見出し画像

ポートレートモデルに関する友人との問答がいろいろと示唆深かったので、ここに記す(前半):作例写真多数

<注>
いつもの記事とは異なり、1人称の会話劇風にしてみました。結果としてかなり長文になってしまったので、前後半に分けました。長文とはいえ、メインは会話劇なので、ライトに読めると思います。

■ 友人と話していたある日のこと

友人との他愛もない会話の流れで、私のポートレート撮影が話題となった。

この友人には、私のポートレートフォトグラファーとしてのInstagramやこのnoteアカウントを教えており、そして、TALESにて発表している小説も含めて、時々見てくれていることは知っていた。

話題は徐々に撮影機材からモデルに移行し、友人はおもむろに質問を投げかけてきた。

「あんなに大勢のモデル、どこで見つけてくんの?」
「大勢?」
「Instagramやnoteを見てると、毎回違うモデルが登場してるじゃん?」
「毎回違う?」
「本業の映像プロデューサーの仕事でプロのモデルと知り合えるから?」
「プロのモデル?」

私は友人から投げかけられた言葉をおうむ返しするのが精一杯だった。

ポートレートの作例を紹介するためのメインシリーズである「滾る感情を吐き出す(ポートレート撮影 作例の紹介)」と何かの用事のついでに短時間だけ撮影する「番外編」シリーズを合わせて考えてみても、定期的に撮らせてもらっている知人女性は、ほぼ以下の4人しかいない。

<まきちゃん>
原則的にメインシリーズに起用
1番多く撮り続けているモデル
2-3ヶ月に1回撮影するペース
1X.comでAwardをとれた全11枚のうち、7枚が<まきちゃん>の写真

<知人女性A>
直近では一番高頻度で撮っている
最近、「写真とは何か?」と拗らせてしまったので、iPhoneで撮った写真を番外編として記事化しているため、「撮影ペース」という意味では急激に上がっている
メインシリーズは2-3ヶ月に1回撮影するペースだが、番外編は1ヶ月に2-3回撮影するペースに増えた
1X.comでAwardをとれた11枚中4枚が<知人女性A>の写真

<なのちゃん>
ポートレート撮影をはじめた初期のころからモデルを依頼している知人女性
撮影以外の別の用事のついでに、さっくりと繁華街でロケ撮影して「番外編」というフォーマットで記事化するようになったのは、<なのちゃん>を撮ることが多かったから
最近は2-3ヶ月に1回撮影するペース

<知人女性B>
カメラを買って一番最初にポートレートモデルを依頼した知人女性
今では「はじまりのモデル」として、3-4ヶ月に一回程度撮ることで、自分の現在地を確認している
最近は4-5ヶ月に1回撮影するペース

上記で名前を明記している2名は、アカウント名が「〜ちゃん」なのでこう記した。私が「〜ちゃん」と呼んでいるわけではない。名前を出していない2名は、名前やアカウントを出さない方針で撮っている。

この4人以外にも何人かの知人女性を撮ったり、依頼をいただいて撮らせてもらった方もいるが、定期的ではないからここではカウントしない。

そして、現時点では、まだまだフォトグラファーとしては駆け出しの身なので、本業の映像制作の仕事を通じて知り合いになったプロのモデルやタレントには、ポートレートモデルは発注していない。モデルとして協力してくださる、という申し出をいただくこともあるが、こちらから辞退している。SNSにあげている写真のモデルは、ほぼ全員が素人の知人女性だ。

さらに言えば、撮影会に参加しているわけではないので、撮る対象は少数精鋭だ。各種SNSで他のポートレートカメラマンのアカウントを見る限り、撮影対象はバリエーションに富んでいる。私のように撮影対象人数が少ないにも関わらず、定期的に撮り続け、さらに毎日のように写真をInstagramに上げ続けているのは、ポートレートフォトグラファーとしてはかなりの少数派だ、と自覚している。

約2年弱、知人女性たちに繰り返しモデルを依頼して撮影を続けてこれたのは、協力してくれる彼女たちのおかげだと常日頃から感謝しており、そのことは、以下の記事でも書いた。

↓以下の記事の「モデルについて」という項目で書いています


というわけで、私が撮っている写真のモデルは「大勢」いるわけでも、「毎回違う」わけでも、「プロのモデル」でもない。友人の指摘は一つも合っていない。私は、友人への意思表示として、明らかに怪訝そうに聞こえるように言った。

「いったい何の話をしているんだ?」
「いや、だから、お前のInstaやnoteに登場するモデルの話だよ」
「・・・」

どういうことなのか?
私のアカウントと他の誰かのアカウントを間違えて認識しているのだろうか? しかしすぐに、私はある可能性について思い当たった。

「おまえ、もしや・・・坂道系とかAKB系とか、最近ではKAWAII LAB.系とか、グループアイドルの顔を見分けられないだろ?」
「そうだな。確かにいまどきのアイドルには興味がないから、個別に認識してないし、見分けはつかない。同じ顔に見えているかもしれん」

やっぱりそうか。どうやら、私が感じた可能性は当たっていたらしい。だがここで、友人は急に捲し立ててきた。

「そういうのって、量産型っていうんだろ? ということは本人たちも簡単に他人に見分けをつけられたくない、という意思表示なんじゃないの?」
「量産型・・・」

私は中ば絶句していた。

「あえて量産型のルックスにすることで、見た目じゃなくて、私の中身を、そして本当の私を見て欲しい、いう心理ということなのでは?」

ここから、友人の話は急なカーブを描いて別の方向に進み始めた。この急角度具合は全く予想していなかった。

「俺はアイドルの顔は見分けられないかもしれないけど、お前だって、ザクの見分けはつかないだろ? ザクにだって製造番号があり個体差があるはずだし、あれだけ大量に生産されているならば工場もいろいろなコロニーに点在しているはずだ。そして、長期間製造されているのであれば、マイナーチェンジを繰り返して、実は細かな型番は違っているはず。そういう生産工場や製造年度の違いで細かな個性があるはずなのに、お前はザクの違いを認識してないだろ? 同じことじゃん」

友人は急にガンダムに登場するザクの話をはじめた。ザクとは、物語中、大量に登場する敵国側のモブキャラのようなモビルスーツ(ロボット)のことだ。

「ということは、グループアイドルはザクであり、量産型という隠れ蓑を使って、肥大化した自意識を隠している、ということだろ? 俺が量産型というベールに隠されたアイドルたちの顔を認識できなくても仕方ないだろ」

やれやれ。
私が感じた可能性は正しかったようだが、むしろ私の質問によって、かなり遠回りすることになってしまったようだ。少し面倒ではあるが、こうなったのは私の責任だ。責任を果たそう。

「いろいろな認識が間違っている・・・」

私は少しだけ間を空け、もったいつけるように言った。

「まず、グループアイドルに対して量産型とは言わない。ファンは個別にしっかりと認識している。そして、量産型という言葉は、アイドルではない素人女性に使いがちな言葉ではあるが、蔑称に近いから、言われた本人が自認しているわけではない」
「なるほど、量産型とは第三者から言われる言葉なのか。それはそれでキツいな」
「そして、量産型という隠れ蓑で肥大化した自意識を隠している、というのはなかなか面白い着眼点だが、自覚しているという前提条件が間違っているので、隠れ蓑足り得はしない。むしろ、それは第三者の色眼鏡として機能して、彼女たちの本質を隠してしまうかもしれないが」
「なるほど、確かに前提が違うのなら結論が間違っているのも仕方がない」

友人は飲み込みが早かった。思いつきのアイデアには執着しない潔さを持っている。

「更にもう一つ言っておく必要がある。俺がザクを個別に認識できないのは俺のせいではなく、ガンダムの作り手たちが情報開示していないせいだ。おまえの言うような生産工場や製造年度の違いで型番が異なり、それぞれに個性があるのなら俺以外のファンも喜ぶだろう。あの工場で作られたザクは少しだけトルクが厚いとか、あの年代以降に製造されたザクは排熱部品の形状がマイナーアップデートしてるだとか。さらに言えば、あの整備士が整備した個体はピーキーだが最大出力が上がっているだとか。もし、そんな個性があればザクだけを集めるマニアも出てくるはずだ。しかし、そんな情報はない。ということは、俺を含めた全視聴者がザクの個性を理解していないのは視聴者側の問題ではなく、富野やサンライズ、バンダイのせいだ。そして、そこにはお前も含まれているから、アイドルの見分けができないというカウンターになっていない」
「さすがだな、カウンターになっていないことはバレたか。確かにそう言われてみれば、富野はそうした設定には興味がなさそうだもんな。だって、最近の映画では、テロリストが所有するガンダムが何故か最新鋭機種で、常に洗浄されてピカピカなんだぜ。あれだけのワンオフ機体をどうやって製造もしくは入手したのか。そしてどうやって洗浄やメンテナンスをしてるのか。仮にあの世界には武器の横流しマーケットがあって、大金さえ積めば最新のモビルスーツを手に入れることが出来たとしても、メンテナンスやスペアパーツのストックは無理だろ。現実世界ではありえないよ。どこかの工場から最新の戦闘機を盗むことができたとしても、それを維持運用することは絶対にできない」

富野というのは、富野由悠季氏のことだ。テレビアニメの初代「機動戦士ガンダム」の総監督であり、原作・脚本・演出・絵コンテ・作詞まで手掛けている、まさにガンダムの生みの親だ。そして、2026年現在、ガンダムシリーズ最新作「閃光のハサウェイ  キルケーの魔女」でも原作者としてクレジットされている。

「それ、閃光のハサウェイのことか?」
「そうだよ。富野は現実の世界を知らなすぎる気がする」
「もしテロリストが、最新の武器を維持運用できるのだとしたら、そこには大きなバックがいることになるな・・・。ん? 次はそういう話になるっている伏線なのか?」

友人は、私が言った「富野」という言葉に火がついたように、ガンダム最新作だけでなく富野への批判もはじめた。部品のサプライチェーンやエネルギー補給、そして通信インフラ網の問題などが疎かにされていることに憤慨しつつ、次回作の予想まではじめている。そもそも、モビルスーツのエネルギーって何なんだ? 

■ コンテクストのリテラシー問題

この会話で顕著になったのは「コンテクストのリテラシー問題」だ。

友人は同姓同世代なので、会話の流れが「モデルの話」から「アイドルの顔の見分け」に移行し、すぐに「量産型」に発展、そして前触れもなく「ザク」に至り、挙句の果てに「富野」という人物名に流れついたとしても、互いに固有名詞の説明はなくても何気なく受け入れることができている、という事実。

これは「同じ文化で育ってきたから」と言ってしまえば簡単に終わってしまうが、人種や国籍、そして世代や性別など、実はかなりのピンポイントでマッチングしないと成立しない現象だ。地球規模で見た場合、急に「量産型といえばザク」と言われても理解できない人類の方が多いはず。

なぜこの「コンテクストのリテラシー問題」が気になるかと言えば、私はこの問題に日々直面しているからだ。2026年1月15日からこのnoteの姉妹サイト「TALES」にて、幕末から戊辰戦争が舞台の歴史小説「闇溜まり」を発表しているが、常にこの問題と向き合い、ときに格闘し、悶絶しながら物語を綴っている。

私が書きたい物語の時代背景や固有名詞を、読者は「どこまで知っていて、そして知らないのか」想像するしかない。この問題は、バランス感覚がとても重要で、タイトロープの上を歩いているかのような感覚さえある。そして、少しでもバランスを間違えると、肝心の物語が誰にも伝わらないし、一向に話が進まないこともあり得るのだ。

例えば、幕末期の大きな出来事として「大政奉還」という出来事があるが、バランスを保とうと努めていなければ、「大政奉還とは?」という説明にかなりの文字数を割かねばならない。

誰が誰に何を還したのか? 
なぜ起こったのか?
終わってしまった江戸時代とは?
新しい明治時代とは?
そして、人々の生活はどう変わったのか?

「大政奉還」を説明しているだけで、辞書のような説明が必要になってしまい、物語を駆動させることができなくなる。

いま書いているのが幕末から戊辰戦争を題材にした「歴史小説」だからではない。

極端な例をあげると、一つの行動で二つの利益を得ることを「一石二鳥」というが、読者はこの言葉を知らないと仮定した場合は、「それはまさに、一回の投石によって2羽の鳥を落とすことが出来るような、素晴らしく効率的な行動だな」と書かなければならなくなる。「一石二鳥」という言葉を知っている者からすればくどい。

小説の読者は「一石二鳥という言葉を知っているか/知らないか」のような検討作業を「全てのワード」で実施し、バランスを取っているというわけなのだ。

そのうえで、「このあたりのワードや出来事は、説明しなくていいよね?」と、作者と読者で感覚を共有しなければ、物語が駆動していかない。だが、この読者とは、あくまで作者が考える「読者<像>」でしかないのだから、ギリギリで保っているはずのバランスも、読者との共有も、全て作者の想像の産物でしかない。だからこそ、目隠しをしたままタイトロープを歩かされているような不安が常につきまとう。

↓「闇溜まり」はこちらで公開しています


このようにして、「コンテクストのリテラシー問題」はコミュニケーションにおいてとても重要なのだということが友人との会話で顕著になったが、話が大きく逸れた。この記事の本質はそこではない。友人との会話に戻そう。

「それ、閃光のハサウェイのことか?」
「そうだよ。富野は現実の世界を知らない気がする」
「部品供給やエネルギーのサプライチェーン、メンテナンスなんかを描き始めたら、ロボットアニメは成立しないだろ。ストーリーが全く進んでいかなくなる」
「確かにそうなんだけど、富野自身が「子供向けアニメは鬼滅に任せて、大人向けアニメは閃光のハサウェイが独占する」とインタビューで答えてたんだよ。だけど、大人という生き物は兵器のデザインはもちろんだけど、製造コストや運用コストや戦闘を継続するためのインフラに目が行くもんだろ? 富野はそこを分かってない。あれ? 何の話だっけ?」

友人には自分で脱線から戻る能力があったらしい。私よりも先に本筋に戻ろうとしていた。

「お前にグループアイドルの顔を見分けられるか? という質問をしたんだ」
「あぁ、そうだった。質問に対して屁理屈で返そうとしたら、屁理屈で返されたか・・・やるな、さすが屁理屈王」
「なんだ、そりゃ」

屁理屈王?
この友人からそんな呼称で呼ばれたことはなかったが、そう思っていたのか。ただ、屁理屈が得意だという自覚はあるので、ここは流しておこう。屁理屈王と呼ばれたことに反応していたら話が更に脱線してしまう。

「おまえがアイドルは量産型だと言い出して、自分から脱線したんだよ。俺も釣られたわけだけど。最初は、俺のポートレートアカウントに登場するモデルについての話だったはずだ」
「そうだった。モデルの話だ」
「俺が撮っているモデルが大勢いて、毎回違って、プロなのか? という質問だったはずだよな?」
「そうそう、あんなに大勢のモデルをどこで見つけてくんの?って質問したんだった」

ようやく話の本筋に戻ることができた。長い遠回りをした。

「俺が撮っているモデルは、大勢にお願いしているわけじゃなく、定期的に撮っているのはほぼ4人だけだ」
「・・・え?」

友人は少し間を置いてから、ただ「え?」とだけ言った。

「だから、毎回違うわけじゃない。同じモデルを何度もくり返し撮っている」
「・・・え?」
「しかも、繰り返し何度も撮っている4人は、プロのモデルでもない、ただの素人だ」
「・・・え?」

友人は「え?」と三連発で言った。私が言った言葉を必死に咀嚼しようと、脳の情報処理にリソースを割いたせいで、語彙力を遮断したのだろう。

「そして、4人の知人女性にモデルを依頼しているが、それぞれ撮る頻度や仕上げた写真の枚数、アップする頻度も違うから、Instaには一時的にほぼ1人か2人のモデルしか登場しないタイミングさえある」
「どういうこと?」
「それはこっちのセリフなんだがな。多分、お前は俺のSNSに登場する最大4人のモデルの写真を見て、写真のたびに全部違うモデルだと認識したんじゃないのか?」
「・・・」

友人はとうとう「え?」と聞き返すこともしなくなった。

「だから、グループアイドルの見分けは出来るか質問したんだよ。なぜなら、お前は同じモデルをすべて別人だと認識してるんじゃないか? って思ったからなんだ」
「・・・」
「大勢の女性の見分けがつかないなら、逆に1人の女性を別人だと考える可能性がある、と考えたわけ」
「・・・」
「お前は、女性の見分けができていないだけなんだよ」
「・・・」

今度は4連発で無言の返答をしてきた。まだ、脳の処理が追いついていないのか? 友人は黙ったまま急にスマホを取り出した。そして、おもむろにInstagramアプリを開き、私のポートレートアカウントを開いた。

■ <まきちゃん>に関する会話

「これとこれ、同じ人?」
「そうだよ」
「これとこれも?」
「そうだよ」
「じゃ、これは?」
「これも同じ人だ」
「プロのモデルじゃないの?」
「違う。モデルとしては素人だ」
「・・・」

友人はスマホの画面を見つめながら少し放心したような表情をしていた。

友人が指し示して聞いてきたのは、すべて私が最も撮影している<まきちゃん>という女性の写真だった。

確かに<まきちゃん>は撮影のたびに違う表情を見せてくれるし、テーマに合わせて表情を作ってくれるので「違う人物に見える」という可能性は否定しない。

というわけで、ここで私が撮った<まきちゃん>の写真を並べてみる。この記事を読んでいただいている皆さんは、どのように感じるだろうか?


こうして並べてみると、友人の「違う人物に見える」という感想に対して、否定できないどころか、写真によってまったく別の表情を作っているので、本人と直接の面識がなければ、違う人物に見えるような気もする。

「すごいな、この人。本当に素人なのか? 表情が全く違うから、同じ人だと言われても、それでも全部違う人に見える」

<まきちゃん>本人も「同じ写真に見えないように、いろいろな表情の研究をしている」と言っていたので、その狙いは当たっているともいえる。すごい。確かに、本当に素人なのか。


※後半に続きます


■ 直近で<まきちゃん>を撮影した際の記事と、使った機材はこちら

↓直近の撮影の様子を書いた記事です

・Camera:SONY α7IV

・SIGMA 24-70mm F2.8 DG DN II | Art

・CFExpressA:NEXTORAGE NX-A1PRO 160GB

・SDXC:SONY UHS-II TOUGH SF 560GB

・Strap:Peak Design SLIDE LITE

・Tripod:Ulanzi TT09 VideoGo F38

・Camera Bag:Manfrotto Advanced Active Backpack III


■ 写真だけでなく小説でも転がり出すために、TALESにて小説を発表しています

本格的なポートレート撮影だけでなく、iPhoneで撮ったラフな日常写真もSNSで発表することで、「どこかに転がり出すきっかけになるかもしれない」という思いを持って公開することにしたわけですが、この思いと同じように、noteの姉妹サイト「TALES」にて、幕末〜戊辰戦争を題材にした歴史小説「闇溜まり」を発表することにしました。

創作物は誰かの目に触れるようにしなれば、どこにも転がり出さないので。

この発表をきっかけに、写真と小説のどちらもどこにどうやって転がってもいいように、私自身もウォーミングアップをはじめました。いつでも転がり出す準備は整いつつあります。

ぜひ、以下のリンクより読んでみてください。


■ 最後に

実際にあった友人との会話を、一人称の会話劇風にしてみました。

このアカウントで書いてきたこれまでの記事とは、文体だけでなく体裁も変えてみましたがいかがだったでしょうか?

後半パートでは、友人はさらに私の深層心理を見抜き、鋭くえぐってきます。

当アカウントの記事内にはAmazonアソシエイトリンクが含まれていることがあります。リンク経由で商品を購入していただきますと、紹介料が発生することがあります。


いいなと思ったら応援しよう!