鮎川誠に学ぶ「自由とは好きなことを続けることである」
① はじめに
押し入れの奥に、ギターケースが眠っていないだろうか。
あるいは、物置のバイク。錆びかけた釣り竿。
読みかけのまま、背表紙が陽に焼けた本。
若い頃は、好きなものがあった。
時間を忘れて没頭できる何かが、たしかにあった。
けれど、いつからだろう。
仕事を覚え、家庭を持ち、責任を背負ううちに、
好きだったものは少しずつ生活の隅へ追いやられていった。
「そのうちまた」と思っているあいだに、何年も経った。
大人になるとは、好きなことを諦めることなのだろうか。
今
回は、鮎川誠というロックミュージシャンを案内人に、
自由と「続ける」ことについて考えてみたい。
彼の生き方は、押し入れの奥にしまい込んだものを、
もう一度引っぱり出していいんだと、静かに教えてくれる。
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② 自由と、続けるということ

自由という言葉から、
多くの人は「好きなことだけして生きる人生」を思い浮かべる。
働かず、縛られず、気の向くままに生きる。そんな姿だ。
でも、そんな人は現実にはほとんどいない。
では、自由な人とは誰か。
私は、こう思う。好きなことを、続けている人ではないか、と。
自由とは、一瞬の解放ではない。会社を辞めた日の高揚でも、
長い休暇の解放感でもない。
それは、何十年も手放さずにいる、という選択のことだ。
一日だけ好きに生きるのは、誰にでもできる。
難しいのは、それを十年、二十年、三十年と続けることだ。
そして鮎川誠は、それをやってのけた人だった。
③ 鮎川誠という存在
シーナ&ロケッツ。
日本のロック史を語るとき、欠かすことのできない名前だ。
福岡から出てきた、サングラスにギブソンのギターがよく似合う、
本物のロックンローラー。
だが、ここで語りたいのは華やかな成功物語ではない。
注目したいのは、たった一つ。
鮎川誠が、何十年も変わらなかったこと。
時代が変わっても。流行が移っても。
ロックが「古い」と言われるようになっても。
彼はロックをやめなかった。ギターを置かなかった。
サングラスを外さなかった。
若い頃に好きになったものを、最後まで好きでい続けた。
言葉にすれば、たったそれだけのことだ。
だが、その「それだけ」が、どれほど難しいか。
私たちは、自分の人生で、嫌というほど知っている。
④ 最後までギター少年だった男

鮎川誠は、最後まで現役だった。
長年連れ添ったパートナーであり、
バンドの声だったシーナさんを先に見送っても、
彼はステージに立ち続けた。
歳を重ね、体が病に侵されても、ギターを手放さなかった。
普通なら、立ち止まる理由はいくらでもあった。
相方を失った喪失。年齢。病。
どれか一つでも、「もう十分やった」とギターを置くのに足る理由になる。
事実、多くの人がもっと小さな理由で、好きだったものをやめていく。
それでも彼は、いつものサングラスをかけ、
いつものギブソンを抱え、同じようにステージに立った。
悲しみを抱えたまま、それでも音を鳴らすことを、日常として続けた。
特別な決意の表情ではなく、ただ当たり前のように。
そして2023年、74歳でこの世を去る、
そのぎりぎりまで、彼はロックンロールの中にいた。
ここに、この記事のいちばん大事なことが詰まっている。
彼は「かつてロックスターだった人」ではない。
「死ぬまでロックンローラーだった人」だ。
過去形で語られる栄光ではなく、最後の一日まで現在進行形だった生き方。
派手な成功よりも、私の胸を打つのは、その続けたことの凄みのほうだ。
一度ステージに立つのは、若さや勢いでできる。
だが、何十年も立ち続けるのは、まるで違う。
飽きと、衰えと、「もういいんじゃないか」という内なる声と、
毎日戦い続けるということだから。
鮎川誠は、その戦いを、生涯やめなかった。
そして気づく。最後まで「好き」を手放さなかった人は、
最後まで自由だった、ということに。
⑤ なぜ私たちは続けられないのか
ここが、この記事の核心だ。
若い頃は、誰もが何かに夢中になる。
ギターでも、絵でも、スポーツでも、商売の夢でもいい。
だが、その多くを、私たちは途中でやめてしまう。
なぜか。
才能がなかったからではない。時間がなかったからでもない。
理由は、もっと残酷だ。
大人になるほど、私たちは「結果」を求めるからだ。
上達しない。だからつまらなくなる。誰にも評価されない。
だから虚しくなる。お金にならない。
だから「意味がない」と思えてくる。
そうやって、続ける理由を、自分で消していく。
子どもの頃は違った。うまくならなくても、ただ楽しいから続けた。
下手な絵を、誰に見せるでもなく描き続けた。
いつのまにか、私たちは「結果が出ないこと」を
続けられない人間になってしまった。
鮎川誠は、そこが違った。
売れることだけを追わず、流行に擦り寄らず、
ただ好きだから、ロックを続けた。
結果のためではなく、それ自体が目的だった。
だから、彼は自由になれた。
自由とは、才能の結果ではない。続けたことの結果なのかもしれない。
⑥ 「今さら」という鎖

いま、人生は驚くほど長くなった。
定年を迎えても、その先に二十年、三十年という時間がある。
人生には、はっきりと後半戦が存在する。
それなのに、私たちはよくこう言う。
「今さら」と。
今さらギターなんて。今さら絵なんて。
今さら新しいことなんて――。
その一言で、まだ動けるはずの自分を、自分で縛りつける。
でも、鮎川誠を見ていると、思うのだ。
自由は、若者だけの特権ではない。
好きなことを続けている限り、あるいは、もう一度始めさえすれば、
人は何歳からでも自由になれる。
「今さら」は、年齢が言わせているのではない。
結果を恐れる気持ちが、年齢のせいにしているだけかもしれない。
⑦ おわりに ― もう一度、鳴らす

自由とは、好きなことだけして生きることではない。
自由とは、好きなことを、やめずに持ち続けること。
一度手放してしまったなら、もう一度、手に取り直すことだ。
自由とは、好きなことを続ける覚悟である。
鮎川誠は、何十年もロックを続けた。最後の日まで、続けた。
だから、彼は自由だった。
私たちも、たぶん、同じだ。
大きな挑戦でなくていい。プロを目指す必要も、誰かに見せる必要もない。
押し入れの奥のギターケースを、今夜、開けてみる。
錆びた弦を、一本だけ張り替えてみる。それだけでいい。
うまく弾けなくたっていい。誰にも褒められなくたっていい。
ただ、好きだったという気持ちを、もう一度思い出す。
その小さな一歩の先に、自由は待っている。
清志郎は「自分の音を鳴らして生きろ」と教えてくれた。
鮎川誠は、その先を教えてくれる。
――鳴らし続けろ、と。
それが、何歳から始めても許される、ロックな人生だ。
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