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【日本酒学】#82 蒸米の科学

米は日本酒造りにおいて非常に重要な原料ですが,そのままでは日本酒にはなりません.
米の主成分はデンプンですが,酵母はデンプンを直接アルコールへ変えることができず,酵母が利用できるグルコースなどの糖に変換する必要があります.
そのため,日本酒造りにおいては,まず麹菌が生産する酵素によって米のデンプンを糖へと分解し,その糖を酵母がアルコールへ変換するプロセスを踏む必要があります.
この糖化と発酵が同じ醪の中で同時に進むことが,日本酒の並行複発酵です.

この仕組みの中で,蒸米は発酵のための基質として極めて重要な役割を担い,麹菌が生育し,麹酵素が作用し,醪の中で適切な速度で溶解するように設計される必要があります.
そこで今回は,蒸米を発酵基質として捉えた上で,科学的な視点から整理してみたいと思います.



1. 日本酒造りにおける蒸米の重要性

(1) 蒸米の要求事項

日本酒は米,米麹,水を原料として造られ,その中で「蒸米」は複数の工程に関わります.
米は日本酒における重要な原料であり,大きく7つの工程で行われる原料米の処理から日本酒造りが始まっていきます.

図82-1:原料米処理の流れ

麹造りでは蒸米に麹菌を生育させることで糖化酵素やタンパク質分解酵素などを生産させ,酒母造りや醪の仕込みでは蒸米が麹酵素によって分解されて糖やアミノ酸などを供給する基質となります.
つまり,蒸米は麹菌にとっての培地であるとともに,麹酵素にとっての反応基質であり,酵母にとっては間接的な栄養源でもあります.
したがって,蒸米の出来は日本酒造り全体に広く影響を及ぼします

蒸米が柔らかすぎると,麹造りにおいて米粒同士がくっつきやすくなり,通気性が悪くなります.
これにより麹菌の生育が米粒表面に偏り,米粒内部へ菌糸が入り込みにくくなることで,麹菌の力が十分に発揮されにくくなる可能性があります.
さらに,醪において蒸米が溶けすぎると,糖やアミノ酸の供給が過剰となり,味わいが重くなる恐れもあります.

一方,蒸米が硬すぎると,麹菌の菌糸が入り込みにくく,麹酵素の作用も受けにくくなります.
また,醪で米が溶けにくくなれば,酵母の栄養源となる糖の供給が不足し,発酵の経過に影響します.

このことから,蒸米に求められる性質は単純な柔らかさではなく,麹菌が入り込みやすく,酵素が働きやすく,醪で適切に溶ける状態であることが重要です.
日本酒造りでは,こういった蒸米の理想的な状態を「外硬内軟がいこうないなん」と表現し,米粒の外側が硬く内側は柔らかい状態を指します.
外側が硬いことで米粒同士がくっつきにくく「さばけ」がよくなり,内側が柔らかいことで麹菌の菌糸が米粒内部へ伸びやすく,酵素が作用しやすくなります.

外硬内軟という言葉は経験的な表現ですが,科学的に見ても非常に合理的です.
蒸米の制御は日本酒造りにおける最初の反応場の設計であり,米をどう蒸すかによって,麹菌の生育,酵素の生産,醪での溶解,糖化速度,発酵経過が変化し,最終的な酒質に繋がっていきます.

(2) なぜ「炊く」のではなく「蒸す」のか

私たちが普段食べる米は水と一緒に加熱して炊飯しますが,日本酒造りでは米を炊くのではなく蒸す操作を行います.
この違いは,酒造りの発酵設計に深く関わっています.

炊飯では米は水の中で加熱されるため,米粒は多量の水を吸収し,柔らかく粘り気のある飯になります.
これは主食として食べるには望ましい状態ですが,日本酒造りでは必ずしも望ましくありません.
米粒の表面がべたつくと,粒同士がくっついて扱いにくくなり,麹造りでは通気性が悪く麹菌の生育が不均一になったり,醪では米が急激に溶けすぎて糖化と発酵のバランスが崩れることも考えられます.

これに対して,米を蒸す場合は,浸漬によって米粒内部に必要な水分を吸わせた後,蒸気の凝縮熱によって米を加熱します.
水に浸したままの加熱するのではなく,蒸気で加熱することによって,過剰な吸水を避けながらデンプンを糊化させることができます.
また,蒸し上がりから放冷にかけて米粒表面の余分な水分が飛ぶことで,表面は比較的締まり,米粒の内部には必要な水分が残ります.
このような水分分布と熱履歴によって,前述した外硬内軟な状態を得ることができます.

そのために重要となるのが,蒸し工程の前にある洗米・浸漬操作です.
蒸米の水分は蒸す工程だけで決まるわけではなく,洗米・浸漬操作における吸水の程度によって,蒸し上がりの硬軟,さばけ,酵素消化性は大きく変わります
特に高精白米では吸水が速く,秒単位で浸漬時間を管理する限定吸水が行われることもあります.

蒸し工程は,浸漬において設計した水分分布を,熱によってデンプン構造の変化へ変換する工程です.
目標とする発酵経過や酒質に応じて,適切な速度で溶ける米を作るという意味で,「蒸し」は並行複発酵における糖供給速度を設計する工程だと言えます.
麹酵素がどの程度働けるか,蒸米がどの速度で溶けるか,酵母がどの速度で糖を消費するかといったバランスによって,醪の経過と酒質は大きく変わります.


2. 糊化現象の科学的解説

(1) 米の構造と糊化

蒸米の科学を考える上で,最も重要な現象がデンプンの「糊化こか」です.

そもそもデンプンとは,植物が光合成によって作り出す炭水化物であり,多数のグルコースが結合した多糖類です.
デンプンには小麦デンプンや米デンプン,とうもろこしデンプン(コーンスターチ)など様々な種類がありますが,米の主成分であるデンプンは,主に直鎖状のアミロースと房状のアミロペクチンから構成されています.
デンプンがアミロースとアミロペクチンという二つの主要成分からなることが明らかになったのは1940年代に入ってからであり,デンプンに関する構造研究は現在も進み続けています.
特にアミロペクチンは分子量が数千万にもなる超高分子であり,その詳細な分子構造や粒子内での存在状態には,なお議論が残る部分もあります.

アミロースは,主としてα-1,4結合でグルコースがつながった直鎖状の高分子であり,マクロ的には螺旋らせん構造をとります.
一方,アミロペクチンはα-1,4結合の主鎖に,α-1,6結合による分岐を多数持つ巨大な高分子です.
うるち米はおよそ2割のアミロースと8割のアミロペクチンから構成され,もち米はほぼ全量がアミロペクチンで構成されています.

図82-2:デンプン分子内のグルコースの結合様式

生米中のデンプンは単なる粉状の糖の集まりではなく,デンプン粒という粒子構造を持ち,その内部には結晶性領域と非晶性領域が共存しています
特に,アミロペクチンの側鎖は二重螺旋構造を形成し,それらが規則的に配列することで結晶性ラメラ構造を形成します.
一方,分岐点の多い部分ではより不規則な非晶性領域となります.

したがって,生デンプン粒は分子鎖が水素結合などによって秩序化した半結晶性の高分子集合体であると言え,この密な秩序構造があるために酵素が入り込みにくく,生デンプンは酵素に分解されにくい状態にあります.

「糊化」とは,結晶性のデンプン粒が水と熱によって秩序を失い,酵素が作用しやすい構造へ変化する現象です.

まず,浸漬によってデンプン粒内の比較的ゆるい非晶性領域に水が入り込み,デンプン鎖のヒドロキシ基と水素結合を形成します.
もともとデンプン鎖同士が形成していた水素結合の一部が水分子との水素結合に置き換わることで,分子鎖の運動性が高まります.
次に,蒸気による加熱で温度が上がると,アミロペクチン側鎖の螺旋構造や結晶性ラメラが不安定化し,結晶性が崩れてデンプン粒はより非晶的な状態へ変化します.
この秩序の崩壊こそが糊化の中心です.
さらに,デンプン粒は水を取り込んで膨潤し,水が十分に存在する系ではアミロースが粒外へ溶出し,膨潤したデンプン粒と溶出した高分子が液全体の粘度を高めることで糊状になります.

図82-3:糊化によるデンプン構造の変化

しかし,酒造りの蒸米では,炊飯やデンプン懸濁液の加熱のように水が過剰にあるわけではなく,蒸米の水分は比較的低めに制御されています.
そのため,米粒全体がドロドロの糊になるのではなく,米粒としての形を保ちながら,内部のデンプンが糊化していきます
糊化をミクロに見ればデンプン鎖の水素結合ネットワークの再編成であり,モルフォロジーとして見えば結晶性ラメラや螺旋構造が崩れてデンプン粒が膨潤して秩序構造が失われ,マクロに見れば硬い生米が麹菌と酵素が利用できる蒸米へ変わる現象です.

つまり,糊化とは生米を酵素が働ける米へと変える構造転移であると言えます.

(2) 蒸米の老化

蒸米の原料特性を考える上では,糊化後の老化も重要な要素です.
「老化」とは,糊化によって崩れたデンプン鎖が冷却や放置中に再び会合し,部分的に秩序を取り戻す現象です.
糊化によって一度非晶質化したデンプンは,時間の経過とともに再び分子鎖同士が近づき,水素結合を形成し,部分的に再結晶化していきます.
アミロースは比較的早い時間スケールで再会合しやすく,アミロペクチンはより長い時間スケールで老化に関与します.

日本酒造りでは,蒸米は蒸した直後にすべてが分解されるわけではありません.
放冷されて麹室に運ばれ,あるいは醪の中で低温長期発酵に置かれるため,この間にデンプンの老化が進むと,蒸米の酵素消化性は低下していきます.

このように,蒸米は糊化によって溶けやすくなり,老化によって再び溶けにくくなるため,日本酒造りではこの相反する変化を利用しています

例えば,生酛造りにおけるめしは,蒸米を半切り桶などに入れてむしろで覆い,長い時間をかけてゆっくりと冷却していく操作です.
この長時間冷却によって蒸米の老化を進め,芯の締まった蒸米とすることで,酛の中での米の溶解速度を調整します.
したがって,蒸米の科学は糊化によって酵素が働ける構造を作り,老化によってその速度と程度を調整する,二つの構造変化のバランスが蒸米の酵素消化性を決めることになります.


3. おわりに

日本酒造りにおける蒸米は,米を麹菌と酵素が利用できる状態へ変換した発酵基質であり,その本質は米粒の水分,熱履歴,デンプンの糊化,老化,酵素消化性を制御することにあります.
炊飯は食べるために米をおいしく柔らかくする操作である一方,蒸しは酒造りのために米を発酵基質として整える操作です.

日本酒造りのためには,蒸米は柔らかければよいわけではなく,硬ければよいわけでもありません.

表面はさばけがよく,内部は酵素が作用しやすい状態にし,醪で急激に溶けすぎず,しかし必要な糖を供給できるようにする.
これらによって麹菌が入り込み,酵素を生産し,酵母の発酵を支える基盤として働く.
そのような複数の要求を同時に満たすために,外硬内軟という理想が語られてきたのだと思います.

科学的に見れば,蒸米じょうまいは半結晶性高分子であるデンプンを,水と熱によって非晶化し,その後の老化まで含めて酵素消化性を制御する工程です.
日本酒造りでは麹菌や酵母が主役として語られることが多いですが,それらの微生物が働くためには,適切に設計された基質が必要であり,その重要な基質こそが蒸米です.
「米を蒸す」という一見単純な操作の中に,日本酒造りの本質が詰まっているのだと思います.

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