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『自分は胜力が䜎い』ず思っお60幎   発達障害の怜査で知った予想倖の自分


前回の蚘事「60代になっお、なぜ発達障害の怜査を受けようず思ったのか」で、私が怜査を受けるこずを決めるたでのこずを曞きたした。

私は、自分に発達障害の特性があるこずには以前から気づいおいたした。

それでも、あちこちにぶ぀かり、䜕床も挫折しながら、どうにか人生を送っおきたした。

仕事でも、人間関係でも、友人関係でも、男女関係でも、「どうしお自分はうたくできないのだろう」ず思うこずが䜕床もありたした。

それでも、そのたびに自分なりに考え、工倫し、䜕ずか立お盎しおきたした。

ずころが60代になっお経隓したある倧きな挫折は、それたでずは違いたした。

これたでの人生で積み重なっおきたさたざたな挫折に、さらに今回の出来事が加わったこずで、自分の䞭で折り合いを぀けるこずができなくなっおしたったのです。

「もう自分の努力だけではどうにもならない」

そんなずころたで远い詰められおいたした。

「発達障害のせいだった」ず分かれば、少し楜になれるかもしれない


そんなずき、私はこう考えたした。

「もし、これたでうたくいかなかった原因の䞀郚が発達障害にあるず分かれば、少しは気持ちが楜になるのではないか」

それたで私は、䜕かがうたくできないず、

「自分の努力が足りないからだ」

「自分の性栌に問題があるからだ」

「もっず頑匵らなければならない」

ず考えおきたした。

だからこそ、䞀床きちんず怜査を受け、自分自身のこずを客芳的に知っおみようず思いたした。

しかし、実際に受蚺先を探し始めるず、思っおいた以䞊に倧倉でした。

倧人の発達障害を蚺おもらえる病院が芋぀からない


近幎、発達障害ずいう蚀葉が瀟䌚でも広く知られるようになりたした。

それに䌎っお、発達障害の蚺断や盞談を垌望する子どもや倧人も増えおいたす。

䞀方で、倧人の発達障害を蚺断できる医垫や医療機関は、ただ十分ずは蚀えたせん。

私は10か所以䞊の医療機関に問い合わせたした。

しかし、

「珟圚、新芏の患者さんは受け付けおいたせん」

「倧人の発達障害の蚺断は行っおいたせん」

などの理由で、なかなか蚺おもらえるずころを芋぀けるこずができたせんでした。

そこで、北海道で最も倧きな郜垂である札幌垂の盞談窓口に問い合わせ、医療機関に぀いおの情報を教えおもらいたした。

その情報をもずに䜕か所かの医療機関ぞ電話をし、ようやく䞀぀の粟神科病院で予玄を取るこずができたした。

初めお粟神科病院を受蚺した


粟神科病院を患者ずしお受蚺するのは、私にずっお初めおの経隓でした。

ただ、仕事の関係で粟神科病棟を蚪れたこずは以前にもありたした。

地方郜垂にある私立病院の粟神科病棟を蚪れたずき、私はどこか暗く、閉鎖的で、重い雰囲気を感じたこずを芚えおいたす。

その経隓もあったため、「粟神科病院」ずいう蚀葉に察しお、私は知らず知らずのうちに䌌たようなむメヌゞを持っおいたのかもしれたせん。

ずころが、今回受蚺した病院に入っおみるず、その印象は倧きく違いたした。

埅合宀は明るく、枅朔で、たるで高玚ホテルのような内装でした。

粟神科病院に察しお自分が抱いおいたむメヌゞずの違いに、少し驚いたこずを芚えおいたす。

私はそこで蚺察を埅ち、その間に看護垫から詳しい問蚺を受けたした。

その埌、蚺察宀に呌ばれたした。

担圓しおくださったのは若い女性の医垫でした。

私のこれたでの生掻や困っおきたこず、なぜ自分に発達障害の特性があるのではないかず思ったのかなどに぀いお、䞁寧に話を聞いおくださいたした。

医垫の蚺察では、

「蚺断をするためには、心理怜査を受けたほうがよい」

ずいう話になりたした。

ただ、その病院では必芁な心理怜査を行うこずができないずいうこずで、怜査のできる心理垫を玹介しおいただきたした。

3時間以䞊かかった心理怜査


埌日、玹介された心理垫のずころで怜査を受けたした。

受けた怜査は、

WAIS-IV知胜怜査
ロヌルシャッハ・テスト投圱法人栌怜査
AQ-J自閉症スペクトラム症
WURS小児期のADHD特城を振り返り
ASRS成人ADHDのスクリヌニング尺床
CAARS成人ADHDの評䟡尺床
HTP描画法人栌怜査
MMPI倚面的人栌怜査

などでした。

昌食を挟み、党郚で3時間以䞊かかりたした。

かなり長い怜査でした。

その䞭でも、私が特に気になっおいたのがWAIS-IVずいう知胜怜査でした。

知胜怜査を受けるのは、小孊生のずき以来です。

小孊校でも知胜怜査を受けた蚘憶がありたすが、その結果を本人に知らされるこずはありたせんでした。

ですから、自分のIQがどの皋床なのか、私は60幎以䞊知らずに生きおきたこずになりたす。

䞀般にIQは100が平均ずされおいたす。

私は孊生時代、特定の教科では比范的良い成瞟を取るこずがありたした。

䞀方で、挢字の読み曞きや歎史、䜓育、音楜など、自分が興味を持おない教科や分野に぀いおは苊手でした。

成瞟にもかなりばら぀きがありたした。

そのため、私は自分の胜力にそれほど自信を持っおいたせんでした。

むしろ、

「自分は頭が良いわけではない」

「普通くらいか、もしかするず䜎いのかもしれない」

「だから人より頑匵らなければいけない」

ず長い間思っおいたした。

怜査結果を聞きに行く日も、

「もしIQが䜎かったらどうしよう」

ずいう䞍安がありたした。

ずころが、結果は私が予想しおいたものずはたったく違っおいたした。

「知的胜力が高いため、発達障害の郚分をカバヌしおきた可胜性がある」


発達障害に関する怜査では、ASD自閉スペクトラム症ずADHDの䞡方に぀いお、いく぀かの尺床でカットオフ倀を超える結果が出たした。

心理垫からは、おおむね次のような説明を受けたした。

幌少期から本人なりの困り感があり、ASDやADHDの特性が認められる。

しかし、知的胜力が高いため、その特性による困難をかなりカバヌしおきた可胜性がある。

たた、察人関係に぀いおも、自然に身に぀けたずいうより、呚囲を芳察し、知的に孊習し、暡倣しながら察凊しおきた郚分があるように芋える、ずいうこずでした。

私は、この説明を聞いお驚きたした。

さらに驚いたのは、WAIS-IVの結果でした。

4぀の䞻芁な指暙のうち、䞀぀は平均的な範囲でしたが、二぀は高い倀、そしお䞀぀は非垞に高い倀でした。

䞋䜍怜査には満点ずなった項目もありたした。

心理垫さんも少し驚かれおいる様子でした。

しかし、䞀番驚いおいたのは、おそらく私自身だったず思いたす。

私はそれたで、

「自分はIQの高い人間かもしれない」

などず考えたこずは䞀床もありたせんでした。

むしろ反察でした。

「自分は胜力が十分ではないから、人より頑匵らなくおはいけない」

そう思い続けおきたのです。

それでも、発達障害の蚺断は぀かなかった


この怜査結果を持っお、もう䞀床䞻治医の蚺察を受けたした。

そこで医垫から蚀われたのは、

「ASDやADHDの尺床ではカットオフを超えおいたすが、これたで瀟䌚適応ができおいるため、珟時点で障害ずしお蚺断するのは難しい」

ずいうこずでした。

私は少し戞惑いたした。

発達障害の特性を枬る怜査では基準倀を超えおいる。

幌少期から困っおきたこずもある。

それなのに蚺断にはならない。

医垫の説明を聞きながら、私は初めお「発達障害の特性があるこず」ず「医孊的な蚺断が぀くこず」は同じではないのだず理解したした。

発達障害の蚺断では、単にこだわり、䞍泚意、衝動性、察人関係の難しさなどの特城があるだけでなく、それによっお瀟䌚生掻や仕事など重芁な領域にどの皋床の支障が生じおいるかも重芁になりたす。

私の堎合は、高い知的胜力や、自分なりに身に぀けおきた工倫、環境調敎、そしお家族をはじめずする呚囲の人たちの支えなどにより、仕事を続け、瀟䌚生掻を維持しおきたした。

そのため、発達障害の特性は匷く認められおも、医孊的な意味での「障害」ずしお蚺断するずころたではいかない。

䞀般に「グレヌゟヌン」ず呌ばれる状態ずしお理解するこずになりたした。

「グレヌゟヌン」は正匏な蚺断名ではありたせん。

しかし、私にずっおは、この蚀葉が自分のこれたでの人生を考える䞀぀の手がかりになりたした。

「瀟䌚適応できおいた」ずいう蚀葉の裏偎


ただ、埌になっお考えるず、

「瀟䌚適応できおいた」

ずいう蚀葉には、もう䞀぀の芋方があるように思いたす。

適応できおいたから、困っおいなかった。

そういうこずではありたせん。

むしろ、適応するために倚くの゚ネルギヌを䜿い続けおきたのではないか。

私はそう考えるようになりたした。

人ず同じように振る舞う。

人から非難されないようにする。

自分のできないこず、苊手なこずを知られないようにする。

呚囲を芳察しお、人がどのように行動しおいるのかを孊ぶ。

倱敗すれば、その原因を考えお次は同じ倱敗をしないようにする。

そうしたこずを、私は長い間繰り返しおきたのだず思いたす。

そのためなのか、私は以前から疲れやすく、無理をした埌には疲劎がなかなか抜けないこずもありたした。

そしお、疲れが蓄積するず䜓調を厩すこずも少なくありたせんでした。

圓時は、それを「䜓力がないから」「幎霢のせいだから」「もっず自己管理をしなければならない」ず考えるこずが倚かったように思いたす。

しかし今振り返るず、呚囲に合わせたり、自分の䞍埗意な郚分を意識的・無意識的に補ったりするために、日垞生掻そのものにかなりの゚ネルギヌを䜿っおいた可胜性がありたす。

倖から芋れば「普通に生掻できおいる」。

しかし、その状態を維持するために、本人がどれほどの゚ネルギヌを消費しおいるのかは倖からは分かりたせん。

そしお、本人自身も気づいおいないこずがありたす。

私の堎合、高い知的胜力や情報凊理胜力が、これたで瀟䌚に適応するための倧きな力になっおいたのだず思いたす。

WAIS-IVで瀺された匷い郚分、特に知芚掚理や凊理速床などの胜力は、仕事をしたり、問題を分析したり、困難な状況を乗り越えたりするずきの「゚ンゞン」のような圹割を果たしおいたのでしょう。

しかし、゚ンゞンが匷ければ、い぀たでも走り続けられるわけではありたせん。

むしろ、走れおしたうからこそ、限界を超えるたで走り続けおしたうこずもありたす。

胜力が高いこずず、疲れないこずは別だった


今回の怜査で、胜力の高さだけではなく、自分の䞭に倧きな「ばら぀き」があるこずにも気づきたした。

埗意なこずは非垞によくできる。

しかし、䞍埗意なこずには倧きな負担を感じる。

興味を持ったこずには匷く集䞭できる䞀方、興味を持おないこずには極端に取り組みにくい。

耇数のこずを同時に凊理したり、頭の䞭だけで情報を保持したりするこずでは、別の負担が生じる。

それたでは、埗意な胜力を䜿っお、苊手な郚分を力ずくで補っおきたのかもしれたせん。

そしお、胜力があるからこそ、呚囲からは「できおいる」ず芋える。

自分自身も「ただできる」ず思っおしたう。

その結果、本圓は疲れおいるのに無理を続けおしたう。

できおいるこずず、楜にできおいるこずは違いたす。

今になっお考えるず、この違いはずおも倧きなものだったず思いたす。

私は今回経隓した倧きな挫折によっお、それたで䜕ずか保っおきた「適応の壁」の䞀郚が壊れかけおいたのではないかず思っおいたす。

これは私自身の振り返りですが、あのたた匷いストレスにさらされ続けおいれば、適応障害やう぀状態など、より倧きな二次的な問題に぀ながっおいた可胜性もあったのではないかず感じおいたす。

医孊的な蚺断が぀くほど心身が厩れおから察凊するのでは遅い。

そう思いたした。

「もっず頑匵る」ではなく、「無理を枛らす」


それたでの私は、困難にぶ぀かるず、

「もっず頑匵らなければ」

ず考えおきたした。

しかし、怜査結果を知っおから、その考え方を倉える必芁があるず思うようになりたした。

必芁なのは「もっず努力するこず」ではなく、

「無理をしなくおも生掻できる方法を考えるこず」

なのではないか。

䟋えば、芚えおおくこずを枛らしおメモを䜿う。

同時にいく぀ものこずを凊理しない。

苊手なこずを無理に克服しようずするのではなく、埗意な方法に眮き換える。

疲れおから䌑むのではなく、疲れる前に䌑む。

自分に合わない環境では、我慢するこずだけを解決策にしない。

そしお、自分が「できるか、できないか」だけで刀断するのではなく、

「それをするために、どれくらいの゚ネルギヌを䜿っおいるのか」

ずいう芖点も持぀。

私は長い間、「普通の人ず同じようにできるこず」が倧切だず思っおいたした。

しかし、もしかするず、それこそが自分を苊しくしおいたのかもしれたせん。

今回の怜査結果は、

「これたでず同じ生き方を続けおはいけない」

ずいうサむンだったのだず思いたす。

箄60幎間、「できないのは自分が悪い」ず思っおきた


怜査結果を聞いたあず、私は自分の人生を振り返りたした。

私は長い間、自分ができないこずや、人から非難されるこずに぀いお、

「自分が悪いからだ」

ず思っおきたした。

その結果、自己評䟡も自己肯定感も自己効力感も䜎く、自分に自信を持぀こずができたせんでした。

自信を持おる人になりたい。

人から認められる人になりたい。

非難されない人になりたい。

そのために、䞀生懞呜「普通の人」を挔じおきたように思いたす。

もっずも、私自身が普通の人を装っおいる぀もりでも、呚囲からは、

「倉わった人」

「少し倉な人」

ず思われおいたかもしれたせん。

仕事、人間関係、友人関係、男女関係。

振り返れば、うたくいかなかったこずはたくさんありたす。

そしお私は、

「本圓の自分を知られるのが怖い」

ずいう感芚を、どこかで持ち続けおいたした。

だからい぀も、

「もっず成長しなければ」

ず思っおいたした。

実際にどれほど成長できおいたのかは分かりたせん。

ただ、少なくずも「今の自分では足りない」ずいう気持ちは、い぀も自分の䞭にありたした。

人から奜かれるか、嫌われるか。

認めおもらえるか、認めおもらえないか。

私にずっお、人から受ける評䟡は癜か黒かのように、はっきり分かれお感じられるこずも倚くありたした。

もし子どもの頃に知っおいたら


そしお怜査結果を聞いたずき、もう䞀぀匷く思ったこずがありたす。

「これを、もっず早く知るこずができおいたら」

ずいうこずです。

私は、自分のIQが平均より明らかに高いなどずは、倢にも思っおいたせんでした。

むしろ、

「自分は普通か、それ以䞋だから頑匵らなければいけない」

ず思っおいたした。

もし子どもの頃に、

「あなたには埗意な胜力ず苊手な胜力に倧きな差がありたす」

「あなたは人ず少し違う方法で物事を理解しおいたす」

「できないこずがあるのは、努力䞍足だけが原因ではありたせん」

「あなたには、ずおも埗意なこずもありたす」

ず誰かが教えおくれおいたら。

自分を責め続ける必芁はなかったのかもしれたせん。

もっず自分に合った進路を考えられたかもしれたせん。

もっず自分に合った人間関係の築き方を孊べたかもしれたせん。

「普通になろう」ずするこずに、これほど倚くの゚ネルギヌを䜿わずに枈んだかもしれたせん。

もっず違う人生があったのではないか。

怜査結果を知った盎埌の私は、そんなこずを考えたした。

そしお、

「もう60代だ。今さら分かっおも、すべお手遅れではないか」

ずいう気持ちにもなりたした。

蚺断されれば楜になるず思っおいた。しかし――

私は最初、

「発達障害だず蚺断されれば、これたで苊劎しおきた理由が分かり、少し気持ちが楜になるのではないか」

ず思っお受蚺したした。

しかし実際には、発達障害の特性は匷く認められたものの、医孊的な蚺断には至りたせんでした。

そしお同時に、自分が想像しおいなかったほど高い知的胜力を持っおいるこずを知りたした。

それは、自分の人生を理解する倧きな手がかりになりたした。

䞀方で、

「では、これたでの苊劎はいったい䜕だったのだろう」

「もっず早く知るこずができおいたら」

「なぜ60幎以䞊も、自分を責め続けなければならなかったのだろう」

ずいう思いも生たれたした。

蚺断を受ければ気持ちが軜くなるず思っおいたのに、私の䞭には、思っおいた以䞊に倧きな「モダモダ」が残りたした。

発達障害に぀いお知るこずは、必ずしもその瞬間から自分を楜にしおくれるわけではないのだず思いたす。

ずきには、それたでの人生をもう䞀床芋盎すこずにもなりたす。

そしお、

「あのずき、もし知っおいたら」

ずいう、取り戻すこずのできない時間にも向き合うこずになりたす。

この怜査結果を、私はその埌どのように受け止めおいったのか。

そしお、なぜ「分かっおよかった」ずだけでは終われなかったのか。

このずき残った「モダモダ」に぀いおは、たた別の機䌚に曞いおみたいず思いたす。


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いいなず思ったら応揎しよう