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本気で神話を感じた日…諏訪大社の“自然崇拝”を体感旅

(東参道 鳥居前)


ホノ:わぁ……ここが諏訪大社なんだね。空気がすごく澄んでる気がする。上社本宮!?他にもお宮があるのかな??


イサ:はい。諏訪湖のまわりに四つの宮があるんです。ここはその中でも「上社本宮」といって、とても大事な場所なんですよ。


ホノ:へぇ、四つもあるんだ。そんなに大きな神社だったんだね。


イサ:はい。諏訪大社は「前宮(まえみや)」「本宮(ほんみや)」「春宮(はるみや)」「秋宮(あきみや)」の四社からなっていて、日本でも最も古い神社のひとつなんです。『古事記』の国譲り神話にも出てきます。


ホノ:え、そんな昔から? すごいなぁ。


イサ:特に本宮春宮秋宮は、本殿がなくて、自然そのものを神さまとしてまつっているんです。とても古い信仰の形を今に伝えているんですよ。


ホノ:神さまが自然の中にいるって、ちょっと感動しちゃう……。


イサ:さらに、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』という古い歌集にも「関より東の軍神、鹿島香取諏訪の宮」とうたわれていて、戦の神さまとしても信仰されてきたんです。また、狩りや漁の神さまとしても知られています。


ホノ:昔の人たちの生活とすごくつながってるんだね。

(手水舎の前)

東門手水舎 橋の下:御手洗川

ホノ:あれ? 小川が流れてる。


イサ:そうです。これは御手洗川(みたらしがわ)といって、古くはここで身も心も清めてからお参りしていました。この手水舎は1831年に建てられたものなんですよ。


ホノ:へぇ〜、歴史あるんだね!


イサ:この川には「元朝の蛙狩り」という不思議な神事があるんです。毎年元旦の朝、氷を割って蛙を2匹捕まえ、神さまにお供えするんですが、どんなに寒くても必ず蛙が見つかるので、諏訪七不思議のひとつなんですよ。


ホノ:そんなことある!? なんか神秘的だね……。

(神馬舎)

神馬舎

ホノ:あ、中に馬の像がある! これって神さまの馬?


イサ:はい、ここは神馬舎(しんめしゃ)といって、今は木製の神馬をまつっています。昔は本物が居て、諏訪湖が凍った朝に、馬が汗だくになっていたという伝説があるんです。神さまが湖を渡ったって信じられていました。


ホノ:まさに神話の世界って感じ……。


イサ:明治時代に、大きな台風がこのあたりを襲ったことがあったんです。そのとき、強風で近くの大木が倒れて神馬舎がつぶれてしまいました。
でも、中にあった木製の神馬は10メートルも飛ばされたのに、まったく傷ひとつなかったそうです。
その年には戦争も始まっていたことから、人々は「神さまが馬に乗って出陣されたんだ」と語り継ぐようになったんですよ。


ホノ:すご……神さま、ほんとにいたんじゃないかって思ってしまうね。

(布橋)

布橋

ホノ:この長い廊下、なんか立派だね。名前あるの?

布橋内部

イサ:はい、これは布橋(ぬのばし)といいます。1829年に建てられて、かつては特別な神職大祝)しか通れなかったんです。名前の由来は、道に布を敷いたことからきているそうです。


ホノ:へぇ〜、お祭りのときとかに布を敷いたんだ?


イサ:はい、御柱祭のときには、女性たちが織った布を神さまのために道に敷いたという話が残っています。

(宝殿の前)

御宝殿

ホノ:この建物、茅葺き屋根なんだね。何だか趣があるなぁ。

茅葺き屋根

イサ:これは宝殿といって、本宮で最も大切な建物です。二つあって、東宝殿西宝殿と呼ばれています。


ホノ:なんか雰囲気が違う気がする……。


イサ:この屋根からは、どんなに雨が降らない年でも最低三滴の水が落ちるといわれていて、「宝殿の天滴」として諏訪七不思議のひとつです。諏訪大社が水の神さまとして信仰されている理由の一つですね。

(御柱前)

左手:御柱

ホノ:あの柱、すごく大きい!


イサ:あれは一之御柱(いちのおんばしら)です。


ホノ:御柱って、何のためにあるの?


イサ:御柱は、諏訪大社の四隅に立てられる大きな柱で、神さまの御神体を囲むためのものとされています。この柱を建て替える「御柱祭(おんばしらさい)」は、7年に一度行われる大祭で、諏訪地域の人々にとって非常に重要な行事です。


ホノ:7年に一度なんだ! いつから始まったの?


イサ:御柱祭の起源ははっきりとはわかっていませんが、平安初期の時代にはすでに行われていたとされ、千年以上の歴史があります。古くから、自然の中に神さまが宿ると信じられており、御柱を立てることで神域を示し、神さまをお迎えする意味があるとされています。


ホノ:そんなに昔から続いているんだね。どんなことをするの?


イサ:御柱祭では、山から大木を切り出し、人々が力を合わせて曳いてきます。特に「木落し」と呼ばれる、急な坂を御柱とともに滑り降りる場面は迫力満点で、多くの見物客が訪れます。このような共同作業を通じて、地域の絆を深める役割も果たしているんですよ。

御柱祭が行われる木落し坂


ホノ:すごい! 一度見てみたいな。


イサ:次回の御柱祭は2028年に予定されています。ぜひ、その迫力と熱気を体感してみてください。

(幣拝殿)

手前:参拝所 奥:幣拝殿と片拝殿

ホノ:ここが拝殿かな?


イサ:はい、本宮の幣拝殿(へいはいでん)です。ここの建物はちょっと特別で、正面に幣殿と拝殿が続き、その奥に本殿がないのが特徴です。


ホノ:「本殿がない」って、じゃあ神さまってどこにいるの?


イサ:いい質問ですね。実は、諏訪大社では「」そのものを神さまとしてまつる信仰があるんです。たとえば、ここ上社では前回行った「守屋山(もりやさん)」という山が特別な場所とされてきました。


ホノ:あぁ、あの守屋山!? なんだかスケールが大きい……。


イサ:そうですね。記録によると、昔の人たちは、神さまがこの山に宿っていると信じていて、お社は作らずに、山を遠くからお参りしていたそうです。それは奈良県の大神神社の三輪山信仰と似ています。


ホノ:じゃあ、守屋山が諏訪大社の神体山ってこと?


イサ:そう考えられるようになったのは、実は最近のことなんで、明治時代より前の文献には「守屋山」という名前はあまり出てきません。江戸時代の記録には、守屋山には「物部守屋」や「洩矢神(もれやのかみ)」という神さまの祖先がまつられているとは書かれているのですが、それが上社の神体と明確にされているわけではないんです。


ホノ:じゃあ、最近になって「ここが神体山なんじゃない?」って言われるようになったってこと?


イサ:はい。実際、山頂にある小さな祠(ほこら)は守屋神社の「奥宮」で、物部守屋という人物をまつっていましたね。また、祠は諏訪大社の方向ではなく、逆を向いています。つまり、正式に上社の神体というよりは、別の信仰も合わさっているようなんです。

守屋神社奥宮

ホノ:それでも守屋山って、何か意味がある場所なんでしょ?


イサ:もちろんです。たとえば、鎌倉時代の文書には、諏訪の神さまと守屋の神さまが争った伝説が書かれていて、そのとき諏訪の神さまが最初に降りた場所が守屋山のふもとだとされています。


ホノ:そうなんだ……! 昔の神さまたちの物語が山に息づいてるって感じがするね。


イサ:それに、戦国時代には甲州征伐で諏訪が荒れたとき、神輿(みこし=神さまをのせた乗り物)をかついだ神職たちが、守屋山に避難したという話も残っています。


ホノ:すごい……守屋山には、たくさんの歴史が詰まってるんだね。


イサ:はい。たしかに上社の神体が「守屋山」だと断言するのは難しい面もありますが、古くから人々がこの山に神聖な気配を感じていたことは間違いありません。

(神話と神さまの話)


ホノ:そういえば、この諏訪の神さまってどんな神さまなんだろう?


イサ:御祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」です。『古事記』では、出雲大社の大国主神の子どもとして登場し、国を譲る神話の中で天から来た神と力比べをする場面があります。要は、国譲りに反対したのですね。

ホノ:戦ったんだ!?


イサ:はい、この戦いが相撲の原型とも言われていて、相手は鹿島神宮の「建御雷神(たけみかづち)」で、結果的に負けてしまいますが、諏訪の地に逃げ、その後「この地から出ませんから勘弁してください」と約束して、諏訪の地にまつられるようになりました。


ホノ:そうだったんだ……なんか切ないね。


イサ:また、昔の諏訪大社には「大祝(おおほうり)」という神さまの代理を務める人がいて、この神様を身に下ろした生きた神さまとして大切にされていたんですよ。

(ミシャグジ信仰)


ホノ:最後にもう一つだけ聞いてもいい?諏訪大社の謎の神様「ミシャグジ様」って何?


イサ:ミシャグジ神は、長野県の諏訪地域を中心に信仰されてきた神霊の一種で、古代の自然信仰に基づいた土着の神さまとされています。「御左口神」「御社宮司」「御射宮司」など、地域によってさまざまな名前で呼ばれています。


ホノ:へぇ〜、自然信仰からできた神様なんだ。

イサ:この信仰は縄文時代にまでさかのぼるといわれていて、石や木などの自然物に神が宿ると考えるアニミズム的な思想が基盤となっています。豊作や生命力、村の守護といったポジティブな面を持つ一方、祟り神としての側面もあり、正しくまつらないと災いをもたらすとされてきました。


ホノ:ちゃんと祀らないと祟られるの。少し怖い。


イサ:諏訪大社の神事では、守矢氏という家系が「神長官」として代々ミシャグジをまつってきた歴史があり、特に前宮での大祝即位式では、神長官が大祝(おおほうり)にミシャグジを憑依させる儀式も行われていたそうです。
まぁ、この大祝という役職は明治政府によって廃止とされてしまうんですが。


ホノ:古代からやってきたものがなくなっちゃったんだ。ちょっと残念。

イサ:今でも諏訪地域の各地にはミシャグジをまつる石や小さな祠が残っていて、地域の人々の信仰の対象となっています。その呪術的な性質やミステリアスな存在感から、近年は民俗学的にも再注目されています。


ホノ:なるほど……単なる神さまじゃなくて、もっと根っこのほうから人の暮らしに関わってきた存在なんだね。


イサ:はい。こうした信仰のかたちは、日本の古い文化と精神を知るうえでもとても貴重だと思います。


ホノ:今日はたくさんお話を聞けて、本当に来てよかったよ。


イサ:私もです。諏訪の歴史や信仰の深さを感じていただけて嬉しいです。


ホノ:また来たいな。今度は御柱祭のときとか。


イサ:そのときはぜひ、ご一緒しましょう。

イサ&ホノそれでは、また次回〜!バイバ〜イ!

おまけ:諏訪大社に伝わる七不思議

諏訪大社には、古くから「七不思議」と呼ばれる不思議な出来事や伝承が語り継がれています。自然の力と神さまのご神威を感じさせるこれらの話は、長い歴史の中で人々の信仰とともに大切に守られてきました。

1. 氷湖の神幸(おみわたり)
冬の寒さが厳しいと、諏訪湖の氷に大きな亀裂が現れます。この筋は「御神渡(おみわたり)」と呼ばれ、上社の男神が下社の女神のもとへ通った道筋だと伝えられています。また、その形や方角からその年の吉凶を占う風習もあり、七不思議のひとつに数えられています。

2. 元朝の蛙狩り
元日の早朝に行われる「蛙狩神事」では、凍てつく御手洗川の氷を砕き、川底を掘って蛙を2匹捕らえ、神前に供えます。不思議なことに、どんなに寒くても蛙が必ず見つかるため、これも七不思議とされています。

3. 五穀の筒粥(つつがゆ)
1月14日の夜から翌朝にかけて、大釜で米や小豆と葦の筒を炊き、その中の粥の入り具合でその年の農作物の出来を占います。その正確さは「神占に誤りなし」と言われ、信仰を集めてきました。

4. 高野の耳裂鹿(みみさけじか)
上社最大の神事「御頭祭」で供えられる75頭の鹿の頭のうち、必ず1頭に耳の裂けたものがあるとされます。これを「高野の耳裂鹿」と呼び、古くから七不思議のひとつとして伝えられています。

5. 葛井(くずい)の清池
旧摂社・葛井神社の池には、12月31日の夜に神様の幣(みてぐら)を沈める儀式があります。すると、元日には遠く離れた遠州(静岡県)にある池にその幣が浮かぶとされており、また池には片目の魚が棲むとも伝えられています。

6. 宝殿の天滴(てんてき)
七年に一度、御柱祭で建て替えられる東西宝殿の屋根からは、どんなに日照りが続いても必ず三滴の水が落ちるとされます。この現象は「宝殿の天滴」と呼ばれ、諏訪大社が水の神として敬われる理由のひとつにもなっています。

7. 御作田(みさくでん)の早稲(わせ)
御作田社の神事田では、6月30日に田植えされた苗が、わずか一か月後の8月1日には収穫され、神前に供えられます。この驚くほど早い稲の成長は「御作田の早稲」と呼ばれ、七不思議の最後を飾っています。

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