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◆読曞日蚘.《ゞャンゞャック・ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』》

幎月日


抂芁
わたしたちは、フランス革呜を導いたル゜ヌの代衚䜜である本曞ず『瀟䌚契玄論』に繰り返し立ち戻るこずで、囜民がほんずうの意味で自由で平等であるずはどういうこずなのか、どうすれば囜民が真の䞻暩を維持できるのかを、自分の問題ずしお問い盎すこずができるはずである。

本曞・裏衚玙の内容玹介より匕甚

『人間䞍平等起源論』にんげんふびょうどうきげんろんは、1755幎にフランスで発衚された、哲孊者ゞャン・ゞャック・ル゜ヌによる政治哲孊の叀兞的著䜜であり、人間の䞍平等に぀いおの論文である。正匏名称は『人間の間の䞍平等の起源ず基盀に぀いおの論述 (ディスクヌル)』仏: Discours sur l'origine et les fondements de l'inegalite parmi les hommesである。
人間の間の䞍平等は、「自然状態」の産物ではなく、「瀟䌚状態」の産物であり、自然法の芁請に埓っお、その瀟䌚的䞍平等は䞍平等がほずんど存圚しなかった「自然状態」の氎準皋床ぞず是正されなくおはならないずいう䞻匵が論述されおおり、同時期に曞かれた『政治経枈論』ず共に、埌の『瀟䌚契玄論』ぞず結実する内容の䜜品ずなっおいる。

Wikipedia「人間䞍平等起源論」の項目より匕甚

者略歎
ゞャンゞャック・ル゜ヌ
〔1712-1778〕フランスの思想家。スむスのゞュネヌノで時蚈職人の息子ずしお生たれる。歳でカトリックに改宗。家庭教垫等をしながら各地を攟浪し、倧䜿秘曞を経お、歳で応募したアカデミヌの懞賞論文『孊問芞術論』が栄冠を獲埗。意欲的な著䜜掻動を始める。本曞『人間䞍平等起源論』ず『瀟䌚契玄論』で人民に䞻暩があるず䞻匵し、その思想はのちのフランス革呜を導くこずずなった。䞻著に『新゚ロむヌズ』『゚ミヌル』『告癜』など。

本曞・袖の略歎より匕甚

◆◆◆

本曞の抂芁ずその構造に぀いお

 ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』読了。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟叀兞新蚳文庫

 本曞も、今幎の読曞課題の䞀぀である「民䞻䞻矩思想の叀兞を読む」の䞀環ずしお読んだ䞀冊である。
 ずいうか、このごろ「民䞻䞻矩思想の叀兞」ず蚀うより、単に「近代政治思想の叀兞」ず蚀ったほうが良いように思えおきたのだが。たぁそこは良いずしお。

 ゞャンゞャック・ル゜ヌは䞖玀のゞュネヌノ共和囜に生を受け、埌にフランスで掻躍した䜜家・思想家である。

 圌の履歎を読んでいおちょっず驚いたのは、圌は正芏の孊校教育を受けず、倧孊にさえ行っおいなかった「独孊者」だったらしいずいう事だ。

 これが䟋えばホッブズだったらオクスフォヌド倧孊を卒業しおから貎族の家庭教垫ずしお庇護を受けながら著述を行っおいた人だし、ゞョン・ロックもオクスフォヌド倧孊を卒業埌、クラむスト・チャヌチの研究員やチュヌタヌを務め、貎族の庇護䞋で著述掻動を行っおいた。

 が、ル゜ヌに限っおはゞュネヌノの䞭流階玚である時蚈職人の息子ずしお生たれ、父芪の圱響で質の高い本を読みながら成長し、その埌、たさに波乱䞇䞈の人生を送る事になるがこれに぀いおはりィキペディアにも詳しく曞かれおいるので必読です孊校で正芏の教育を受けおはいないようなのである。
 それにしおはよくもたあこれだけ幅広い分野で著䜜掻動を行っお、決しお小さくない圱響を呚囲に䞎えたものだず感心しおしたう。

 そんな圌が著述掻動を始めたのは、歳の時にディゞョン科孊アカデミヌの懞賞論文に送った『孊問芞術論』が入遞を果たしおからになる。
 圌がその掻発な著䜜掻動を始めるのは、これ以降の事であった。

『人間䞍平等起源論』はル゜ヌが歳の頃、再びディゞョン科孊アカデミヌの懞賞論文に応募するために曞いた論文であった。募集しおいた論文のテヌマは「人間の䞍平等の源泉はどのようなものか、それは自然法のもずで認可されるものか」。
 このテヌマに合わせおル゜ヌが曞いた論文が『人間䞍平等起源論』であり、この原題は「人間の䞍平等の起源ず根拠に぀いおの論文」であった。

 この論文自䜓はそう分量の倚いものではない。

 実際、がくが今回読んだ光文瀟叀兞新蚳文庫版の『人間䞍平等起源論』の本文はペヌゞにも満たない小冊子的な分量であった。
 が、本曞のほが半分以倖を占めるのが原泚、蚳泚、献蟞、序文、解説、あずがき  ずいった「その他の文章」だずいう凄い構成になっおいる笑。

 これ氎増しず思っおしたう読者もいるかもしれないが、実は思想曞は割ずこういう構成の本は倚いのだ。
 特に、ル゜ヌの著䜜を始めお読む人にずっおは、蚳者の䞭山元の分かり易い解説があるのはありがたいず思えるだろう。

 そしお、本曞の堎合に特城的なのは、ル゜ヌによる原泚が非垞に分量が長いずいう事だろう。

 ル゜ヌ自身はこの泚に぀いお「ずきには本文からかなり離れたこずを語っおいるので、本文ずずもに読むには適さないものもあるP.46」などず曞いおはいるのだが、本文で語っおいる事の「根拠」ずなるべき様々な事䟋や考察が非垞に詳しく曞かれおいお、説埗材料ずしおのル゜ヌの思想を支える広範な知的バックボヌンが䌺えお圧巻である。
 ル゜ヌの知的傟向や、論拠ずなる情報源に぀いお蚀及されおいるため、「読むに適さない」ずいうほどのものではないず、がくなどは思っおしたう。
 そのため、本文を読むだけでも内容は十分なのだが、この原泚を読たずに飛ばしおしたうずいうのも、それはそれで勿䜓ない郚分ではある。

 もう䞀぀、本曞における「献蟞」の文章も、これが意倖に無芖できない内容になっおいる。

 蚳者の䞭山元も「蚳者あずがき」で「『人間䞍平等起源論』の論文をたず䞀読された埌に、「献蟞」ず、この「献蟞」に぀いおの蚳者の解説を読んでいただければず思うP.413」ず曞いおいるほどである。
 圓時のゞュネヌノは王政ではなく、䞖玀からカルノァンの定めたゞュネヌノ教䌚芏則に基づいお、プロテスタントの共和囜ずしおの自治を行っおおり、圓時ずしおは特殊な政治䜓制だったず蚀えるだろう。
 そしお、ル゜ヌ自身が「ゞュネヌノ共和囜においお垂民ずしお生たれるずいう幞運に恵たれたした者ずしお、平等ず䞍平等が幞いな圢で結び぀いおいお、自然法にもっずも近く、瀟䌚にもっずも奜たしい圢で、公的な秩序ず個人の幞犏を守っおいるこの共和囜の深い叡智に぀いお、思いを臎さずにはいられないのですP.10」ずゞュネヌノをほめちぎっおいるように、圌の囜家芳ず蚀うのも、この地からの圱響ずいうのは無芖できないだろうし、そのゞュネヌノに぀いおの思いを吐露した「献蟞」ずいうのは、ル゜ヌの思想を捉える䞊でも重芁な意味を持っおくるものず思われる。

  ず蚀う事で、結局トヌタルで芋るず本曞は、ちゃんず䞀冊分の分量はある著䜜だず蚀えるのかもしれない。

◆◆◆

 ル゜ヌが『人間䞍平等起源論』で説明しおいる事は、非垞にシンプルである。

「瀟䌚䜓をなす前の原初的な状態自然状態の人間に䞍平等はなかった。人間が瀟䌚状態を圢成する過皋で䞍平等が発生し始め、私有財産や文明の発展に䌎っお䞍平等は激化、固定化されおいくようになった」ずいう事を䞻匵しおいるのである。

 本曞は「献蟞」「序文」「原泚」を陀けば、内容は倧きく二郚に別れおいる。

 本曞の構造は、たず第䞀郚で「自然状態」の人間である「野生人」ずいうものを想定し、そういう人間の状態に぀いお、肉䜓的な偎面ず、粟神的な偎面から「どのようなものであったのか」ずいう事を、様々な事䟋を䞊げおそれが具䜓的な像ずなるように考察しおいく。
「自然状態」ずは䜕かに぀いお知りたい方は前回の蚘事を参照のこず

 第二郚では、その「野生人」のその埌の歎史を考察しおいく。
「野生人」が「家族」ずいう䞀団を圢成するようになり、蚀語を発生させ、私有財産を䜜り、埐々に文明化しおくいくプロセスを説明する。
 そのプロセスの途䞭で、もずもずは平等であった野生人が、埐々に個人個人の「差」を生み始め、政治䜓が成立し、それが激化しお䞍平等にたで発展しおいき、それが固定化されるようになっおいく  ずいった圢で「自然から瀟䌚ぞの移行プロセスの䞭に䞍平等発生の原因が隠されおいた」ずいう事を指摘するずいう内容になっおいる。

 ず、このように倧たかな内容を芋おみるず、本曞は盎接的には「政治思想」をメむンに論じたものではないず蚀う事が䌺える。

 だが、それでは本曞がル゜ヌの政治思想の䞻著の䞀぀ずされる『瀟䌚契玄論』ず垞にセットで論じらる事が倚いのは䜕故なのか

 がくが『人間䞍平等起源論』を読み終えおみお感じるのは、本曞は『瀟䌚契玄論』に぀ながる前段階ずしおの「批刀の曞」ず䜍眮づけおも良いのではないかず思えるのだ。

 がくの印象からするず、――ゞョン・ロックの『統治二論』が、前半郚が王暩神授説を䞁寧に論駁する内容で、埌半郚が絶察王政に代わる囜家像を提瀺した内容であったように、――ル゜ヌの『人間䞍平等起源論』ず『瀟䌚契玄論』の二曞も、これず䌌たような関係性の内容だったのではないかず思うのである。

 ぀たり、ル゜ヌは『人間䞍平等起源論』によっおそれたでの囜家䜓制や人間の文明を批刀し、それに代わる囜家䜓制のモデルずしお『瀟䌚契玄論』を曞いたのではないか  ずいう颚に思うのである。

ゞョン・ロック『統治二論』
・前半郚  珟状の批刀の曞絶察王政ず王暩神授説の批刀
・埌半郚  理想の囜家像の提瀺の曞それに代わる瀟䌚契玄説の提瀺

ゞャンゞャック・ル゜ヌ
・『人間䞍平等起源論』  珟状の批刀の曞珟代文明や䞍平等な囜家䜓制ぞの批刀
・『瀟䌚契玄論』     理想の囜家像の提瀺の曞それに代わる瀟䌚契玄説の提瀺

◆◆◆

第䞀郚「自然状態」ず「野生人」に぀いお

 それでは『人間䞍平等起源論』の第䞀郚、第二郚それぞれの内容を、以䞋もうちょっず詳しく説明しおいこう。

 第䞀郚で「野生人」ずいうものを想定するのには蚳がある。

 がくがこれたでの蚘事で説明しお来た瀟䌚契玄論者たちの説明は、珟代の瀟䌚に぀いおの考察をするための、その比范察象ずしおの「自然状態」ずいう状況をたず想定しおから、考察しおいくずいうスタむルをずっおいる者が倚かった。

 ホッブズにおける「自然状態」は有名な「䞇人の䞇人に察する闘争」であったし、ロックにおける「自然状態」は完党に自由で平等な状態で、人間は「理性的な神の被造物」ずしお生きおいた。モンテスキュヌも『法の粟神』においお「自然状態」や「自然法」に぀いお考察を行っおいる。

 が、ル゜ヌはこれらの孊者らの「自然状態」や「自然法」の定矩に぀いお「この重芁な問題自然法の定矩に぀いお著䜜を刊行しおいるさたざたな孊者の間で、ほずんど意芋の䞀臎がみられないのは意倖なこずであり、スキャンダルず蚀っおもいいくらいのこずである。この問題に぀いお意芋が䞀臎しおいるのは、二人ずいないのであるP.38」ずいったように、曖昧なものだず指摘しおいるのである。

 自然に぀いおほずんど知られおおらず、法ロワずいう語の意味に぀いおもこれほどに意芋が察立しおいる状態では、自然法ロワ・ナチュレルに぀いおの正しい定矩に぀いお合意するのはきわめお困難なこずだろう。そしお曞物に曞かれおいる自然法の定矩は、そもそも意芋の䞀臎がみられないずいう欠陥のほかにも、人間が自然に獲埗したものではないさたざたな知識に基づいおいるずいう欠陥がある。さらに人間が自然状態゚タ・ド・ナチュヌルから出たあずであければ考えるこずのできないさたざたな利点を利甚しおいるずいう欠陥もある。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.40より匕甚

 確かに、がくもロックの『統治二論』を読んでいる時に「自然状態」に぀いお「なぜこんなに曖昧なんだなぜ具䜓䟋が䞀぀も出おこないんだ仮定の話ずしおも、なぜ考叀孊的な事䟋なんかを甚いおもっず『自然状態』ずいう状況を出来る限り説埗的に䜜り䞊げようずしないんだ」ず疑問に思っおいたものであったが、どうもル゜ヌもがくず䌌たような事を考えおいたらしい。

 ル゜ヌはこれたでの自然法の考え方に぀いお「自然法の考え方はたず定矩を䜜り出しおおいお、かなり恣意的な取り決めによっお、事態の性栌を説明するずいうご郜合䞻矩的なやり方なのであるP.40」ず結構痛烈に批刀しおいるのである。

  が、これは半分は時代的な制玄も関係しおいるのかもしれない。

 ずいうのも、がくが『人間䞍平等起源論』を読んでいお「あっ、そうか」ず気づいたのは、近䞖の政治思想家はホッブズもロックもル゜ヌも、ダヌりィンの『皮の起源1859』よりはるか以前の時代の人なので「猿から人間に進化する」ずいう考え方は初めから欠萜しおいるずいう事だった。がくもニブむなぁ。

 芁は、䞖玀の思想家たちが「人間の原初の状態である自然状態」を考える時、いくらさかのがっお考えおも「アダムずむノ」の時点たでしかさかのがれない、ずいうわけなのだ。

 特にゞョン・ロックのように宗教的な考え方がベヌスずなっおいる人間からしおみれば、「自然状態」を考えおみおも、原初の状態の人間は、どこたで叀代にさかのがっおも人間は人間でしかなく、最初から理性ずルヌルを䞎えられおこの䞖に生たれおきたのが人間ず蚀う存圚だ――ずいう、聖曞に準拠した考え方しかずれなかったずいうわけである。

 これが「時代的な制玄」ずいうものである。ロックほどの知性であっおも、その時代の゚ピステヌメヌある時代の知の基盀ずなる枠組みの枠内でしか考える事はできなかったのだ。

 が、ル゜ヌの想定する「自然状態」が画期的であったのは、そういった「宗教的な前提をカッコに入れお考える」ずいう事であった。

 宗教がわたしたちに信じるように呜じおいるのは、神みずからが人間を自然状態から匕き離したのであり、人間が䞍平等であるこずを望んでいたのだから、人間は䞍平等なのだずいうこずである。しかし宗教ずおも、人間ずその呚囲の存圚物の本性だけに基づいお、人類が〔神の干枉なしに〕そのたたにしおおかれたならどうなっおいたかに぀いお掚枬するこずを犁じおはいないのである。
 わたしがみずからに問いかけたのはこの問いであり、この論文ではこの問いに答えようずしおいる。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.53より匕甚

神の干枉なしの状態を想定したら、人類の自然状態はどうであったか――これによっお、ル゜ヌは聖曞に曞かれた人間芳から解攟され、様々な未開の民俗に関する情報や、野生の狌に育おられた子䟛の逞話、類人猿ず人間ずの比范や叀代ギリシアの時代の人間の生掻など、様々な実䟋を組み合わせお、宗教的ドグマから離れたル゜ヌなりの「自然状態」を考察しおいくのである。

 その想定ずしお提瀺したのは、「神からうけずるこずのできたすべおの超自然的な賜物ず、長い期間をかけお進歩するこずで獲埗できたすべおの人為的な胜力をずりのぞい」た状態の、自然の手を離れたばかりの状態の人間――「野生人」ずいう仮定モデルであった。

 ル゜ヌによっお、ほが初めお「自然状態」ずいう思考実隓は、珟代知られおいる「原始人」の知芋に少しだけ近づいたわけである。

◆◆◆

 では、ル゜ヌが想定したこの「野生人」ずは、どういった状態の人間であったのか。

 ある皮の「反面教垫」ずしお、ここで間違った――あるいは非垞に玛らわしい――説明を行っおいる人の䟋をあげお、ル゜ヌの説明しおいる「野生人」の基本的な考え方を説明しおみたい。

 がくは他の人がどのような内容の芁玄をしおいるのか、たたは専門家がどのような切り口でこの本を解説しおいるのかずいうのを調べるために、しばしばネット䞊の芁玄を参照する事があるのだが、次に玹介するサむトは、あたりにがくの理解ずは違っおおり――ずくに「自然状態」の考え方に問題がある――曞き方も非垞に玛らわしいので、吊定的な意味でずりあげたいず思う。

【芁玄マップ】『人間䞍平等起源論』を簡単にわかりやすく解説したす

 ここで玹介されおいるル゜ヌの「自然状態」に぀いおの説明を芋おみよう。

 ル゜ヌは、人間は本来平等な存圚ずしお生たれ、自然状態では互いに助け合い、平和に暮らしおいたず䞻匵したす。しかし、私有財産の出珟、蟲業の発達、郜垂の圢成ずいった瀟䌚の発展によっお、富の䞍平等や暩力の集䞭が生じ、人間は次第に䞍平等な関係に陥ったず論じたす。

䞊蚘サむトより匕甚
匕甚元https://mindmeister.jp/posts/youyaku-A-Discourse-on-the-Origin-of-Inequality

 これは物凄く雑な説明で、むしろル゜ヌが吊定したかった考え方さえ曞いおしたっおいるのが問題だ。
 ル゜ヌは本曞の䞭でしばしば「瀟䌚で生たれた考え方を自然状態のうちに持ち蟌んで、自然状態に぀いお議論しおいる人びずP.84」の事を批刀しおいる。

 䟋えば、「家族」や「氏族」などず蚀った集団が圢成されおいる状態ず蚀うのは、もう既に人びずの亀流が出来䞊がり、互いにコミュニケヌションを行い、協力関係にある――぀たり、もうある皮の「瀟䌚状態」になっおいる状態なのである。

 そう考えれば、䞊蚘サむトで説明されおいる「自然状態では互いに助け合い、平和に暮らしおいたず䞻匵したす」ずいう説明は、むしろル゜ヌが批刀しおいる自然状態の説明ずさえ蚀えるだろう。

 ル゜ヌは「自然状態」ずいうものを、もっず人間の原始状態にたでさかのがっお考えおいるのである。

 この䞻匵※瀟䌚で生たれた考え方を自然状態のうちに持ち蟌んでいる䞻匵では、家族が぀ねに同じ䜏居のうちで䞀緒に暮らしおおり、家族の成員はわたしたちず同じように芪密で氞続的な結合を保っおいるずみなしおいる。わたしたちの家族は倚くの共通の利害関係で結ばれおいるからだ。ずころが、原初的な状態はたったく異なる。この状態では家も、小屋のようなものもなく、いかなる皮類の財産もない。各人は行き圓たりばったりの堎所に暮らし、しかもしばしば䞀晩だけ、そこで倜を過ごすのである。男性ず女性は偶然に出䌚い、機䌚ず欲望のおもむくたたに結ばれたのである。だからたがいに語りあう必芁のある事柄を䌝えるための蚀語は、それほど必芁なかったのである。別れるずきも、同じようにそっけなく別れおいった。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.84より匕甚

 このように、ル゜ヌは「自然状態」を、ただ「瀟䌚」が圢成されおおらず、人間が自然の䞭にそれぞれ散らばっお個人個人で生掻しおいる「野生人」の状態を想定しおいたのだ。

 この状態をしお、果たしお䞊蚘サむトの著者の蚀うように「互いに助け合い、平和に暮らしおいた」ず蚀えるのだろうか
 たた、䞊蚘サむトに掲茉されたマむンドマップでは、たるで人間の「自然状態」が、最初から「家族や氏族のような小芏暡な集団で生掻」しおいた状態を瀺しおいるかのようではないか。

 ル゜ヌはこの『人間䞍平等起源論』の玄半分の分量を䜿っお、この「野生人」ずいうものに぀いお、出来る限り詳しくその生掻や身䜓的特城や粟神的な偎面に぀いお考察を行っおいるのである。

 森の䞭を圷埚する野生人はずくに知恵を働かせるこずもなく、蚀葉を話さず、家をもたず、たがいに闘うこずもなく、他人ず亀際するこずもなく、同胞を必芁ずしないし、同胞に危害を加えようず望むこずもない。おそらく同胞の誰䞀人ずしお芋分けるこずもできない。こうした野生人は情念の虜ずなるこずもほずんどなく、自分だけで満ち足りおおり、こうした状態にふさわしい感情ず知識しかもっおいない。ほんずうに必芁ずするものだけを欲求し、芋るに倀するず考えるものしか芋ない。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.114-115より匕甚

 このように「野生人」を想定したル゜ヌの「自然状態」に関する考え方を、䞊蚘サむトの著者は䜕䞀぀汲み取っおいないずいう事がよくわかるのではないだろうか

 ル゜ヌの想定する「自然状態」が「平和」だったのは䜕故か――「互いに助け合い」をしおいたからではなく、「他人ず亀際するこずもなく、同胞を必芁ずしないし、同胞に危害を加えようず望むこずもない」状態だったからだ。だから、同胞らずの闘争状態も起こらないのである。

 䞊蚘サむトに曞かれおいる「自然状態における瀟䌚」ずいう衚珟自䜓が、このサむトの著者の混乱状態を衚しおいる颚にも感じられるほどである。

 それだけでなく䞊蚘サむトは「自然状態」の人間に぀いお「本来平等な存圚ずしお生たれ」たものだずいう説明をしおいるが、これも厳密にはル゜ヌの考えに反しおいる。

 ル゜ヌは「自然状態においおも䞍平等はほずんど存圚しおいなかったP.190」ずは蚀っおいるものの、「"ほずんど"存圚しおいなかった」ずあるように、「ある皮の䞍平等」は、自然状態の人間にも存圚しおいた事をちゃんず説明しおいるのである。
 そしお、このル゜ヌなりの「䞍平等」の定矩も『人間䞍平等起源論』の非情に重芁な考え方の䞀぀ずなっおいるので、これに぀いおも誀解を䞎えおはならない。

 わたしは人類には二皮類の䞍平等があるず考えおいる。䞀぀は自然の䞍平等、たたは身䜓的な䞍平等ず呌びたいものである。これは自然が定めたものであり、幎霢、健康状態、䜓力、粟神の質、魂の質の違いによっお生たれる。もう䞀぀は瀟䌚的モラルたたは政治的な䞍平等ず呌びたいものである。ずいうのも、この䞍平等はある皮の取り決めによっお生たれるものであり、人々の同意によっお確立されるか、少なくずも認可されるものだからである。この皮の䞍平等はさたざたな特暩から生たれるもので、䞀郚の人々が他の人々を犠牲にしお、この特暩を享受する。たずえば他の人々よりも豊かであるずか、尊敬されおいるずか、暩力をもっおいるずか、䜕らかの方法で他の人々を服埓させおいるずかである。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.49-50より匕甚

ル゜ヌの想定する「二皮類の䞍平等」
・自然の䞍平等、たたは身䜓的な䞍平等
・瀟䌚的䞍平等、たたは政治的な䞍平等

 ル゜ヌは前者の䞍平等に぀いお、「自然の䞍平等の源泉を問うこずはできない」ずしおいる。
 ぀たり、本曞で考察される察象ずしおの「䞍平等」ずいうものは、埌者の「瀟䌚的䞍平等、たたは政治的な䞍平等」であり、これこそが問題になっおいるのだ、ず蚀う事を本曞の冒頭で説明しおいるのである。

 ぀たり「人間は本来平等な存圚ずしお生たれ」ずいう説明は玛らわしい蚀い方で、ル゜ヌの本曞の考え方を理解しおいる颚ではない。

 議論の土台ずなる「自然状態」に぀いお正確に把握できおおらず、テヌマずなる「平等」ずいうものに぀いおも理解できおいない。
 そもそも、自然状態における人間の状態が理解できおいなければ、本来人間が平等かどうかの理解も誀るのは圓然であった。

 たず、ル゜ヌの「自然状態」の認識が説明できおいないこのサむトの説明ず蚀うのは、『人間䞍平等起源論』のほが半分の内容をザックリ誀解しおしたっおいるのである。

 では、ル゜ヌはなぜそこたでしお詳しく自然状態の人間である「野生人」の姿を远求しおいたのか

 それはこの状態に぀いおの積幎の誀解ず根匷い偏芋を打砎する必芁があったからである。わたしは問題をその根源たで掘り䞋げお、真の自然状態を䞀枚の絵のように描きだすこずが必芁ず考えたのである。この自然状態では䞍平等は、それがたずえ自然の䞍平等であっおも、倚くの論者が䞻匵しおいるような珟実性も圱響ももちえなかったこずを瀺すこずはできないのである。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.115-116より匕甚

 近䞖の政治思想家たちは、みな「自然状態」から「自然法」「自然暩」を想定しお、それぞれ圓時の囜家䜓制ぞの問題ず、新たな囜家芳ず蚀うものを提瀺する材料ずしおいたのだ。

 ル゜ヌはたず、それら思想家たちの「自然状態」の捉え方の批刀から、本曞を曞き出しおいるのである。「瀟䌚の土台に぀いお考察した哲孊者は誰もが、自然状態゚タ・ド・ナチュヌルに遡るこずが必芁だず考えたのだが、実際に自然状態にたどり぀いた哲孊者は䞀人もいないP.51」
 ホッブズも、ロックも、モンテスキュヌも、ル゜ヌに蚀わせれば「自然状態」には蟿り着けおいない。だからこそ、ル゜ヌは䞁寧に䞁寧に、様々な資料を駆䜿しながら「自然状態」ずいうものに぀いおの考察を深めおいったのである。

 たずもっお、この「自然状態」ずいうものの定矩をおろそかにしおしたっおいる「芁玄」なるものは、土台からしお『人間䞍平等起源論』の内容を理解できおいないのである。
その他、䞊にあげたサむトの説明には、第二郚からの䞍平等の起源に぀いおの説明などに぀いおもツッコミたいずころは倚々あるものの、今回はこれ以䞊深入りしない

 お分かりだろうか、皆さた。

 ネット䞊に掲茉されおいる情報などずいうものは、このようなしっかりした䜜りのサむトでさえも、間違った情報がごろごろ転がっおいるものなのである。
 りェブサむトやばかり芋おいたっお、正しい知識など぀けられるはずはない。
 知識を付けたいずおもうのならば、悪い事は蚀わない、本を読みなさい。

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第二郚文明の発展ず瀟䌚的䞍平等の起源に぀いお

 䞊述した様に、『人間䞍平等起源論』の第二郚では、䞀郚で定矩した「野生人」が、埐々に集団ずなっおいき、瀟䌚状態を圢成させおいくプロセスを考察しおいく事ずなる。

 この内容に぀いおは、蚳者の䞭山元が「解説」で非垞に分かり易くたずめおいるので、そちらを匕甚したほうが良かろう。

 瀟䌚圢成の第䞀段階は、野生人たちが「障害」に盎面しお、孀立した状態を維持しおいくこずができなくなり、ゆるやかな集団を圢成した段階である。この段階では人々の協力䜜業ず原初的な蚀語の成立が特城ずなる。
 第二段階では、この集団の䞭から家族が圢成される段階である。ここでは人々のうちに恋愛の感情が生たれるようになり、家族的な所有が圢成される。男女のあいだに暮らし方の違いが生たれるのも、この時期である。これは人類の幌幎期である。
 第䞉段階は、「䞖界のたさに青幎期」ずも呌ぶべき段階であり、自然の倧倉動が発生し、地域的な蚀語が圢成され、地域的な瀟䌚が生たれる。技術的な進歩が実珟し、人々の生掻は珟代の未開人ず䌌た氎準たにたで向䞊する。
 第四段階は、いわゆる新石噚革呜の時代であり、鉄ず小麊の時代が、冶金術ず蟲業の時代が、劎働ず所有の時代が蚪れる。それは戊いず殺戮の時代であり、「恐るべき戊争状態」の蚪れである。やがお囜家が成立し、囜家のあいだの戊争が頻繁になり、すべおの人々が隷属するような時期が到来するこずになる。その埌は歎史的な時代ずしお描き出されるこずになるだろう。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.344・䞭山元「解説」より
※䜆しで瀺された本文の察象ペヌゞの蚘述は省略させお頂いた

 ル゜ヌは第二郚の冒頭で「ある広さの土地に囲いを䜜っお、これはわたしのものだず宣蚀するこずを思い付き、それを信じおしたうほど玠朎な人々をみいだした最初の人こそ、垂民瀟䌚を創蚭した人なのであるP.123」ず曞いおいる。

 これを読んでいお「おや、これは  」ず思ったのは、これがたるでマルクスの『資本論』に出おくる゚ンクロヌゞャヌ論のようだったからである。

「土地の囲い蟌み」ずしお有名なのは、䞖玀䞖玀のむギリスで䜕床か行われた゚ンクロヌゞャヌ運動であった。
 この時期、封建領䞻や富裕局が共同で利甚しおいた土地から蟲民を远い出し「私有地」化しおいたずいう事が知られおいる。

 蟲民から収奪された土地は、矊毛䟡栌が高隰しおいた時期には攟牧地に利甚され、あるいは資本䞻矩的な蟲地経営を行うために利甚され、たたは工堎の蚭立などに䜿われお、これが資本䞻矩を発展させる芁因の䞀぀ずもなったず蚀われおいる。
 土地から远い出された蟲民らは小䜜蟲になり、あるいは郜垂に流れお工堎にで働く劎働者ずなり、プロレタリア階玚ができあがるきっかけずもなった。

 ゚ンクロヌゞャヌ運動は䞭䞖以降の動きだが、マルクスずいうのは、このように歎史を遡っお「䞍平等はい぀から発生したか」ずいう事の起源を問うたのである。

 マルクスが構想しながら未完に終わった研究を゚ンゲルスが受け継いで曞いた『家族・私有財産・囜家の起源』でも、同じように「䞍平等」の起源を問う内容である。
 この本はがくはただ読んでいないので詳しい事は曞けないが、おおよその内容は原始時代から未開瀟䌚、叀代ギリシアやロヌマなど、叀代共同䜓に関する研究を螏たえお、私有財産制や䞀倫䞀婊制の成立、囜家の圢成などの起源を説明しおいくものであったずいう。

 ぀たり、この本も歎史の発展段階の䞭で「䞍平等」の起源を問う内容なのである。

 マルクス゚ンゲルスも「私有財産」や「奎隷支配」ずいったものには「根拠」がなく、「支配階玚」ずいったものには正統な暩利などはない、ずいう事を明らかにした。

 マルクス゚ンゲルスが䞖の䞭の「䞍平等」に正統な根拠などない  ずいう事を䞻匵するために、歎史を遡っおその「起源」を明らかにしたのず同じように、ル゜ヌも「人間の瀟䌚的䞍平等」がい぀から発生し、その原因が䜕なのかを远求するために、歎史を「自然状態」の時点にたで遡っお考察した。

 䞡者に共通する芋解ずは「支配階局が、庶民らを隷属させる正統な根拠などは"ない"」ずいう事であった。
「庶民が支配局に服埓しなければならないのは圓たり前」だずいう認識を、吊定するのが䞡者に共通する䞻匵だったずも蚀えるだろう。

 隷属の鎖を䜜りだすのは、人間たちの盞互の䟝存関係ず、人間たちを結ぶ盞互の欲求であるこずは、誰にでも分かるこずに違いない。ある人間を隷属させようずするならば、たずその人を他人なしでは生きおゆけない状態におく必芁がある。自然状態ではこのようなこずは起きないのだから、この状態では人間はあらゆる軛から自由であり、最も匷い者の法も無力なのである。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.119より匕甚

 もずもず、人間は瀟䌚的に平等に生きおいたのである。圌らにずっお自由は「自然から䞎えられた貎重な莈物P.168」であった。

 人間の䞍平等ず䞍自由は、瀟䌚的な状況が発生し、人間が理性ず文明を発展させおいく過皋の䞭で発生しおいった。ル゜ヌは、その状況を描き出すために「野生人」ずいう原始時代の人間の姿を描写したわけである。

 ル゜ヌは蚀わば『人間䞍平等起源論』で文明批刀を行っおおり、もっず盎接的に、以䞋のように文明瀟䌚の「悲惚さ」ずいうものに぀いお蚀及しおいる。

 文明人の状態ず野生人の状態を、偏芋なしに比べおいただきたい。そしお文明人の邪悪さず欲望ず悲惚さを、そしお文明が苊痛ず死ぞず導く倚くの新たな扉を開いたこずを、よく調べおいただきたい。わたしたちを苊しめる粟神的な苊痛の倧きさに぀いお、わたしたちを疲れ果おさせ、悩たせる情念の激しさに぀いお、そしお貧者が背負わされおいる激しい劎働に぀いお、富者が身を委ねおいるさらに危険な攟埓な暮らしぶりに぀いお、反省しおみおいただきたい。必芁なものにも事欠いお死ぬ者がいる䞀方では、䜙分なものに圧し朰されお死ぬ者もいるのである。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.214、ル゜ヌによる原泚より匕甚

 ル゜ヌの思想は、こういった文明批刀ず共に、しばしば「自然に垰れ」ずいう蚀葉で説明される事が倚い。

 ル゜ヌの『人間䞍平等起源論』におけるこの論調が、あたりに痛烈な文明批刀であるために、本曞を献䞊されたノォルテヌルなどからは「あなたの著䜜を読むず、ひずは四぀足で歩きたくなりたす」などず嘲笑的な酷評を受けおしたう事にもなっおしたったずいう。

 だが、ここで勘違いすべきでないのは、ル゜ヌは䜕も、この文明瀟䌚から、原始時代の様な生掻に戻るべきだず䞻匵しおいるわけではないずいう事である。

 本曞の蚳者である䞭山元は「ル゜ヌはもはや文明を捚おるこずも、森に垰るこずもできないこずを熟知しおいた。『孊問芞術論』の結論は、自然に垰るずいうような䞍可胜なこずを蚎え、求めるのではなく、文明の富でもっお、文明の悪を癒す方法を探すべきだずいうものだった。この論文※『人間䞍平等起源論』の事の結論は、自然に垰るのではなく、自由で道埳的な生き物ずしお、矎埳を孊び、「氞遠の報奚をうけるにふわさわしい存圚ずなる」こずを目指すずいうものだった。さらにル゜ヌは『瀟䌚契玄論』では、この文明の悲惚さず隷属からのがれるこずのできる政府はどのようにしお叶かを暡玢するこずになるP.336」ず、ル゜ヌの考えを説明しおいる。

 ル゜ヌの思想を衚す「自然に垰れ」は、そういう意味で誀解しやすい衚珟であろう。

 端的に蚀っお「瀟䌚的な䞍平等」は、そもそも「自然な状態」ではない。人間の本来的な状態ではない。だから、そういう状態を「圓然」のものずしお受け入れおはならないのである。

 文明によっお䜜り出されおきた様々な䞍平等に基づく人間の䞍幞や悲惚や䞍自由は、それは人間本来のものではないのだから、そのような「文明の悪」を正すべきなのだ、ずいう事なのである。

『人間䞍平等起源論』を、ただ単に「人間は文明を築き䞊げおいく過皋で、䞍平等を生み出しおいったのです」ずいう「物語」ずしお読んではいけない。

 ル゜ヌが解き明かしおきたものずいうのは、「䞍平等瀟䌚的な䞍平等」ずいうものは、人間本来に備わっおいるものではなく、圓然のものでもなく、「人間が䜜り䞊げたものだ」ずいうこずである。

 このような瀟䌚的䞍平等ず蚀うのものは、察凊しなければその「䞍平等」は今埌も発展しお止たる事を知らないだろう。

 そういった瀟䌚的な䞍平等はそもそも人間が自ら䜜り䞊げおきたものだからこそ、それが間違いであり「䞍幞の元」になっおいるずいう事ならば、その間違いは人間の手で正しおやる事ができるはずだ。
 戊争は「自然なこず」ではないし、「奎隷制」や「貧困」、「危険な重劎働」などの䞍幞も「自然なもの」ずしお人間に必然的に぀いおたわる䞍幞ではないのだ。

 ぀たり、「森に垰る」事などしなくおも、自由ず平等を取り戻す事の出来る瀟䌚䜓を再線すれば良いのである。そういった瀟䌚状態の理想系を提瀺するために『人間䞍平等起源論』は、『瀟䌚契玄論』ぞず繋がっおいくのである。

 瀟䌚的な䞍平等は、実定法だけによっお認められたものであり、自然の䞍平等に比䟋したものでない堎合には、぀ねに自然法に反するものであるこずも瀺しおきた。この自然の䞍平等ず瀟䌚的な䞍平等の区別は、あらゆる文明囜を支配しおいる䞍平等に぀いおどう考えるべきかを、はっきりず瀺しおいるのである。自然法をどのように定矩したずしおも、子䟛が老人に呜什したり、愚者が賢者を指導したり、倚数の人々が暮らしにも事欠いお飢えおいるのに、ごくわずかな人々は䜙分なものを山ほども抱えおいるのは、どのように考えおも自然法に反するこずだからだ。

ル゜ヌ『人間䞍平等起源論』光文瀟版P.190より匕甚

 このように芋おくるず『人間䞍平等起源論』の内容は、「文明批刀」ではなく暗に「圓時の文明囜の䜓制批刀」を行っおいるのであり、「自然に垰れ」ずいうよりかは「自然法に基づく平等に垰れ」ず衚珟したほうが良いのではないかず思えるのである。

 少なくずも、本曞『人間䞍平等起源論』を、単なる「䞍平等の起源を解き明かした内容」だ、などずいった芳点だけから読むのでは、ル゜ヌの真意は読み取れないだろう。


いいなず思ったら応揎しよう