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三溪園 後編(歴史的建造物・日本庭園)


2026年8月、横浜市中区の「三渓園(さんけいえん)」を訪れました。前編では夏の風物詩、「早朝 観蓮会」を紹介しました。

後編では、京都や鎌倉などから移築された歴史的建造物を巡ります。
素敵な建物が沢山ありすぎて、全て紹介することが出来ませんが、三渓園の雰囲気をご覧頂きたいと思います。

引用させていただいた公式HPに、建造物の詳細がアップされています。

パンフレット

三溪園は、製糸、生糸貿易で財を成した実業家・原 三溪(はら さんけい)が明治39(1906年)に開園した敷地面積18万平方メートルの広大な日本庭園です。

東京ドーム4個分の広大な敷地には京都や鎌倉などから集められた歴史的建造物17棟が自然豊かな園内にたくみに配置されています。園内にある臨春閣や旧燈明寺三重塔など10棟は、重要文化財に指定されています。

前編の蓮や睡蓮だけでなく、梅や桜、ツツジ、紅葉などの名所として知られます。海外の観光客にも人気が高く、横浜でも有数の日本文化が体験できる観光スポットです。

内苑は元私邸地区・外苑が一般公開地区
御門
元プライベート空間の内苑入口の御門

京都・平安神宮近くの西方寺にあった門で、江戸時代に造られました。

内苑に続きます
臨春閣

臨春閣(りんしゅんかく)は、江戸時代の慶安2年(1649年)に、和歌山県岩出市に建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿(いわでごてん)」とされている建物です。

大正6年(1917年)に三渓園へ移築されました。屋根の形と3棟からなる建物の配置が変更されましたが、内部は元の状態が残され、狩野派を中心とする障壁画と繊細・優美な数寄屋風書院造りの意匠を各所に見ることができます。
障壁画の原本は、三溪記念館に収蔵され定期的に展示会が行われます。

アオサギでしょうか
旧天瑞寺寿塔覆堂

旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)は天正19年(1591年)に、豊臣秀吉が大政所(母)の長寿を祈って建てた生前墓の寿塔を覆っていた建物です。
安土桃山時代らしい豪壮な彫刻や柱とその上の組物などには、かつて鮮やかな彩色が施されていました。

五七の桐
扉の彫刻は上半身が女性・下半身が鳥の「迦陵頻伽(かりょうびんが)」
薄っすらと彩色の跡が見えます
月華殿

月華殿(げっかでん)は、 慶長8年(1603年)に徳川家康が京都伏見城内に建てた、諸大名の控えの間であったと伝えられています。

聴秋閣

聴秋閣(ちょうしゅうかく)は、江戸時代 の元和9年(1623年)に建てられました。
徳川家光が将軍となるにあたり京都におもむいた際に二条城の中に建てられ、のちに乳母の春日局に与えられたといわれる建物です。

石棺
家型石棺(5~6世紀)
舟型石棺蓋(3~4世紀)
春草廬
へうげもの

春草廬(しゅんそうろ)は、織田信長の弟・織田有楽(おだうらく)の作とされる江戸時代初期の茶室です。

元「九窓亭(くそうてい)」
旧燈明寺三重塔

室町時代の康正3年(1457年)に建てられた、園内で最も古い建物です。19大正3年(1914年)に、京都・木津川市の燈明寺から三溪園へ移築されました。小高い丘に建てられ三溪園のシンボルとなっています。
燈明寺は廃寺となっており、かつての本堂も三溪園へ移築されています。

大規模修繕に入ります
旧東慶寺仏殿

縁切寺・駆け込み寺として知られる鎌倉の東慶寺にあった禅宗様の建物です。江戸時代の初めごろに造られたものと考えられています。
東慶寺は明治時代以降衰退し、建物の維持が困難になったため明治40年(1907年)に三溪園へ移築されました。

大屋根を修理中です

飛騨白川郷(高山市荘川町)にあった、入母屋合掌造りの民家です。
御母衣ダム建設の水没地域にあったため、昭和35年(1960年)に三溪園に移築されました。
式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間や火灯窓を備え、豪農で飛騨の三長者の一人と言われた矢箆原家の格式の高さを伝える、現存する合掌造りでは最大級の建物です。

現在保存修理工事中です

三渓園の歴史的建造物の一部を紹介させていただきました。
観光名所の山下公園や横浜中華街からもほど近く、バスやタクシーで来園が可能です。

前後編で三渓園の観蓮会と園内の建築物を巡りました。
暑い時期でしたが、とても面白かったです。

長文お付き合いいただき、ありがとうございました。

新型デビュー!
また来年

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