芋出し画像

村䞊春暹の玀行文掚移を描写する

 私は描写が苊手です。苊手なのは、よく芋おいないからにほかなりたせん。それだけでなく、きっずたくさん読んで蚀葉や蚀い回しを身に付けおいないからでもありたす。あずは、才胜がないからにちがいありたせん。

 ないない尜くしの話になりそうなので、最近よく読んでいる村䞊春暹の玀行文海倖滞圚蚘から、いいなあず思った描写を匕甚したす。じ぀を蚀うず、私はこの䜜家の小説のよき読者ではないのですが、玀行文は倧奜きなのです。

 なお、村䞊春暹の玀行文に぀いおは以䞋の蚘事でも曞きたしたので、興味のある方はお読みください。

 䞊の蚘事ず同じく、今回も敬称は省略させおいただきたす。


描写


 描写ず蚀っおも、いろいろありそうです。

動き
・動かない、物や人や生き物や颚景
・動きの少ない、物や人や生き物や颚景
・動く、物や人や生き物や颚景

移り倉わり
・瞬間・短時間・短期間の掚移
・長時間にわたる掚移
・長期間にわたる掚移

 倧雑把に䞊のように分けるこずができそうです。

 ずいうか、私はそんなふうに分けお考えおいたす。そのほか、近い・遠い近景/遠景、広い・狭い広範囲/狭範囲、䞊から・䞋から俯瞰・鳥瞰/仰瞰・虫瞰、倧きく・小さく拡倧/瞮小ずいった分け方もあるでしょう。

 ã€€ã‚ず、「瞮む時間」ず「のびる時間」。これは以䞋の蚘事に曞きたした。描写・蚘述に察する私のたずめです。

「そもそも、そんなふうに分けお考えるのは、描写が苊手で䞋手な人の浅知恵ではないでしょうか」なんお蚀われれば、「なるほど、そうですね」ず玍埗しお匕き䞋がるしかありたせんけど。

 たしかに、理屈が先行するず描写はうたくいかない気がしたす。たくさん読んでたくさん曞く、努力あるのみ――なんおいう暙語ずいうか粟神論みたいな結論に萜ち着きそうです。

 いいかい、星野君、たくさん読むんだよ、そしおたくさん曞いおみるの。実行あるのみ。わかった

     

 私は小説のストヌリヌを远ったり内容を取るのが苊手です䜜者の意図なんお考えたこずもありたせん。自分の奜きな箇所を眺めおいる、そんな読み方をしおいたす。もちろん、党䜓を通しお読むこずはありたすけど。

 ですから、noteで私の投皿する読曞感想文は、ある䞀節を眺めおの芳察蚘録のような感じになりたす。䜜品党䜓の芁玄はしたせん。ずいうか、できないのです。この読曞感想文も䟋倖ではありたせん。

季節による颚景の掚移


 そんなわけで、私がいいなあず思った文章である、村䞊春暹䜜の「チャヌルズ河畔の小埄」ずいう゚ッセむから匕甚したす。『ラオスにいったい䜕があるずいうんですか 玀行文集』文春文庫に収められた䞀線です。

 ボストン近郊で数幎間にわたっお生掻した村䞊が「情景的に今でもいちばん深く印象に残っおいる堎所」だずいう「チャヌルズ河沿いの道路」の描写です。

 冒頭の段萜ではゞョギングの習慣にた぀わるおおたかな背景が述べられ、第二段萜で地理的な説明がなされたあずに、第䞉段萜が始たりたす。

 倏には䞊朚がこの遊歩道の路面に、くっきりずした涌しい圱を萜ずす。ボストンの倏は誰がなんず蚀おうずすばらしい季節だ。  
村䞊春暹「チャヌルズ河畔の小埄」『ラオスにいったい䜕があるずいうんですか 玀行文集』文春文庫所収・以䞋同じ・p.14

 匕甚した䞀センテンスのあずに、倏の「チャヌルズ河畔の小埄」が点描されたす。「をしおいる」、「をしおいる」、「出しおいる」、「歌っおいる」、「远いかけおいる」ず、臚堎感のある「いる」で終わるセンテンスによる描写が続くのです。語尟の単調さが単調さに終わらずにリズムに転じおいるずころがうたいなあず感心したす。

 私は長い匕甚はしたくないので、センテンスの語尟だけを指摘しおいたすが、みなさんにはぜひ原文をお読みいただきたいず思いたす。この䜜家の゚ッセむには心地よいリズムがあるのです。省略した箇所では、読んでいる自分を忘れお河畔を走っおいるような錯芚におちいりたした。

     

  でもやがおニュヌむングランド独特の、短く矎しい秋がそれにずっおかわる。僕らを取り囲んでいた深い圧倒的な緑が、少しず぀ほのかな黄金色に堎所を譲っおいく。  
p.14

 初めお䞊の箇所を読んだずき、私は「あっ」ず声をあげそうになりたした。既芖感を芚えたのです。懐かしさず蚀っおもかたいたせん。いったん読むのが止たりたした。でも、その懐かしさの理由はわからないたたに読み぀づけたした。

 匕甚箇所のあずには、「短く矎しい秋」の描写が点描されたす。点描ずは「人物や物事の特城的な点を郚分的に描写するこず。」小孊通「日本囜語倧蟞兞」ずか「芁点をずらえお簡朔に描写するこず。」岩波曞店「広蟞苑」です。

 本蚘事のタむトルは「掚移を描写する」ですが、掚移に適した描写はこの点描なのです。ずいうか、時の経過による事物の移り倉わりは点描する以倖にないでしょう。村䞊春暹は点描がうたい曞き手だず私は思いたす。

 ラニング甚のりェアの「重ね着」が気枩の掚移を、「枯れ葉」が颚の匷さを、「どんぐり」の萜䞋する音が深たる秋の響きを、走り回る「リス」が冬の間近さを、぀ぎ぀ぎず点描しおいきたす。

     

 第四段萜です。ここから冬の到来が描かれたす。

 ハロりィヌンが終わるず、このあたりの冬は有胜な収皎吏のように無口に、そしお確実にやっおくる。川面を吹き抜ける颚は研ぎあげたばかりの鉈のように冷たく、鋭くなっおくる。  
pp.14-15

 この段萜の出だしで泚目したいのは、「のように  やっおくる」、「ように  やっおくる」ずいう反埩によるリズムです。ここで初めお「ように」ず比喩が甚いられおいたす。ここに来るたで比喩が抑制されおいたこずに気づきたす。

 描写では「ように・ような」のある比喩私は文法甚語には詳しくないのですが盎喩ずか明喩ず呌ばれるこずもあるようですを䜿うず、蚘述が説明的になり぀たり、冗長になり、スピヌド感も倱われたす。そのため掚移を描くための点描では「ように・ような」のある比喩は避けるべきなのです。

 では、どうしお、ここでわざわざ比喩が䜿われ、スピヌド感のある点描が止たったのでしょう

 匕甚文の第䞀センテンスの䞻語が「冬」であり、第二センテンスの䞻語が「颚」であるこずに泚目したいです。自然の掚移が停止する「冬」が到来し、河沿いの道路をラニングする「僕」が容赊なく吹き぀ける「颚」を耐え忍ばなければならない長い季節が始たったからにほかなりたせん。

 ようするに、文章のリズムが転調したような感じがするわけですが、この間合いのずり方぀たり呌吞の倉化は、私の奜きな蚀い方をするず、「曞かれおいる文章が曞かれおいる内容に擬態しおいる」のです。

 擬態を感じるずきの私は幞せな気分になりたす。この皮の擬態を私に感じさせおくれる䜜家は決しお倚くはありたせんあくたでも個人的な印象の話なのですけど。

     

  僕らは手袋をはめ、毛糞の垜子を耳たで匕っ匵り䞋ろし、ずきにはフェむスマスクたで぀けお走る。でも冷たい颚だけならただいい。我慢しようず思えば、なんずか我慢できる。  
p.15

 ここでは、それたでの季節の掚移の点描から、「僕ら」の眮かれた状況の説明内省モノロヌグぞず蚘述が倧きく倉化しおいたす。この第四段萜の埌半は、愚痎の矅列ずいった様盞を垯びたす。

「そしお僕らは走るこずをあきらめ、」で始たる、この段萜最埌のセンテンスは䞉行にわたりたす。その文にある「あのろくでもないサむクリング・マシヌン」ずいう悪態ずも取れるフレヌズは、冬を耐え忍ばなければならないゞョギング愛奜者たちの苛立ちを的確に蚀い衚わしおいるように思えおなりたせん。

 その長めのセンテンスは、「  新しい春がやっおきお氷が溶け、たた川瞁を走れるようになるのをじっず埅぀こずになる。」で終わりたす。

     

「チャヌルズ河畔の小埄」には、ただただ玠晎らしい文章がありたす。「氎面は日々埮劙に倉化し、色や波のかたちや流れの速さを倉えおいく。そしお季節はそれをずりたく怍物や動物たちの盞を、䞀段萜ず぀確実に倉貌させおいく。」pp.16-18で始たる段萜は、この䜜家の描写に察する考えが矎しくか぀正確に描かれおいるず私は思いたす。いわば描写行為をめぐっおの描写蚘述なのです。

 この郚分は䜕床も読みかえしたした。ずくに、段萜最埌の「たるで  みたいに。」「  」はぜひ原文をお読みくださいずいう、蟛蟣な比喩の前埌に芋られる揺らぎが奜きです。「ポゞティブ ⇔ ネガティブ」のようなブレた展開をしおいるのですけど、そこでは比喩が単なる比喩で終わらずに批評に転じおいる感がありたす。

 村䞊春暹の゚ッセむ小説ではなくに芋られる「のようにな・みたいにな」型の比喩に぀いおは、い぀か蚘事にしおみたいです。

小説、゚ッセむ、描写


 話を戻したす。さきほど、次のように曞きたした。

     

  でもやがおニュヌむングランド独特の、短く矎しい秋がそれにずっおかわる。僕らを取り囲んでいた深い圧倒的な緑が、少しず぀ほのかな黄金色に堎所を譲っおいく。  
p.14

 初めお䞊の箇所を読んだずき、私は「あっ」ず声をあげそうになりたした。既芖感を芚えたのです。懐かしさず蚀っおもかたいたせん。いったん読むのが止たりたした。でも、その懐かしさの理由はわからないたたに読み぀づけたした。

     

 その既芖感ず懐かしさの理由が分かったのです。

 理由は二぀ありたす。䞀぀は、高校二幎の秋にニュヌパンプシャヌ州の小さな町でホヌムステむをしたこずがあるのですがロヌタリヌクラブのお䞖話で掟遣されたのです、その時にたさに「ニュヌむングランド独特の、短く矎しい秋」を䜓隓したからでした。

「僕らを取り囲んでいた深い圧倒的な緑が、少しず぀ほのかな黄金色に堎所を譲っおいく。」どころか、車での移動䞭にはあざやかな黄金色だらけの颚景のなかにずきおり寒そうな色の湖や川が透けお芋えたした。あの地方はもう晩秋だったのでしょう。ちょうどホヌムカミングの時期で、アメフトの詊合ず、その合間のブラスバンドの挔奏ず行進、homecoming queen の遞出、そのあずのダンスパヌティず思い出は尜きたせん。この町のこずは「土地の名をうたう英語線」ずいう蚘事で少しだけ觊れおいたす。

 村䞊春暹の玀行文を読んでいお芚えた既芖感は、どうやらその懐かしさだけではなさそうなのです。なんだろうずずっず考えおいたした。そのうち、懐かしさは実䜓隓から来るものではなく、読んだ本から来おいるような気がしはじめたした。ずくに「黄金色」ずいう文字列に既芖感を芚えるのです。

 かなり前に読んだ村䞊春暹の長線小説のなかでこの文字列を芋た蚘憶がよみがえったので、家の二階に䞊がっお曞棚に詰めこんだ本のうちのあれこれを取りだしお、あちこちめくっおみたした。

 芋぀けたした。

 長い匕甚になりそうなので、ある小説のある章の段萜の始たりだけを以䞋に抜きだしおみたす。

・第䞀段萜

 秋がやっおくるず、圌らの䜓は毛足の長い金色の䜓毛に芆おおわれるこずになった。それは玔粋な意味での金色だった。  

・第二段萜

 僕がくが最初にこの街にやっおきた頃ころ――それは春だった――獣たちは様々な色の短毛を身にたずっおいた。それは黒であり、ずび色であり、癜色であり、赀味のかかった茶であったりした。  

・第䞉段萜

 春が過ぎ、倏が終わり、光が埮かすかな透明さを垯びはじめ初秋の颚が川の淀よどみに小波さざなみを立おる頃、獣たちの姿に倉化が芋られるようになった。金色の䜓毛は最初のうちはたばらに、  

     

 村䞊春暹の小説のファンの方なら、「あれだ」ずお思いになったのではないでしょうか じ぀に印象的な曞き出しだからです。

 以䞊は、『䞖界の終りずハヌドボむルド・ワンダヌランド』䞊新朮文庫の「2 䞖界の終り――金色の獣――」pp.32-33から匕甚したした。 

 匕甚文は、たさに掚移の描写です。二階に䞊がったたた、私がその章を読み続けたのは蚀うたでもありたせん。

     

『ラオスにいったい䜕があるずいうんですか 玀行文集』ぱッセむであり、『䞖界の終りずハヌドボむルド・ワンダヌランド』は小説です。

 いっぜうは、じっさいに芋お聞いお肌で感じたこずやものの描写であり、もういっぜうは、頭のなかで組み立おたこずやものの描写――。

 実䜓隓の蚘述ずフィクション。

 そうでしょうか そんなに単玔に割り切れるものなのでしょうか どんな文章も、蚀葉語・音で組み立おお文字でしるすものです。

 描写の出自にこだわっおゞャンル分けしおみたずころでこのずころ私には描写ず説明の腑分けも疑問に思えおきたした、いったいどんな意味があるのでしょう 

 描写であろうず、説明だろうず、小説だろうず、゚ッセむだろうず、いわゆる実甚文だろうず、語りだろうず、うた歌・謡・詩だろうず、その文字の連なりを眺めおいたい。そしお、たたには、その連なりに自分でも文字を重ねおみたい。私が望むのは、それだけです。


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