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【Field to Table】一夏一苗で賄う庭ゴーヤが保存食と肉味噌キッシュになるまで

 今年は初めて、自宅の庭でゴーヤを育てている。
 「苦瓜」という名の通り苦いのが特徴だが、塩揉みや熱湯に晒してその苦味を和らげたりせずにいただくのが好みだ。そして「ツルレイシ」という名の通り、私の好きな蔓性植物なのがまた良い。

 以前より隣家との間に設置していたラティスを利用して、目隠しグリーンカーテンとすべく庭の片隅に一苗だけ地植えした。
 ほとんど畑仕様にはしておらず、剪定し乾かした庭木の枝や山や周辺の家から庭に舞い降りてくる落ち葉で簡易ベッドとし、足したのは昨年〜今春の間に作っておいた堆肥土である。

 ゴーヤは暑さに強い作物だから、暑さ極まる昨今の気候にも合っている。
 人間もまた、ある環境下で元気に過ごすためには、その環境の中で元気に育つ作物を食べるのが理にかなっている。
 何しろ植物が体内で合成するファイトケミカルは、その環境における光や温度などの物理的要素と、他の生き物との相互作用において身を守るために合成される。夏場のビタミン摂取にももってこいだ。

初めてのゴーヤ菜園(庭)

こちらは以下の考え方に基づいてアップデートする更新型記事です


ささやかな黄色い花

 自分で育てると、日々の中でその成長過程を目の当たりにすることができるのが良い。少しずつ大きくなっていく株。枝分かれして伸びてゆく蔓、そして蕾。

受け皿みたいな葉っぱ(萼?)の先に蕾を発見

 ゴーヤの花には雌雄あり、子房付きの黄色い雌花を見つけたら、そこがゴーヤ出現予定地である。

雄花

 果実の兆候が見え始めると心躍る。待ち遠しい。

雌花(受粉成功?)

 しばらくすると少しずつ萎んで花の気配が去り、ブツブツとしたゴーヤらしい実が大きくなってゆく。実の大きさに対するブツブツの存在感が凄い。その姿から、「小さい時からゴーヤなんだな」という当たり前の感想を抱いてしまう。

ミニチュア・ゴーヤ

ファースト・ゴーヤのゆくえ

 水切れして乾燥することだけを避ければ、ほとんど放置していたようなものだが順調に育ってくれた。
 初めて自分で育て収穫したファースト・ゴーヤに感動もひとしお。ちなみにゴーヤは家族で私しか食べないので、収穫物は全て独り占めである。

ファースト・ゴーヤ

 執筆と里山暮らし研究のための第二の拠点『里山文庫』に赴く際、このファースト・ゴーヤを滞在中の食材として持参した。土間キッチンという普段とは違った環境で調理するのがまた楽しいのである。
 七月後半に滞在した際は、敷地内に自生する野草も採取し、肉味噌炒めとしていただいた。

豊作祈願 - 方角と日当たり

 スーパーマーケットで見かけるものよりも少々小ぶりだが、次々にできるのだから、どんどん収穫していこう。
 そう思っていたのだけれど、5つほど立派に実ったものの、後続の気配がないことに帰宅してから気づいた。雄花ばかりなのだ。これだとあっという間に食べ終わってしまう。

 本格的に土づくりをしたわけでもない庭の片隅に苗を突っ込んだだけだし、たくさん実をつけるにはきっと肥料不足だろうと、水やりの際に少し液肥を与えてみた。
 週に1〜2度程度で様子を見る。

のっぽの果実があれば、太っちょの果実もいる

 もう一つは方角の問題だろうか。
 庭の中でも日当たりの良い位置ではあるが、実は自宅側が北、隣家側が南にあたる。だから隣家側の方が実成りが良い可能性はある。そう考えて注意して見ていると、やはりラティスの向こう側にもいくつか実が成っていた。

 小さいうちにこちら側に引き寄せ、自宅側で収穫しやすいようにする。
 一つ二つ、手が届きにくく見えにくい位置にあるものはロスしてしまうかも知れないが、おおよそ回収できているはずだ。

 こうしたことは隣家との関係性次第ではトラブルにもなりかねないので、境界領域を仕様する際は注意が必要である。向こう側に迷惑をかけないようにしなければならない。

 家の周囲には他にも柵がある。それでもこの場所を選んだのは、リビングから見えるし、ラティスでは目隠しになっているようで結構見えるなと感じていた隣家との間に境界を設ける意図もあった。
 加えて、わざわざ排気ガスに晒されがちな駐車スペースや道路側で食べ物を育てるよりはと考えた。

個性の表れと虫喰い

 やはり栄養不足が原因だったようで、その後豊作を迎えた。ラティスの向こう側にできたものは、ある程度の大きさになるまでは気づきにくいので、いつの間にかたくさん生っていて驚く。

個性的な実も現れ始めた(Before)

 そうして実がたくさん生り始めると、今度は栄養の取り合いによって行き渡らないのか、大きくならないまま完熟を目指して黄色くなってくる。どうせならこれの中に種ができてくれると嬉しいが、そんな栄養もないからこその振る舞いかも知れない。

しばらくするとこんな姿に(After)

 この現象は生物学的には恐らくプログラム細胞死(PCD; Programmed Cell Death)の一種で、不要な組織を自ら取り除くことで、生物全体の健康や正常な生育を図っているのだろうと考える。

 その場から動くことができない植物の世界では、その個体や種の生存、ひいては自身を含む生態系全体の維持を図るために、極めて高度な生存戦略として組み込まれた植物の機能と言える。

小さいうちから黄色くなったものも

 同じくらいの時期に伸びてゆく蔦の先端、つまり根から遠いところでは小さいうちから黄色く成り始めた実もあったので、なんだか素直な理屈だなとも感じた。

 一方で、植物は頑張って成長しようとしているものの、夏の終わり、9月に入った頃に虫に喰われている実を見つけた。

汚れた穴あきゴーヤ
(切り取った時に地に落ちた)

 ゴーヤの苦味は食害されないようにするためで、まあ大抵の虫は遠慮するのだろうなと思っていたが、どうやら物好きが侵入してムシャムシャとやっていたらしい。

この小さな穴から出入りするのは何奴だろう



この記事は適宜動向を追記し、記事の充実を図ります

2026.09.03 Update

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