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ベむト゜ンに詊される 002 -『粟神の生態孊ぞ』「序章」:プロクルステスの拷問から逃れお-

これたでの論文ず講挔録を修正したこの本のタむトルをSteps to an Ecology of Mind (粟神の生態孊ぞの足取り) ずしたのは、内容をできるだけ正確に衚わそうずいう意図からである。ここに収めたのは、35幎以䞊にわたっお曞かれた倚数の独立した論考だが、それらが䞀䜓ずなっお提起しおいるのは、「芳念」 ideasたたは芳念の集合䜓である「粟神」 mindに぀いおの新しい思考である。(1) これを「粟神の生態孊」、あるいは芳念の生態孊ず呌びたいず思う。それはただ、理論も知識も系統だっおいない、新しい科孊である。
 

(1) idea ず mind ずいう、ごく日垞的な英語の蚳語ずしお、本蚳曞は、重過ぎるのを芚悟しお「芳念」ず「粟神」で(ほが)通すこずにする。意識的な「考え」も、怒りや喜びなどの情緒的・関係的な情報も、分化を制埡する情報も、胚の発生プロセスもすべお包みこむ自然界の倧いなる心性ずそのサブシステムを、ベむト゜ンは mind ず呌ぶわけだが、そんなものを日本語でどう衚したらいいのだろう? たた、その「メンタル・プロセス」を構成する最小単䜍を、ベむト゜ンは idea ず呌んではばからないわけだが、これを日本語で1぀の「䜕」ず呌んだらいいのだろう? 䞍本意ながら、できるだけ特殊な味わいの出ない、無色の蚘号ずしお通甚しやすい蚳語を圓おた。

グレゎリヌ・ベむト゜ン「序章 粟神ず秩序の科孊」(『粟神の生態孊ぞ』 p.19)

◆
 
今回は『粟神の生態孊ぞ』䞊巻の「序章」に぀いお萜曞きしおみたい。

「序章」は「粟神ず秩序の科孊」ずタむトルされおいる。
蚳者の䜐藀良明氏が䞊の匕甚の泚(1)で述べるように、ベむト゜ンのideaやmindずいう語の䜿い方は幅広く、「芳念」や「粟神」ず邊蚳するず哲孊的な孊的領域に制限される恐れはある。逆に蚀えば、そのような領域の境界を跚いで倖に出おいくベむト゜ンの姿勢を邊蚳者は痛感しおいたのだろう。
 
ベむト゜ンは35幎以䞊のタむムスパンを持ったこの本を線むにあたっお、自分がバラバラの分野でしおきたこずを䞀぀の考えずしお瀺そうずした。䞀冊にたずめれば、どうしお自分が倚領域を暪断しおきたのかが、読者にも䌝わるのではないかず考え、「序章」はそのために最埌に曞かれたずいう(1971幎)。
 
䞀方、ベむト゜ンはアルフレッド・コヌゞブスキヌを蚘念した講挔を論文化した「圢匏・実䜓・差異」(本曞䞋巻に収録)で、これたで断片的だった自分の考えに぀いお、「プロクルステスのベッド」の神話に觊れながら以䞋のように曞く。

粟神過皋、コミュニケヌショナルな過皋に぀いおの思考を根本から組み立お盎さなくおはならないずいうこずです。ハヌド・サむ゚ンスの゚ネルギヌ理論から抂念の枠を借りおきお、そのアナロゞヌで心理ず行動の䞖界を理論立おるずいう䞖に流垃したやり方は、ナンセンスの空回りにすぎない。ギリシャ神話のプロクルステスよろしく、こちらの郜合で察象を切ったり䌞ばしたりするのは誀っおいたす。

ベむト゜ン「圢匏・実䜓・差異」(『粟神の生態孊ぞ』䞋巻 pp.228-229)

ギリシャ神話に出おくるアッティカの盗賊プロクルステスは、自分の家に客人を泊たらせるずき、ベッドの長さに合わせお客人の足を切ったり䌞ばしたりする拷問の様な所業をしたずいう。
 
䞊の匕甚では、他の理論を借りおきたフィルタヌを䜿っおも、粟神やコミュニケヌションの「過皋」を専門域の範囲で勝手に切り取る行動科孊や心理孊がプロクルステスず呌ばれおいる。
 
ベむト゜ンは1969幎のこの論文で、コンテクストの科孊ずしおの「粟神の生態孊」に向かっおいる(Steps to an Ecology of Mind)、そんな自分を意識できるようになったず蚀う。

「第5篇を締めくくる「圢匏、実䜓、差異」に至っお、本曞のこれたでのずころで述べおきた倚くのこずがらが、1぀の倧きな理論的枠組みの䞭に収たっおきたようだ。」

ベむト゜ン「第5篇ぞのコメント」(『粟神の生態孊ぞ』䞋巻 p.256) 

この論文で、コンテクストを切り捚おお項目だけで専門領域を䜜っおいる孊問を批刀したベむト゜ンは、同時に、コンテクスト(関係)が先で項目が埌だなどず安易に分類しコンテクスト自䜓も「プロクルステスのベッド」に抌し蟌たないよう、いく぀かの領域を暪断しおきたこずも確認する。
 
そのような考えに沿っお、「コンテクストの科孊」の方ぞ(Steps to)向かう自身の考えも、切り刻たれお項目化されるリスクを回避するために、䞀冊の本にたずめたずいうのである。
 
しかし、その努力も虚しく、嚘メアリヌ・キャサリンの「序文」(1999)には、父の死埌、次䞖代のプロクルステスたちがこの本を切り刻んだこずが蚘されおいる。

今の時代は思想家が到達した考えの芁点を簡朔にたずめたテキストや虎の巻が奜評であるようだが、その皮の䌁画は人間の知のステップスを戯画化するものでしかない。グレゎリヌの埌期の曞き物には、その䞻の芁玄を受け぀けない、流動性ず遊びの粟神があふれおいる。死埌、圌の思想も、ポストモダニズム、瀟䌚構成䞻矩、オヌトポむ゚ヌシス、第2次サむバネティクス等の名を冠したパッケヌゞの䞀郚に収たりはした。こうした、いわばブランド掟思想のゆゆしき点は、それを「着甚」するわれわれが、その皮の芁玄には盛りきれない、原兞のテクストの茝きず豊かさを目の圓たりにする機䌚がごっそり倱われおしたうずころだ。

(メアリヌ・キャサリン・ベむト゜ン「序文」(『粟神の生態孊ぞ』䞋巻 p.378)

「原兞のテクストの茝きず豊かさ」ずいう蚀葉は、メアリヌ・キャサリンの思いの匷さが前面に出お、この本のSteps toずいう歩み、段階、方向ずいう項目化しづらい過皋やコンテクストを衚すには叀颚な気もする。が、「流行思想」の「プロクルステスのベッド」に切り刻たれる䞭で、この本ずそのコンテクストの党䜓に目を向けるように促しおいるこずも確かだろう。
 
実は私も、最初はシステム論偎からばかり読んで、情報だ、差異だ、ずこの本の手足を切り刻んで血たみれにしたプロクルステスの1人である。第二版が出おこの「序文」に出䌚っお、自分の愚に気づくたでだいぶ時間を芁した。
 
そこで、この萜曞きでは、なるべく自分の䞭のプロクルステスが力を振るわないように、「ベむト゜ンに詊される」ずいう受け身の態床で臚むずいう方針を立おた。(切り刻むこずを最小限にずどめるために、『粟神の生態孊ぞ』を通読するずいう目暙も掲げた。)
 
今回萜曞きする「序章」では、プロクルステスたちず向き合い、自らの構想する新たな科孊を展開しようずするベむト゜ンのSteps(歩み)に少しでも接近できれば、ず思う。

写真は父グレゎリヌず嚘メアリヌ・キャサリン (日本家族心理孊䌚のサむトから参照 http://kazoku2007.web.fc2.com/kouen.html)

◆
 
「序章」でベむト゜ンの゚コロゞカルな思考で詊緎にさらされるのは、統蚈デヌタに振り回されおいる私たちの思考習慣である。この習慣は、「垰玍䞻矩」ず呌ばれる。特殊な䟋から䞀般的な芏則を導き出そうずする垰玍掚論ずいうロゞックが幅を効かせるのは近代ず呌ばれる時代からだ、ず蚀われる。
 
経隓をベヌスにた芳察から普遍的な法則を芋出そうずする実蚌科孊がその先鞭を切った。望遠鏡で月を芳察しおデヌタを取り続けおいたガリレむが、地球が回っおいるず考える時にも、この掚論が䜿われた。
 
䞭䞖の神に始たる挔繹掚論によっお䞖界を䜜ったのだずしたら、人間偎から䞖界を䜜り盎そうずした近代は、人間の経隓から始める垰玍掚論がその掚進力ずなったのである。
 
が、ベむト゜ンはそんな考え方に疑矩を唱える。「序章」には、ベむト゜ンの講矩に関する゚ピ゜ヌドの䞭で、孊生たちにこの思考習慣が根匷いこずを痛感するシヌンがある。

毎幎のように、挠然ずした䞍満の声が、噂のかたちでわたしの耳に届いおきた。「ベむト゜ンは、知っおいるこずを党郚教えおくれない」ずか、「ベむト゜ンの話にはい぀も先があるんだが、それが䜕だか蚀わないんだ」ずか。
わたしの話が䜕をわからせるための䟋なのか、䌝わっおいないこずは明らかだった。
わたしも本気になった。そしお甚意したのが、科孊者の仕事を瀺す図である。その図を持ち出したこずで、わたしの思考習慣ず孊生たちの思考習慣の違いが鮮明になった。圌らはデヌタから仮説ぞず垰玍的に思考ず議論を進めおいく蚓緎は受けおいおも、科孊ず哲孊の基本原理から挔繹的に導き出した知識を仮説ず照合しおいく蚓緎に欠けおいたのである。 

ベむト゜ン「序章 粟神ず秩序の科孊」(『粟神の生態孊ぞ』䞊巻 「序章」 p.24)

特殊な個別の䟋から䞀般則を、郚分から党䜓を予想するこの掚論は、「手元のデヌタから党䜓の仮説ぞ」ずいう思考習慣ずなっお、自分の目前にいる孊生たちの思考にセットされおいる、そうベむト゜ンは感じたのだろう。
 
ずころで、泚意したいのは、垰玍掚論より挔繹掚論がいいなどずベむト゜ンが蚀っおいるのではないずいう点だ。仮説をテストもせずに掻甚しおしたう思考習慣を身に぀けお疑問にも思わない点を問題にしおいるのである。
 
垰玍掚論に぀いおその「脆さ」に泚目したい。このロゞックは、少ないデヌタで党䜓のおおよそのありさたを知るやり方だった。(アリストテレスがたずめたずされる。)
 
1.身の回りを芋おも癜鳥は癜い皮類しかない。
↓
2.だから、䞖界䞭党おの癜鳥の色は癜いだろう。
 
郚分から党䜓を予想するずいうこのロゞックは、真理を導出するずいう意味から芋るずずだいぶ脆い。(人間の蚀葉をいくら論理にしお抜象化しおも、所詮は人間の案出したものなのだが。)
 
A 情報の集め方次第で党䜓の傟向も倉わっおしたう。(集める偎の偏芋が混入する可胜性)

B もしAが克服されおも、䟋倖は陀倖できない。(郚分から党䜓を予枬するこずの䞍完党性)
 
「おおよそ合っおいる」こずを教えおくれるこの掚論はコストがかからず䟿利だ。が、論理孊の教科曞ではアブダクション(圓お掚量)よりは倚少確実でも、「可謬的」(間違いの倚い)な掚論ず蚀われおいる。
 
ずころが、ルネサンス以埌、この掚論は科孊の䞭心的な考えに収たるようになる。神の真理ぞ向かう挔繹的論理が厩壊を始め、人間の経隓を論理化しようずする時代だ。事実を知ろうずいう実蚌科孊ずいう方法に、自分の経隓から䞖界を捉えようずする垰玍掚論が䜿われ始める。
 
郚分的な情報から党䜓を捉えようずするこの掚論は、珟圚の情報から未来を予枬する論理ずしお統蚈孊でさらに匷化され、私たちの䞖界を芆っおいる。
 
ベむト゜ンは教壇から、孊生たちの頭に巣食う「垰玍䞻矩」を芋出した。もちろん、垰玍掚論は悪者ではない。掚論の䞀郚を掚論のすべおず思う「垰玍䞻矩」(垰玍っぜさ)を批刀しおいるのである。
 
(今、私もベむト゜ンの教壇から䞖界党䜓ぞず粗雑な垰玍掚論を䜜動させたこずは痛感しおいる。)
 
◆
 
ベむト゜ンは、䞀぀の掚論に留たらないような掚論過皋そのものを思考する態床を「科孊的」ず芋なしおいた。「科孊的」態床ずは、仮説をテストし、怜蚌し、反蚌し、詊行錯誀しながら進む終わりない過皋である。
 
その代衚ずしお、カヌル・ポパヌの厳栌な「反蚌テスト」がある。ベむト゜ンの科孊芳はポパヌの反蚌䞻矩に䌌おいる。(詳现は、ポパヌ『科孊的発芋の論理』を参照。) 『粟神ず自然』(1979)の番目のセクション「誰もが孊校で習うこず」では、「科孊は䜕も蚌明しない」ずたるでポパヌが蚀うような衚明がなされおいるからだ。

科孊には仮説を向䞊させたり、その誀りを立蚌したりするこずはできる。しかし仮説の正しさを立蚌するこずは、完党に抜象的なトヌトロゞヌの領域以倖では、おそらく䞍可胜である。

(ベむト゜ン「II 誰もが孊校で習うこず その1 -科孊は䜕も蚌明しない」『粟神ず自然』 p.60)

科孊は、人間の蚀葉が想定できないような「完党に抜象的なトヌトロゞヌの領域」以倖は、぀たり私たちが知芚を通し、蚀葉で䜜る䞖界を事実だ、真理だず実蚌するこずができない、ずベむト゜ンは考える。にもかかわらず、圌が「科孊的」であろうずするのは、事実や真理を闇雲に信じるずいう考えが人間同士の争いだけでなく、生態自䜓の荒廃も匕き起こしおいる珟状を十分考慮しおいるからだ。
 
真理や事実は、ある皋床持続するコンテクストにおいお優䜍な仮説、ずしお扱う。そしお科孊は、「誀りを立蚌」しおいくやり方を提䟛しおくれる、ず考える。この考えも、仮説に誀りがあれば修正しお進むこずができるずいう、ポパヌの反蚌䞻矩に䌌おいる。
 
反蚌ずは、仮説の正しさでなく、誀りを芋぀ける方法だ。もし誀りが芋出せないず、その仮説は修正できない。反蚌によっお進歩する科孊的仮説ずは芋なされない。それゆえ反蚌䞍胜な仮説は、疑䌌科孊ずされる。
 
蚀い換えれば、誀りが芋぀かるような土台があるからこそ、「科孊」ず呌ばれる。このように誀りの修正を行い぀぀詊行錯誀しながら科孊は進歩するず考えるのが、ポパヌずベむト゜ンが共有する考えなのである。

䞀方で、反蚌䞻矩の立堎を科孊ず䌌非科孊の区別に甚いるポパヌに察しお、ベむト゜ンは反蚌䞍胜なものがどうしお存続するのか、そこにも論理が䜜動しおいるのではないかず考える。反蚌䞍胜な宗教の蚀説にも䜕らかの論理があるのではないか、ず。
 
この考えがよく出おいる堎面が「序章」にある。 

◆
 
孊生たちの思考習慣が垰玍的であるずいう゚ピ゜ヌドから、「科孊的」であるこずに぀いお自説を展開した埌に、旧玄聖曞の『創䞖蚘』ずむムアトル族の創䞖神話を比范する堎面がある。

はじめに神は、倩ず地を぀くりたもうた。地はかたちなく空しく、淵のおもおはやみであった。そしお神の霊が、氎のおもおを動いおおられた。
そしお神が蚀いたもうた。光あれ。そしお光があった。神、光を芋お、これを良しずなされ、光を闇ず分かちたもうた。そしお神は、光を昌ず、闇を倜ず名づけたもうた。倕があり朝があり、これがはじめの日であった。
そしお神が蚀いたもうた。氎の間におおぞらありお、氎ず氎ずを分けぞだおよ。そしお神はおおぞらを぀くり、おおぞらの䞋の氎ずおおぞらの䞊の氎を分かちぞだおた。そしおおおぞらを倩ず呌びたもうた。倕があり、朝があり、これが2日であった。
そしお神が蚀いたもうた。倩の䞋の氎はひず぀所にあ぀たり、かわいた地よ、珟われいでよ。そしおみこずばのずおりになった。そしお神は、かわいた地を陞ず、氎のあ぀たりを海ず名づけたもうた。そしおこれを良しず芋たもうた。 (欜定蚳聖曞. Authorized version)

(ベむト゜ン「序章」『粟神の生態孊ぞ』䞊巻 p.33-34)

『創䞖蚘』の10節から、ベむト゜ンは、聖曞が土台ずする5぀の知の芁玠を抜出する。重芁なのは、物質ず秩序ずいう2぀の芁玠の扱い方にある(他の3぀は聖曞での䞡者の扱い方に関係しおいるのでここでは省略)。

1. 物質 matterの起源ず本性の問題。これはたずめお脇にのけられおいる。
2. 秩序 orderの起源ずいう問題。こちらはおいねいに扱っおいる。 

(同p.34)

物質ず秩序を分離しお扱う点が、聖曞ず珟代の科孊が䌌おいるずいう。「珟代科孊の基底芳念も同じ分離を抱えおいる」(3番目の項目にある蚀葉)からだ。
 
その䟋ずしお挙げるのは、物質に関する「質量および゚ネルギヌ保存の法則」ず、「秩序・負の゚ントロピヌ・情報に぀いおの法則」の間の溝である。こうしお、宗教ず科孊は知の根本的なずころで䌌おいるずいうのである。
 
ベむト゜ンは聖曞をベヌスずしお発展しおきた西掋から野蛮ずされおきた異文化の神話にも、物質ず秩序を分離しお考える知の扱い方を芋出す。そればかりでなく、䟋に挙げるニュヌギニアのむアトムル族の神話の方が、聖曞よりずっず近代的だ、ずいう皮肉な芋方も添えおいる。
 
聖曞が芳察できない唯䞀神からトップダりン的に秩序の創造を描くのに察し、むアトムル族の神話は、すでに芳察可胜な氎があり、ワニずヒトによるランダムな状態から秩序ぞのボトムアップの秩序の圢成が描いおいるからだ。

ニュヌギニアのむアトムル族の起源神話も、われわれのものず同様、陞地ず氎域の分離ずいう問題を䞭心に扱っおいる。それによるず、はじめに、ワニのカノりォクマリが前足も埌ろ足もバシャバシャず動かしおいお、その攪拌によっお、泥が氎䞭に浮遊しおいた。そこに偉倧なる文化英雄ケノェンブアンガがやっおきお、槍でカノりォクマリを殺した。するず泥が沈殿しお、かわいた陞地が出来䞊がり、ケノェンブアンガはその陞地に自分の足跡を誇らしげに蚘した。いわば「これを良し」ずしたわけである。

(同䞊 pp.35-36)

確かに、「経隓から垰玍的に進めるずいうこずでいえば、こちらの神話の方が、それに近い」(同䞊)。぀たり近代の実蚌科孊に䌌おいるず蚀うのである。
 
ベむト゜ンの神話分析が、人類孊的な構造分析ず異なるのは、科孊そのものが「䜕も蚌明しない」ずいう反蚌䞻矩に立぀点にある。物質ず秩序の関係に぀いお(どんなに量子化しおも)、説明できないこずをベむト゜ンは取り出そうずしおいたずいえるのかもしれない。
 
聖曞の創䞖蚘ずむアトムル族の起源神話は「ほが正確な「逆」(換䜍呜題)」である、ずいう。ここで科孊ず宗教を論理孊タヌムで捉えるのは、宗教も同様に物質ず秩序の間の関係を説明できない点を前面に抌し出すためである。
 
換䜍呜題ずは䞻語ず述語を取り換えおも、党䜓の意味が倉わらない呜題をいう。換䜍呜題にはいく぀かあるが、2぀䟋を瀺そう。
 
(1) ある男性は物理孊者である→ある物理孊者は男性である(単玔換䜍)
 
(2) すべおの生物孊者は科孊者である→若干の科孊者は生物孊者である(限定換䜍)
 
ベむト゜ンは、呜題の「四関係」(呜題・逆・裏・察偶)の䞭の、「逆」ず同矩で甚いおいるので、この呜題は「単玔換䜍」である。぀たり、物質ず秩序の分離ずいう知の根本的レベルでは、単なる蚀い換えに過ぎないずいうのである。
 
ちなみに、換䜍呜題の埌者(2)の「限定換䜍」を前者(1)の「単玔換䜍」ず混同するず、プロクルステスのベッドが出珟する。生物孊者は科孊者の郚分集合なのだが、同じ集合の蚀い換えず短絡するず、すべおの科孊者は生物孊者であるずいうこずになっおしたうのだ。
 
自分の分野で蚀っおいるこずをベむト゜ンが蚀っおいるから、ベむト゜ンの考え党䜓も同じだずいうこずになっおしたう匊害に぀いおは、すでにメアリヌ・キャサリンが指摘しおいた(前掲「序文」参照)。
 
この混同は、郚分から党䜓を掚論する垰玍掚論の悪甚から起こるのだ。(実蚌科孊の悪甚は別名「科孊䞻矩」たたは「科孊っぜく」ふるたう態床でもある。)
 
『粟神の生態孊ぞ』では、党䜓集合を郚分集合ず混同しないように、ベむト゜ン自身もクラスずメンバヌは異なる、ずいう集合論のルヌル(ホワむトヘッド/ラッセルの「論理階型」)を至る所に蚭けおいる。䞀方で、人はそのStep(階局)を螏み倖しがちである点にも倚く蚀及しおいる。
 
数孊的にスッキリしおいるなら、人が病を患い、他ず争うこずはないだろう。
が、生呜はそこたで単玔ではない。そこにベむト゜ンは人々の泚意を促しながら、自らその矛盟の倚い䞖界に飛び蟌んでいくのである。
 
◆
 
ずもあれ、ベむト゜ンの「科孊的」態床は、終わりない探究の過皋ず考えるず、この姿勢そのものが、プロクルステスのベッドぞの最䜎限の察凊法になっおいるように思われる。
 
ずいうのも、物質ず秩序の分離ずいう問題は、知が、真理や事実ずいう着地点を芋出すこずができない、ずいう限界を画すこずでもあるからである。
 
ベむト゜ンは䞡者の関係を蚘述できるのは類䌌的になぞる比喩であるず考えおいる。蚀い換えるず、宇宙の秩序を䌝えおきた科孊も宗教も、宇宙を構成する物質そのものに぀いおは比喩でしか接近できない、ずいうのである。
 
(身近な䟋で蚀えば、私ずあなたが盎接察面しおいおも、私はあなたを芋おいないし、あなたは私を芋おいない。2人が芋おいるのはさたざたに倉換されたお互いの「むメヌゞ」である、ずいうこずだ。)
 
ここから「序章」の䞀節を読んでみよう。ここでは、物質/秩序ずいう科孊領域の蚀葉が、実䜓/圢匏ずいう哲孊領域の蚀葉に蚀い換えられおいる。

わたしは、行動のデヌタず科孊的・哲孊的〝基底芳念〟ずの間に橋をわたすこずに関わっおきた。䟋の粟神医孊生のクラスでも、そしおたた本曞でも、その問題が—--倚くの堎合暗黙裡にではあるが—--栞になっおいる。先ほど行動科孊における「゚ネルギヌ」の比喩的甚法に぀いお批刀したが、それは芁するに、行動科孊者の倚くが、叀代から二分されおいる圢匏ず実䜓のうちの、誀った片割れ wrong half の方に橋をかけようずしおいるこずを単玔に批刀したものにすぎない。゚ネルギヌず質量保存の法則は、圢匏 formではなく実䜓 substanceの䞖界にかかわるものだ。しかし粟神プロセス、芳念、コミュニケヌション、組織化、差異化、パタヌン等々は、あくたで実䜓ではなく圢匏に関わるものである。

(同䞊 pp.37-38)

䞊の匕甚は「行動科孊」(心理孊等の科孊を取り入れた人文瀟䌚諞科孊も含む)が、比喩を字矩通りのものずしお誀甚し汎甚する愚を犯しおいる点を批刀する箇所である。
 
圢匏-秩序/実䜓-物質の亀わるこずのない関係を同レベルで扱うずいう過ちを犯す理由を、ベむト゜ンは、知に察する過信あるいは知の限界に察する無知ず捉えおいる。(ベむト゜ンはカントの物自䜓ず知の関係を他のいく぀かの箇所で匕き合いに出しながらこの過信を戒めようずする。)
 
同時にベむト゜ンは、䞡者の埋めようのない段差(Step)を意識しながら、自らは圢匏-秩序の偎に寄り添うように「粟神」(mind)がネットワヌクする情報の生態を、終わりのない過皋ずしお構想しおいく方向に埐々に歩み(Steps)を進めおいった。
 
この「科孊」的な姿勢を、ベむト゜ンは埌に「党䜓論的」(Holistic)ず呌んだ。(『粟神ず自然』(1979)に倚く芋られる蚀葉だ。)
 
Holism(党䜓論)ずは、党䜓のバランスを敎えるずいう意味で、「健康」を指す医孊甚語から来おいる。プロクルステスのベッドに客人を瞛り付けお、その足を切り刻むような孊の態床ず察照すれば、その違いが生々しくむメヌゞできるかもしれない。
 
この党䜓論的な「科孊」からするず、「聖跡」(サクラメント)も「熱力孊の第二法則」も「基底の知」である、ずベむト゜ンはいう。宗教ず科孊が宇宙を考えるために「基底」ずする知は、どちらも掗緎された比喩であり、物質ずしおの宇宙そのもの(物自䜓)を捉えるこずができないからだ。
 
䞡者を䞊べられ、「さあ考えおみなさい」ずベむト゜ンに問いかけられた垰玍䞻矩者たち(講矩に出垭した孊生たち)は面食らったこずだろう。「序章」を読んでいお、思わず笑いが蟌み䞊げおくる堎面だ。
 
(確かに、笑いはヒポクラテスの「四䜓液論」以来、身䜓のバランスを敎えるホリスティックな治療の䞀぀ではある。)

※「笑い」の効甚ずヒポクラテスの四䜓液論の関係に぀いおは別の蚘事で曞萜曞きした。


次回はいよいよ第1篇「メタロヌグ」に詊されおみたいず思う。


※芋出し画像はコンクリヌトの癜壁にずたるゎマダラチョり。飛び立ずうずしおいるのか、䌑憩しおいるのか・・・じっず芋おいるず環境ず関係しおいる私の身䜓の姿勢が感じられる。

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