋お、心を奪われおしたった。小さな氎の粒が、たるでレンズのように景色を逆さたに映し蟌んでいる。その瞬間から、雚は「がっかりする日」ではなく「チャンス」に倉わりたした。

そのずきのこずは、以前noteに詳しく曞いおいたす。

だから私は、日垞の䞭に撮るものがあるこずを、もう知っおいたした。

それでもこの本が特別だったのは、なんずなく感じおいたこずに、はっきりずした茪郭を䞎えおくれたからです。

倉わったのは倩気ではなく、私だった  そう曞いたこずがありたすが、なぜそう蚀えるのかを私は説明できずにいたした。䞖界の偎が特別なものを甚意しおくれるのではない。芋る偎の目が倉われば、同じ堎所が別の堎所になる。ラむタヌは、それを半䞖玀かけお䞀぀の街で蚌明しおみせた人でした。

それでも、私が捚おられなかったもの

䞀方でこの本は、私にただ捚おられおいないものがあるこずも教えおくれたした。

「もっず」です。

もっず遠くぞ行けばいい写真が撮れる。もっず有名なスポットぞ行けば。もっず珍しい景色に出䌚えれば。

雚の日を奜きになった埌でさえ、私の䞭にこの「もっず」は残っおいたした。雚の日を楜しんでいるようでいお、その日どれだけ収穫があったかを数えおいる。たくさん撮れた日はいい日で、そうでない日はダメな日、ずいうふうに。

ラむタヌは、そこにいたせんでした。圌は同じ道を䜕十幎も歩いおいたす。数を皌ぐためではなく、芋るために。

手に入れる枚数ではなく、䜕を捚おるか。その蚀葉を持ち垰っおから、撮らずに垰る日があっおもいいず思えるようになりたした。私にずっおは、けっこう倧きな倉化でした。

50代の速床で歩く

若い頃は、目的地ぞ急いで歩いおいたした。効率よく、速く、たくさん。それが良いこずだず信じおいたした。50代になった今は、立ち止たる時間が増えおいたす。空を芋䞊げる。花を眺める。季節が倉わっおいく速さを、以前より现かく感じ取れるようになりたした。

これは衰えではなく、たぶん埗たものです。急がなくなったから芋えるようになった景色が、確かにありたす。

゜ヌル・ラむタヌが再評䟡されたのは83歳のずきでした。それたでの数十幎間、圌の写真は箱の䞭で眠っおいた。それでも圌は撮り続けおいたした。誰にも芋せないたた、近所を歩いお、雚の窓を撮っお。

遅すぎるこずはないのだず、圌の人生そのものが蚀っおいる気がしたす。

こんな人に読んでほしい

この本は、写真が䞊手くなりたい人のための技術曞ではありたせん。撮り方は䞀行も曞かれおいたせん。

それでも、毎日を少し䞁寧に過ごしたい方、忙しさの䞭で小さな幞せを芋倱いそうになっおいる方、そしお50代から新しく䜕かを始めおみたい方に、手に取っおほしいず思いたす。

写真の腕前は倉わらないかもしれたせん。でも、垰り道の芋え方は、たぶん倉わりたす。

おわりに

本を閉じたあず、私はカメラを持っお散歩に出たした。

遠くぞ行くためではありたせん。い぀もの道を、少しゆっくり歩いおみたかったからです。

その日は晎れおいたした。雚の日のような劇的なきらめきはありたせんでした。それでも、塀の䞊の猫や、颚に揺れる葉の圱が、い぀もより長くそこにあるように感じられたした。

写真ずは、特別な景色を探しに行く趣味だず思っおいたした。

でも゜ヌル・ラむタヌは、そうではないず教えおくれたす。特別なのは景色ではない。䞖界を芋る、あなたのたなざしのほうなのだず。

だから今日も、私はカメラを持っお歩きたす。新しい景色を探すためではなく、い぀もの景色の䞭にある小さな幞せを、芋぀けるために。

 ä»Šæ—¥ã‹ã‚‰ã§ãã‚‹ã“ず

今日の垰り道、歩く速床をほんの少しだけ萜ずしおみたせんか。

赀い傘でも、窓ガラスに映った景色でも、道端の䞀茪の花でも構いたせん。撮らなくおもいい。ただ、い぀もより䞉秒だけ長く芋おみる。

「特別なものを探す」のではなく、「い぀もの景色を芋盎す」。

それが、゜ヌル・ラむタヌが私に教えおくれた、人生を少しだけ豊かにする最初の䞀歩でした。


いいなず思ったら応揎しよう

Bun bunぶんぶん ご共感いただけた方のご支揎が、今埌の掻動の力になりたす。どうぞよろしくお願いいたしたす。