フラッシュバックとネギとデスボイス
その日、私はキッチンで料理中にフラッシュバックに襲われた。
「ギャーッ!↑ゲロゲロゲロ!↓アーッ!↑」
包丁でネギを刻みながら悲鳴を上げる。
妻がやれやれまた始まったか、とこちらを見つめ、また手元の携帯の画面に視線を戻す。
最初の頃は妻も「びっくりするから辞めてほしい」と言ったが、どうやら本当にどうしようもないらしいと理解し、諦めたのか何も言わなくなった。
「もう大丈夫もう大丈夫もう大丈夫」
自分に言い聞かせる魔法の呪文を唱えながらネギを刻む。全然だいじょばない。端から見たら怖すぎるだろう。
だんだんネギを刻むリズムがメタル曲のブラストビートに聞こえてくる。瞬間、ストンと足元が抜けたようにあの日の車内に引き戻される。
その日フラッシュバックしたのは、電車での出来事だ。
いつもの乗車口から乗り込み、車内の喧騒から耳を守るため、ノイズキャンセリングイヤホンを耳に詰める。
尻のポッケに携帯電話をしまい、吊り革にもたれ掛かって目をとじる。
眠ることは出来ないが、会社までの長い道のり、目を瞑るだけでも疲れが違う。
すると、二駅ほど進んだところで、妙な事に気付く。どうやら誰かが車内で音楽を流しているらしい。
不届き者はどこのどいつだ、薄目を開けて辺りを見回す。ノイズキャンセリングイヤホンをしているせいで音の発信源がよくわからない。
まぁそのうち止まるだろう。そう思い目をとじる。しかしなかなか音が鳴り止まない。
でもなんか、結構いい趣味してるな。そう思う。
丁度私の好きな感じのメタルや、ロックが流れる。ひょっとしたら友達になれるんじゃないか、いやいや、電車の中で音楽垂れ流すやつなんて、ヤバイやつに決まっている。
そう思いもう一度辺りを見回すと、私の後ろで一人の男性が携帯を手に持っていた。少し気弱そうな男性だ、隣の女性がその男性を睨むように見ていた。こいつか。
行ける。怖いお兄さんだったらやめとくけど、この人だったら行ける。小さな高揚感に胸が高鳴り、手から血の気が引く。
丁度降車駅までもうすぐ着くので、頃合いだろうと。
「音漏れてますよ」
と声を低くして言う。
すると男は怯えた顔をして、首をすくめた。
言ってやった。頭の中ではアックスボンバーを決めたハルク・ホーガンがイチバンポーズを取っている。
しかし依然音は止まらなかった。
ふてぇ野郎だ、と思うが、ポケットに何を忍ばせているかわからない。言うだけ言って電車を降りた。
すると後ろから音が付いてくる。もしかしてさっきの男が付いてきたのか。そう思い振り返る。
しかし男はいない。
瞬間、はっと気付く。
胸が波打ち頭皮が粟立つ。
ノイズキャンセリングイヤホンを外し、自分の携帯を尻ポケットから出すと、携帯電話からは大音量で音楽が流れていた。
全身の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになりながら思う。
尻ポケットからデスボイスを垂れ流す不審者から「音漏れてますよ」と凄まれた彼は、さぞ恐ろしい思いをしたことだろう。
「ハーッ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
お兄さんごめんなさい。不届き者は他の誰でもない私自身でした、お詫び申し上げます。誰にも届かぬ謝罪が空を漂う。
今日は長めだな、と妻がこちらを訝しむ。
妻よ、申し訳ない。口には出さず、中華鍋の中のネギみたいにクタクタになって家族に料理を運ぶ。
本日の献立は、ネギとキクラゲと玉子の中華炒め。音漏れの恥と謝罪を添えて。
皿を配る手はフルフルと震えていた。
外でフラッシュバックに襲われた話
