ラグーザ公(マルモン元帥)回想録 翻訳 第6章-12 《砲兵総監》
マルモン元帥について
▼以下引用元を翻訳▼
砲兵総監
砲兵に関する私の仕事は、委員会による審議と修正を経て政府に採用され、その実施に移されることになった。その作者である私に委ねられるのは、当然の成り行きであった。
第一執政は砲兵総監であったダボヴィル将軍を元老院へ移し、その後任として私を任命した。28歳にして砲兵という、これほど優れ、名声高く、学識ある兵科の第一の地位に就くことは前例のないことであった。その地位は、かつてキャリアの最晩年にヴァリエールやグリボーヴァルといった人々がようやく到達したものである。
しかし砲兵部隊は、私をその地位に迎えて喜んでくれた。私は活動的で、進取の気性に富み、善を成して後世に記憶されたいという願いを持っていた。私は第一執政の耳を得ており、彼のもとで必ず支持と便宜を得られる確信もあった。
私はこの職務を大いなる喜びをもって引き受けた。それは平時に従事しうる仕事のなかで、もっとも美しく、もっとも興味深い職務であったのである。
認めざるを得ないが、運命というものは実に気まぐれであり、ある者にはその苛烈さを浴びせかけ、別の者にはその恩恵を惜しみなく与えるものである。私はこうした不平等の一例を挙げようと思う。
士官学校にいた頃、私はタルディ・ド・モントラヴェルという名の若者とたいへん親しくしていた。この若い将校は、父親(同じくこの兵科の上級士官)とともに亡命し、軍が解散するまでコンデ軍に仕えていた。そののち帰国し、砲兵科での勤務を求めた。
しかし彼はこの兵科を士官候補生、少尉として去った以上、同じ階級でしか復帰できず、私は彼の再入隊を取り計らった。こうして彼はこの大兵科に属する最も下位の士官となったが、同じ仲間であり同窓だった私はその時すでにその兵科の筆頭に立っていたのである。
私は新しい装備の製造に細心の注意を払って取り組んだ。しかし秩序だって作業を進めることが重要であったため、まず旧式の野戦砲兵を保存・修理し、新式装備が完成するまで貯蔵しておくことが決定された。その後、この旧式装備はピレネー国境の武装に充てられることになった。この方面での戦争は当時ほとんど可能性がなかったが、いずれにせよ適切な配置であった。スペイン人は同じ口径と類似の構造を用いており、もしスペインに進軍することがあったとしても、そこで我々の必要に合致した弾薬や交換部品を見つけることができたからである。
私は新しい青銅か、使用不能となった砲や外国製の砲を溶かして新式大砲を鋳造する作業に従事した。この仕事は迅速に進められた。私は週に2度、これらの措置を第一執政に報告し、その都度命令を受けた。
私は人員の訓練と、その精神を良好なものにすることにも取り組んだ。私は砲兵全体を同じ駐屯地に集めることができればよいと思った。そうすれば自分もそこに居住したであろう。しかし古くからの施設が、それを擁する各都市に一種の権利を与えており、そのため些細な事情に配慮して従わざるを得なかった。砲兵にとって、大規模な駐屯はできるだけ多くの部隊に訓練に必要な労力と費用を共有させ、それを均一なものにするために不可欠である。既存のものを廃止できなかったので、私は各部隊間に有益な競争心と大きな向上心を生み出すことで、その不足を部分的に補った。
そのために、選抜した兵から成る分遣隊をそれぞれの駐屯地からラ・フェールへ向かわせた。そこは大講堂であり、大規模競技会の場であり、いわば私が砲兵の「台帳」を保持している場所であった。さまざまな作業や学校が競うように設けられ、最も訓練された、最も熟練した兵士たちには褒賞が与えられた。複数の将官もそこに赴き、その出席によってこの行事にいっそうの格式を添えた。
この優れた制度が再び復活することが望ましい。砲兵の諸部隊を等しく訓練され、同質なものとするための最良の方法であるからである。
