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『プラダを着た悪魔2』で「アイコンになる」話が出てくるのは、これが普遍的な仕事の話だから

プラダを着た悪魔2(以下プラダ2)を見てきた。面白かった! SNSでは賛否両論らしいが1が好きな身からすると、この時代にこんな素敵な女子映画作ってくれてありがとう〜ファンサたくさんしてくれてありがとう〜の気持ちしかなかった。脚本はもちろん、20年ぶりという年月を経る意味もキャストのタイミングも含めて理想的な2ではないだろうか。

※この先すこしネタバレがあります! 未見の方はご注意を!

https://www.20thcenturystudios.jp/movies/devil-wears-prada2

20年経てばファッションの流行のみならず、社会もメディアも人も変わる。それでも人間が作り出した服という作品の美しさと働くことのしんどさと嬉しさは変わらずそこにある。そういう話だと思った。

私が本作を見てずっと思い出していたのは『ステータス&カルチャー』だった。


名著。本書曰く、ステータスを発揮するための「センスの良さ」は危機に瀕している。それはSNSプラットフォームが登場したからだ。雑誌メディアではなく、SNSがセンスの良さを決めようとしている今、センスの良さはけしてステータスとイコールではなくなっている。

ーーそれはたとえば、プラダ2に出てきた、しゃかしゃかのウィンドブレーカーを着たお金持ちの男性のことである。

彼はファッション的なセンスの良さ=おしゃれという価値基準に興味がない。というか、むしろ、スティーブ・ジョブズ的な発想で「服にお金や時間を使わないことが人としてのセンスの良さである」とすら考えてそうである。服に興味がないことを周囲に示すことが彼にとってのステータスなのである。

一方、対比されるのは、服や文章や雑誌といった芸術文化を理解することにセンスの良さ=価値基準を置くお金持ちである。どちらもニューリッチであることに代わりはない。しかし、前者はたとえばプラダの価値がわからず、後者はたとえばプラダの価値がわかるような存在として描かれ出す。

プラダというのはあくまで比喩だが、それはもちろん1のアンディとミランダの対比でもある。

アンディは最初ファッションにこだわる意味がわからなかった。学歴があり夢がある彼女にとっては、おしゃれであることに価値を置いてこなかったからだ。しかしミランダの元で修行するようになり、仕事を通してアンディはその価値体系の魅力を理解するようになる。

アンディという主人公の面白さは、実はここだと思っている。彼女はファッションの世界において、常に「仕事」で関わる人なのである。彼女は根っからのファッション好きなわけでない。プラダ2の冒頭でも、ファッション仕事に関わらなくなるとシャネルを人にあげた話が描かれる。

ファッションいいよね! とファッションを理解する内輪同士の話ではない。だから本作は普遍的なのだ。全然わからない分野にチャレンジして、仕事を通して成長する、仕事の話なのである。

それこそが、プラダ1,2の普遍性なのではないだろうか。

創作系の物語でも、最初から創作が素晴らしいことを自明として描かれていたりする。が、本当は、世の中の価値基準のひとつでしかない。ファッションも同様だ。おしゃれを重視するセンスはその業界のルールでしかない。しかし、仕事とは、その業界のルールを理解するなかでしか、大きなことを成し得ない。

プラダ2では「ビジョナリー」とか「アイコン」とか、ただ商品を手に入れたり売ったりするだけではなくアイコンになったりビジョンを示したりすることが重要だと手を変え品を変え語られる。それはある意味で、センスの体系が壊れつつある時代だからだ。『ステータス&カルチャー』もまた、最後に新しい流行を生み出すことについて描いていた。同じ話だ。既存の価値体系に乗っかりつつも、その先で、アイコンをつくることーー新しいものを明示することでしか、私たちはいまの時代に大きくなんかなれない。

だからこそ、どんな社会になっても、どんな情勢になっても、まずはアイコン的であることが一番強い。そういう、20年先まで通用する仕事の話をしている作品だと思った。素晴らしかった!


仕事の話もたまにnoteで書いてますので良ければご一緒にぜひ。

有料部分は最近の日記について。プラダ2の話はほぼしてないので単体で買わなくて大丈夫です〜。

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