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罵倒した相手がTシャツを売る日—ザ・タイマーズが37年後に突きつけたものとは


【導入】37年後の逆説

2026年3月23日、TOKYO FMが公式Xにこんな投稿をした。

「1989年のザ・タイマーズのFM東京事件をモチーフにした特別モデルとなっています。37年の時を経て、伝説の事件がTシャツになりました」

NEIGHBORHOODとのコラボレーション。フロントには当時の写真、バックには生放送中にZERRYが歌った替え歌の歌詞がプリントされている。予約開始は3月28日。価格は税込13,200円。

この投稿は瞬く間に拡散し、183万インプレッションを記録した。

少し立ち止まって考えてみてほしい。

ザ・タイマーズとは、1989年にフジテレビの音楽番組の生放送中、FM東京を名指しで罵倒する未発表曲を突然演奏し、放送禁止用語を連発したバンドである。その「被害者」であるFM東京——現TOKYO FM——が、37年後に自ら「あの事件」をモチーフにしたTシャツを製作し、販売する。

これは何なのか。

この連載では70本以上にわたって、音楽と政治の関係を問い続けてきた。なぜ日本の音楽家は政治を語らないのか。語ったとき、何が起きるのか。今回はその核心に触れる話だ。

【Part1】怒りの起点——COVERSと東芝EMI

以前この連載で忌野清志郎について書いたとき、彼の音楽の底に流れる怒りの質について触れた。今回はその続きを、別の角度から掘り下げることになる。

「君が代」を歌った男は、なぜ2度消されたのか—忌野清志郎と音楽の自由

時計を1988年に戻す。

その年の夏、RCサクセションは洋楽のカバーアルバム『COVERS』の発売を準備していた。発売予定日は8月6日。広島に原爆が投下された、平和記念日である。この日付の選択は、偶然ではない。

収録曲にはエルヴィス・プレスリーの「ラヴ・ミー・テンダー」と、ザ・フーのカバーで知られる「サマータイム・ブルース」が含まれていた。忌野清志郎が書いた日本語詞には、反核・反原発のメッセージが込められていた。「核などいらねえ」「放射能はいらねえ」——甘いメロディーに乗せた、直截な言葉だった。

問題はレコード会社にあった。

所属する東芝EMIの親会社・東芝は、三菱重工・日立製作所と並ぶ原子炉サプライヤーである。当時すでに10基を超える原発建設を手がけていた企業が、反原発ソングを発売できるはずがない。発売中止の決定は「企業倫理」という名のもとに下された。表向きの理由は一切示されなかった。

忌野は折れなかった。

発売中止を告げた担当者に対し、忌野はこう切り返した。「素晴らしすぎて出せないっていうんだったら、それを新聞に出してくれ」。この一言が、そのまま受け入れられた。「素晴らしすぎて発売できません」という謎めいた新聞広告が全国紙の経済面に掲載された。理不尽な圧力を、逆手に取ったのである。

結果として『COVERS』は古巣のキティレコードから8月15日——終戦記念日——に発売され、RCサクセションとして初のオリコンアルバムチャート1位を獲得した。発売中止という「弾圧」が、かえって作品を世に広めたという皮肉である。

しかし忌野の怒りは収まらなかった。

むしろ怒りは、別の器を必要としていた。RCサクセションのメンバーには、ゲリラライヴへの賛同が得られなかった。ならば、自分だけでやる。そうして生まれたのがザ・タイマーズである。バンドの結成は、音楽的な衝動ではなく、政治的な怒りから始まった。

ここで一つの事実を記しておきたい。2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故が起きたとき、人々は『COVERS』を聴き直した。当時すでに数十基が稼働していた原発の増加に警鐘を鳴らした歌詞が、23年越しに現実と重なった。預言は、時間をかけて現実に追いつかれた。

【Part2】イロモノという仮面

1988年夏、ザ・タイマーズはアン・ルイスのライヴに乱入するという形でステージデビューを果たした。もともとこの乱入は、翌日に控えた広島平和コンサートへの飛び入り参加のリハーサルを兼ねたものだったという。広島という場所が、最初から意識されていた。

メンバーは土木作業員の作業着に地下足袋、全共闘学生運動を思わせるヘルメットとフェイスマスク。正体を隠した覆面バンドとして、ライヴイベントや学園祭にゲリラ的に出没し、演奏が終わると姿を消した。

このビジュアルを初めて見た人間は、おそらく笑ったはずだ。

バンドブームの真っただ中、洗練されたルックスのバンドが林立する時代に、土木作業員の格好をした覆面バンド。「ロックとブルースと演歌とジャリタレポップスのユーゴー」というコンセプトも、一見すると悪ふざけにしか聞こえない。

しかしこのイロモノのビジュアルは、確信犯的な設計だった。

アコースティック編成を選んだ理由について、忌野はこう語っていたという。「言いたいことを言ってパッと逃げられるから」。電力を使わずに演奏できるということは、コンセントさえあれば音が出せるということであり、同時に電力——つまり原発——に依存しないという意思表示でもあった。

覆面は「責任の回避」ではなかった。機動力の確保である。どこにでも現れ、言いたいことを言い、さっと消える。その機動性を担保するために、覆面バンドという形式が選ばれた。

なお「覆面」という設定は、活動中は最後まで維持された。しかし後年のメンバーや関係者の証言によって、ZERRYが忌野清志郎本人であることは事実上の公知となっている。フィクションとしての覆面を貫きながら、誰もが「知っている」という状況——この絶妙な距離感もまた、タイマーズという方法論の一部だった。

そして最大の効果は、メディアが油断したことだ。

イロモノに見えるバンドを、テレビは「話題のネタ」として扱った。1989年10月、フジテレビの音楽番組「ヒットスタジオR&N」がタイマーズを招いたのも、そういう文脈だったはずだ。CM明けという好条件の枠。テレビ出演はこの1回のみというコンセプトも、希少性を演出する宣伝として機能すると判断されたのだろう。

その油断が、事件を可能にした。

ユーモアと怒りを同居させるという方法論は、正面突破より有効だったのか。あるいは有効ではなかったのか。その答えは、この後で考えることにする。

【Part3】FM東京事件——1989年10月13日

メジャーデビューから2日後のことだった。

1989年10月11日、ザ・タイマーズはモンキーズのヒット曲に清志郎が日本語詞をつけたシングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」で東芝EMIからメジャーデビューを果たした。エースコックのCMソングに起用されたこの曲は、幅広い層に届いていた。

2日後の10月13日、「ヒットスタジオR&N」の収録がある。

この日の予定曲目は5曲だった。「タイマーズのテーマ」「偽善者」「デイ・ドリーム・ビリーバー」「イモ」「タイマーズのテーマ(エンディング)」。プロモーションとして見れば、整然とした構成である。

1曲目「タイマーズのテーマ」が終わった。

画面のテロップには「偽善者」の文字が出た。しかしバンドが演奏し始めたのは、誰も聞いたことのない曲だった。リハーサルにも存在しなかった、未発表曲である。

何が起きているのか、誰にもわからなかった。

ZERRYが歌い始めた歌詞は、FM東京とFM仙台を名指しで罵倒するものだった。山口冨士夫との共作で、ZERRYが作詞を担当したこの曲には、放送禁止用語も含まれていた。当時の出演者の呆気にとられた表情がテレビに映し出された。スタッフは顔面蒼白になった。タイマーズの衣装を着て現場にいた東芝EMIの宣伝担当スタッフたちも、そのいでたちのまま呆然と立ち尽くした。

生放送だった。誰も止めることができなかった。

この「事件」が事前に知らされていたのは、メンバー4人だけだった。前日に4人だけで集まり、密かに決めた。スタッフにも、レコード会社にも、告げていなかった。

抗議の背景には、明確な理由があった。タイマーズの楽曲「土木作業員ブルース」がFM東京で放送自粛になっていた。さらに忌野が作詞を担当した山口冨士夫との共作「谷間のうた」が、FM仙台で放送禁止になっていた。FM東京の株主には旧富士銀行の存在があり、メディアと資本の癒着が背景にあった。「腐ったラジオ」「政治家の手先」と罵倒された理由は、そこにある。

事後の処分は重かった。フジテレビはFM東京とFM仙台に謝罪し、タイマーズには3年間のフジテレビ出入り禁止措置が下された。朝日新聞・読売新聞など大手新聞も事件を報道した。

しかし翌朝、羽田空港に集合したZERRYはメンバーにこう言った。売店にあるスポーツ紙を全種類買ってこい、と。各紙の一面に、前夜の事件が載っていた。飛行機の中でメンバー全員が大爆笑した——という後日談が残っている。

悲壮ではなく、チャーミングだ。それもまた、タイマーズだった。

【Part4】結局、何も変わらなかったのか

1989年、第一期の活動を終えた後、忌野清志郎はこう語ったという。

「結局何も変わらなかった」 「怒りで何かを歌ってもむなしいだけ」

この言葉を、私はしばらく手の中で転がしていた。

FM東京事件は新聞の一面を飾り、日本中を騒然とさせた。しかし翌朝、原発は動き続けていた。FM東京は放送を続けていた。世の中は、何事もなかったように回っていた。怒りをぶつける相手がどれほど明確でも、生放送で叫んでも、構造は変わらない。忌野はそのことを、誰よりも早く、誰よりも正直に認めた。

敗北宣言、と読む人もいるだろう。

しかし私にはそう聞こえない。むしろこれは、怒りの純度の高さを示す言葉ではないかと思う。「変えてやる」という確信があったからこそ、「変わらなかった」という言葉が出る。最初から変わるとは思っていなければ、落胆もしない。

1994年、タイマーズは再結成した。

忌野は再び覆面をかぶった。世の中は変わっていたか。バブルは崩壊し、日本社会は別の混乱の中にいた。しかし原発は増え続け、メディアの構造は変わらず、音楽家が政治を語ることへの圧力も、見えない形で残り続けていた。

そして2009年5月2日、忌野清志郎は亡くなった。

その2年後、2011年3月11日——東日本大震災と福島原発事故が起きた。

人々は『COVERS』を聴き直した。原発が増え続ける現実への警鐘を鳴らした歌詞が、23年越しに現実と重なった。忌野が懸念していた事態は、彼の死後に現実になった。

「結局何も変わらなかった」という言葉は、預言でもあった。

そして同時に、問いはここで反転する。本当に何も変わらなかったのか。タイマーズが生放送で叫んだことは、何も残さなかったのか。

変わるのに、時間がかかっただけなのかもしれない。あるいは、変わったのは「世の中」ではなく、それを聴いた人間の内側だったのかもしれない。答えは、まだ出ていない。

【Part5】抵抗は消費されるのか

2026年3月、TOKYO FMは「伝説の事件がTシャツになりました」と書いた。

この一文を読んだとき、私の中で何かが引っかかった。

「伝説の事件」。その言葉の中に、すでに距離がある。現在進行形の怒りではなく、過去に完結した出来事として、事件は「伝説」に変換されている。怒りがアーカイブになるとき、何かが抜け落ちているのではないか。

ロック史を振り返れば、これは珍しいことではない。

セックス・ピストルズが「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を発表したとき、イギリス社会は震撼した。しかし今、ピストルズのTシャツは世界中のファッションショップで売られている。ラモーンズのロゴTは、ラモーンズを一曲も聴いたことのない人間が着ている。反骨は必ず、いつか商品になる。それはロックというジャンルが宿命的に抱える矛盾だ。

日本も例外ではない。

タイマーズが「デイ・ドリーム・ビリーバー」でメジャーデビューを果たしたとき、その清志郎の日本語詞はコンビニのCMソングに使われ、日本中に流れた。今もセブンイレブンの映像とともに耳に残っている人は多いだろう。反原発の怒りから生まれたバンドのデビュー曲が、資本主義の最前線で鳴り続けるという皮肉——これもまた、消費の一形態である。

ではタイマーズのTシャツも、同じ文脈で読めばいいのか。

三つの読み方を、あえて並べてみる。

一つ目は「記念碑化」だ。怒りが歴史になり、毒が抜かれる。「あの頃は面白いことをするバンドがいたね」という消費のされ方。事件はコンテンツになり、不快さは薄れ、懐かしさだけが残る。

二つ目は「無害化」だ。かつて権力に抵抗した表現を、権力側が取り込み、商品として流通させる。これは最も意地の悪い読み方だが、最も鋭い読み方でもある。TOKYO FM自身がTシャツを売るという構造は、この解釈を完全には否定できない。それどころか、かつて「腐ったラジオ」と罵倒された側が「伝説」として事件を肯定的に捉え直す——その身振り自体、メディアと表現者の関係がどう変容したかを示している。

三つ目は「継承」だ。形は変わっても、怒りの記憶は生き続ける。Tシャツを買った若い世代が「FM東京事件とは何だったのか」を調べ、タイマーズの音楽を聴き、そこにある怒りの本質に触れる——そういう経路が生まれる可能性を、否定することはできない。

183万インプレッションという数字は、何を意味するのか。

それはタイマーズの記憶が、37年後の今も人の胸を動かすことの証明だ。「伝説」になってもなお、あの生放送の映像を初めて見た人間が「むちゃくちゃカッコいい」と感じる何かが、タイマーズには宿っている。それは消費されても消えない何かだ。

三つの読み方のどれが正しいか、私には断言できない。おそらく、三つ同時に正しいのだ。抵抗は消費され、無害化され、それでも何かが継承される。矛盾したまま、事実は存在する。

忌野は「結局何も変わらなかった」と言った。しかし183万人が、37年後にその記憶に反応した。

この二つの事実を、私はどう折り合わせればいいのか、まだわからない。

【Part6】歌いたいことを、歌う

1989年、私は21歳だった。

ザ・タイマーズのことは知っていた。「デイ・ドリーム・ビリーバー」はラジオから流れてきたし、FM東京事件の話は耳に入っていた。しかしリアルタイムで真剣に向き合っていたかというと、正直に言えば、そうではなかった。イロモノっぽい、と思っていた節がある。覆面バンドというビジュアルに惑わされ、その仮面の下にある怒りの本質を、私は素通りしていた。

今回、改めて音源を聴いた。

魂がある。ユーモアの皮の下に、本物の怒りがある。アコースティックギターとウッドベースだけで、これほどの圧を出せるのか。なぜリアルタイムで真剣に聴いてこなかったのか、今さら後悔する。

ギタリストとして、私は週末のステージに立ち続けてきた。45年になる。

2011年、私は広島のライヴハウスで毛皮のマリーズのライヴを観ていた。あの年、音楽と社会の関係について、何かが変わった気がした。ステージの上で何かを叫ばなければならないような、そんな感覚だけがあった。しかし私は叫ばなかった。

その間、ステージで政治を語ったことは、ほとんどない。歌いたいことを、すべて歌ってきたかというと——そうは言えない。「場の空気」を読んだ。「余計なことを言うな」という圧を、内側から自分にかけてきた。それはRCサクセションがメジャーになる過程で受け続けた圧力とは比べものにならない、ささやかなものだ。しかしその構造は、本質的に同じではないか。

忌野清志郎は言った。「ロックの東芝だからこそ、メッセージ色の濃い作品を出すべきだ」と。

発売中止を告げた責任者に、折れずにそう返した。その言葉を読んだとき、私は自分のギターを思った。ステージで弾いてきた何千回もの演奏を思った。そこで私は何を言い、何を言わずにいたのか。

「継承する」とは、同じことをすることではないと思う。

覆面をかぶる必要はない。放送禁止用語を叫ぶ必要もない。ただ——歌いたいことがある、という事実から目を逸らさないこと。それが、タイマーズの精神を受け取るということではないか、と今は考えています。

37年後、タイマーズが問うていたことに、答えは出ていない。

原発の問題も、メディアと権力の癒着も、音楽家が政治を語ることへの圧力も、形を変えながら続いている。だからこそ、まだ歌える。歌わなければならないことが、まだある。

罵倒した相手がTシャツを売る日に、そのことを思う。

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