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◆読曞日蚘.《ゞョン・ロック『統治二論』埌線「政治的統治に぀いお」『垂民政府論』》

幎月日


抂芁
むギリス瀟䌚が新興の䞭産階局の力で近代瀟䌚ぞず脱皮しおゆくずき、その政治思想を代衚したのがロック1632-1704であった。王暩神授説を吊定し、政治暩力の起源を人びずの合意瀟䌚契玄によるずした本曞は、アメリカ独立宣蚀の原理的栞心ずなり、フランス革呜にも圱響を䞎えた。政治孊史䞊屈指の叀兞の党蚳。

本曞・衚玙の内容玹介より匕甚

線著者略歎
ゞョン・ロック英語: John Locke FRS、1632幎8月29日 - 1704幎10月28日は、むギリスの哲孊者。哲孊者ずしおは、むギリス経隓論の父ず呌ばれ、䞻著『人間悟性論』『人間知性論』においお経隓論的認識論を䜓系化した。たた、「自由䞻矩の父」ずも呌ばれ、政治哲孊者ずしおの偎面も非垞に有名である。『統治二論統治論二篇』などにおける政治思想は名誉革呜を理論的に正圓化するものずなり、その䞭で瀺された瀟䌚契玄や抵抗暩に぀いおの考えはアメリカ独立宣蚀、フランス人暩宣蚀に倧きな圱響を䞎えた。
著䜜の倧郚分は1687幎から1693幎の間に刊行されおいるが、明晰ず粟密、率盎ず的確がその特城ずされおおり、哲孊においおは、むギリス経隓論の父であるだけでなく、政治孊、法孊においおも、自然暩論、瀟䌚契玄の圢成に、経枈孊においおも、叀兞掟経枈孊の圢成に倚倧な圱響力を䞎えた。

Wikipediaより匕甚

『統治二論』埌線「政治的統治に぀いお」の抂芁

 ゞョン・ロック『統治二論』読了。

ゞョン・ロック『完蚳・統治二論』加藀節蚳・岩波曞店

 前回は前半郚分の論文「統治に぀いお」たで読み終えお感想をたずめたが、今回は埌半郚分の䞀論「政治的統治に぀いお『垂民政府論』」を読み終えた。

 この『統治二論』の党䜓の抂芁ず、前半郚分に盞圓する「統治に぀いお」の内容に぀いおは、既にレビュヌを䞊げおいるので、そちらのほうをご参照願いたいず蚀う事で本曞の抂芁ずロックに぀いおの玹介に぀いおは前回をご参照頂くずしお省略させお頂いた。

 ず蚀う事で、今回はこちらの埌半郚分にあたる「政治的統治に぀いお」に぀いお語っおいきたいず思っおいる。

  しかし、個人的な事を蚀わせおいただくず、本曞に関しおはいろいろず曞きたい事がたくさんありすぎた䞊に、執筆前にちょうどぎっくり腰をやっおしたい、しばらく長時間の座り仕事が厳しい状態になっおいたので、本皿を曞くたでに随分ず時間がかかっおしたった

 本曞は前回も説明したずおり「長線論文をふた぀ぶん合わせたもの」ずなるので、分量も二冊分の分量になっおいる。しかも、その前篇ず埌篇ではかなり内容が違っおいるずいう事もあっお、本曞のレビュヌも前篇ず埌篇で二぀に分けさせお頂いた。

 この刀断は割ず圓たっおいたようで、やはり埌篇「政治的統治に぀いお」は、前線「統治に぀いお」ずは党く違った内容に぀いお論じおいる。――もちろん、埌篇は、前篇の内容を螏たえた䞊での内容ず蚀う事になるのだが、確かに岩波文庫では埌篇を独立しお『垂民政府論』ずいう圢で出版しおいるずいうのも分からないでもないず思わせられた。

 前回も説明したが、おさらいがおら、本曞の前篇ず埌篇の内容に぀いお、もう䞀床説明しおおこう。

ゞョン・ロック『統治二論』抂略
・前線『統治に぀いお』

⇒王暩神授説の代衚的な文献ずしお、圓時チャヌルズ䞖治䞋の王党掟のバむブル的な曞籍であったロバヌト・フィルマヌ『パトリアヌカ家父長論』ず『考察』ずを䞁寧に読み蟌み、その内容を培底的に論駁する。
・埌線『政治的統治に぀いお』岩波文庫『垂民政府論』
⇒圓時のペヌロッパの絶察王政䜓制を吊定し、「王暩神授説」の代替案ずしおロックの考える政治暩力のあり方瀟䌚契玄説垂民政府論  政治暩力は君䞻の手の内にあるものではなく、人民から信蚗された政治的共同䜓立法暩力、執行暩力、連合暩力などの合わさった共同䜓によっお運甚され、この共同䜓が人民の信蚗に背いた堎合は統治する暩力を喪倱し、人民はこれに抵抗しおも良いを提瀺する。

 本曞はその前半においお、圓時ロックずは政治的敵察関係にあったむングランド王党掟のバむブルであったロバヌト・フィルマヌ『パトリアヌカ家父長論』の培底的な論駁が行われた。
 そしお、埌半では王暩神授説の代替案ずしお、ロックの瀟䌚契玄説に基づく政治瀟䌚――人民からの信蚗を受けた政治的共同䜓の運営する統治――を考える内容になっおいる。

 こうしお芋おみるず、基本的にこの本の意図は「論敵である王党掟の理屈絶察王政的スタンスを吊定し、自分たち議䌚掟の立堎を擁護する」ずいう、かなり党掟利益的スタンスで曞かれたものだずいう事が分かる。

 だが、こういった「党掟利益的スタンス」の意図を以お曞かれた曞ずいう考え方は、本曞の蚳者である加藀節が蚀うには「䞀面的」であるずいうのだ。
 そこで加藀が䞻匵しおいるのが、戊埌ケンブリッゞ倧孊を䞭心にしお始たった研究によっお泚目されるようになった、ロック思想における「宗教的偎面」の重芁性であった。

 加藀はゞョン・ロックの思想を解説した『ゞョン・ロック――神ず人間ずの間』にお「䞞山以降、※日本のロック研究における受け取り方はロックの政治思想を瀟䌚契玄説、立憲䞻矩、自由䞻矩、「垂民政治」論ずいった芳点から分析するものが䞻流になったが、それらは、あきらかに䞞山の問題栞心を匕き぀ぐ意味を持぀ものであった加藀節『ゞョン・ロック』P.213」ず指摘しおいる。このために日本ではロックの「宗教性」ずいう偎面が芋逃されおきたずいうのである。

 ぀たり、『統治二論』で䞻匵されおいる「瀟䌚契玄に基づく人民に信蚗された政治的共同䜓の運営する近代囜家芳」に぀いおも、「瀟䌚契玄説、立憲䞻矩、自由䞻矩」ずいった玔粋に政治思想的な考え方で組み立おられたものではなく、そのベヌスずなる郚分は垞に「宗教的な動機」が存圚しおいるのだ、ず蚀う事である。

 䟋えば、ロックが「公共善」ずしおの政治的統治の目的が「個人の固有暩生呜・健康・自由・財産の暩利を守る事」であるず䞻匵しおいるのも、その根拠は「宗教的」な思想がベヌスずなっおいるわけである。

 では、そのロックの宗教的な考え方ずは、具䜓的に蚀っおどういったものだったのだろうか。
 本曞の蚳者である加藀節は、それを「解説」で簡朔に、以䞋のようにたずめおいる。

 ロックのにおける信仰の考え方である「神孊的パラダむム」ずは、次の二぀の信条から成り立っおいる。

 䞀぀は、「カオス」に満ちた人間の生の芏範的な指針ずしお「われわれにずっお最善でありわれわれが黙埓すべきもの」を瀺しおくれる「神の手」の存圚ぞの揺るぎなき確信であり、もう䞀぀は、人間を、「神の目的」に仕えるべき矩務を負っお創造された「神の䜜品」ずみなす信念にほかならない。こうした二぀の信念から、「人間存圚の方向づけのための十党な芏範の䜓系を提瀺しおくれる慈悲深い神」ずの矩務論的な関係においお、「理性的被造物」の名に真に倀する人間の生の条件を確蚌しようずする神孊的パラダむムが、ロックの思考を根底で芏定する枠組みずしお成立するこずになる。

ゞョン・ロック『統治二論』P.602-603加藀節「解説」より

 神は人間を「理性的被造物」ずしお創造された。故に、人間ず人間ずの間に成立する芏則も疑いなく「理性」に則っお決められおいるに違いなく、そのルヌルを䞀方的に砎っお暎力的なやり方を正しいずするのは「獣のやり方」に過ぎない。
――だから、他者を暎力的に簒奪する「䟵略」や、人民の信蚗を埗ず他者に䞀方的な隷属を求める「絶察王政」ずいった政治のやり方が正しいわけがない。故に王暩神授説は吊定されねばならないずいうわけなのだ。

 もちろん、政治的統治の目的が「個人の固有暩プロパティ生呜・健康・自由・財産の暩利を守る事」である事ずいう考え方も、このロックの「神孊的パラダむム」の考え方に基づいおいる。
 人間は「『神の目的』に仕えるべき矩務を負っお創造された」わけであるから、その矩務を遂行するために自分自身を維持する必芁がある。そうでなければ人間が神に察しお負う矩務を果たす事はできない。
 神が自殺を吊定するのもそれが理由であるし、殺人が吊定されるべきなのも、勝手に他者の生呜を奪っおその者が神に察しお負っおいた矩務の遂行を邪魔する事に他ならないからだ。

 ロックが「個人の固有暩生呜・健康・自由・財産の暩利を守る事」を、政治思想の出発点ずしお考えたのは、そういった宗教的な考え方があったためなのである。

 ロックの正圓性論は、契玄説に矛盟するかに芋える䞀぀の神孊的前提を䌎っおいたからである。「いかなる囜家においおも、至高の統治暩力は神に由来する」ずしお、政治的統治の究極的な淵源を「神の意思」に求める芖点がそれであった。この芖点ず契玄説ずを神孊的パラダむムの枠内で接合した点に、政治的統治に関するロックの正圓性論の独自性があった。

ゞョン・ロック『統治二論』P.610-611加藀節「解説」より

 驚くべきは、ロックも「いかなる囜家においおも、至高の統治暩力は神に由来する」ずいう考え方であったずいう点ではないだろうか。

 芁は、フィルマヌも、ロックも、統治暩力の正圓性の根拠は「神のご意志」によるものだ、ず䞻匵しおいる点では倉わりないのである。
 片方は「神のご意志は絶察王政が正しいずしおいる」ず䞻匵し、それに察しおロックは「神のご意志は瀟䌚契玄説のほうが正しいずしおいる」ず䞻匵しおいるわけなのだ。

 ただ、ロックのほうの考え方は、シンプルに「より倚くの人が玍埗する考え方」だったからこそ、その埌の歎史の䞭で「宗教性」の郚分が埐々に薄らいでいっお、「瀟䌚契玄説、立憲䞻矩、自由䞻矩」ずいった政治思想ぞず掗緎されお行く事ずなったのではないだろうか。

◆◆◆

『統治二論』の埌篇「政治的統治に぀いお」の構成を説明するために、ここで埌篇の目次を匕甚しおおこう。

政治的統治に぀いお
第章序論
第章自然状態に぀いお
第章戊争状態に぀いお
第章隷属状態に぀いお
第章所有暩に぀いお
第章父芪の暩力に぀いお
第章政治瀟䌚に぀いお
第章政治瀟䌚の起源に぀いお
第章政治瀟䌚ず統治の目的に぀いお
第章政治的共同䜓の諞圢態に぀いお
第章立法暩力の範囲に぀いお
第章政治的共同䜓の立法暩力、執行暩力および連合暩力に぀いお
第章政治的共同䜓の諞暩力の埓属関係に぀いお
第章倧暩に぀いお
第章父芪の暩力、政治暩力および専制暩力に぀いお――総括的考察
第章埁服に぀いお
第章簒奪に぀いお
第章暎政に぀いお
第章統治の解䜓に぀いお

 埌篇「政治的統治に぀いお」の内容に぀いおは、倧たかに第章章ず、章章、そしお章章の䞉郚に分けお良いかず思われる。

 第章章では、人間の「自然状態」から考察を始めお埌篇「政治的統治に぀いお」のベヌスずなる考え方を提瀺しおいくパヌトである。
 なぜ「自然状態」から考え始めるかず蚀えば、「政治的統治」が存圚する瀟䌚である「政治瀟䌚」ずの察比によっお、瀟䌚の根本的なあり方を考察するためだず蚀える。
 これによっお「自然状態の人間」が、もずもずどういうルヌルによっお生きおいたのか自然法、そしお「自然状態の人間」がもずもず持っおいた暩利自然暩ずは䜕なのか、ずいう事を導き出す。

 第章章では、章章で考察した「自然状態」における人間の法や暩利を螏たえお、それではそういった人間になぜ「政治瀟䌚囜」が必芁になるのか、必芁だずしたら、どういった統治圢態が劥圓なのか、そしおその「政治瀟䌚」の目的ずは䜕なのかずいうずころを考察しおいく。

 そしお最埌に章章では、ロックが提瀺しお来た瀟䌚契玄説に基づく政治瀟䌚の圢態が「解䜓される時」ずは、どのような状態なのか、ずいう点に぀いお「埁服」「簒奪」「暎政」ずいった状況を提瀺し、そのような状態に陥った暩力は人民からの信蚗に反しお既に暩力を喪倱しおいる状態にあるので、人民は新たな圢態の統治を打ち立おる暩利があるいわゆる抵抗暩ず䞻匵しお本曞は締めくくられる事ずなる。

 さお、本曞の倧たかな内容は以䞊のようになっおいるが、本皿ではこれ以䞊の现郚にはあたり螏み蟌んではいかないので、詳しい内容を知りたい方は暪着をせず、盎接ロックの『統治二論』あるいは『垂民政府論』を通読するように。党く難しい本ではない、おそらく高校生でも通読できる皋床の平易な文䜓の芪切䞁寧な本である。難解な専門甚語も出さずに、ロックが䞀から懇切䞁寧に説明しおくれおいる。これはそんな本である。
 悪い事は蚀わない、内容を芁玄した蚘事を読んだだけで分かった気にならずに、通読しなさい。

 ずいうわけで本皿は内容芁玄を目的ずしおいるわけではないので以䞋、がくの調べた範囲での本曞の背景情報やその他の思想史的、政治史的、歎史的な立ち䜍眮などを螏たえお、がくなりに考えた事などを぀ら぀らず綎らせおいただこう。

◆◆◆

自然状態、自然法、自然暩に぀いお

 ロックやホッブズなど、いわゆる䞖玀の瀟䌚契玄論者ず呌ばれる政治思想家は「自然状態」「自然法」「自然暩」ずいった考え方をベヌスに囜家のあり方を考察するずいう方法が共通しおいる。『統治二論』の堎合、第章から「自然状態に぀いお」ずいうタむトルが付いおいる事からもその事が䌺えるだろう。

 そのため、近代政治思想を語る䞊ではこれらの単語は重芁語だず捉えおも良いだろう。

 が、ロックもホッブズもこの「自然状態」等ずいった考え方を詳しく定矩しようずはしおいないので、これらの抂念に぀いおは倚少の前知識は必芁になるかもしれないかずいっお知らないず本曞に曞かれおいる内容が理解できなくなるずいうほどのものでもない。文脈でなんずなく理解できる範囲のものではある。
 なぜ詳しく定矩しおいないかず蚀えば、これらの考え方はロックやホッブズの独創ずいうわけではなく、叀くは叀代ギリシア時代には既に存圚しおいた考え方だからだった「瀟䌚契玄」の考え方さえ、既に叀代ギリシアには先䟋があった。

 この「自然状態」ずいうのは、人間がただ「囜家」のような集合ずなっおいない状態での、人間たちの状況を想定しお考える思考実隓的な状態を指しお蚀う。
 そういう状態を想定する事で、珟圚の瀟䌚状態ず自然状態ずの察比を通じお、瀟䌚の根本的なあり方を考察する方法だず蚀えるだろう。

 そういう自然状態ただ囜家が成立しおいない状態の人間たちの間には、どのようなルヌル人間の本胜に根差したルヌルが存圚しおいるか想定するず「自然法」ずなり、囜家などに定められた人々に保蚌されおいる暩利などがただ存圚しない状態自然状態での人間には、どんな暩利が認められるか、ずいう事を想定するず「自然暩」ずなる。

 自然状態に察しお、珟圚の囜家が成立しおいる状態を「瀟䌚状態」、あるいは『統治二論』では「政治瀟䌚」ずいう颚に衚珟しおいる。
 たた、「自然法」に察しおは、人や囜が定めお、実際に瀟䌚で実行されおる法を「実定法」ずいっおいる。
 そしお、「自然暩」は珟圚でも通じる蚀葉だが、珟代ではあえお蚀うなら「実定的諞暩利」であったり、あるいは「人暩」「基本的人暩」もっず単玔に「暩利」ず蚀っおも良いだろう。

 たずめるず以䞋のようなむメヌゞで考えられる。

自然状態 ⇒ 瀟䌚状態『統治二論』では「政治瀟䌚」
 自然法 ⇒ 実定法
 自然暩 ⇒ 実定的諞暩利「人暩」「基本的人暩」あるいは単玔に「暩利」

 この「自然状態」ずいう事をどういった状態だず想定するかによっお、思想家ごずのスタンスが埮劙に倉化したりもする。

 基本的に「自然状態」ずいう状態は、人為的に決められた法埋に瞛られおいない人々が、それぞれに連垯しお生きおいるずいう状況が想定される。
 ここたでは、だいたいの思想家の意芋は䞀臎しおいるだろう。

 ホッブズは、これらの自然状態の人間たちは、有名な蚀葉にあるように「䞇人の䞇人に察する闘争」の状態にあるず考えたわけだ。

 ホッブズは、「自然状態」はもずもずは「平和」であるが、「人間の本性」は欲求の充足を求めるものであり、たた身䜓や刀断の胜力においお人間は平等であるから、そこに争いが起こる。たしおや灜害その他の非垞事態が起こるず「生呜の安党」を求めお争いが起こるずいう。

田䞭浩『ホッブズ リノァむアサンの哲孊者』P.42より

 ロックは「自然状態」に぀いお具䜓的にどういった状態なのかずいう点は詳しく定矩しおはいないが、各人が自然法の範囲内で「完党に自由な状態」であり、たた「平等な状態」でもある状態であるず説明しおいるP.296。そしお、ロックにずっお人間ずは神によっお䜜られた「理性的被造物」であるから、自分たちにずっおマむナスにしかならない闘争状態になる事はないだろうず考えるのである。

 こういった「自然状態」の捉え方の違いに、思想家それぞれのベヌスずする思想的盞違が存圚しおいるわけである。そしお「政治」ずいうものを根本から考える堎合、䞖玀の政治思想家らは「人間ずはそもそもどういった存圚なのか」ずいった事から考察しはじめた。だから、それぞれの「人間芳」の違いによっお、それぞれ埮劙に䜜り䞊げられる囜家芳ずいったものも違っおくるのであるちなみに、これが「人間ずは生たれながらに自由ではなく、隷属状態にあるのが圓然である」ずいう考え方になるず、ロバヌト・フィルマヌの王暩神授説のような囜家芳が䜜り䞊げられるわけだ。

 ロックは、「自然状態」にある人間も「完党に自由な状態」ではあっおも、それは「䜕をしおも自由だ」ずいう事ではないずしおいる。
「自由の状態」ず「攟瞊の状態」ずは、違う。
「自然状態」にある人間であっおも、「自然法」に瞛られおいるのが人間ず蚀う生き物だ、ず考えたわけである。

 ここでいう「自然法」ずは、ロックにずっおは「理性」であった。「理性的被造物」である人間だからこそ、人間は理性に瞛られおいる。それがロックにずっお、人間を生たれながらに瞛っおいる「自然法」の正䜓であった。

 ロックは「理性」ずいうものに絶察的な信頌を持っおいたのだ。
 だからこそ、圌のによる瀟䌚契玄説の「法」の考え方は人間の「理性」から、理性によっお䞀぀ず぀積み重ねられお蚀ったロゞックによっお支えられおいる。

 だから、ロックは逆に「理性」を無くしお感情を暎走させ、暎力を人間のルヌルずしおいる考え方を「獣のやり方」だず批刀するわけである。
 私が他者に危害を加えれば、私も他者から危害を被る可胜性が出おくる事は容易に理解できる。そうなれば、人間瀟䌚は暎力が荒れ狂う地獄の状態になるだろう  。

 故に、ロックの「自然状態」の考え方は「䞇人の䞇人に察する闘争」の状態ずは逆に、人間それぞれが理性を働かせ、䞇人を抑制しお互いが互いの存圚を尊重し合う「自然法」が守られおいる状態だず考えたのである。
「自然状態」は「完党に自由な状態」であっおも争いが起こらないのは、人間が本性的に「自然法理性」に瞛られおいるからである  ロックはそう考えたのだ。

 しかし、自由ずは、普通に蚀われるように、誰でもが自分の欲するずころをなす自由ではないなぜならば、もし人が、他人の気たぐれによっお支配されるのであれば、誰も自由ではありえないからである。そうではなくお、自由ずは、ある人がそれに服する法の蚱す範囲内で、自分の身䜓、行為、所有物、そしおその党固有暩プロパティを自らが奜むたたに凊分し、凊理し、しかも、その際に、他人の恣意的な意志に服埓するこずなく、自分自身の意志に自由に埓うこずにあるのである。

ゞョン・ロック『統治二論』P.359

◆◆◆

自然暩ず人暩に぀いお

 では、「自然状態」にある人間が「自然法」に守られおいる状態だず、人間にはどういった暩利が䞎えられおいるのか  ず考えるず「自然暩」の考え方が発生する。

 ちなみに平凡瀟『哲孊事兞』の「自然暩」の説明を匕甚しおおくず「歎史的ないしは人間の定めた「実定的諞暩利」が、時代、堎所により可倉的であるのに察しお、い぀いかなる堎所でも、人間ずしお圓然享受、䞻匵すべきだず考えられる諞暩利を自然暩ずいう」ずある。

「自然暩」の考え方は、『統治二論』においおは「固有暩プロパティ」ずいう蚀葉で衚珟される事が倚い。
「固有暩プロパティ」ずいうのは「生呜・健康・自由・財産の暩利」ずいったもので、これがおよそ「自然暩」や「人暩」の考え方ず重なっおくる。

 ロックが、人間は「固有暩」が保党されるべきだず考えたのは、本性的な人間の姿自然状態の人間の姿が、「完党に自由な状態」で、たた「平等な状態」でもある状態だからでもある。
 人間が本質的に「自由・平等」だから「自由・平等」は「自然暩」のレベルで守られるるべき根源的な暩利だず考えるのである。では、なぜ人間は「平等」なのか

 なぜなら、同じ皮、同じ等玚に属する被造物が、すべお生たれながら差別なく同じ自然の䟿益を享受し、同じ胜力を行䜿するこず以䞊に明癜なこずはないのだから、それらすべおの者の䞻であり支配者である神が、その意志の明確な宣蚀によっおある者を他の者の䞊に眮き、その者に、明瀺的な任呜によっお疑う䜙地のない支配暩ず䞻暩ずを䞎えるのでない限り、すべおの者が埓属や服埓の関係をもたず、盞互に平等であるべきだずいうこずはあきらかであるからである。

ゞョン・ロック『統治二論』P.296

  ず、ご芧の通り「神がそういう颚に平等に䜜ったのだから」ずいう宗教的な理由なのだ。

 人間ずは、本性的に「自由・平等」であり、神の䜜った「理性的被造物」であるから、互いに理性を働かせお互いの存圚を尊重しおいる生き物である  ロックのそういう宗教性に根差した「人間芳」があるから、ロックの「固有暩生呜・健康・自由・財産の暩利」の考え方が発生するわけである。

 珟代のわれわれからしおみれば、「人暩」の裏にこういった「宗教的」な根拠提瀺がある事は䞍思議な感芚もあるず思うのだが、それでも本曞はアメリカ独立宣蚀やフランス人暩宣蚀に理論的圱響を䞎えたのであり、その「自由・平等・人暩自己保存」ずいう近代政治思想の発端の䞀぀は、確実にここにその萌芜が珟れおいるわけである。

 実はロック『統治二論』に関連しお、副読本ずしお岩波文庫の『人暩宣蚀集』を同時䞊行的に読み始めたのだが、その重芁な柱の䞀぀に『統治二論』の思想が倧きな圱響を䞎えおいるずいう事が分かる点、ロックを理解する䞊でもずおも参考になるのでオススメである。

高朚八尺・末延䞉次・宮沢俊矩/倉『人暩宣蚀集』岩波文庫

 囜連の䞖界人暩宣蚀にたでその圱響が刻印されおいる所など、感動的なほどだ。䟋えば䞖界人暩宣蚀の第䞀条には「すべおの人間は、生たれながらに自由で、尊厳ず暩利に぀いお平等である。人間は、理性ず良心を授けられおおり、同胞の粟神をもっお互に行動しなくおはならない」ずあるが、その「すべおの人間は、生たれながらに自由」で「理性ず良心を授けられお」いるずいう人間芳は、たさにロックの今たで説明しおきた人間芳ず共通しおいる。

 ゞョン・ロックは「自由䞻矩の父」ずも蚀われおいるそうなのだが、『統治二論』では「人間は生来的に自由なものだ」ずいう事が幟床も匷調されおいる。
 ロックから蚀わせれば、人間は本性的に「自由」だからこそ、「絶察王政」のような人間の隷属状態を恒垞化する統治圢態は吊定されるべきだ――ずいう事になるのである。

 ロックが攻撃すべきず考えた論敵は、王暩神授説によっおその地䜍を保蚌された絶察君䞻制であり、䞖襲制による暩力局の固定化であり、倚宗掟ぞの匟圧を行う囜教であった。
 これらぞの攻撃ずしお、王暩神授説における「党おの統治は絶察王政である」「人間は生たれながらに自由ではない」に代わる「人間の生来的な䟡倀ずしおの自由」ずいう思想を掲げなければならなかったのだ。

 そういった党掟利益ぞの誘導がロックの目的ずしおはあったものの、この「人間の生来的な䟡倀ずしおの自由」ずいうスタンスが、埌にむギリスの名誉革呜、アメリカの独立宣蚀、フランス革呜による人暩宣蚀ずいった近代囜家の考え方に結実しおいくわけである。

「自然暩」  あるいは「人暩」は、囜や人が定めた「実定法」で守らねばならないものずしおの暩利ではなく、「人間が生たれながらに持っおいる暩利」だからこそ、倚くの近代囜家では、法埋の䞊䜍法ずしおある成文憲法には、たいおい「暩利宣蚀たたは人暩宣蚀」の条文が蚘されるようになっおいるのである。

◆◆◆

政治的共同䜓の成立プロセスに぀いお

 さお、ロックの『統治二論』では、䞊述した「自然状態」「自然法」「自然暩」ずいう考え方がベヌスずなり、その䞊で「政治的統治ずは䜕かどうあるべきか」ずいう問題を考察しおいく事ずなる。

 生来的に「自然法」によっお個々人の「自然暩」が守られおいる状態で、「政治的統治」が必芁ずなっおくるのは䜕故か

 人間の数が増えお行っお集団を成すようになるず、どうしおも自然暩を守り切れない䞍郜合な点が生じおくる。それをカバヌするための「政治的統治」が必芁になるず考えたわけだ。

「自然暩」の考え方が、法埋以前に成文憲法の条文ずしお蚘されなければならないのは、「自然状態」で保党されおいる暩利が「政治瀟䌚」で保党されなければ、わざわざ囜家など䜜る意味がないからである。「倧前提」ずしお、守らねばならない暩利だずいう事なのだ。

 囜家を䜜ったがために「自然状態」の人間たちよりも状態が悪くなる事などあっおはならないからこそ、そういった政治的共同䜓の目的は「公共善」でなければならない  ずいうのが、ロックの考える政治的共同䜓の目的である。

 政治的共同䜓がカバヌしなければならない郚分ずいうのは、䟋えば自分で自分の裁刀官にはなれないので、第䞉者的な公平な刀決を行える「裁刀官」であったり、その刀決を執行するための「執行官」が必芁になったり、たたは人民が固有暩を安党に享受できるようにするために公平な立法を行う「立法機関」などが必芁になっおくる。  ず、ここの蟺りのロックが考えた政治的共同䜓の詳しい䜓制に぀いお盎接『統治二論』にあたっおもらう事ずしよう。

『統治二論』第章「政治瀟䌚の起源に぀いお」では、「自然状態」の人間たちの状況から、「政治瀟䌚」ずいう状態になるたでの䞭間の移行期間の状態を想定し、最終的に「瀟䌚契玄説」を成立させるロゞックを導き出しおいる。

 芁はこれは䞖玀圓時の絶察王政は「公共善」ずしおの政治的共同䜓の目的が果たせおおらず、たた自然に成立する統治圢態ではないために「䞍自然な、正統ではない政治圢態だ」ず批刀するためのロゞックでもあるのだ。

 ロックは、「自然状態」から集団が発展しおいき、政治的瀟䌚を䜜り始めた圓初は、皆が代衚者を決めおいたはずだず考えた。
 人間の集団がただ家族や芪族ずいった小芏暡のものだった時期は、ロバヌト・フィルマヌが『パトリアヌカ家父長論』で䞻匵しおいるように「父芪暩力」が幅を利かせおいたずいうのは分からないでもないが、それが家族集団を束ねお、「集萜」や「村」ずいったように曎に倧きな集団ずなっおくれば「父芪」ではなく、その集団を指導する立堎の人間は䜕かしらの合議によっお決められたはずだず。

 組織の代衚が匷い支配暩を埗るのは、他集団ずの戊争状態に突入した堎合だ。その堎合、指揮をする者が耇数いるず混乱を来すため、䞀時的にも集団の責任者が暩力を埗たであろう。
 これらの「政治的共同䜓の創始期」のモデルをロックはアメリカ・むンディアンやアゞアや西掋の初期の時代を想定しお考えるのである。

 これらのいずれの事情で最初に䞀人の人間の手に支配暩が眮かれたにせよ、確かなこずは、公共善および公共の安党以倖のものを目的ずしお支配暩を信蚗された者はなかったずいうこず、たた、政治的共同䜓の創始期に支配暩を手にした者は、そうした目的のためにそれを甚いるのが普通であったずいうこずである。圌らがそうしなければ、若い瀟䌚は存続しえなかったに盞違ない。公共の犏祉を優しく気遣うそうした育おの父祖たちがうなかったならば、すべおの統治䜓はその幌幎期の匱さず脆匱さずのために倒れおしたったであろうし、君䞻も人民もずもに遠からず滅びおしたったであろう。

ゞョン・ロック『統治二論』P.424

――政治的共同䜓の創始期はその囜土に察しお人の数も資源も少なく、集団は今より脆匱なものであった。
 だからこそ、その圓時の「支配者」ずいうのが私利私欲に走った堎合、そのような集団が長く存続するはずもない、ずロックは考えたのである。

 故に「自然状態」にあった自由人らが「理性的」に共同瀟䌚を䜜っおいくプロセスは「倚数決に服する事の出来る自由人が瀟䌚ぞず結合し、䞀䜓化しようず合意する事にしか求められない」。
 普通の瀟䌚であったならば、皆が掚薊する優れた者が瀟䌚の代衚者に遞ばれお指揮をずる事を任されたず考えるのが自然であろう  故に、正統な瀟䌚であれば、皆の信蚗を埗た人物に䞀時的に暩力を䞎える、いわゆる「瀟䌚契玄説」の考え方が珟れるであろう、ずいうわけである。
「政治的共同䜓の起源」に぀いお残っおいるロヌマや聖曞の蚘述を調べおみおも、そのような「合意」による共同䜓の発生ずいう事にしか起源は考えられないずロックは蚀う。

 だから、暩力を持぀代衚者が代々「血」で暩力を継承するなどずいった政治䜓制絶察王政のほうが「新しく出来た䞍合理な統治圢態」だずいうわけである。そのために絶察王政は「正統」ではない。

 だからこそ「絶察王政」よりも、瀟䌚契玄に基づいた政治的共同䜓のほうが正統であるずいうロックの結論が導かれるのである。
ちなみに、ここたで芋おくるずロックのロゞックは、やや人間の理性を信頌しすぎおいるきらいは無きにしも非ずず思える

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抵抗暩に぀いお

『リノァむアサン』のホッブズずロックは、同じ䞖玀むギリスで瀟䌚契玄説を唱えた政治思想家ずしお比范される事も倚いが、圌らは「抵抗暩」の考え方で特城的な違いを芋せおいるずいう事はよく指摘されおいる点でもある。

 ホッブズもロックも、統治機関の目的は「公共善」であり、ホッブズが「生呜の安党自己保存」を重芁な目的ずしたのに察しお、ロックも「固有暩生呜・健康・自由・財産を守る事」を重芁芖しおいる点は䌌おいる。

 が、よく蚀われるのは、ホッブズ政治孊が非難される堎合によく採り䞊げられる「人民から暩力を信蚗された䞻暩者に抵抗しおはならない」ずいう考え方であろう。ここが、ロックの政治孊の特城ずしお良く蚀われる「抵抗暩」ずの顕著な違いである。

 ホッブズは、人民に遞ばれた代衚者䞻暩者には倧きな暩力を䞎えるべきだず考えおいた。
 ただし、ここでは「人民の"生呜の安党"を守るために」倧きな暩力を䞎えるべきだずいう条件付きだずいう点が重芁なのである。

 ホッブズの政治孊の芁点は、あくたで「生呜の安党自己保存」ずいう所であろう。

 だから「抵抗暩」の代わりにホッブズは、人民が死刑を宣告されたら死刑囚は逃げる自由がありただし、逃げる事はできないだろうが、ず蚀っおはいる、城兵に぀いおも金銭で免陀されたり逃げたりずいった自由は認められるべきだろうず考えおいたようだ。

 ぀たり、ホッブズも「個人が統治暩力に察しお個人的に抵抗する暩利はある」ず考えおいたわけである。
 ロックの抵抗暩が「集団的抵抗暩革呜暩」である事に察しお、ホッブズのそれは「個人的抵抗暩」だずいう事なのである。

 重芁なのは、䞡者ずも䞖玀むギリスずいう、様々な暩力が入り乱れお内乱や囜内玛争など暩力争いを行っおいた時代に生きた政治思想家だずいう事である。
 圌らはそういった時代に生きたからこそ、そのような闘争が囜家存続さえ危うくするずいう事を理解しおいたのだろう。
 ホッブズは戊争や内玛を非垞に恐れおいたずいうし、ロックも青幎期に起こった内玛を暪目に、争いに明け暮れる同時代人に察する䞍信感ず絶望感を募らせおいったず蚀われおいる。

 ここで重芁だず思うのは、䞡者に共通する「抵抗暩」の契機が共に「戊争に察する嫌悪感」であったず蚀う事なのではないかず思うのである。
 そんな圌等にずっお「戊争」ずいうものは、䟋え暎走した暩力を打倒する手段だずしおも、軜々しく掚奚できるものではなかったに違いない。

 ロックは『統治二論』のラストを「抵抗暩」の考え方で締めくくりはしたものの、圌の意図は「名誉革呜幎」の擁護にあっお、戊闘を掚奚しおいたわけではない。䜕に察しおもいきなり抵抗するのではなく、人民党䜓の固有暩の危機があった「倩に蚎えるしか途がない戊争状態P.588」での最終的な手段ずしお提瀺しおいるのである。

◆◆◆

  このようにざっずロックの『政治的統治に぀いお』を芋おくるず、その発想の根源にあるものはほずんど「党掟利益ぞの誘導」ず「ロックの宗教芳」をベヌスずしおおり、地道なロゞックの積み重ねによっお瀟䌚契玄説を導き出しおいた。

 が、このロックの考え方は、その根元にある「宗教性」ずいう郚分はほが忘れ去られ、広く近代囜家理論に圱響を䞎えるたでに至った。

 どうもこういった非垞に広く圱響を䞎えた思想曞ずいうのは、根っこの郚分にあった肝心の著者の意図ず蚀うものは、広たっおいく内にけっこうな割合で忘れ去られおしたう傟向にあるようなのだ。

 䟋えば『人暩宣蚀集』の最初に蚘茉されおいるむギリスの「マグナ・カルタ幎」は䞖玀以来「むギリス人の自由の守護神」ずしお厇め立おられおきたそうだが、圓初これは近代的な意味で蚀う「自由」や「人暩」を保蚌する意図で䜜られたものではなかった。
 マグナ・カルタにおける「自由」ずいうのは、囜王に察しお封建領䞻たちが制玄を受けずに「自由」に領内の人々を支配するための「自由」であっお、むしろ封建制床を枩存するためのものでもあったのだ。

 だが、その埌のむギリス史を芋おいくず、たずこの「囜王に察しおの自由」ずいう第䞀段階がなければ、珟圚のむギリスのように囜王がいながら議䌚制民䞻䞻矩を行うずいう䜓制にはなっおいなかっただろうず思わせられる。

『統治二論』の蚳者である加藀節のゞョン・ロック解説曞『ゞョン・ロック――神ず人間ずの間』にも、加藀はロックにも「怍民地䞻矩の正統かを含意するようなロックの思想の問題的な偎面」などの吊定的な偎面があった事を指摘しおいる。

 が、そういったロックの根っこの郚分にある動機や党掟意識ずいった郚分ずは別に、圌の思想が広く圱響を受けたのは、それがある皮の説埗力を持ちえたからでもあるのだろう。
 䜕より、珟代の䞖界秩序を考えおみおも「自由・平等・健康・財産の保党」を人民の生来的な暩利ずし、政治的統治の目的が「公共善」にあるずいう点に぀いお、さほど拒吊反応を瀺す人もいないはずだ。

 がくの個人的な考えずしおは、ホッブズやロックに共通しおいる「公共善」であり、「生呜の保存ホッブズ」「固有暩ロック」ずいった考え方は、圌らの生きた䞖玀よりも、産業革呜が起こった䞖玀でより倧きな圱響を䞎えたずいう点が意味するずころは倧きいのではないかずも思うのである。
 いよいよ初期資本䞻矩が始動し、マルクスの蚀ういわゆる「疎倖情況」も起こりはじめ、瀟䌚は「矀衆」ずいう性栌を匷くしおいくず同時に、教䌚暩力が揺らぎ始めお宗教的な道埳が通甚しなくなっおくる。  そんな時代で「宗教」ではなく「理性」を通しお「守られるべき暩利」ずいった道埳的なものを提瀺し、あるべき囜家の姿を瀺したずいう事の意味は倧きかったのではないかず思うのである。


いいなず思ったら応揎しよう