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内示でざわつく、今後の展望(1)

3月中旬は内示の季節

3月の頭に、お世話になった先輩おふたりに妊娠報告をさせていただいて、約2週間が経過した。
我々の職種は3年定期で異動があるため、内示の時期はそれはそれはざわつく。
といっても、今はお休みをいただいている身。
なんやかんやで朝からぼんやりと過ごしていた。
お昼にはマッチョ整体🦍でマタニティ整体(字面がすごい)の施術予定なので、そろそろ動き出そうかしらと思っていたところ、先輩からLINEが来た。

自分には『この御三方あっての自分』として尊敬してやまない姉さんと兄さんの先輩がいる。
新規採用時代にお世話になった方々に対しても
大切に思っているが、この『御三方』に対しての思いは別格なのだ。
何よりも大きなこころでわたしという人間を育ててくれて、出来損ないだった若かりし頃に本当に一から十まで面倒を見ていただいた。

正直、キャリア云々というよりも『あの御三方のようになりたい』『どうにか1日も早く一人前になって恩返しがしたい』という気持ちのほうが強く、
偉くなりたい、稼ぎたいなど
お恥ずかしいながら、夫のようにこういった風になりたいという仕事に対しての明確なビジョンは未だにない。

それなのに

それなのに

そのうちのおひとりが今年度末をもって退職する
運びとなった。干支が同じでひと回り上なので、まだまだいわゆる『働き盛り』だ。
色々なお考え、お気持ちがあっての退職なので、
正直わたしのような者があれこれ口に出すのは
おこがましい。
だが、お世話になった分どうしようもなく寂しくて残念な気持ちでいっぱいなのである。


彼との出会いは最悪だった

しかしながらその兄さん(以下Kさん)との出会いは
最悪だった。
当時、
わたしは3回目の異動により、はじめての進学校での
勤務が決まり、内心ドキドキしていた。
Kさんは、以前から別の先輩からお名前を教えていただいていて、ご一緒できることをとても光栄に思っていた。ものすごく仕事ができる、熱心で素晴らしい方だと聞いていた。

元々某日本最大の電力会社に勤めていたが、事故により右肩から先までを切断、その後障害者雇用枠で採用となった苦労人だった。
お会いする前から勝手に想像し、期待していたが
異動して早々、来たことを後悔する日々だった。
当時の上司は、口だけ出すだけで、親身になって
部下の面倒を見るタイプでもなく、前任者の残した大量の残部を処理しながらの年度初めの忙しさに
ココロもカラダもどんどん崩していった。
深夜帰宅の毎日
当時、唯一助けてくれそうなのがKさんだったので
助けを求めようとしたが、求めた助けをもらえずに絶望した。

3ヶ月無茶して働いたツケで、実家に身を寄せていた際に、家で倒れてしまった。
気を失ったのち、ハタと我に返り這いつくばって
仕事に行こうとした際に両親に止められて、
結果その後はじめて療養休暇を取ることになった。
自分のココロのクセを病院で見直したり、
他校の先輩方、元上司のみなさんの支えもあり、
翌年復職までこぎつけた。

正直、体調を崩した原因だった上司が定期異動したことで、Kさんと期限付きさん(この方も本当に
他責思考で扱いに困った)が残留で、上司が代わるようだったので、復帰してみてダメだったら辞めちまおうと思うほど自分は周りに期待せずにぬるっと復帰したのだった。

だが、件の元上司がいなくなったことで明らかに
風通しがよい職場となっていた。
難ありの期限付きさんがいたものの、仕事に邁進することができた。

わからなかったら、どんどん聞いていい。

そう、Kさんに言っていただけたことも大きかった。新しい上司もシゴデキだったため、前上司のような重箱のすみをつつくようなことは一切言わないこともありがたかった。
Kさんと各自、己の仕事でパソコン画面から目を離さずに仕事についてどんどん話し合いながら、進めていく仕事のリズムが性に合っていた。
余計な話もしない代わりに、集中するときは集中して仕事に取り組み、だらだらと残業せずに颯爽と
帰っていくところもカッコよく、自身もそれに
習って良いところをどんどん吸収した。

他校の事務職員がKさんの風貌に色めきだっていたが(たしかにKさんは彫刻みたいな顔してるなぁとは当時から思ってはいた。ミュージカル俳優の伊礼彼方氏にそっくりだし、、、)だが、そんなことよりも今以上にひよっこだった自分に彼は『働く姿勢』
『社会人とはどういうものか』を身をもって背中でみせてくれたのだ。

いや、冗談じゃなく本当に
伊礼彼方氏にそっくりなのである。
でも、素晴らしさは中身で見た目以上に
そちらの方が遥かにすごい

復職して、3ヶ月後に上司と期限付きさんの折り合いが悪くなった。だがそれは圧倒的に期限付きさんが仕事をしないせいだったため、期限付きさんが
自主退職したことは致し方がないことだった。
その際に、わたしが充分引き止めなかったことも
彼女の勘にさわったのか、上司とわたしを悪者に
仕立て上げたうえで後味悪く退職していった。
他責思考のクセはだいぶ歳を重ねた彼女(50代半ば)はよっぽどのことがない限り、気づきもしないし
気持ちを改めないだろう。
正直Kさんもヘトヘトだったとしばらく経ってから
こぼしていた。


そんなこともあり、夏頃から期限付きさんが全く手を付けていなかった仕事をKさんと手分けしてやることになった。しかし、その時には通院しながらではあったが、仕事のリズムがわかってきて、上司やKさんという先輩にも恵まれていたため大量の仕事でも焦らず、根気強く立ち向かうことができた。

大量の仕事を3人でこなしていくなかで、
正直ずっと疑問だったことの答え合わせをひょんなことからできたりする。

当時(療養前)の◯◯さん(わたし)は本当にかわいそうだった。前任者の仕事を大量に丸投げされて、◯◯さん(前上司)もあれじゃあ、、、、   辛かったよね。

そう、普段言葉少なげのKさんだがそういって
労ってくれたのだ。

でも、そのときのわたしには既にわかっていた。
当時のKさんはわたし以上に上司に仕事をふっかけられていたことに、、、
わたしが休んだ以降は自身の仕事にプラスして
わたしの仕事をしてくれていたことに、、、
そして、それをわたしの復帰後一度も恨み言のようにぶつけられたことはなかった、、、、

そう、わたしは彼には今後の人生で絶対に 足を向けて寝られないほどの恩を受けているのだ。

だが、この気持ちを直接ぶつけたところで、Kさんの心意気を台無しにしてしまう。わたしが返せることは、ご一緒できている間は自分に与えられた職務を全うすること、そして異動後は少しでもこの恩を返せるようになることのみなのである。

そのような心持ちをしていたはずが、この体たらく
現在のお休みをしている自分。


だが、この退職という話を聞いた以上
居ても立ってもいられずに思わずKさんにご連絡をさせていただいた。
考えたうえでの退職であるため、寂しいが身体を
大事にしてほしいこと。ご一緒できたことがわたし自身の財産であること。素直に朝からそれはそれは長々と気持ちをしたためてしまった、、、

しかし、Kさんはわたしにとって男性ながら『母』のような厳しくも優しい存在であったので『◯◯(苗字)母』と勝手に心のなかで呼ばせていただくほど、尊敬していた。

Kさんは、その後すぐに返事をくださった。
退職については以前から考えていたこと。
そして、併せて報告させていただいた不妊治療からの妊娠についてのお祝いのことばと共に、わたしの仕事の姿勢や仕事ぶりも褒めてくだり、その文面はわたしの大切な宝物となった。

どんどん素晴らしい人材の流失が激しくなってきた。来年度末は、大変お世話になった上司ふたりが役職定年になりそうである。
支えてくださったおふたりなので、どうにかして
お礼もせにゃならない。

果たして、わたしは与えられた恩を返せているのだろうか、、、

もしかしたら、ご本人には返しきれないかもしれない。だとしたら、ペイフォワード形式で誰かへ渡せる自分でありたいと心のふんどしを締めた。

恩送りのできる自分でありたい

この場を借りて、、、

Kさん、本当に本当に心から大変お世話になりました。落ちこぼれで自尊心ばかり でかくて至らない自分を根気強く面倒をみてくださった。

そして、自分の生き方をもって社会人としての立ち振舞を気づかせてくださったことに最大の感謝を。

どうか、今後の人生が幸多く笑顔あふれる日々となりますように、心から願っています


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